1990年 チームシンスケと鈴鹿6耐/鈴鹿4耐スタート
’86年大会から参戦を開始した島田紳助氏率いるチーム・シンスケ。
1990年鈴鹿8耐には初の2台体制での参戦になった。
参戦当初は「芸能人の遊び参戦」と思い、写真すら撮っていなかった。
しかしチームが取り上げられたTVや雑誌を目につれ❝本気❞さが分かってきた。それは他の方も同じようで、年々ファンが増えていった。
31位:千石清一/山本隆義 組/モリワキZERO-VX7
22位:大塚茂春/マリオ・ドゥハメル組/モリワキZERO-VX7
ブリヂストンとボブソンのお姉さん
鈴鹿6耐スタート
雑誌を読み返すまで忘れていたが、バイクブームで4耐への参加台数が増えたためにアマとプロの境目のライダーで「6時間耐久」が行われていた。
後に全日本トップクラスで走る吉川和多留選手や梁明選手もこのレースを走っていた。
スタート直後にストレートで接触した2台がコースアウト
カップヌードルのお姉さんはZARD坂井泉さん?
鈴鹿4耐スタート
この年の4耐は後に8耐最多優勝を誇る宇川徹選手と未だ現役の柳川明選手のペアが優勝している。今、名前だけ聞けば「優勝は当然だよな~」と思えてしまう。
青木琢磨選手も2位に入っている。
4耐でもスタート直後に接触、コースアウト
髪を後ろで束ねているの女性ライダー・神田みなみ選手
4耐では女性ライダーが決勝に進出する事も珍しくなかった。
当時は参加台数が多かったために週のはじめくらいから4耐予選が行われていた。滞在費も馬鹿にならない。
背中に「ズームイン‼朝!」の文字が見える
当時はTV番組でも4耐参戦を企画して密着ドキュメントを放送する事がよくあった。
トラブルや転倒するとマシンを押してピットに戻るライダーも
観客も応援の拍手を送る。
スズキ、カワサキもファクトリー参戦 &ヨシムラ ’90鈴鹿8耐
’90年鈴鹿8耐にはヤマハ、ホンダに加えスズキとカワサキもファクトリー体制で参戦してきた。現在よりもメーカー対決色が濃かった。流石はバイクブーム絶頂期だけのことはある。
レース結果やレーサーレプリカの格好良さが販売に大きく影響していた。
もちろん鈴鹿8耐を代表するプライベーター、ヨシムラとモリワキも必勝態勢で臨んでいた。なんと面白い時期だったのだろう。
ニール・マッケンジー/ロジャー・バーネット組/ラッキーストライク・スズキGSX-R750
ポジフィルムを使ったためシャッター速度が思うようにとれず、流れるような写真になったのが結果的に面白く撮れた↑。自分では結構気に入っている。
追記:
2023年鈴鹿8耐に来られたマッケンジー選手にサインを入れて頂いた
ニール・マッケンジー選手は’90年にはスズキRGV-γ500でWGP500ccクラスに参戦。
名前の響きが「新沼謙治」さんに似ている事でも有名だ。
ヨシムラとは別開発のGSX-Rを投入。
スズキ勢は予選から低迷。マッケンジー/バーネット組は序盤に転倒リタイアに終わった。
ラッキーストライクとシンエツ・カワサキのお姉さん
ラッキストライクはブランドイメージから毎年アメリカンなお姉さん。
6位:ダグ・ポーレン/ミゲール・デュハメル組/ヨシムラ・スズキGSX-R750
ピットインの際に前後のタイヤを交互に交換する作戦をとり、ポジションアップを図る。
ラスト6周というところでエンジントラブル発生。騙しだましで走りスズキ勢最上位の6位チェッカー。
決勝前夜のヨシムラピット
ヨシムラ・スズキのブース
味の素TERA&スウォッチのお姉さん
スウォッチはコスチュームに時計が貼り付けてある。重く無いの?
15位:ティエリー・クライン/ピエール・ポール組/カワサキ・フランスZXR-7
カワサキは海外組も含め5台のマシンが参戦した。
カワサキのピット
’90年頃のキャンギャルはハイレグ水着だけでなく、凝ったコスチュームが登場してくる。
ガードナー/ドゥーハン組リタイア 最後の決勝観戦になった’90年鈴鹿8耐
1990年鈴鹿8時間耐久ロードレースはバイクブーム真っただ中。観客動員は長い歴史の中でも最高の4日間延べ入場者数は36万8,500人を記録。決勝だけでも16万人が鈴鹿サーキットに詰めかけた。
通路はほぼスーパーGTのピットウォーク状態だ。うわぁ~っ!
そこまで観客動員がありながらも仮設スタンドなど無かった時代。きっちり席が確保できるスタンド席指定券の価格は高騰。シケインとチェッカーが観られる最終コーナー手前席を取る事にした。
この年はF1や8耐を一緒に観戦してきた友人の友人も急遽加わって4人で観戦に行った。
3人はそろいの「単車」ポロシャツを作って決勝日に着た。
決勝日朝に記念撮影
ドルフィンは大阪から、3人は東京から車で来場。3人がトランシーバーを持っていて連絡を取り合って行動した。携帯電話も便利だが、トランシーバーには❝不便な面白さ❞があった。
まだクアガーデンができる前だったので、駐車場にあるトイレ&洗面所で行水して汗を流した。
翌日が祝日で会社が休みだったのでドルフィンは駐車場で寝てから帰った。明るいうちに鈴鹿から帰るのは妙な気分だった。
東京メンバーは夜のうちに「ぼちぼち走っていく」と出発して行った。
ゴール後のコースウォークで記念撮影
結局、ドルフィンにとってこの年が最後の決勝観戦になっている。
近年は土曜日までにして日曜日は翌日の出勤を踏まえて休息日にしてTV生放送観戦している。
ピットウォールに腰掛けて音楽を聴いていたお姉さん
1990年の鈴鹿8耐は平忠彦/エディ・ローソン組の優勝で華やかに幕を閉じた。
しかし、もう一組の主役はワイン・ガードナー/マイケル・ドゥーハン組だった。
ワイン・ガードナー選手/OKIホンダRVF750
ローソン選手同様、ガードナー選手も怪我によりWGPチャンピオン争いからは脱落。尚更8耐優勝にかける思いは大きかった。
ポールポジションを獲得して2連覇に向けて大きく前進。その勢いのまま決勝では独走態勢を築く。が、シケインで転倒。
緊急ピットインで復帰するや鬼神の追い上げを展開。観ている側にとっては独走されるよりもそちらの方が面白い。
マイケル・ドゥーハン選手/OKIホンダRVF750
8耐時点では2シーズン目となるWGPでランキング3番手につけ、上り調子のドゥーハン選手はトップのTECH21ヤマハをグイグイと追い込んでいく。WGPライダーの速さを見せつけてくれた。
「これは終盤にトップ争い再燃か⁉」と、観客のテンションは張り詰めて行った。
再びガードナー選手の走行時になんとガス欠でストップ。あっけなくリタイアになってしまった。
決勝前夜のOKIホンダのピット
ダンロップタイヤの望月知子さん(左)綺麗だなぁ
完全に人気イベントとして定着した「キャンギャルオンステージ」。綺麗でスタイルが良いお姉さん達がこんな大勢集まるのだから凄い!
現在レーシングシアターが建つ辺りにすり鉢状になった草地があり、その中心に野外ステージがあった。
2位:宮崎祥司選手/an BlueFOX RVF750
大島正選手/an BlueFOX RVF750
2年連続で2位表彰台を獲得。日本勢では最上位。
宮崎選手と大島選手のサイン会
日本人コンビでは最速チームなので人気も高かった。
前年のVFR750Rが展示
ブリヂストンのお姉さん
右のお姉さんのおさげ髪が可愛い♡
3位:ドミニク・サロン/アレックス・ビエラ組/シード スウォッチ・ホンダRVF750
前年優勝コンビが3位表彰台を獲得。
モリワキの生活創庫のお姉さん
モリワキの写真は撮れていなかった…。
ランディ・レンフロー/デール・クォータリー組/VFR750R
悲願の優勝! TECH21ヤマハ 平/ローソン組 1990年鈴鹿8耐
1990年鈴鹿8時間耐久ロードレースで、平忠彦選手が8耐挑戦5回目にして悲願の優勝を遂げた。毎年「優勝候補」とされながらもトラブル等でリタイアを余儀なくされていた。皮肉なことに怪我で急遽監督として臨んだ'87年にTECH21ヤマハは優勝を遂げていた。
時代はバイクブーム真っただ中。ヤマハ、ホンダがWGP500ccライダーを招集してきたので、日本では開催されていなかったWGPのライダー観たさに多くのファンが集まった。その数16万人(決勝日)。大会史上最高観客動員数を記録した。
その一端を担ったのが「キャンギャルオンステージ」完全にイベントとして定着し❝キャンギャル目当てでサーキットに来る❞方も多かった。
この世紀の一戦にポジフィルムで撮影することにした。「ポジは発色が良い」と前年に使用したものの上手く扱えず、リベンジとばかりに使用したのだった。
せめて1本くらいに留めておけば良かったものの、調子に乗って撮影の大半をポジにしてしまったものだから結局は失敗。あまり良い写真が撮れなかった。若気の至りとしか言いようがない。
平忠彦選手/TECH21ヤマハYZF750
平選手の8耐にかける情熱と執念をみんなが知っている。優勝のチェッカーを受けた時にサーキット全体が歓喜に沸いた―と思っているのはドルフィンだけだろうか? いや、16万の観客全てが「遂にやった!」と一種の充実感を共有したはずだ。
もっとバッチリ決まった写真を撮って平選手にサインを入れて頂きたかった…。
エディ・ローソン選手/TECH21ヤマハYZF750
前年までに4度のワールドチャンピオンを獲得。’89年はホンダに移籍していたが’90年はヤマハに復帰。しかし、怪我によりチャンピオン争いから外れてしまったために鈴鹿8耐に参戦する事になった。
「うわっ! 今年はローソン!」と、最強助っ人にファンは沸いた。
現在なら中須賀選手が毎年、バレンティーノ・ロッシ選手やマーベリック・ビニャーレス選手とコンビを組むようなもの。こりゃあファンは集まるわ!
2019年サウンドオブエンジンに来場の際、サインを入れて頂いた
ローソン選手の現役写真は8耐しか無かったので、中でも良く撮れている写真をプリントしたのだった…。
2013年鈴鹿ファン感謝デーにゲストで優勝したYZF750をライディング
カメラ目線を頂いている土曜日の写真に日曜日にサインを入れて頂いた。
2017年鈴鹿8耐メガミュージアムに展示されたYZF750
TECH21ブース(当時)
’85年初参戦のFZRや前年(89年)のYZFと平選手のヘルメット&ツナギが展示されていた。
キャンギャルお姉さん写真はアルバムに貼っている並びで掲載しています。掲載しているチームやメーカーとお姉さんが異なる事が多々ありますのでご了承を―。
1990年鈴鹿8耐のチェッカー
当時の新聞コピー
4位:永井康友/加藤信吾組/Y.R.T.R.YZF750
応援しているベネトンがワンツー 1990年F1日本GP
1990年F1日本GPは、上位陣の脱落もあって応援していたベネトンがワンツーフィニッシュを遂げた。
モーター誌主催の前夜祭でのベネトン応援を行ったことで決勝チケットを入手でき、最終コーナー指定席で観戦する事ができただけに一層嬉しかった。
決勝では後ろの席の方に配慮しつつベネトン応援旗を振っていた。
優勝:ネルソン・ピケ選手/ベネトンB190/フォードHB
’80年代F1ターボ時代の寵児。ウイリアムズ/ホンダでもチャンピオンを獲得したグレートな選手。-が、至近距離で素顔を見た事はない。
ホンダエンジン搭載マシンに乗っているときには成し得なかった鈴鹿での優勝を飾る。
前機・B189に比べ❝鷲鼻❞になってややカッコ悪くなってしまったB190。それでもカラーリングは美しい。
’90年にはベネトン「タコ」マークに色が付いた。
日本企業も多くスポンサードしていた。あの企業は今…。
ONIX1/43ミニカーのベネトンB190。まだミニカーに興味を持つ前に職場の方から頂いた。ミニカーコレクション最初の1台だ。
ベネトンのピット
2位:ロベルト・モレノ選手/ベネトンB190/フォードHB
ヘリコプター事故に遭ったナニーニ選手の代わりにベネトン入り。
日本GPでの2位はモレノ選手のF1最高成績だ。
F2時代にもラルト/ホンダでJAF-GPを走り、鈴鹿サーキットには縁がある。
サウンド・オブ・エンジンに来られた際にモレノ選手にサインを入れて頂いた
グッドイヤーのお姉さん♡
7位:ニコラ・ラリーニ選手/リジェ・ジタン/フォード
10位:フィリップ・アリオー選手/リジェ・ジタン/フォード
エマニュエル・ピロ選手/BMSスクーデリア・イタリア/フォード
ピエルルイジ・マルティニ選手/SCMミナルディ・チーム SpA/フォード
サウンド・オブ・エンジンの際にマルティニ選手にサインを入れて頂いた
ジャンニ・モルビデリ選手/SCMミナルディ・チーム SpA/フォード
デビッド・ブラバム選手/ブラバム/ジャッド
スピンしてコース上に止まってしまう
リタイアしてピットに戻る
ステファノ・モデナ選手/ブラバム/ジャッド
GPスクエアのキャビン・ブースで片山右京選手と星野一義選手のトークショー
’77年F1日本GP ビルヌーヴ選手のフェラーリとスーパーカー
’77年F1日本GPはとても印象深く今でも記憶に残っている。
半面、思い入れが深いレースなだけに「こうしておけばよかった」と思うところが多い。子供だったので資金的にも日程的にも限られていたので仕方なかったが…。
1回だけ過去に戻ってレース観戦できるのであれば、間違いなく’77年F1日本GPにするだろう。パドックパス(当時3日共通1万円)を買ってデジタルで撮影して。ビルヌーヴ選手とピーターソン選手には「6周目には気を付けろ」と言い「警備はもっときっちりやれ」と主催者に伝えるだろう。
ジル・ビルヌーヴ選手/フェラーリ312T2
ドルフィンの中ではドライバー神3のひとりニキ・ラウダ選手がフェラーリから離脱したため日本には来なかった。とても残念に思った。
代わりに新人のジル・ビルヌーヴ選手が乗ることになった。当時は「こんな新人乗せないでラウダ選手来てよ!」と思っていたが、今となってはビルヌーヴ選手を写真に収められただけでもラッキーだった。
2位:カルロス・ロイテマン選手/フェラーリ312T2
’76年F1inJAPANを観戦に行った本来の目的は「東洋で初開催の自動車レースならスーパーカーに乗ってる人も来るはず」とスーパーカー目的だった。当時は『サーキットの狼』大ヒットによるスーパーカーブームが来ていた。
’77年日本GPでもフィルムの枚数が少ないながらもスーパーカーを発見して撮影していた。ブームの後押しもあって前年よりも多くのスーパーカーを見られた。
ランボルギーニ・カウンタックKP400
オーバーフェンダーが取り付けられていた。ランボエンブレムの上には「KE」のステッカーが貼られていた。
パドック駐車場に置かれていた。警備員のおじさんに「カウンタックだけ撮らせてください。すぐ戻ってくるので」とお願いして入らせてもらった。
フェラーリ308GT4
仮ナンバーだ。
ポルシェ924
当時はポルシェでも新しいモデルだった。
緑の車体色だと本当にマツダ・サバンナRX-7っぽい。
ロータス・ヨーロッパ
『-狼』主人公マシンなので人気が高かった。
ゴールド&ブラックのJPSカラーなので一層カッコイイ。
ロータス・エスプリS1
ボンドカーにもなっていたホワイトのエスプリ。初めて見た。
エッヂの利いたボディがめっちゃカッコイイ。
バトン選手がチー国で走った エブロ1/43 RAYBRIG NSX-GT SUPER GT
F1ワールドチャンピオンのジェンソン・バトン選手がスーパーGTに参戦し、チャンピオンを獲得した記念ミニカー、エブロ1/43 RAYBRIG NSX-GT SUPER GT GT500 2018 Champion Car No.100。
エブロからのチャンピオンパッケージが発売され、大手家電量販店サイトで値引き販売されるのを見つけたタイミングが合って購入に踏み切った。
通常版や先に発売されたモーター誌のチャンピオンパッケージが十分出回って、みんな食指が動かなかったのかもしれない。
応援する好きなチームに好きなドライバー2人が揃うという絶好条件が重なった2018~2019年のチーム国光RAYBRIG NSX-GT。
バトン選手がスーパーGTに参戦した3年間は本当にフィーバーした(鈴鹿戦だけだが)。
現在コロナ感染予防のために選手との交流ができなくなってしまったので一層「あの頃は良かったな」とあの日々を懐かしく、そして胸熱く思う出されるのだ。
このミニカーにはそうした思い出が詰まっている。
「#1」を書き入れて下さったジェンソン・バトン選手のサイン
何年後かにでもまた来日して鈴鹿でレイブリックNSXをデモランさせて欲しい。
その時にはミニカーにサインを入れて頂きたいな。こんな感じに↓。
※↑写真はイメージです MOTUL無限NSXに武藤選手、中嶋選手とともにサインを入れて頂いたカバーを取り付けています
MOTUL無限NSXのミニカーにバトン選手のサインを頂いた感激は今でも身震いするほどだ。
開幕前鈴鹿テストではジェームス・ロシター選手とともにコーナーに出て走行を確認していた
山本尚貴選手
ミニカーはここ数年で急騰したように感じる。以前1/43ミニカーは高くて5,000円くらいだったが、ここ数年で1万円を超えるのが当たり前になってしまった。
レース観戦にも行くので資金的にミニカーに対してそこまでつぎ込められないのが現状。家電量販店の値引き価格+ポイント全投入しなければ購入に踏み切れなかっただろう。
高額化しただけあって細部パーツや小さなスポンサーロゴも再現されている。再現技術も素晴らしいものだ。
コロナが終息した時には鈴鹿ファン感謝デーでバトン選手と山本選手のドライブでRAYBRIG NSX-GTをデモランさせて欲しい。NSXで唯一、スーパーGTチャンピオン獲得車なのだから。
またバトン・フィーバーになってしまうが、それもまた楽しいだろう。
感動に溢れていた '77年F1日本GP 全てが新鮮パドック探索
前年開催のF1inJAPANを観戦し、F1をはじめとする4輪レースの虜になってしまった。
レース好き仲間の同級生と二人で'77年F1日本GP観戦に出かけたのだった。-ここまでが前回までの話。
祖父のコンパクトカメラを持って行った。前年に止めたまま撮影したためマシンだけがブレブレになった失敗から、初めて「流し撮り」を試してみた。
’77年は思い入れが強いシーズンだけに持っているミニカーも多い。
マリオ・アンドレッティ選手/JPSロータス78
二年連続でコースレコードでポールポジションを獲得。
ドルフィンにっとドライバー神3のひとり、マリオ・アンドレッティ選手。ブラック&ゴールドでワイドボディのロータス78はとてもカッコイイ。
漫画『赤いペガサス』では日本GPでケン・アカバとチャンピオン争いを展開した(漫画は1年半後に描かれた)。
決勝では早々にマルチクラッシュでリタイア。午前のフリー走行で撮影した写真しかない。
ヘアピンのガードレールに張り付いているロータス78
後述するが、レース後のピット裏に回収されたロータス78が置かれていた。
リアウイング翼端板の端が僅かにピロッとめくれていた。1枚板とばかり思っていたので「どうなっているんだ?」とめくれた端をチョット摘まむと、そのままペリペリペリィィっとめくれ上がってしまったのだ。グラスファイバーを何重かに重ねてプレス製造していたようで、その表面がめくれ上がったのだった。これには慌てた💦 以後、マシンには一切手を出さなくなったのだった。
グンナー・ニルソン選手/インペリアル・ロータス78
「ロータスが日本GPだけ赤いカラーリングになる」との事前情報があったので、写真も多く撮っていた。本家JPS78は1枚しか撮れていないのに…。
まさか半年後に癌で亡くなるとは…。
9位:高橋国光選手/タイレル007を抜くニルソン選手
日本勢最上位の9位フィニッシュ。現在のポイントシステムだったら日本人初ポイント獲得になっていたところだった。
基本シャシーは’74年に登場。マシン自体は2年落ちだったが当時のレギュレーションでは大きな戦闘力低下ではなかった。-と言うより国さんのドライビングが良かったのかも。
11位:星野一義選手/コジマKE009
テスト段階から自動車雑誌に取り上げられ、かなり戦闘力が高そうだとの前評判だった。
前年に雨のレースで一時3番手までのし上がった星野選手がドライブするので「どこまで上がるのだろうか?」と期待していた。
近年になって星野監督にサインを入れて頂いた
高原敬武選手/伊太利屋KE009
GC等で高原選手をスポンサードしていた伊太利屋がF1も支援。
赤紫のカラーが入ってカッコ良かった。
チェッカーをパドック裏で聞き、同時にパドックに潜入。当時はレース終了するとゲートの係員がいなくなったのだ。
36枚撮りフィルム1本のみ持って行った。カウンターは36枚に達していたが「まだ撮れる」とシャッターを切っていたら、フィルムの終わりが空回りしていて多重露光になっていた。
あぁ、あと24枚撮りでもあと1本あったら…。
ハント選手のマクラーレンと表彰式が多重露光されている

周囲に多くの人がいるのにも気にせずに、テントの下で優勝したジェームス・ハント選手が着替えていた。黄色いブリーフを履いていたのが印象的だった。
着替えながらインタビューを受けていて、その様子も録音していたが肝心のカセットテープがどこにあるのか分からない…。
表彰式には3位のパトリック・デパイユ選手しか登らなかった。
レース中に観客を巻き込む事故があったのにも関わらずレース中断しなかった抗議のためにハント選手と2位カルロス・ロイテマン選手は表彰式をボイコットしたのだ。
この時の経験があったから’83年WEC JAPANでは表彰式後の選手にサインを頂くことができたのだった。
パドックに入るのは初めての体験。見るもの全てが新鮮で感動的だった。
ミニチャンプス1/43 ウルフWR1と翼端板のネジ
ウルフのピットでマシンの解体作業を見ていると、チームのメカニックが外したばかりのリアウイング翼端板のネジを「持って行けよ」と分けてくれたのだ。これが最初に所有したレーシングカー・パーツだ。
失くしたり錆びたりしないように一番状態が良い1組を通販で買ったグッズでプラスチック固めにして残している(写真、ミニカー後ろのもの)。
ビットリオ・ブランビラ選手のサイン
Betaマーチ771を駆り8位。
知らないオジサンが「あの人レーサーのブランビラだからサインもらっときな」と教えてくれ、さらにサインを書いてもらうノート紙をドルフィンと友人に下さったのだ。
ノートとサインペンを渡すとブランビラ選手はペン先をこちらに向けた。「あ! キャップを外して渡さなきゃいけなかったか」と気付いた。以降、サインを頂く時はキャップを外してペンを渡すようにしている。
国内外を問わずドルフィンが初めてサインを頂いたレーシングドライバーだ。
頂いたサインはプログラムの写真と一緒にアルバムに貼って保存している。
アレックス・リベイロ選手のサイン
マーチ761Bで星野一義選手に次ぐ12位完走。F1フル参戦は’77年のみ。
おじさんが教えてくれてサインを頂けた。
パドックを巡りゆっくりしていたため、御殿場駅行きバスに乗り遅れてしまった。
そのため帰りもヒッチハイクする事に。地元ナンバーの車を見つけてヒッチハイクのサインを出す。
一人で観戦に来ていたらしいお兄さんが止まってくれた。御殿場駅で良かったのだが「どこから来たの?」と聞いて裏道を通り家の最寄駅まで送って下さった。その親切は今でも忘れない。
車の中で流れていたラジオニュースで第1コーナーで人身事故が起こった事も知った。
我慢しきれずエブロ1/43 RAYBRIG NSX-GT2018Champion 買ってしまった
エブロ1/43ミニカー、SUPER GT GT500 2018 Champion Car RAYBRIG NSX-GT No.100を買ってしまった。
ドルフィンは基本「同じ車種のミニカーは1台でいい」をポリシーにしている。
幾多の例外を作ってしまっているが流石に1台8,000円以上もするミニカーをおいそれとは購入できない。NSX-GTはジェンソン・バトン選手が初めて参戦した2017 MOTUL MUGEN NSX-GT Rd.6鈴鹿を持っているので、チーム国光NSXがチャンピオンを獲得しても購入は控えていた。応援している大好きなチー国であってもだ。
エブロから発売された時も、モーター誌の通販サイトでチャンピオンパッケージが発売された時もグッと我慢していた。まあ、モーター誌通販では10,000円超えていたので「暴利むさぼってるな~」とブレーキをかけやすかったのだが。
ところがだ、つい先日、ふとしたきっかけで家電量販店通販において割引価格でエブロのチャンピオンパッケージが販売されていた。「これも縁」と我慢しきれずポチってしまった。
それが日を経たずして発送されてきたのだ。早い!
しかも、今日になって同じサイトを見たところページが削除されていた。速攻完売したようだ。タイミング良くまさに❝縁❞。
2018年最終戦でチャンピオン獲得後の山本選手、バトン選手、国光監督の3ショット写真が背景になるゴールドのパッケージ。カッコイイ! これはパッケージまま飾れということか~ッ⁉
シルバーのミニカー台座にもチャンピオン記念プレートが取り付けられていてプレミア感がある。
ジェンソン・バトン選手
F1ワールドチャンピオン経験者が日本のスーパーGTに、しかも大好きなチーム国光からシリーズ参戦してくれたのだから思い入れも格別だ。
山本尚貴選手
2018年はスーパーフォーミュラとWチャンピオン。2020年も再びWチャンピオンを獲得しているのだから、山本選手の功績が大きかったと思い知らされる。
高橋国光総監督
実車もそうだが、ミニカーも色合いがとても美しい。レイブリック・カラーが実車ではもう見られないのが残念に思うほどだ。
じっくり実車を見回す機会が無かったので、ミニカーになって「ここはこんな作りや色になっていたのか」と分かる。
同じ車種ではあったがMOTUL無限NSXとは趣が異なるので❝別物❞的雰囲気。
一生の思い出 1977年F1日本GP~ハント選手独走優勝
観戦したレースの中でも1、2を争うほど思いで深い富士スピードウェイで開催された1977年F1日本グランプリ。
前年開催のF1inJAPANによりちょっとしたF1ブームが起こった。漫画『赤いペガサス』やTVアニメ『アローエンブレム グランプリの鷹』は1977年シーズンのF1GPが舞台になっているため、一層記憶に強く残っている。
F1inJAPANを観戦して「来年も絶対に行こう!」と決意していた。
同じクラスにもレースファンが3人いて、その中の一人と一緒に観戦に行く事になった。彼は今でも親交があり、ドルフィンよりも2輪4輪両方とも詳しい。
学校近くの自動車修理屋に取り扱いポスターが貼ってあったので、そこで前売り券を購入。当時一か月の小遣いが1,000円だったので1,500円はかなりの高額だった。前年の「子供は何人でも1組1,000円」からかなりの値上げだ。
’77F1日本GPプログラム 表1・表4
当日、最寄りの国鉄駅で待ち合わせ-だったのだが、ドルフィンは痛恨の寝坊! 友人がお母さんと一緒に我が家まで迎えに来てくれたのだった。
予定より遅れて出発。東海道線から御殿場線に乗り換えて御殿場駅に到着。
前年が大渋滞でFISCOまで歩いた方が早かったので、この年も最初から歩いていくつもりだった。
いざ歩き出してみると全然渋滞していなかった。交通事情は改善されていた。
このままでは歩き損だ。考えた挙句、ヒッチハイクすることに。手を挙げて乗車をお願いする。
止まってくれたのは家族4人乗っている車だった。既に4人も乗っているのに子供2人を乗せてFISCOまで行ってくれた。ありがたいことだ。
仮設スタンドなど無く、コース脇は人・人・人で埋め尽くされていた。どこか観戦できる場所は無いかとほぼコース脇2/3周はした。スタート後に「第1コーナー奥」に行き、その後、最終コーナー進入部分にレスキュー車が停まっているスペースがあり、その脇の「金網の上」で観る事に決めて一旦メインスタンド裏に戻った。
朝からよく歩いたものだ。
決勝前にグリッドに全車着いたところで脚立を使っている方に「グリッドだけ撮らせてください」とお願いして写真撮影。
人が多くてスタートシーンは観られなかった。
小型ノカセットテープレコーダーを持って行って録音もしていた。レース後のハント選手の生インタビューまで録音していた。近年になってYouTubeに載せようと思ってカセットテープを探したのだが見当たらない。捨ててはいないはずだが、どこに行ってしまったのだろう?
決勝スターティンググリッド
スタートまでに第1コーナーに行けなかったのでパスして地下トンネルを使ってS字方面に抜けた。もし、あのまま第1コーナーの奥まで行っていたら…。
ヘアピンに到着した時には既にマリオ・アンドレッティ選手や高原敬武選手はリタイアしていた。
最終コーナー進入の金網の登って“初めての流し撮り”でマシンを追っていた。
レース終盤にピット裏まで移動するのだった。
優勝:ジェームス・ハント選手/マクラーレンM26
当時から好きなドライバーだったハント選手。
走行中に「手を振ってくれている」ように見えたが、実はヘルメット下に取り付けていた防火マフラー(この頃はみんなしていた)がなびいているだけだった(笑)。
ポールスタートのマリオ・アンドレッティ選手がマルチクラッシュでリタイアし、独走態勢を築いて危なげなくチェッカー。
リタイア:ヨッヘン・マス選手/マクラーレンM26
↑このくらいで撮影しているものを、↓ここまでトリミングして掲載しています
6年後に同じFISCOで開催されたWEC JAPANにロスマンズ・ポルシェ956のドライバーとして出場。その際にお会いすることができて嬉しかった~。
3位:パトリック・デパイユ選手/タイレルP34
武骨な’76年型よりも、洗練された’77年型の方が好きだった。
ただ一人表彰式に登壇した。
リタイア:クレイ・レガゾーニ選手/エンサインN177
このマシンでチソット時計を知った。後にロータスにもスポンサードしたのでF1の時計=チソットのイメージが付いた。
叔父貴が就職祝いにチソットの時計を下さった。
後にエンサインをスポンサードするユニパーツとかもロゴが好き。
目の前で白煙を吹いてリタイア。コースを渡り、レガゾーニ選手はマーシャルカーが待機している場所まで歩いて行った。
コース脇を歩くレガゾーニ選手
6位:リカルド・パトレーゼ選手/シャドウDN8
同年第6戦にF1デビューしたルーキー。『赤いペガサス』でもペペ・ラセール選手とコインゲームする新人ドライバーとして登場。
まさか、鈴鹿でF1が開催するまで現役でF1ドライバーでいるとは!
’88年日本GP後にお会いできたがサインは頂けなかった。
8位:ハンス=ヨアヒム・スタック選手/ブラバムBT45/アルファロメオ
予選4番手という好位置からスタートした。
19年後の’96年国際ツーリングカーレースITC鈴鹿にオペル・チーム・ロズベルグのドライバーとして参戦。この時にお会いできた。その時も嬉しかった~。






































































































































