人生振り返り物語 元不登校児の娘の幼少期編② | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ娘の不登校児だった
娘の事について
書いて行っています。
 
 
少しでも、今現在、不登校児の
お子さんを持つ
お母さんへの励みになればと
思います。  
 
 
娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 
 
☆*✴︎〜☆*✴︎☆*✴︎〜☆*✴︎

【 可愛い我が娘が取られる⁈  】

我が娘3歳。
 
 
義両親は、初孫だった我が娘を
それはそれは可愛いがりました。
 
 
廊下伝いの二世帯同居で
お昼くらいに顔を見に来て、
夕方我が娘を連れて近所のお散歩。
 
 
これは娘が生まれてすぐから
始まり、手が空いた隙に
夕食の買い出しや
夕飯の支度をしたらいいよと
言ってくれました。
 
 
夜は、忙しくて帰りが遅い主人に
代わり、私が娘と一緒にお風呂に
入り義母がお風呂の外で待っていてくれて
身体を拭いて、服を着せてくれると
いう手助けしてくれるのが
日課になっていました。
 
 
そして、公務員だった義父の土日休みの
日は、娘を1日連れて
動物園やら遊園地やらと
娘が1歳半くらいから毎週
娘を連れて出かけて行きました。
 
 
その1日の長いこと長いこと。
 
 
 
可愛い盛りの娘を
1日取られてしまう感覚に
陥って行きました。
 
日々日常と、週末
良かれと思い何かと世話を焼いて
口を出してくる義両親に
私は少しずつストレスを
感じるようになりました。
 
そして、そのストレスは
どんどん溜まって行きました。
 
 
気付いた時は
首のちょっと上の辺りに
大きな500円玉以上のハゲが
出来ていました。
 
 
娘が生まれる前は
長い廊下で
お互い干渉される事は無く
自由に生活して来ましたが
娘が生まれたと同時に
その長い廊下は隣の部屋くらいの
感覚になって行きました。
 
 
 
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へと続きます。