人生振り返り物語 元不登校児の娘の小学生編① | 愛知 名古屋 岡崎 不登校、引きこもりの我が子の未来が最速で拓く方法

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娘が中2で突然不登校になりました。不登校と引きこもりの4年間を振り返ってみると、全ては母親のマインド1つである事を確信しました。いい母親になろうとすればするほど、子どもを追い詰めていました。我慢は辞めて私が自分らしく生きる事が一番の改善策だったのです。

 

こんにちは。

 

 

 
 
櫻井雅子です。
 
 
 
少しずつ不登校児だった娘の事、
私の自己価値が低くて
他人軸であったストレスだらけの
人生を振り返っています。
 
 
娘が生まれ、これが私の
ストレス人生の始まりでした。
 
 
でも、この時はまだまだ
このストレスが数年後
大変な事になるとは
思いもよらず…
 

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【 幼稚園より楽しい 】

 
娘は小学校へ入学しました。
 
 
 
 
幼稚園から仲良くしていた
女の子と同じクラスでした。
 
 
担任の先生は女の先生で
とても厳しくて
有名な先生でした。
 
 
その厳しい先生が、
いきなり1年生の担任を
受け持っていいのかと
父兄から声が上がるほど
厳しい先生でした。
 
 
宿題や授業はきっちりやらせ、
出来ない子は厳しく叱る。
 
 
真面目な娘には
その先生が合っていました。
 
 
キチンとやる事はやり、
授業もちゃんと先生の話しを
聞いて、字もキレイで
懇談会ではよく褒められ
ました。
 
 
娘は、その先生が好きなタイプの
子どもだったから。
 
 
HSPの娘にとっては
とても安心安全な場だったのです。
 
ちゃんとやる事をやれば叱られず
褒められる。
 
 
そこで植え付けられた
自分の生きる術は
中学では、安心安全な場所で無くなり
生きる術が全く
通用しなくなる日が来る事を
知らぬまま、優等生の娘の
小学校生活が始まりました。
 
 
幼稚園とは違い、
褒めらせる事がとても多くなり
娘は褒められる事が
自分の価値だと
思い込んでいきました。


娘は自主性を求められる幼稚園より
やる事だけきちんとやって褒められる
小学校の方が楽だったのです。
 
 
小学生までは
褒められるネタが沢山あったので
よかったかもしれません。
 
 
しかし、褒められるネタが
無くなった時…
どうなるんでしょうか…
 
 
 
次回は元不登校児の娘小学生編②小学生編②
へ続きます。
 
 
 
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