人生振り返り物語 元不登校児の娘の幼少期編④ | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ娘の不登校児だった
娘の事について
書いて行っています。
 
 
少しでも、今現在、不登校児の
お子さんを持つ
お母さんへの励みになればと
思います。  
 

娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…



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【 自信のない母 】 


我が娘3歳。
 
 

 
 
娘に弟が出来て、
娘は相変わらず、おばあちゃん子でした。
 
 
そして、義母は
二人も面倒を見るのは大変だろうから
と言って、当時はやっていた(?)
公園でデビューは義母でした。
 
 
近所の公園に行って
近所の同い年くらいの
子ども達と遊ばせながら
お母さん同士の交流をするのですが
義母は若いママ達に混ざり
娘を毎日公園に連れて行きました。
 
 
そして、公園仲間から
聞いて来た情報で
近くの公民館で
リトミック教室を兼ねた
子育てサークルが毎週金曜日に
やっていて、公園仲間の親子は
みんな行っているとの事。
 
 
それに連れていったら
どうかとの事でした。
 
 
その間、下の子は
見ているからと。
 
 
私が連れて行かないなら、
代わりに連れて行くからとの
事…。
 
 
選択肢はなく、
娘は行かなきゃ行けないんだ…
と思いました。
 
 
なら、私が行きますと
言いました。
 
 
子育てサークルに行き、
広い公民館で子ども達と
踊ったり、自由に遊んだり
親同士の交流をしたり、
という場でしたが、
我が娘は一切私の膝から
離れる事はなく、
その、サークルはまたまた
ストレスになりました。
 
 
どうして、この子は他の子と
遊べないの?
 
 
他のお母さん達とも
交流も出来ません。
 
 
今、思えば当然です。
娘は繊細なHSPであり
そんな、新しい場ですぐに
馴染むはずもなかったのです。
 
 
 
次回、
 
 
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