1990年 鈴鹿2&4レース 星野選手優勝F3000 & 和田久選手優勝F3
ジョニー・ハーバート選手/伊太利屋REYNARD 90D/無限
1990年全日本F3000シリーズ開幕戦・鈴鹿2&4レース。
2輪と4輪が観られるとあって、この数年は毎年観戦に行っていた。当時の愛車、トヨタ・スターレット・ターボ・スーパリミテッドで大阪を出発した。’90年のレースは誰と行ったのかハッキリ覚えていない。
鈴鹿8耐に向けてポジフィルムを試してみようと初めて使ってみた。
ポジの方が発色が良いように思っていたからだ。特に使用上の知識がある訳でもなく❝良いタイヤを履けば良いタイムが出る❞みたいな安易なシロウト考えだった。
グランドスタンド裏の広場にはJSPCとWEC JAPANの宣伝のために日産・キャビンR89Cと―
WGP日本GPの宣伝のためにエディー・ローソン選手のロスマンズ・ホンダNSR500が展示されていた。
ポジフィルムではシャッター速度が早めにとれず、上手く撮れば綺麗な流し撮りが出来るのだが…。
紙焼するとネガよりも割高になってしまう。
優勝:星野一義選手/CABINローラT90/無限
3位:松本恵二選手/ワタナベ ダンロップ レイナード90D/無限
和田孝夫選手/TENORAS ADVAN ローラT89/無限
長谷見昌弘選手/スピードスターダンロップ ローラT90/無限
マウリシオ・サンドロ-サーラ選手/CLUB ANGLE レイナード89D/無限
村松栄紀選手/ムーンクラフトMC041B/無限
F3とダブルエントリー。
F3000ではルーキーながら8位完走。F3では3位表彰台を獲得した。
しかし、3月末に富士スピードウェイで行われたF3000合同テストでの事故により他界。前途有望な24歳だった。
表彰台獲得者のウイニングパレード
左からロス・チーバー選手、星野一義選手、松本恵二選手
当時の新聞記事
F3
優勝:和田 久選手/CAPCOM・RT33/無限
2位:服部尚貴選手/カワイスチ-ルLG.COXRT/無限
田嶋栄一選手/BENETTON RT34/無限
ベネトン・ジャパンがスポンサードしてF1と同じカラーリングのマシンを走らせた。
カッコイイ。もっとキッチリ撮影したかった。
奥貫直選手がスピン
’97年2月 トヨタJTCCエクシヴ & GTスープラ/MR2 富士テスト
先のJTCCテスト(昨日掲載)から二週間後の’97年2月13日、富士スピードウェイでトヨタがJTCCとGTのテストを行った。
平日休みだったので、レースウィークには行けないが平日行われるテストには行く事ができた。ドラサロにあるFISCOの事務所で一ヶ月の走行スケジュールを聞いて、観に行ける日をチェックしていた。
天気は良かったが寒かった。モコモコに着こんでFISCOに向かった。下道を使っていたので御殿場に近くなるにつれ積雪が残る場所が多くなっていった。
行きがけのコンビニで朝食と昼食を買って行った。
JTCC
ミハエル・クルム選手/エッソトーネン・トムスエクシヴ
火災が発生。ヘアピンで止まって消化された
影山正美選手/ADVANエクシヴ
ツーリングカーなのにアンダーフロアにエアを導入するパーツが取り付けられていた
竹内浩典選手/トヨタ・エクシヴ
二週間前にクルム選手がテスト走行していたマシン?
お昼休憩の集会
JGTC
金石勝智選手/Castrol CERUMO SUPRA
オウエン・マーキュリー選手/Castrol CERUMO SUPRA
セルモが呼んだドライバー。
この日のテストのみでレギュラーシートはつかめなかった。
マーキュリー選手のサイン
土屋武士選手/つちやMR2
前年はスポット参戦だったが’97年はシーズン参戦(1戦欠場)。
第3戦仙台ハイランドで初優勝を遂げてシーズン3位になり注目を集めた。
前年にMR2でスポット参戦してきたつちやエンジニアリングがテストに参加してきたので「お!今年はフル参戦か⁉」と凝視した。
土屋武士選手のサイン
マッチさんも参加 ’97年1月 NISMO GT & トヨタJTCC富士テスト
1997年の1月30日、富士スピードウェイでNISMOのGTとトヨタJTCCテストが行われたので観に行った。
前年11月に発売&納車されたばかりの愛車・ホンダS-MXに乗っての初FISCOだった。
冬の御殿場は天気が良くてもめっちゃ寒い。雪が降っていないだけでも良かった。この頃、冬場のテスト(フォーミュラだったかな?)では前日の降雪のため、せっかく行ったのに中止になっていた事もあった。
ニッサン・スカイラインGT-RのNISMO車であるZEXELとKURE556を合わせたマシンになっていた。
この日は’97年シーズン、KURE R33でコンビを組む影山正彦選手と近藤真彦選手がテストに参加していた。
近藤真彦選手
前年もNISMO GTテストを観に行ったが、その時はマッチさんは参加していなかった。「芸能活動で忙しいんだろうな」と思っていた。
しかし、この年は朝早くからテストに参加。NISMOドライバーとしての責務を遂行していた。
パドック駐車場の中央ほどにある自販機のそばにS-MXを停め、フルフラットにして昼食をとっていると、ドリンクを購入しにきたマッチさんがS-MXをぐるり一周見て行った。後部シート側はプライバシーガラスになってはいたが薄いので、マッチさんと目が合ってしまった。
まだウイングもチー国エアロも付ける前のS-MX
影山選手の走行時間帯もマッチさんは様子を見ていた
影山正彦選手
NISMOとは時間帯を別にして、午後からはトヨタのJTCCチェイサーのテストが行われた。
ミハエル・クルム選手
クルム選手は黒塗りのチェイサーをテスト。
一見するとフツーに走り屋マシンだ(笑)。
レッツォ・トランピオ・エクシヴも同時走行。この時にドライバーは確認できなかったが原貴彦選手かな?
シルクカット・ジャガー参戦 ’86WEC JAPAN トヨタ/マツダ/ポルシェ勢
’86年WEC JAPANには、その後WSPCの主導権を握るシルクカット・ジャガーが登場した。
前年も来日してはいたが、豪雨のために他の海外勢同様1周でリタイアを決めたためほとんど走りを観られなかった。色もブリティッシュグリーンにジャガーがロゴが描かれただけだったので地味だった。
3位:エディー・チーバー/ディレック・ワーウィック組/ジャガーXJR-6
ヤン・ラマース/ジャンフランコ・ブランカテリ/J-L.シュレッサー組/ジャガーXJR-6
13位:#170 片山義美/寺田陽次朗/ピエール・デュドネ組/マツダ757
15位:#171 従野孝司/D・ケネディ組/マツダ757
3ローターエンジンを搭載したIMSA GTP規定のマシンでC1クラスへの参戦初年となった。
9位:中嶋悟/ジェフ・リース/関谷正徳 組/トヨタトムス86C
28位:エジェ・エルグ/ベッペ・ガビアーニ組/ワコールトヨタ童夢86C
21位:米山二郎/岡田秀樹/浅井順久 組/フロムエーポルシェ956
ポルシェ962を操り彗星のようにトップドライバーにのし上がったガハハ・ウルトラ秀樹選手。快進撃が始まったのだった。
当時住んでいた近くのショップにフロムAポルシェが来ていた。
偶然発見し、カメラを持って再び訪れたのだった。
6位:バーン・シュパン/鈴木恵一/ジョージ・フーシェ組/イセキポルシェ962C
8位:高橋国光/高橋健二 組/ADVAN ALPHA962C
M・バルディ/K.ニーツヴィーツ組/Liqui Moly Porsche
優勝:P・ギンヅァーニ/P・バリラ組/タカキューポルシェ
ローリングからのスタート
ゴール
グランドスタンド前に停められたトップ3のマシン
表彰式
先週発売F1マシンコレクション98号 パトレーゼ選手のブラバムBT55/BMW
先週発売されたF1マシンコレクション98号はリカルド・パトレーゼ選手のブラバムBT55/BMW。
1986年にゴードン・マーレイ氏がデザインした超うすうすマシンとして有名だ。
空気抵抗を極力減らすために極限までに車体を低く(薄く)設計している。そのためにエンジンも傾て搭載してる。付属ムック(分冊百科)に傾斜置きエンジンの写真が掲載されているが、トランペットが斜めに突き出ているのが良く分かる。
低くを追求したためにバランスが悪くなって失敗作に終わった。グランドエフェクトを追求するあまりにバランスが悪くなったロータス80に似ている。
勝つためにアイデアを絞り切っる姿勢は大好きだ。それが失敗に終わっても。
この奇抜なマシンを操れると期待され招集されたのが、リカルド・パトレーゼ選手とエリオ・デ・アンジェリス選手。2人とも優勝経験があるトップドライバーだった。
しかし、アンジェリス選手はこのマシンのテスト中、リアウイングが欠落してクラッシュ。火災による酸欠で返らぬ人となってしまった。苦しかっただろう。
アンジェリス選手のシンプソン・ヘルメット姿が格好良く「いつかヘルメットを被る時はシンプソンにしよう」と決意したのだった。今でもシンプソンが大好きだ。
エンジンの気筒が斜めになっている
F1マシンコレクションのブラバムマシンは比較的多く購入している。’77年のBT45や三角断面モノコックのBT46も出して欲しい。
’70年代後半から’80年代前半まではトップチームで、ネルソン・ピケット選手が2度チャンピオンを獲得している。
しかし、鈴鹿にF1がやって来た時には中団以降のチームに落ちて’91年頃にはどうしようもなくなっていた。デーモン閣下が応援団長になって盛り上げようとしたり、怪しい日本人オーナーに移譲されたりして消滅してしまった。
現代のマシンに比べると単調な作りのミニカーだ。その分(?)細部が凝っている。
サイドポンツーンのラジエーター…「Olivetti」ロゴの「v」に当たる部分がそうなのだが、ラジエーター構造と上に描かれた文字が良く表現されている。
左ポンツーン上部の排気スリットも段差が造形されて、墨入れが成されている。
マシンの特徴である傾斜置きエンジンのトランペットを斜めに突き出してもいる。
❝変わり❞F1マシンの仲間入りをしているが、後年、同じコンセプトで作られたマクラーレンMP4/4が大成功を収めたので、方向性は間違っていなかったようだ。
’86年WEC JAPAN 最後の観戦 予選上位と日産勢
1983年大会から観戦してきたWEC JAPAN。日本でF1が開催されていない時期に開催された唯一の世界選手権として毎年楽しみにしていた。
しかし、それも’87年からF1日本GPが鈴鹿で開催される事になり、1986年のWEC JAPANが最後の観戦になった。秋に世界選手権2つ観戦は資金的に無理だ。それは社会人になった今でも変わらないのだが…。
ジャガーが参戦して来ていたがポルシェがワークス体制を止めてしまいGrCカーの行き詰まり感があって、りF1の魅力には敵わなかった。
前年、雨で❝料金が高く距離が短い全日本戦❞になってしまったのもショックだった。
大会ステッカー
プレイガイドの❝打ち出し❞だったためかチケットが残っていない。
’86WEC JAPANの写真は安いところに現像を出したのか退色が激しく、お見苦しいかもしれませんがご了承下さい。
グランドスタンド裏の広場もに賑やかになった。
メーカーブースが増えてレースが始まるまでに展示やグッズを物色する面白味が出て来た。
展示されたマツダ757
マツダ757はタバコロゴを消してスーパー戦隊『光戦隊マスクマン』の第一話及びオープニングに登場。
タケル/レッドマスクがレーサーという設定だったので、伊豆サイクルスポーツセンターで走行シーンが撮られていた。
第一話を見た時に「ウォォッ! マツダ757ぢゃねぇか⁉」と驚いた。
スターティンググリッド
ポールポジション
O・ララウリ/J・パレハ組/Forunaポルシェ962C
予選2番手
F・イェリンスキー/S・ディケンズ組/MEMOREXポルシェ962C
予選3番手
D・ベル/H-J,スタック組/ROTHMANS PORSCHE
あれだけ強かったロスマンズポルシェだったが、ワークスではなくなり決勝も25位に終わり、悲しさがあった。
ゼッケン「1」のロスマンズは無敵であって欲しかった。
A・ホルバート/H・ペスカロロ組/ROTHMANS PORSCHE
予選4番手
星野一義/中子修 組/NISSAN R86V NICHIRA
予選では年々確実に速くなっていた日産。
しかし、決勝は10位。
日産ブースでお姉さんに頂いたステッカー
日産のお姉さん❤
プロフィールパネルまで用意されていた。
何名か撮影したのだが、カメラの調子が悪く多重露光になってしまっていた。
長谷見昌弘/和田孝夫 組/NISSAN R86V AMADA
決勝11位。
松本恵二/鈴木亜久里 組/NISSAN R86V PERSON'S
イイ男コンビ。
’89年F1日本GP 表彰台を獲得ウイリアムズ フェラーリ、レイトン・マーチ、ブラバム
1989年F1日本GPは知人から300ミリ望遠レンズを借りて行った(人物撮影だけど)。大口径だがストロークが短かったので扱い易かった。その恩恵もあって自分でお気に入りの写真が多く撮れた。
展示車や遭遇したドライバー、キャンギャルのお姉さんはコンパクトカメラで撮影していた。今では全てコンパクト・デジカメで撮影しているのだが。
3位:ティエリー・ブーツェン選手/ウイリアムズFW13/ルノー
リタイアが多かったレースだが、着実に走ってウイリアムズ2台が表彰台に登った。
2位:リカルド・パトレーゼ選手/ウイリアムズFW13/ルノー
決勝後、バスでホテルに帰るパトレーゼ選手
ゲルハルト・ベルガー選手/フェラーリ640/F189
予選3番手を獲得するも決勝ではミッショントラブルでリタイア。
ナイジェル・マンセル選手/フェラーリ640/F189
決勝ではエンジンから火が出てリタイア
マールボロのお姉さん❤
イヴァン・カペリ選手/マーチ891/ジャッド
7位:マウリシオ・グージェルミン選手/マーチ891/ジャッド
レイトンハウス・マーチのピット
レイトンハウスのお姉さん❤
5位:マーティン・ブランドル選手/ブラバムBT58/ジャッド
ステファノ・モデナ選手/ブラバムBT58/ジャッド
6位:ディレック・ワーウィック選手/アロウズA11/フォード
8位:エディ・チーバー選手/アロウズA11/フォード
ピエール-アンリ・ラファネル選手/リアルARC2/フォード
ベルトラン・ガショー選手/リアルARC2/フォード
フリー走行中、白煙を上げてヘアピン進入でストップ
9位:アレックス・カフィ選手/ダラーラBMS189/フォード
10位:アンドレア・デ・チェザリス選手/ダラーラBMS189/フォード
F1マシンコレクション97号 無限ホンダ初優勝/パニス選手のリジェJS43
先月発売されたF1マシンコレクション97号は、モナコGPで初優勝を遂げたオリビエ・パニス選手のリジェJS43/無限ホンダ。
マトラ・エンジンにスポンサーはジタン・タバコ。タイヤ以外はオールフレンチのチームとして1976年にF1進出したリジェ。当時は「リジェ・ジタン」との呼び名で浸透していた。
「ジタン」を知ったのはリン・ミンメイさんの歌『小白竜』よりも先だ(笑)。
ウイングカー創成期にはタイトル争いを展開していたチームだが、ターボ時代から徐々に戦闘力を落としていき、日本でF1が開催される頃には中団以降のチームに成り下がってしまっていた。
’90年代に❝やり手❞として名を馳せていたベネトンのフラビオ・ブリアトーレ氏がチームを買収してから再び成績が向上した。反面、ベネトンのセカンドチーム化した。
'92年から第二期F1参戦を終了したホンダから3.5ℓV10エンジンを引き継いで無限が「無限ホンダ」としてエンジン供給をスタートした。
’96年モナコGPという華々しい舞台で初優勝を遂げることになった。
’97年に元F1チャンピオンのアラン・プロスト氏がチームを引き継ぎ「プロスト・グランプリ」としたため、リジェの名は’96年をもって消滅してしまった。
JS43はリジェ最後のマシンでもある。
雨のモナコGPでは14番手スタートながらクラッシュが多発する荒れた展開の中、チーム戦略と着実にオーバーテイクを見せての優勝だった。
パニス選手にとってはGP唯一の勝利になった。
ドライバーズパレードでのパニス選手
’97年に頂いたオリビエ・パニス選手にサイン
ドルフィンはF1を観ていない時期になるが、パニス選手は2000年からBARを経てトヨタのドライバーとしても走った。
F1マシンコレクションの1/43ミニカー、リジェJS43。見た瞬間「あれ? 何か寂しいぞ??」と思ったら、タバコスポンサーだったためマシン後部の「ゴロワーズ」ロゴが入っていなかった。
ダミーロゴすらはいっていないので、後からデカールは貼り易いがそのままでは寂しすぎる。
パルマラートや細かなスポンサーロゴは入っている。
ベネトンB195のコピーマシンである前機・JS41の流れを汲んでいるのでスタイルはカッコイイ。
F1マシンコレクションではだいたい取り付けられているノーズのピート管が付いていない。
フロントウイングはフラップ部との隙間は無いが、湾曲した作りにはなっている。
1996年F1日本GPで行われたシーズン最終戦の記念撮影
応援していたナニーニ選手 初優勝 ’89F1日本GP ベネトン
ベネトンマシンの美しさに魅かれ、前年にナニーニ選手を間近で目撃して「カッコイイ!」と好きになり(ジェームス・ハント選手もそうだがイケメンドライバーに弱い)、ベネトンチームを応援していた。
1989年F1日本GPはベネトンのブルゾンを着て応援旗を作って観戦に行った。
レース観戦でレギュラー服になったベネトンのブルゾンは、発売前から予約注文していたが′88年日本GP観戦にギリギリ間に合わなかった(鈴鹿から帰ったら届いていた)。
ドルフィンが来ているのは初期の光沢あるサテン生地(?)だが、友人2名は後から発売された綿生地(少し高価)のもの。
応援旗はフリーハンドで下書きしたのでデッサンが少々狂っているのはご愛敬。
製作はドルフィン一人で行ったが、友人2名に資金援助してもらい代わりに旗にネームを入れている。
ミスF1ベネトンガールのお姉さんに応援旗を持ってもらった
応援旗を持っていたらメディアの方が「旗持ってもらって」と促して撮影させてくれたのだった。
アレッサンドロ・ナニーニ選手/ベネトンB189/フォード
セナ選手の失格があったとはいえ、F1初優勝したナニーニ選手。
翌年からは一層活躍し、何度か優勝するだろうと楽しみだった。ーのだが…。まさか…。
金曜日の晩にボウリングをされていたナニーニ選手。
応援旗を見せるととても喜んで下さり、サインして下さった。ナニーニ選手❝公認❞の応援旗なのだ。
さらにナニーニ選手が好きになり、現在に至っている。
初めて頂いたアレッサンドロ・ナニーニ選手のサイン
写真の背景は2002~3年頃に静岡市にオープンした「アレッサンドロナニーニ カフェ 静岡」(現在は閉店)に行った際に購入したエスプレッソ粉豆が入っていた缶。
決勝 シケインでナニーニ選手のインを突くセナ選手
予選後、出入り自由になったグランドスタンドから撮影したピット
B189はスタイルも好きだ。
当時ベネトンのメカニックをされていた津川哲夫さんのサイン入りベネトンクッション
80㌢くらいある大きなもの。
購入したのは数年後になる。毎年F1開催時のショップで目にしていたものの、金額が金額なだけに初めて見た時から3年くらい悩んだ(笑)。津川さんのサインが入った事で決断した。
エマニュエル・ピロ選手/ベネトンB189/フォード
日本でも走ったピロ選手が負傷のハーバート選手に代わりベネトンのドライバー昇格。
フリー走行のスプーンでコースアウト
決勝はA・D・チェザリス選手との接触でリタイア
この頃に入手したベネトンのピンズ
まだ規制が緩かったので、F1とともに世界中を転戦しているような外国人のお兄ちゃんが、サーキット内で荷物を広げ露天商みたいにピンズを売っていた。
特にピンをコレクションしていた訳ではないが、ベネトンでもあり日本のショップに売っていなかったようなので購入したのだった。
このお兄ちゃん、味をしめて年々規模を拡大していった(笑)。
しかし、日本のF1ショップでもピンが売られるようになって珍しさが無くなって行った。
あの❝ゆるさ❞も良かった時代だ。
ブルゾン購入時にもらったポストカード
プラチナチケット化した’89年F1日本GP観戦 ロータス、タイレル、ミナルディ、リジェ
1989年F1日本GPのチケットは完全にプラチナチケット化した。指定席はおろか一般観戦券すら入手できるかどうか怪しいところだった。が、なんとか観戦券だけは確保できた。
指定席が無いと観戦席争奪戦に加わらなければならない。
日曜日午前零時のゲートオープンでよーいドンだ。
メインゲートよりも人が少ないだろうと南ゲート(裏ストレート近く)からの入場を狙ったが、ここも人であふれかえっていた。
午後11時過ぎる頃には殺伐とした空気になり、金網を押し破るほどの勢いになっていた。「このままではオープン時間が早まるのではないのか?」と思わせるほどコップの縁いっぱいいっぱいの状態。
それでも決まりは決まり。午前零時を待ってゲートが開かれた。金網の門が半ば壊されるほどの勢いで人が流れ込んで行った。
❝走り担当❞を買って出たドルフィンは荷物を友人に任せて走りまくった。先行する人たちを抜きまくって行ったのだった。今ではこうはいかない(笑)。
木曜日の晩から大阪を発ち鈴鹿入りした。愛車・日産ラングレーGTハッチバックで車中泊だ。ハッチバックなので車内から荷物の入れ替え等ができて便利だった。
東京からも友人2名が車に相乗りして鈴鹿にやってきた。
金曜日の夕方から一旦駐車場が空いた時にお互いの車を合流させた。それでも奥の駐車場だった。
金曜日の晩は自炊。友人が「パスタにしよう」とカセットコンロお湯を沸かすがこの日は寒かった。なかなかお湯が沸かなかったと記憶している。翌日ならまだ気温はマシだった(笑)。
土曜日の晩に再びゲートに近い駐車場に車を移動させ、夕食は外で。この時に今日まで懇意にしている喫茶店を見つけることになる。
鈴鹿8耐も含め、この頃から友人とともにアフター・レースも楽しむようになって来た。
ダンロップのお姉さん❤
中嶋悟選手/ロータス101/ジャッド
右フロントサスが陽の光の反射で輝いている。お気に入りの一枚。
ホンダエンジンを失い、戦闘力も落ちたマシンに苦戦する1年だった。最終戦・オーストラリアGPまで入賞できなかった。
予選12番手から激走するもリタイアに終わる。
シケインのインに乗り上げて片輪を浮かせている
母国GP初のリタイア
ロータスのピット
ネルソン・ピケ選手の上手く撮れた写真が無かった…。
ジャン・アレジ選手/タイレル018/フォード
チームがキャメルのスポンサードを受けるにあたり、フランスGPでF1デビュー。堂々の4位入賞した。
日本GPではオートバックスもスポンサーに付いた。
翌年、非力なタイレルでも大活躍するのだった。
ジョナサン・パーマー選手/タイレル018/フォード
オリビエ・グルイヤール選手/リジェJS33/フォード
パオロ・バリラ選手/ミナルディM189/フォード
負傷欠場したマルティニ選手の代役で出走。
パウロ・バリラ選手とサイン
ルイス・ペレス-サラ選手/ミナルディM189/フォード
ポルトガルGPで負傷して日本GPは欠場したピエルルイジ・マルティニ選手も帯同して鈴鹿入り。
ピエルルイジ・マルティニ選手のサイン
昨年のサウンド・オブ・エンジンでは保有するタイレルP34を走らせてくれた。



















































































































































































