人生振り返り物語 元不登校児の娘の幼少期編③ | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ娘の不登校児だった
娘の事について
書いて行っています。
 
 
少しでも、今現在、不登校児の
お子さんを持つ
お母さんへの励みになればと
思います。  
 
 
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【 この子は私の子じゃない 】


娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 
 
我が娘3歳。
 
 

 
 
2つ下の弟が生まれました。
 
というか生みました。
 
 
娘は自由自在に歩けるようになると
自ら、義両親の住んでいる廊下伝いの
母屋の方へ行きたがるようになりました。
 
 
「向こうに行く。向こうに行きたい。」
 
 
その度に私はとても寂しくなり
孤独感と嫉妬で苦しみました。
 
 
ご飯もお風呂も、挙句の果てに
義両親と一緒に寝たがるように
なりました。
 
 
相変わらず後頭部に出来た
大きな500円玉ハゲは
生えては抜けてを
繰り返していました。
 
 
そして私は決めたのです。
 
 
もう、この子はいらない・・・
 
 
もう一人早く生んで
その子こそ、私の手で育てようと。
 
 
その時の感情の
罪悪感が大分薄らぎはしたものの
未だに残っていてます。
 
 
私は娘がお腹にいる時に、
色んな本を読んで
元気な子に育てる為に
なるべく裸足で育てたい
薄着で育てたいと
思っていましたが
 
「そんな寒い格好させたら
風邪引くよ。」
 
靴下履かせなきゃ寒い、寒い」
 
 
と言われたり、思うような子育てが
出来ずに来ました。
 
 
私は自分の考えを言える事が
出来ませんでした。
 
 
私の心の中は
ストレスでいっぱいでした。
 
 
 
次回、
 
 
 
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