人生振り返り物語 元不登校児の娘の小学生編③ | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ不登校児だった娘の事、
私の自己価値が低くて
他人軸であったストレスだらけの
人生を振り返っています。
 
 
娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 
 


【 二世帯同居のストレス 】



娘は小学校では普段と
違う行事がある時は、
大抵、その前後に
風邪などひいて、
体調を崩して休みました。



それは繊細なHSPだから。



普段と違う想定外の事に
対処するのに
疲れてしまうのです。
 

まだ、行事の翌日に休むのは
まだいいのですが、
 練習も盛り上がり、
仕上げ段階に入って来て
当日休むと、
親も我が子の晴れ舞台を
観たい気持ちがあり
とても残念です。


5年生の学芸会の時は、
学芸会の2日前に
急性虫垂炎(盲腸)になって
しまいました。


散々、練習して来て、
学芸会の2日前に…。


後からHSPの気質を知れば
納得出来る事です。


なので小学校5年生の時の
学芸会の写真、ビデオは
ありません。


行事以外では、
楽しそうに小学校生活を
楽しんでいました。


幼稚園時代に比べてたら
笑顔増えて行きました。


娘が小学校5年生のころ
義母に、女の子だから
ピアノを習わしたらどうかと
言われていました。


しかし、幼稚園の時、鼓笛隊を
売りにしていた幼稚園だったので
楽器を経験して、楽器は苦手だと
わかっていたので
あえて苦手な事をさせる必要は無いと
思いっていました。


それでも、事ある毎に
義母は、
「私も娘には(義姉)には
習わして来たよ。
なんなら月謝払ってあげでもいいし」
と言ってきました。

(いやいや、それ関係ねーし、
どんだけ習わしたいねん)


私は、
本人が習いたいと思えば
習わせるけど、逆に苦手みたいだし、
私も昔、習わされて
大嫌いだったから、
全然上手くならなかったし」

とやんわり断り続けていましたが、
義母は、直接娘に、女の子だから
ピアノ習うといいよと
洗脳しだして
娘はピアノ習いたいと言うように
なりました。


義母は、
「ほら、習わしてあげなよ」と
言いました。


仕方なく、ピアノを習わす事に
しました。


直ぐに辞めさせたらいいや
と思い、ママ友の親戚のお姉さんに
お願いしました。


その子のやる気に応じて
やってくれるとの事だったので。


案の定、娘は、義姉が
幼少期使っていたピアノを
一度も練習する触る事はありませんでした。


ピアノは先生が好きで
アイドルの話をするのが
楽しかったようです。



義母は、気さくで良い人なのですが
こんな感じで、
習字教室、英語教室と勧められました。


子育てに口を出して来るのが
私にとってとてもストレスでした。



 
次回は元不登校児の娘小学生編④
へ続きます。
 
 
 
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