人生振り返り物語 元不登校児の娘の幼少期編① | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

こんにちは。

 

 

 

 

 

 
櫻井雅子です。
 
 
 
今日から少しずつ
娘の不登校児だった
娘の事について
書いて行きいたいと思います。
 
 
少しでも、今現在、不登校児の
お子さんを持つ
お母さんへの励みになればと
思います。  


幼少期編からスタートです。
 

娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 

☆*✴︎〜☆*✴︎☆*✴︎〜☆*✴︎

【 1歳から出ていたHSP 】
 

夫の両親、私の両親にとっても
初孫です。
 
 
我が娘3歳。
 
 

 
 
 
同居している夫の
両親はそれはそれは
可愛いがってくれました。
 
 
 
歩くのも他の子と比べて
遅くて
どこか足の関節が
悪いのかしらと思うほど
伝い歩きさえも
しませんでした。
 
 
思い返せば伝え歩きもしないまま、
突然1歳と何ヶ月過ぎた頃でしょうか
歩き出しました。
 
その時は、同居していた
義両親、私達夫婦は
拍手して喜びました。
 
 
その時に感じたのは
この子はどれだけ、
慎重派で、石橋を叩いて叩いて
自分が納得出来るまで
行動出来ない子なんだと
感じました。
 
 
 
そして、運動オンチ系なのかも…
 
 
公園で遊ぶより、
お家で絵を書いて遊ぶのが大好き
でした。
 
 
その時、感じた私の感は
ドンピシャで当たっていたのです。
 
 
それは不登校児になってから
色々勉強して
知る事になるのですが
 
 
ほぼ不登校児のあるあるHSP
(繊細過ぎる持って生まれた性格)
気質そのものが
幼少期にも出ていました。
 
 
次回