CLUB24-にいよんー -129ページ目

F1マシンコレクション97号 無限ホンダ初優勝/パニス選手のリジェJS43

 先月発売されたF1マシンコレクション97号は、モナコGPで初優勝を遂げたオリビエ・パニス選手リジェJS43/無限ホンダ

 

 マトラ・エンジンにスポンサーはジタン・タバコ。タイヤ以外はオールフレンチのチームとして1976年にF1進出したリジェ。当時は「リジェ・ジタン」との呼び名で浸透していた。

 「ジタン」を知ったのはリン・ミンメイさんの歌『小白竜』よりも先だ(笑)。

 

 ウイングカー創成期にはタイトル争いを展開していたチームだが、ターボ時代から徐々に戦闘力を落としていき、日本でF1が開催される頃には中団以降のチームに成り下がってしまっていた。

 ’90年代に❝やり手❞として名を馳せていたベネトンのフラビオ・ブリアトーレ氏がチームを買収してから再び成績が向上した。反面、ベネトンのセカンドチーム化した。

 '92年から第二期F1参戦を終了したホンダから3.5ℓV10エンジンを引き継いで無限が「無限ホンダ」としてエンジン供給をスタートした。

 ’96年モナコGPという華々しい舞台で初優勝を遂げることになった。

 

 ’97年に元F1チャンピオンのアラン・プロスト氏がチームを引き継ぎ「プロスト・グランプリ」としたため、リジェの名は’96年をもって消滅してしまった。

 JS43はリジェ最後のマシンでもある。

 雨のモナコGPでは14番手スタートながらクラッシュが多発する荒れた展開の中、チーム戦略と着実にオーバーテイクを見せての優勝だった。

 パニス選手にとってはGP唯一の勝利になった。

 

ドライバーズパレードでのパニス選手

’97年に頂いたオリビエ・パニス選手にサイン

 ドルフィンはF1を観ていない時期になるが、パニス選手は2000年からBARを経てトヨタのドライバーとしても走った。

 F1マシンコレクションの1/43ミニカー、リジェJS43。見た瞬間「あれ? 何か寂しいぞ??」と思ったら、タバコスポンサーだったためマシン後部の「ゴロワーズ」ロゴが入っていなかった。

 ダミーロゴすらはいっていないので、後からデカールは貼り易いがそのままでは寂しすぎる。

 パルマラートや細かなスポンサーロゴは入っている。

 ベネトンB195のコピーマシンである前機・JS41の流れを汲んでいるのでスタイルはカッコイイ

 F1マシンコレクションではだいたい取り付けられているノーズのピート管が付いていない。

 フロントウイングはフラップ部との隙間は無いが、湾曲した作りにはなっている。

 

1996年F1日本GPで行われたシーズン最終戦の記念撮影

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応援していたナニーニ選手 初優勝 ’89F1日本GP ベネトン

 ベネトンマシンの美しさに魅かれ、前年にナニーニ選手を間近で目撃して「カッコイイ!」と好きになり(ジェームス・ハント選手もそうだがイケメンドライバーに弱い)、ベネトンチームを応援していた。

 1989年F1日本GPはベネトンのブルゾンを着て応援旗を作って観戦に行った。

 

 レース観戦でレギュラー服になったベネトンのブルゾンは、発売前から予約注文していたが′88年日本GP観戦にギリギリ間に合わなかった(鈴鹿から帰ったら届いていた)。

 ドルフィンが来ているのは初期の光沢あるサテン生地(?)だが、友人2名は後から発売された綿生地(少し高価)のもの。

ベネブルゾン

 応援旗はフリーハンドで下書きしたのでデッサンが少々狂っているのはご愛敬。

 製作はドルフィン一人で行ったが、友人2名に資金援助してもらい代わりに旗にネームを入れている。

 

ミスF1ベネトンガールのお姉さんに応援旗を持ってもらった

 応援旗を持っていたらメディアの方が「旗持ってもらって」と促して撮影させてくれたのだった。

 

アレッサンドロ・ナニーニ選手/ベネトンB189/フォード

 セナ選手の失格があったとはいえ、F1初優勝したナニーニ選手。

 翌年からは一層活躍し、何度か優勝するだろうと楽しみだった。ーのだが…。まさか…。

 

 金曜日の晩にボウリングをされていたナニーニ選手。

 応援旗を見せるととても喜んで下さり、サインして下さった。ナニーニ選手❝公認❞の応援旗なのだ。

 さらにナニーニ選手が好きになり、現在に至っている。

初めて頂いたアレッサンドロ・ナニーニ選手のサイン

 写真の背景は2002~3年頃に静岡市にオープンした「アレッサンドロナニーニ カフェ 静岡」(現在は閉店)に行った際に購入したエスプレッソ粉豆が入っていた缶。

 

決勝 シケインでナニーニ選手のインを突くセナ選手

 

予選後、出入り自由になったグランドスタンドから撮影したピット

 B189はスタイルも好きだ。

 

当時ベネトンのメカニックをされていた津川哲夫さんのサイン入りベネトンクッション

 80㌢くらいある大きなもの。

 購入したのは数年後になる。毎年F1開催時のショップで目にしていたものの、金額が金額なだけに初めて見た時から3年くらい悩んだ(笑)。津川さんのサインが入った事で決断した。

 

エマニュエル・ピロ選手/ベネトンB189/フォード

 日本でも走ったピロ選手が負傷のハーバート選手に代わりベネトンのドライバー昇格。

 

フリー走行のスプーンでコースアウト

決勝はA・D・チェザリス選手との接触でリタイア

 

この頃に入手したベネトンのピンズ

 まだ規制が緩かったので、F1とともに世界中を転戦しているような外国人のお兄ちゃんが、サーキット内で荷物を広げ露天商みたいにピンズを売っていた。

 特にピンをコレクションしていた訳ではないが、ベネトンでもあり日本のショップに売っていなかったようなので購入したのだった。

 このお兄ちゃん、味をしめて年々規模を拡大していった(笑)。

 しかし、日本のF1ショップでもピンが売られるようになって珍しさが無くなって行った。

 あの❝ゆるさ❞も良かった時代だ。

 

ブルゾン購入時にもらったポストカード

 

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プラチナチケット化した’89年F1日本GP観戦 ロータス、タイレル、ミナルディ、リジェ

 1989年F1日本GPのチケットは完全にプラチナチケット化した。指定席はおろか一般観戦券すら入手できるかどうか怪しいところだった。が、なんとか観戦券だけは確保できた。

 

 指定席が無いと観戦席争奪戦に加わらなければならない。

 日曜日午前零時のゲートオープンでよーいドンだ。

 メインゲートよりも人が少ないだろうと南ゲート(裏ストレート近く)からの入場を狙ったが、ここも人であふれかえっていた。

 午後11時過ぎる頃には殺伐とした空気になり、金網を押し破るほどの勢いになっていた。「このままではオープン時間が早まるのではないのか?」と思わせるほどコップの縁いっぱいいっぱいの状態。

 それでも決まりは決まり。午前零時を待ってゲートが開かれた。金網の門が半ば壊されるほどの勢いで人が流れ込んで行った。

 ❝走り担当❞を買って出たドルフィンは荷物を友人に任せて走りまくった。先行する人たちを抜きまくって行ったのだった。今ではこうはいかない(笑)。

 

 木曜日の晩から大阪を発ち鈴鹿入りした。愛車・日産ラングレーGTハッチバックで車中泊だ。ハッチバックなので車内から荷物の入れ替え等ができて便利だった。

 東京からも友人2名が車に相乗りして鈴鹿にやってきた。

 金曜日の夕方から一旦駐車場が空いた時にお互いの車を合流させた。それでも奥の駐車場だった。

 金曜日の晩は自炊。友人が「パスタにしよう」とカセットコンロお湯を沸かすがこの日は寒かった。なかなかお湯が沸かなかったと記憶している。翌日ならまだ気温はマシだった(笑)。

 土曜日の晩に再びゲートに近い駐車場に車を移動させ、夕食は外で。この時に今日まで懇意にしている喫茶店を見つけることになる。

 

 鈴鹿8耐も含め、この頃から友人とともにアフター・レースも楽しむようになって来た。

 

ダンロップのお姉さん❤

 

中嶋悟選手/ロータス101/ジャッド

 右フロントサスが陽の光の反射で輝いている。お気に入りの一枚。

 ホンダエンジンを失い、戦闘力も落ちたマシンに苦戦する1年だった。最終戦・オーストラリアGPまで入賞できなかった。

 予選12番手から激走するもリタイアに終わる。

 

シケインのインに乗り上げて片輪を浮かせている

 

母国GP初のリタイア

 

ロータスのピット

 ネルソン・ピケ選手の上手く撮れた写真が無かった…。

 

 

 

ジャン・アレジ選手/タイレル018/フォード

 チームがキャメルのスポンサードを受けるにあたり、フランスGPでF1デビュー。堂々の4位入賞した。

 日本GPではオートバックスもスポンサーに付いた。

 翌年、非力なタイレルでも大活躍するのだった。

 

 

 

ジョナサン・パーマー選手/タイレル018/フォード

 

オリビエ・グルイヤール選手/リジェJS33/フォード

 

パオロ・バリラ選手/ミナルディM189/フォード

 負傷欠場したマルティニ選手の代役で出走。

パウロ・バリラ選手とサイン

ルイス・ペレス-サラ選手/ミナルディM189/フォード

 

 ポルトガルGPで負傷して日本GPは欠場したピエルルイジ・マルティニ選手も帯同して鈴鹿入り。

ピエルルイジ・マルティニ選手のサイン

 昨年のサウンド・オブ・エンジンでは保有するタイレルP34を走らせてくれた。

 

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金曜朝からヒートアップ ’89年F1日本GP 怒涛の予備予選

 ’87年に鈴鹿サーキットでF1日本GPが開催されてから、チケット日数分フルで観戦に行っていた。

 この年の金曜日の様子はそれまでと違っていた。

 

 1989年F1日本GP。世界的な好景気から参戦チームが増えたため、実績のないチームは金曜日の朝一番に予備予選を戦わなくてはならなかった。

 木曜日の晩に大阪から鈴鹿に到着。友人たちも東京からやって来ていた。金曜日はゲートオープンとともにヘアピンに向かって観戦・撮影準備をしていた。F1人気が急騰していたとはいえ、金曜日の朝は静かなものだった。

 用足しのトイレから戻ってみると―

 

 ヘアピンは人だらけだった

 朝8時から予備予選が行われるということもあるが、予備予選組の中にはF1フル参戦した鈴木亜久里選手がいたことから「金曜日の朝しか観られないかも」という思いが皆の胸中にはあったはずだ。

 この年以降、金曜日の朝から多くの観客が集まるようになった気がする。

 

鈴木亜久里選手/ザクスピード891/ヤマハ

 F1フル参戦初年から試練の連続だった。

 日本GPまでの全戦予備予選不通過。どのサーキットでも事前走行できぬままいきなりの予備予選だったが、走り慣れた鈴鹿では通過してくれるだろうとの期待と、マシン性能とチーム内体制の低さから絶望感があった。

 結果を見れば後者の見方になるのだが…。

 

グランドスタンド裏で亜久里選手と遭遇

 1時間の予備予選。中盤までは通過4番手以内につけていたが、通常予選同様にラスト5分怒涛のタイムアップ合戦が激しかった。

 亜久里選手は見る間に順位を落としていったのだった。

 

予備予選トップ通過

ニコラ・ラリーニ選手/オゼーラFA1M89/フォード

 予備予選突破どころか、本予選でもロータスより上の予選10番手を獲得。

 決勝はリタイア。

 

予備予選2番手通過

フィリップ・アリオー選手/ラルース・ローラLC89/ランボルギーニ

 本予選においては予備予選組では最上位となる8番グリッドを獲得。

 決勝ではエンジントラブルでリタイア。

 

予備予選3番手通過

ベルント・シュナイダー選手/ザクスピード891/ヤマハ

 開幕戦と日本GPのみ予備予選通過できた。

 

予備予選4番手通過

ミケーレ・アルボレート選手/ラルース・ローラLC89/ランボルギーニ

 

ピエルカルロ・ギンザーニ選手/オゼーラFA1M89/フォード

 

以下予備予選不通過

 

ロベルト・モレノ選手/コローニRC189/フォード

 

ステファン・ヨハンソン選手/オニキスORE1/フォード

 オニキスは遅かったがカラーリングが綺麗だった。

 ホンダF1や日本で走ったヨハンソン選手。フェラーリドライバーにまでなったものの、以降はマクラーレン、リジェ、オニキスと年々チームが格落ちしていったのは悲しかった。

 

オスカー・ララウリ選手/ユーロブルン188/B/ジャッド

 

J.J.レート選手/オニキスORE1/フォード

 F1フル参戦初年ながらJ.J.選手は人気があった。

J.J.レート選手とサイン

ヤニック・ダルマス選手/AGSJH24/フォード


エリック・ベルナール選手のサイン

 ラルースからF1デビューしたもののスポンサー絡みからアルボレート選手にシートを譲る形になっていたが、日本に帯同してきていた。

 

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あの日 あの時 あの場所にいた 「激突!」’89年F1日本GP

 1989年F1第15戦・日本GPの一番の山場。

 有名すぎるほど有名なレースなので大筋を割愛しても皆さんご承知でしょう。

 

アイルトン・セナ選手/マクラーレンMP4/5/ホンダ

 伝説となっている予選のスーパーラップ・1分38秒041。

 ダンロップコーナー内側で観ていた。現在はパドックになっている辺りだ。ドラム缶だったかバスタブだったかが置いてあって、その上に乗ると逆バンク立ち上がりからダンロップコーナー辺りが観えた。

 セナ選手のコーナーを回る速度がそれまでに比べて異様に速く「これはポールタイム出たな」と分かるくらいだった。

 6kmのコースで1秒弱短縮するだけだからそんなに大きな違いが出るものだろうか?―と思うのだが❝違う❞のだ。一つのコーナーであれほど速く走っているのだから1周で10秒くらい違ってきそうな気さえする感覚だ。

 

アラン・プロスト選手/マクラーレンMP4/5/ホンダ

 

ベネトンブルゾンと応援旗を持って友人2名とともに観戦

 自由席チケットしか入手できなかったので、決勝日の午前零時のオープンの南ゲートから入場。

 荷物は友人に預けて走って走って走りまくってシケインサイドまで行って席を確保したのだった。

 正面ゲートから入場してシケインの方が早い気がするが、オープン待ちしている人間の数が違う。それが証拠にドルフィンは誰よりも早く現地に到着したのだから。

 シケインサイドには「U字溝」が置いてあり、3人分のスペースを確保したのだった。

 他の方の邪魔にならないようにフェンス最上部にベネトンと中嶋選手応援旗を設置した。

 

 苦労して確保した席が、歴史に残る「激突」を真正面で見られることになるとは…。

 

「F1 CAR MAGAZINE」誌の見開き

 背後に応援旗と、激突の瞬間にはすでにフェンスに登って写真を撮っているドルフィンが映っている(黄色の応援旗の下部、フェンス柱のところ)。

 

 先行するプロスト選手に追いついて来たセナ選手。「次の周に仕掛けるな」と分かるほどだったのでカメラを構えてまっていた。

 衝撃音とともに一瞬、静寂が訪れたような気がする。が、瞬間的に怒涛のように観客の声が響き渡った。

 スーパーGT300クラスチャンピオンの横溝直輝選手もシケインで観戦していたとツイートされいた。

 

「激突」連続写真。当時はマニュアルピントと手動巻き上げだゾ!

チャンピオン確定を信じたプロスト選手は余裕でピットに戻る

 

 実は、このどさくさに紛れて❝わざと❞応援旗を破る輩がいた。

 中高生くらいの小僧だったが、すぐに捕まえて叱ってやった。けしからん。

 ベネトン応援旗は補修して数年使用した。

 

ホンダのチャンピオン記念ステッカー

 

マクラーレンのピット

 

 この頃のホンダは強かった

 強いホンダを、ここまでではなくてもいいから勝ちまくるホンダを見たかった。

 メルセデスに勝てぬままF1参戦を終えてしまうなど、この頃には考えられなかった。

 

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マッチさん参戦JSS/ミラージュカップ ’86富士GC第2戦サポート

近藤真彦選手/ニッサンシルビア

周囲にはカメラマンが多い

 

 富士GCのサポートレースとして定着していたジャパン・スーパースポーツ・セダンJSSレース

 スーパーシルエットの後釜としてシリーズがスタートした当時は「マシンの迫力の無さ」に物足りなさを感じていたが、マシン単体で見たらかなりグラマラスなボディワークであり、参戦チューナーの努力で❝カスタムマシン❞のレースとして人気も上がって行った。

 

 1986年富士GC第2戦のJSSレースも20数台の出走があって見応えがあった。

 当時アイドルとして全盛期だった近藤真彦選手がフレッシュマンレースからステップアップして、NISMOもバックアップでJSSに参戦。マッチさんの出場するレースはファンも多く観戦に来ていた。

 

高杉好成選手/ファイブオートRS中春シルビア

 

中山松雄選手/レーシングプラザメッカシルビア

 

ポールポジション

袖山誠一選手/TOMEI・シルビアターボ

 

八島正人選手/レイトンハウススカイラインS

 

JSSスタート

 

 当時はピットの建物が低かったので、グランドスタンドからヘアピンを観る事ができた。

 

1周目のヘアピン。色とりどり

 

表彰台を獲得した3台

 

優勝:市田隆之選手/丸進自動車エフワンRX-7

2位:都平健二選手/リミットスカイラインRSターボ

3位:高杉好成選手/ファイブオートRS中春シルビア

 

三菱ミラージュ・カップ・レース

 三菱ミラージュのワンメイクレースとしてメーカーが力を入れていた。

 

ミラージュカップのお姉さん❤

 

この方、どなただったかなぁ?

 タレントさんでミラージュカップにさんせんしていた。三菱も後押しして注目を集めようとしていた。

 

ミラージュカップ、スタート

 

レースクイーンのおねえさん❤

 

マイナーツーリング、スタート

 

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GCでもヤマハ旋風 ’86年富士グラチャン第2戦

 ’70年代から人気が上昇し、モーター誌でも特集が組まれていたほどの国内一大カテゴリーだった富士グラチャンシリーズ。雑誌を読んでいてずっと観戦に行きたかった。

 ようやく’83年から毎年第2戦を観戦するようになった。第2戦が観戦に行きやすい気候だったのかもしれない。

 

 1986年富士グラチャン第2戦。地元の友人と観戦に出かけた。

 全日本F2同様、富士GCにもヤマハエンジンが使用されるようになった。

 F2同様、BMWエンジンが主流だったが、マツダ・ロータリーも強さを見せていた時期もあった。

 

自衛隊富士音楽隊の演奏

 

 詳しく覚えていないが、マシンがグリッドに付いている写真は雨が降っている。

 

 スタート前進行になると好天になっている。どういう状況だったのだろう?

 

ジェフ・リース選手/ムーンクラフト SPL 85/ヤマハ

 ポールポジションはヤマハエンジンのリース選手が獲得。

 

予選2番手

高橋健二選手/ADVAN・MCS 7/ヤマハ

 

 この年からキャビンはイメージキャラクターとして松本恵二選手を起用。

 キャンギャルのお姉さんも大勢投入し、CM攻勢に出ていた。

キャビンのお姉さんを中心に

 

星野一義選手/BYZERO 85S/BMW

 F2、GCともに西武セゾングループのハイパーキューブbyZEROがスポンサーに付いていた。

 当時、ポケットには欠かさずハイパーキューブが入っていた。

 

ハイパーキューブbyZEROのパッケージ

 

富士GC第2戦スタート

 

星野選手はエンジントラブルでリタイア

 レースを観るのが中心で、写真はあまり撮っていなかった。

 特にFISCOではメインスタンドで観戦していたので、決勝レース中にヘアピンや第一コーナーまで移動することはなかったようだ。

 スタンドからヘアピンに行くには最終コーナー寄りにある地下トンネルを使わなければならなかった。スタンドも横移動ができなくて不便だった。

優勝:ジェフ・リース選手

 

2位:和田孝夫選手/ADVAN・MCS 7/ヤマハ

 

3位松本恵二選手/CABIN 86S/ヤマハ

 

表彰式


 

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ヤマハエンジン登場した’96年全日本F2 グレート20前 鈴鹿テスト

 1986年全日本F2は欧州がF3000規定に移行したため、独自路線で全日本F2と鈴鹿F2のタイトルをかけていた。

 マシンもマーチ社に依頼して日本用「マーチ86J」を使用していた。

 日本独自マシンを使用するところは後のスーパーフォーミュラにも通じるが、この頃は新シーズンとともに新たなマシンを発注していた。型落ちになったマシンはGC用シャシーに転用されていた。

 数年使用できる剛性が無かったのかもしれないが、好景気が後押ししもあったのかもしれない。贅沢なことだ。

 

 前年にヤマハOX66エンジンを全日本F2に投入して話題になった。’86年には市販され多くのチームがBMWからヤマハに切り替えた。

スタンプの「61」は「昭和」だ


 シリーズ終盤になる鈴鹿グレート20 2&4レース前のレスト走行を観に行った。

 特にテスト走行があると確信があった訳ではないが、レース2週間前の平日なので勘で行ってみたのだと思う。

 当時は名古屋市に住んでいたので、愛車・ホンダMVXで名四国道を飛ばして鈴鹿に行っていた。

 走行写真が残っていないので、コーナーには行かずピット上からチョコッと写真を撮ってストレートの走行やピット作業を見て楽しんでいたのだろう。

 

中嶋悟選手/マーチ86J/無限ホンダ

 シリーズ序盤はヤマハエンジンに押されたものの、着実に表彰台に登って全日本F2最後のシリーズチャンピオンを獲得した。そして翌年からF1フル参戦となった。

 

星野一義選手/マーチ86J/無限ホンダ

 鈴鹿全4戦中3勝と2位で「鈴鹿F2チャンピオン」を獲得。

 全日本戦においてはリタイアが多くてシリーズ2位で終わった。

 

 詳細は覚えていないが、モノコック部分のみ交換したようで白ボディのままだった。本来はGCとともにブルーに白抜き文字の「byZERO」スポンサーロゴが付いていた。

 

高橋国光選手/マーチ86J/無限ホンダ

 JPSカラーに合わせてアドバン他スポンサーロゴがゴールドに統一されていてカッコイイ。

 

エジェ・エルグ選手/マーチ86J/ヤマハ

 

ジェフ・リース選手/マーチ86J/ヤマハ

 ’85年から開発ドライバーとしてヤマハエンジンで戦った。

 ’86年は第2戦で優勝。

 

関谷正徳選手/マーチ86J/ヤマハ

 本来はイヴァン・カペリ選手だが、テストでは関谷選手がドライブしていた。

 既にF1にスポット参戦し、翌年にはフル参戦が決まっていたので、カペリ選手に会えることを楽しみにしていたので残念だった。結局、カペリ選手とは1度も会ったことがない。

 

松本恵二選手/マーチ86J/ヤマハ

 リース選手とともにヤマハエンジン開発を担当していた。

 ’86年は開幕戦と第3戦で優勝した。中盤からホンダエンジンの巻き返しに苦戦するのだった。

 

 CABINが松本恵二選手をイメージキャラクターとしてスポンサー活動を大々的に行った。

 TVCMや雑誌広告にも起用され、世間一般の知名度も高まった。

 

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Kカー選び2020 ④ 本命・ホンダCarsでN-WGN

※あくまで個人の所感です

 

 軽自動車買い替えにあたり前回は燃費がポイントだったが、今回は年齢的にも安全運転支援機構が重要だ。

 各メーカーの中でも優れていると感じているのが日産とホンダ。

 

 『軽自動車のすべて』を読んで、ホンダの軽自動車・N-BOXN-VANのようなトール型ではない方がいいのでN-WGN(ワゴン)に絞った。

 N-WGNは本当に最近よく見るので売れている感じがする。

 

 「Honda Cars」で試乗させてもらった。

 

N-WGN「L」グレード

 近畿圏で言うなら『おはよう朝日です』のおき太のようなチョット眠たい目が可愛い。

 ホンダ・センシングの安全運転支援機構が全グレード標準装備になっているところが凄い! 他メーカーのようにグレードによって有無があるのではないのだ。

 

 おっかなビックリ試乗で試させてもらった。こんなに便利になって、他の車に乗る時に大丈夫だろうかと思う程だ。

 以前にN-ONEを試乗した時にも感じたが、踏み込んだときのスムーズの良さがN-WGNも同様だった。さすがはF1エンジンメーカー。

 

前シートを倒した状態

 ❝アントマン❞のようになっているシート柄は画像を縮小した際に起きたもの。

 気になるは車中泊しやすい広さとシートの倒し込み。

 後部座席背もたれを前に倒すと前シートの間までがフラットになる。それでは寝るには狭い。

 ヘッドレストを外して前シートを(S-MXもそうだった)後ろまで引いた後部座席の前まで倒す。これが限界。この長さで寝られるか?―と思って横になってみたら…寝られた! ドルフィンが小柄なのが幸いした。これならOKだ。

 

 「❝後出しジャンケン❞は強いですよ」と営業の方も言われていたが、見積もりは日産デイズと同等。ホンダ・センシングが全て標準装備になっているのに。これは嬉しい。しかも「ギリギリで」の日産に比べてホンダはまだ下取り価格が入っていないのでこれである。下取り込みならまだ安い。

 

 ディーラーにも活気があり、対応してくれた営業の方も若いがハキハキしてそれでいてしつこくなく、やり手っぽい印象だ。

 

 心はホンダN-WGNに決まった。

 だが、価格交渉はこれで終わらなかった。

 

 

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Kカー選び2020 ③ 日産ディーラーでデイズ試乗

※あくまで個人の所感です

 

 軽自動車を買い替えるにあたり、候補に挙げたのは安全運転支援機構に優れていると思われる日産デイズホンダN WGN、そして遊び要素が入るスズキ・ハスラーだ。

 「軽の森」でハスラーを見たが視界が狭いのと❝感覚❞だけだが「あれ?こんなもんか??」と感じたので一応は除外。

 

 現在乗っている日産モコを購入した「大阪日産」日産デイズ・ハイウエィスターを試乗させてもらった。

 9月の大商談会の日なので「下取り価格を上げます」との招待状ももらっていた。

 購入ターゲットは一番廉価グレードの「X」だが、試乗車がハイウエィスターしかなかった。

 

日産デイズ ハイウエィスター

 日産デイズが発売された時にTV『ガイアの夜明け』を見て試乗させてもらったことがある。その時は「先代車に比べて振動が少なくなった」と感じたが、現在乗っているモコに比べるとステアリングから伝わってくる振動が大きく感じた。一緒に試乗車に乗っていた嫁はんも「ちょっと酔った」と言っていた。

 モノコック剛性アップのためのフロントのピラーが太くて左前方が見え難くかった。

 

日産デイズ「X」

 参考までに、これからお客さんに渡される「X」を見せてもらった。

 軽の安全運転支援機構が自動車メーカーの中でも1、2を争うほど優れいている日産だが、「X」のグレードでは全てが搭載されている訳ではないのがネック。前車追従プロパイロット等はハイウエィスターのみが全て搭載されている。

 

 問題は価格だが、モコを購入した時はかなり値引きしてくれたが、今回はさほど多くはなく下取り込みでも「こんなもの?」程度。10年付き合いがあるのに…。

 それでも「ローン審査させてください」「明日までには返事ください」「何時に連絡いただけますか?」と切羽詰まった勢いだ。

 

 自分は最低半年に一度は訪れていたので気にも留めていなかったが、久しぶりにディーラーに来た嫁はんの目には「さびれた感じがした」ということだった。

 言われてみれば決算期の大商談会を打ち出しているも人が少なく活気が無かった。商談会に来ているのに来場者プレゼントを渡してくれる事すら忘れているくらいだ。

 既にデイズの線は消えかかっていたのでプレゼントで恩を売られるのも面倒だったので良かったが…。

 

 

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