人生振り返り物語 元不登校児の娘の幼少期編⑦ | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ不登校児だった娘の事、
私の自己価値が低くて
他人軸であったストレスだらけの
人生を振り返っています。
 
 
少しでも、今現在、不登校児の
お子さんを持つ
お母さんへの励みになればと
思います。  
 

娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 
 
✴︎*☆〜✴︎*☆〜✴︎*☆〜

【 嫉妬 】


よく近くに住む主人の姉は
子どもをを連れて
遊びに来ていました。
 
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私は複雑な思いがありました。
 
 
主人の姉の事は
年齢も同じくらいで話も合い、
姉というより友人のような感覚で
大好きでしたが、
嫉妬心のようなものがありました。
 
 
それは、親の近くに暮らし
自由に実家に行き来することができ、
何かあれば親に助けてもらえたからです。
 
 
私はというと、
なぜか実家に帰ることを
遠慮して、車で20分くらいの
距離でしたが
実家に行ってくるからというのが
言い辛かったのです。
 
 
嫁に来た者が
実家にしょっちゅう帰っては行けない、
という思い込みです。
 
 
(そして、毎回出かけるたびに
〇〇へ行ってくるから出かけますと
いちいち言って出かけるのが、
束縛が嫌いな私にとってはとても
苦痛なことでした)
 
 
その勝手に自分で作った
思い込みが自分自身を苦しめ
そのストレスが自由に実家に
行き来できる姉への嫉妬心に
変わっていました。
 
 
私は勝手に自分で思い込んだ枠に
勝手に自分で苦しんでいました。
 
 
そして、その頃、主人の仕事は
とても忙しく、中国へ行ったり来たりで
ほぼ母子家庭での主人の親と同居
状態でした。
 
 
義両親も小さい子どもを
2人抱えている私を不憫に思い
仕事が忙しい主人に代わり、
さらに輪をかけて
私たちの生活に入って来ました。
 
 
そして、義両親は
週末には2人の子どもを連れて
出かけて行きました。
 
私はその週末の寂しさと、
日ごろのストレスを
なんとか解消しようと
友人の紹介でネイルスクールへ
通うことを決めました。
 
 
次回は私のネイリスト時代のお話です。
 
 
 
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