舘ひろし監督着任 ’97年フォーミュラニッポン富士テスト
1997年フォーミュラニッポン俳優・舘ひろしさんがナビコネクションの監督就任が大きな話題になった。
以前にも神田正輝さんがGr.Cジャガーの監督に就いた事があった。
影山正美選手/NAVI CONNECTION RACING TEAM/レイナード96D
トランスポーター前でプレス用写真撮影
トランポにも舘監督の名前が大きく書かれている。
舘ひろし監督
本戦ではなくテストからサーキットに来られていたので驚いた。
ピットでコーヒーを飲む仕草、ピットウォールからコースを見つめる仕草、いつでもどこを見ても渋くてカッコイイ! 男が見てもカッコイイのだ‼ 俳優として常に見られている事が無意識にしみついているのかもしれない。
『西部警察』以来、大好きな舘ひろしさん。
「サインもらっちゃってもいいかなぁ?」と不安になりつつもタイミングを見てサインを所望すると快く下さった。めっちゃ嬉しい! 一言二言お話しした気がするも、頭が真っ白になってしまって覚えていない…。
大門軍団の中で唯一、お会いできた方。
舘ひろし監督のサイン
脇阪寿一選手/TEAM ANABUKI 童夢 with 無限/童夢F104
童夢はオリジナルシャシーで参戦していた。
全日本F3チャンピオンを獲得した脇阪寿一選手がフォーミュラニッポン昇格。
傍らに松本恵二監督
飯田章選手/SHIONOGI TEAM NOVA/ローラT97
国際F3000シリーズ挑戦の後、フォーミュラニッポンに初参戦。
武者修行の成果が試される年になった。
ミハエル・クルム選手/オートテック STELLAR/ローラT96
ドルフィンの中で長年日本で走っているクルム選手は「外国人選手」枠には該当しない(笑)。
’97シーズンは助っ人のように複数チームから出走した。
本山哲選手/FUNAI SUPER AGURI/レイナード94D
金石勝智選手/FUNAI SUPER AGURI/レイナード96D
鈴木利男選手/かもめサービス with MIRAI/レイナード96D
光貞秀俊選手/TEAM CERUMO/ローラT96
外国人ドライバー多数参戦も魅力 ’97年フォーミュラニッポン富士テスト
1997年フォーミュラニッポンの開幕前富士テスト。後述するサーラ・カヴァノフ選手のサインに書かれていた日付で4月15日に行われた事が分かった。開幕戦・鈴鹿の10日前だ。
全日本F3000時代から多くの外国人ドライバーが参戦してきていた。しかしフォーミュラニッポン初年のラルフ・シューマッハ選手の活躍、そしてF1昇格に触発されて有望な選手が参戦するようになったのは嬉しかった。
日本で走っていた―会ってサインを頂いた選手がF1に参戦すると応援し甲斐があるので観ていて面白くなる。それは今も変わらない。
ペドロ・デ・ラ・ロサ選手/SHIONOG TEAM NOVA/ローラT97
参戦二年目。シリーズ10戦中7勝という圧倒的強さで二代目フォーミュラニッポン・チャンピオンとなった。
翌98年はF1ジョーダンのテストドライバーを務めて日本を離れた。’99年から2012年まで長きに渡りF1に参戦する事になる。
エステバン・トゥエロ選手/Team Le Mans/レイナード96D
F1昇格が噂される選手の一人。第6戦までの参戦だった。
6位入賞1回だけだったが、翌年に史上3番目の若さ(当時)でF1ミナルディで中野信二選手のパートナーとして参戦した。
テスト時はまだ18歳!
テストでは白ヘルメットだったが、ピットにはレギュラーカラーのヘルメットが置かれていた。
サーラ・カヴァノフ選手/TEAM CERUMO/レイナード95D
フォーミュラニッポン初の女性ドライバー。
―だったが、日本トップフォーミュラに実力が追い付かず2戦のみで参戦終了。テスト時に走っていないので走行写真は無い。
サーラ・カヴァノフ選手のサイン
マーク・グーセン選手/TEAM 5ZIGEN/レイナード96D
リスター・ヴァータネン選手/TEAM 5ZIGEN/レイナード95D
ノリックがトラの応援に ’97フォーミュラニッポン富士テスト NAKAJIMA RACING
1997年シーズンの開幕に先立ち、富士スピードウェイで行われたフォーミュラニッポン・テスト。
最大の注目はF1昇格確実視されていたPIAA NAKAJIMAの高木虎之介選手だった。
高木虎之介選手/PIAA NAKAJIMA RACING/レイナード97D
’97年は翌年からのF1参戦予定のタイレルのテストドライバーを務め、F1の前座ポルシェカレラカップにも参戦してコースの習熟に勤めることになっていた。
F1ドライバーになって会えなくなる前にサインを頂いておきたいところだが、虎之介選手はテストでもなかなかピット裏に出てこなく難易度が高かった。
ギャラリーや出待ちは近年ほど多くはいなかったのだが…。
午前中は前年までのカラーリングのヘルメットだったが、午後の走行から新しいメタリック・グリーンのヘルメットに変更された。
お昼休み頃だっただろうか。ピット裏に戻って虎之介選手の出待ちをしていると、一台の車が停まり中からロン毛の青年が降り立った。
彼を一目見て目ん玉飛び出るほど驚いた。
ノリックじゃないか~ッ!!
同じロン毛で世界を目指している高木虎之介選手の陣中見舞いに来たようだった。
初めて❝生❞ノリックを目にして興奮MAX! まさかここで会えるとは!!
阿部典史選手/マルボロ・ヤマハ・レイニー
ノリックは当時WGP500ccクラス4年目。前年はランキング5位を獲得してロードレースの大スターだった。TV観戦して応援していた。
この時にお会い出来て本当に良かった。握手して頂いた手が意外に柔らかかった。
ノリック・阿部典史選手のサイン
WGP最高クラスでゼッケン「5」ですよ!
山西康司選手/PIAA NAKAJIMA RACING/レイナード97D
山西選手もロン毛だったと思う。
’97年JTCC開幕前合同タイヤテスト トヨタ編&フォーミュラトヨタのお姉さん
JTCCの1997年シーズン開幕前富士合同タイヤテスト。
トヨタはJTCC発足当初から使用していたコロナエクシヴに加えチェイサーを投入してきた。
ミハエル・クルム選手/エッソトーネン・トムスエクシヴ
影山正美選手/ADVANエクシヴ
ホアン・マニュエル・シルバ選手/デンソー・セルモ・エクシヴ
アルゼンチン出身ドライバー。1997年のみJTCCに参戦した。
シーズン終盤にチェイサーにチェンジ。
金石勝智選手/ウェッズスポーツ・エクシヴ
竹内浩典選手/デンソーセルモ・エクシヴ
お昼休みにトヨタ陣営ゴルフレッスン?
田中哲也選手/DoCoMo Exiv DL
携帯電話のドコモがスポンサードしている田中選手のマシンには「もしもし たなかてつや です」とドライバー名が入っていたので、アルバムには吹き出し調に貼っている。
松永雅博選手/インギングカローラ
フォーミュラトヨタの写真撮影が行われていた
マシンをバックにトムスのウエアの撮影も行われていた
初めての内視鏡検査 モビプレップが大変だった~参考までに
「うんち」💩についての文列があります。不快に思われる方はご遠慮ください。
退院後の道で―
2月に「虚血性腸炎」を起こし、内視鏡検査を受けることになった。
2日前から柔らかい食べ物~茶粥を食べ始めた。
前日も茶粥。もう会社でお腹がグーグー鳴って恥ずかしかった~。午後7時までに夕食を済ませ、翌朝に便を出しやすくする「ピコスルファーとナトリウム」を水に溶かして飲むのだった。
粥しか食べていないせいか、翌朝はそんなにも「便」が出なかった。「これでいいのだろうか?」と思う。お野菜たくさん食べた翌日の方が気持ちよく出るのに…。
今回一番の不安材料-腸管洗浄剤「モビプレップ」の服用だ。
2ℓの水に溶かしてコップ1杯を15分かけて飲む。次の15分でまた1杯。次の15分で水かお茶を1杯飲む。この45分が1セットになり、4セット続ける。
便がきれいな水状になればここで終わりだが、ならなければもう2セット続けるのだ。
朝8時半からスタートする。
「飲みにくい」と聞いていたモビプレップだったが、スポーツドリンクっぽい味が付けられている。しかし❝っぽい味❞であっても薬は薬だ。飲めなくはないが❝妙な味❞なのだ。
1セット飲んでも2セット飲んでも便意が来ない。体と薬が合わないのだろうか?
今日、検査ができないと再び会社に休みを申請しなくてはならず面倒なことになる。気持ちに焦りが出てくる。
漫画のようにもっとピーゴロゴロとお腹が鳴って排便されるものと思っていた。
お腹の張りもマックスに近くなった3セット目の途中で腸が動いた気がしてトイレに行ってみる。-が、やっぱり出ない。
お腹をマッサージしつつトイレでキバッてみる。
冬だったら寒くてこんなにも長くトイレに籠れなかっただろう。
ようやくチョット出た。-と思った瞬間。バリバリバリッと堰を切ったようにうんちが放出された。
薬の説明書と一緒にもらった「便の状態の変化」カラー写真の第一段階からイッキに第3段階まで行ってしまった。
トイレから出ようとするとまた便意が。もうどこで止めて薬を飲みに戻ればいいのか分からない。
3セット目を飲み終わる頃にはかなり透明な液体になり、まるでお尻でオシッコをしているようだ。
体内で温められた液体を出す反面、熱エネルギーになる食物を摂取していないので寒くなってくる。
温水便座を使っているが便と拭くトイペでお尻がヒリヒリしてくる。これは早めに決着を付けねばオシリがもたない。
便液が出るが、ところどころにカスのような濃い便が出てくる。これが「宿便」と言われているヤツか?
腹圧で勢いよく液が出る。まるで高圧洗浄機で筒を洗っているかのよう。
4セット目を飲み終える。病院に行く道中の車内で便意を催さないように出し切る。
こうして内視鏡検査に臨んだのだった。
検査は麻酔使用にしてもらった。
酒に強くないので「よく効きますよ」と看護師さんが。胃カメラを飲む時もそうだが、麻酔で意識を失う瞬間を感じたかった。が、それも分からず意識が無くなっていた。
それでもお腹の張りや中でうごめいている苦しさはあった。
名前を呼ばれ気が付いた「終わった」と思ったが、まだ続きがあった。ヒエ~ッ!
少しの間グゥッと苦しかったが、無事に終わった。
「腸内に残った下剤は内視鏡で吸引」とあったが、やはり漏れていたようでベッドが少し汚れていた。これは仕方ない。
終わるとソファーになっている車椅子に自分で移動してしばし休息。ポリープ切除したので一泊入院になった。
腕に刺した針はそのままで麻酔や点滴を入れ替える。差しっぱなしの痛みが辛かった。
待ちに待った夕食は五分粥、カボチャと人参を柔らかく炊いたもの、豆腐、桃缶の汁を固めたようなゼリー。
前夜以来の食事。「少ないなぁ」と思えたが、胃が小さくなっているのかお腹いっぱいになった。
4人部屋だった。夜は他の方のイビキや咳、もよおし処理等に加え腕に刺さった針の痛みであまり寝られなかった。
翌朝の食事は五分粥にお麩と玉ねぎの味噌汁。コーヒー?に見えた飲み物はグレープジュースだった。しかもホット。甘すぎて飲みにくかったが、全て平らげた。
ウンチが出たら看護師さんに血が混じっていないか見てもらう事になっていた。ガスは出たがウンチは出なかった。このまま退院して大丈夫か?
主治医の先生が回診に来た時に「出血していればもっとダクダク下血するので大丈夫ですよ」と言われたので安心した。
検査&入院費で5万円弱。そう考えればレントゲン、胃カメラ、内視鏡がセットになっている人間ドックで十数万円は安いのかもしれない。
フレンチレストランでアラカルトを単品で頼むよりコースの方がお得なのと同じ感じか?
切除したポリープは病理に回されて、来週結果を聞きに行く事になっている。
スポーツ等は2週間控えるように言われているので、テニスのレッスンもお休み。
2~3日はまだ柔らかいものを食べなければいけないので、ガッツリ食べられるのはまだ先になりそう。
飯田選手がHKSオペルに移籍! ’97年JTCC富士合同タイヤテスト 外国車編
1997年JTCC開幕前 富士合同タイヤテスト。
JTCCも4年目となり付加パーツも増えて日本独自のレギュレーションになって行った。
海外チームとの交流は無くなったが、フロントスポイラーやリアウイングが付いてスタイルは格好良くなった。
飯田章選手/HKS オペルベクトラ
前年、日産の顔ともいうべき長谷見昌弘選手を走らせて衝撃的だったHKSオペルが、97年は飯田章選手をドライバーとして迎えて話題になった。
飯田選手はN1~Gr.A~JTCCを日産で走ってきたが’96年は国際F3000に挑戦していた。
帰国するとJGTCではチーム国光NSXに、JTCCはHKSオペルをドライブした。
BMWはJTCC発足時から参戦してきたシュニッツァーが撤退し、プライベーターだけが使用するようになっていた。
木下みつひろ選手/エンドレスアドバンBMW
この当時、JTCC、JGTC、N1耐久をエンドレス アドバンで走っていた。
小柄な体形ながらアグレッシブに走るので、ドルフィンは「小さな巨人」と呼んでいた。
中谷明彦選手/オートテックSTELLER
開幕前テストに参加していたものの第5&6大会のみスポット参戦になった。
一ツ山康選手/ダンロップ-BP-BMW
シリーズでは弟の一ツ山幹雄選手と交互に参戦していた。
’97年 JTCC開幕前 富士合同タイヤテスト ホンダ勢
雪が積もった富士山を背景に-
1997年3月5日、富士スピードウェイでJTCCの開幕前合同タイヤテストが行われた。
3月と言えど標高の高いFISCOは寒い。晴天に恵まれたから良かったものの、曇りで風が吹いていたら観るのを途中で断念せねばならぬほど寒かったはず。
このテストには日産勢は参加していなかった。
黒澤琢弥選手/PIAA SN アコード
中子選手とチャンピオン争いを展開し、惜しくもシリーズ2位となる。
岡田秀樹選手/Castrol無限ACCORD
道上龍選手/ジャックスMCアコード
前年の最終大会(1大会2レース制)でJTCCデビュー。
’97年からシリーズフル参戦。ランキング堂々の5位につけた。
フォーミュラニッポンでもJTCCと同じムーンクラフトからジャックスのスポンサードで参戦。
ジャックス・カラーは服部尚貴選手のイメージだったが、これにより道上選手へと移行した。
鮮やかなカラーリングが道上選手のフレッシュさ、ヘルメットのイエローとマッチングしていた(まいっちんぐではないぞ)。
目元だけ見たら現在と変わらない。
中子修選手/Castrol無限ACCORD
この年のシリーズチャンピオンを獲得する。
’97年2月 NISMO N1耐久開幕前R33GT-Rテスト / F3スポーツ走行
’97年2月27日、富士スピードウェイでNISMOの走行枠があるとの情報を嗅ぎ付け、見に行った。
当時は平日休みで、FISCOまで愛車・ホンダS-MXに乗って下道で1時間弱の場所に住んでいたので行きやすかった。
何が走るのかは分からなかったが、着いてみるとスーパーN1耐久用スカイラインGT-R(R33)の開幕前テストだった。
ギャラリーなどドルフィンくらいしかいないような状態。そう思うと現在の方がテストから観に行っている方の数は多くなっていると思う。
砂子智彦選手/プリンス東京FUJITSUBO・GTR
前年’96年のN1チャンピオン。
現在では「砂子塾・塾長」の通り名が有名でファンも多い。
N1・GT-Rのコクピット
レギュレーションどおり❝市販車❞からマシンを作り上げていることがわかる。
エースチームであるプリンス東京はスカイラインNISMO400Rがベース車になっている。
N1耐久で使用されるマシンは市販車を市販パーツのみの交換でチューニングするだけ(大雑把に言って)。-なので車本来のポテンシャルの高さが要求される。
当初は幾多のメーカー・車種が参戦していたが’97年には淘汰されて参戦車両が固まってきていた。
武井寛史選手/ススキレーシングGT-R
別の時間枠でF3のスポーツ走行も行われていた。
ダラーラF397/HKS三菱4G93
当時のF3はダラーラ製シャシーの複数年、エンジンは無限MF204B、トヨタトムス3S-GE、そしてHKS三菱4G93の3種類。タイヤはブリヂストンのワンメイクだった。
ダラーラF356
ダラーラF397/トムス3S-GE
’97 エリック・コマス選手、フェラーリF355チャレンジ車をテスト
1997年2月27日。NISMOが走行時間を取っているというので富士スピードウェイFISCOに行った。当時は平日休みだったので、本戦には行けなくともテストは観に行けたのだ。
2月の富士は寒い。防寒装備を整えて出発。
NISMO走行枠とは別のスポーツ走行時間枠でワンメイクレース、フェラーリF355チャレンジ車が走行していた。

走らせているドライバーを見て目ん玉飛び出そうになった。JGTCでトヨタ・スープラを駆り、この年’97年から日産に移籍したエリック・コマス選手だったからだ。コマス選手は国際F3000チャンピオン獲得後、F1リジェやラルースで走ったドライバーだ。
「ええッ⁉ 何でコマス選手がフェラーリチャレンジを走らせてるの?」と驚いた。
フランス国旗をモチーフにしたトリコロールのヘルメットが特徴
プラべーとで友人のパトリック・バンスクート選手のマシンを調整しているとの事。白スーツにエルフ以外のスポンサーロゴが入らないヘルメットだった。
バンスクート選手はJGTCのGT300で外国屋ダンロップポルシェを走らせていたジェントルマン・ドライバー。
バンスクート選手とコマス選手
GTの際にバンスクート選手にサインを入れて頂いた。
これを機にGTの写真にもサインを入れて頂いたりして後にフォーミュラテストを行った際に写真をプレゼントする縁にもなった。そのエピソードまた後日に―。
バンスクート選手の走行
コマス選手がフェラーリのレーシングマシンを走らせるという珍しい場面に遭遇出来て興奮しかり。
フェラーリF355チャレンジ車
ともさかりえチャン来場 メニコン・サード'97ル・マン参戦発表会
1997年2月20日、メニコン・サードのル・マン24時間レース参戦発表会が渋谷で行われた。
プレス向けと一般向けの発表会が行われ、雑誌か何かで告知されていて❝往復はがき❞で応募・返信が届いた。
今ではベテラン女優として活躍している ともさかりえチャン(当時は人気アイドル女優だった)がメニコンのイメージガールをされていたのでスペシャルサポーターとして来場する事になっていた。
ともさかりえチャン見たさに応募したと言っても過言ではない(笑)。
返信ハガキの招待状(コピー)
招待状は1枚で2名まで入場できるので、東京の友人を誘った。
会場は渋谷・丸山町のホテル街入口にあるホールON AIR EAST。以前に勤めていた会社が道玄坂にあったので場所は知っていた。
友人と開場までホールの外で待っていたが「本当に発表会やるの?」と不安になるくらい人が集まっていなかった。平日とうこともあってか開場間際になって人が集まってきた。
メニコン・サードMC8R
発表会で写真撮影して良いものかどうか分からなかったので一眼レフカメラは持って行かず、小型の使い捨てカメラを持って行った。結局、規制は無かったようだった。
選手が来るとは雑誌にも招待状にも書いていなかったので何も準備していなかったが、元F1ドライバーのオリビエ・グルイヤール選手が会場の❝客席側❞で立ち見していたのだ! せっかくのチャンスだったのにもったいない! 写真すら撮影していなかった。
以後、選手がいるいないに関係なく最低限サイン帳とペンだけは持って行くようになった。
当時の新聞記事
ミスタール・マン寺田陽次郎氏も応援コメント
加藤眞監督に花束を渡すともさかりえチャン
ともさかりえチャンめっちゃかわいい♡
1997年のル・マンでは予備予選落ち。
FIA-GT選手権の1戦だった鈴鹿1000キロには2台体制で臨んだもののともにリタイアで終わった。
20年後-2017年のサウンド・オブ・エンジンで走行を披露
来場者に配られたピンバッヂ

























































































































