人生振り返り物語 元不登校児の娘の幼少期編⑤ | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ娘の不登校児だった
娘の事について
書いて行っています。
 
 
少しでも、今現在、不登校児の
お子さんを持つ
お母さんへの励みになればと
思います。  
 

娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 

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【 我が娘がいない 】

 
我が娘、幼稚園に入園しました。
 
 
 
 
 
 
そこで、私にも初めてのママ友が
出来ました。
 
 
その時のママ友はいまだに仲良く
しています。
 
 
年少で初めての先生との
個別懇談会の日、
順番待ちの教室の廊下に
先生が待ち時間つぶしに
作ってくれた、普段の子ども達を
撮りためたアルバムが
置いてありました。
 
これはありがたい!
 
 
普段の我が子の様子が見られると
ワクワクしてアルバムを
見ていたのですが
めくれど、めくれど
我が子は映っていないのです。
 
 
たった1枚だけ、
先生がクラス全員の子の
1人ずつ撮った、
お昼寝の寝顔写真
だけありました・・・
 
 
それ以外の写真では
他の子どもたちは
水浴び、砂遊び、遊具で
楽しそうに肩を組んでみんなで
ピースサインしている物が
何枚も映っいいるのに。
 
 
年中の個別懇談会の時は
みんなの輪の中に
自分から入れない。
 
先生や他のお友達がおいで、
一緒に遊ぼうと誘ってくれると
嬉しそうに入れるのに。と。
 
もっと自分から
お友達の輪の中に
入れるようにならないと、
と言われました。
 
 
まだ、大学出たての先生に・・・
 
 
「そーですよね、
そうなるってくれると
いいんですけどね」
と言いながら
 
 
別に入れなくてもいいじゃん。
性格はみんな一緒じゃないんだから、
毎回先生誘ってあげてよ。
 
 
すでにその時は思っていました(笑)
 
 
幼稚園の頃の写真を見ても
思いっきりの笑顔の写真が
ありません。
 
 
今、娘に聞いても
幼稚園は全く楽しくなかったそうです。
 
 
今、思えば当然です。
娘は繊細なHSP気質であり
大勢を苦手とする気質で
初めての集団生活は
苦痛だったと思います。
 
 
 
次回、
 
 
 
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