人生振り返り物語 元不登校児の娘の幼少期編⑥ | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ不登校児だった
娘の事について
書いて行っています。
 
 
少しでも、今現在、不登校児の
お子さんを持つ
お母さんへの励みになればと
思います。  
 

娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 
 
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【 子育て中の淋しさ 】


義両親は相変わらず週末は
孫を遊びに連れて行くのを
楽しみにしていました。
 
 
息子が生まれて、
1歳くらいになると、
義両親と娘(3歳)と息子(1歳)、
と4人で遊園地や水族館に
動物園など出掛けて
行くようになりました。
 
 
たまに私も一緒に
誘われるようになり、
近くに住む主人の姉と
息子の同い年の甥っ子(1歳)と
6人でも出かけるようにも
なりました。
 
 
 

 
 
息子が生まれて
私のストレスは
少しだけ和らいだように
思います。
 
 
子どもが一人だけだと
取り合い(笑)になります。
 
 
義両親はそんなつもりはないと
思いますが、とにかく私は
自分に自信がなく
嫁に来ても、なんとなく私一人が
よそ者の気がして、唯一
子どもだけは血のつながった
私の身内だったのです。
 
 
相変わらず娘は
おばあちゃん子で
いつも義両親と一緒にいたがり、
ご飯も義両親と食べたがりました。
 
 
せっかく食事を作っても
向こうがいい、向こうで食べたい
と泣きました。
 
 
親が作ったご飯を食べてくれない。
 
 
私は悩み、その時、
二世帯同居で食事は別でしたが
私が作り、義両親と一緒に
食べるようにしたら
娘は私の手料理を食べてくれる
かしらと真剣に悩みました。
 
 
私は自分の悩み事を
人には言わず
じっと耐える性格でした。
 
 
実家の親にも、このストレスは
言えず、1つだけ聞いた事は
娘が食事を義両親達と食べたがり、
私の作った食事を食べてくれないから
今後、私が作るから
食事は義両親と一緒にしようかと思うと
相談しました。
 
 
実家の母は
今後いつでも一緒に
食べ始める事は出来るから、
今から一緒に食べなくても
いいんじゃないの。
 
食べたいものが違うから
お互い気を使うだけだよ。
 
辞めたくなっても辞めれないよ。
 
 
と言いました。
 
 
今思うと、その答えは
大正解の答えでした。
 
 
 
 
次回、
元不登校児の娘の幼少期編⑦へ続く。 
 
 
 
 
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