日経新聞の攻め方教えます
Amebaでブログを始めよう!

大理石とシャンデリアのヤマトホテル 満鉄の旅

大連のヤマトホテルにて



 中国の東北地方へ旅行した経験を書いています。
旧満鉄が経営していた、大連のヤマトホテルに宿を取り、ホテル内をブラブラして、お茶でも飲むか、と「喫茶・スナック」の看板がある店に入りました。


すると、驚いたことに、ここにも玄関ホールと同じく、大理石の天井と壁があり、大きなシャンデリアが飾ってありました。広さは、7-80平米くらいでしょうか。


L字型のカウンターがあり、内側にコーヒーサイフォンや洋酒、グラスが並び、あとは数人ずつが座れるボックス席が3つ、小さなステージもあります。


見るからに、日本の都市郊外や地方都市にある、小さな喫茶&スナックのようですが、やはりよく見ると、大理石とシャンデリアが・・・あまりのギャップの大きさに、クラクラしてきました(笑)



喫茶店からスナックへ変身



気を取り直して、窓際のボックス席に座り、コーヒーを頼みます。中国は他のアジアの国と同じく「お茶の国」ですが、ちゃんとまともなドリップコーヒーが出てきました。(ちなみにインドでは、今でも一流ホテルでさえ、ネスカフェが堂々とでてきます)


ホテルは人民広場という円形の大きな広場の一角にあり、回りにもかつての日本が建設した石造りの立派な建物が並んでいます。


夕暮れにたたずむ街並みを見て、ひととき旅情に浸っていました。。。すると、なにやら店内があわただしくなってきました。


3人ほどの女性スタッフがいたのですが、後片付けをして、帰り支度の様子。店じまいなのかな?と思っていると、今度は、少し派手な服を着た女性たちがバラバラと入ってきました。


「どうしたのか?」と聞くと、「今からスナックタイムになる」とのこと。日本の喫茶&スナックの場合、単に店の照明やメニューが時間帯で変わるだけですが、ここは、経営者そのものが入れ替わるのでした。したがって、雇っているスタッフもすべて交代します。


あれよあれよと、一気に若い女性が10人以上も店内にあふれました。



ノーメイクの元日系OLママ



そういうつもりはなかったので、帰ろうとすると、1人の女性が、「そのままいても構わないよ」と滑らかな日本語でいうので、また腰を落ち着けてしまいました。


30歳前後で、ノーメイク。他に比べてやけに地味だな、と思っていたら、なんとこの人が店のオーナー兼ママさんでした。


昨年まで大連の日系企業にOLとして勤務していたが、縁あってこの店の権利を買い取り、水商売の経験ゼロのまま、ママになったのだとか。


「面白いなあ」、と思ったのが、運のつき。
この日から3日間、彼女とずっと過ごす羽目に陥ります。
(ベッドは別。念のため。笑)


現地で見たベトナム経済のパワー

こんにちは、伊藤雄一郎です。

前回、フェイスブックの記事を書いたら、知人から「友達申請」がたくさん来ました(笑)読者の方でも、もしよかったら、申請してください。


戦争のイメージだったベトナム


正月にベトナムに行ってきました。
南部のホーチミン(旧サイゴン)です。

ベトナムというと、私の中では、<ベトナム戦争>のイメージがとても強くありました。「お茶の間で見ることができた初めての戦争」といわれるように、米軍がメディアにオープンであったため、マスコミを通じて戦争の悲惨さが伝えられたことが大きかったと思います。小学生だった私は、ただただビックリしていました。

それもあって、今回も、開高健が従軍記者だったときに泊まっていたマジェスティックホテルを予約し、南ベトナム大統領官邸だったホワイトハウスを最初に見学するなどの予定を組んでいました。

ところが・・・


津波のようなモーターバイクの大群



街に着いて仰天したのは、ハエの如く道路を走り回るモータバイクでした。100-150CCクラスの小型(原付バイク)ばかりが、ウジャウジャ。
通り一杯を占拠して、一斉に押し寄せてくるさまは、まるで津波のよう。

その昔(20年以上前)、初めて中国に行ったとき、自転車の大群が襲ってくるように感じて、驚きましたが、今度はバイクなので、騒音とスピードも加わっています(笑)

そのうるさいこと、臭いことは、はなはだしく、さらに、チョコマカ動くので、危ないこともこの上ありませんでした。都心でも信号があまりないので、大通りを横断するために、神経をすり減らし、瞬発力を発揮しなければなりません(笑)

現地では、これが自家用車の代わりなので、1人ではなく、2人、3人が一緒に乗って、郊外から1時間以上かけてやってきます。「ホンダは素晴らしいが、値段が高いので」と、現地メーカーのバイクに、ホンダのステッカーを貼っているのが流行のようです。

モータリゼーション(自動車が大衆に広く普及し、生活必需品化する現象。
自動車中心の社会化)の初期段階にあることがよくわかりました。


大きな可能性を秘めている


もうひとつは、繊維製品の品質の高さです。

お土産物として、ワゴンに山積みになっている観光客用Tシャツを買ったところ、とても肌触りがよく、厚みもありました。数々の途上国で、粗悪品のTシャツをつかまされきた(!)私としては、驚きでした。

ユニクロなどアパレルメーカーが、ベトナムに工場進出しているニュースは耳にしていましたが、土産物でこれだけのクオリティを出せるなら、世界一品質にうるさい日本人向けでも十分でしょう。

また、「午前中に英語学校へ通い、午後からここで働いている」とキラキラした瞳で話したホテルレストランの20歳ウエートレスの笑顔も忘れられません。アメリカとの戦争は過去のこととして(まだ枯葉剤の影響があるそうですが)、豊かさを求めて疾走する現在のベトナムの姿をあらわしているようでした。

これらを目の当たりにして、「BRICSの次にくる国」として、ベトナムが注目されている理由を実感しました。人口が9千万人もいて、平均年齢25歳というのも強みです(日本は1億2千万人、45歳)。世界で唯一アメリカに勝った根性と粘り、団結力が経済に向けられれば、相当の地位を獲得できるでしょう。

ベトナム株は、いまだリーマンショックから中々立ち直れていないようですが、投資先として十分に注目すべきと感じました。


(次回はカンボジア)



フェイスブックの映画からみえたもの



じつは青春映画だった


話題の映画「ソーシャルネットワーキング」をみてきました。

まもなく登録者が207カ国、6億人に達しようという世界最大のSNS
「フェイスブック」が誕生した裏側を描いています。私としてはドキュメ
ンタリーを期待したのですが、そこはエンターテイメント。事実を基にし
たフィクションで、創業者マーク・ザッカーバーグ(まだ26歳!)が旧
友から訴えられた2つの裁判を軸に、友情・エリート主義・裏切り・PC
オタク・欲望の渦巻く<青春映画>でした。

それにしても、フェイスブックのきっかけが、ハーバード大生時代に、GF
にフラれて、酔って腹いせに作った女子学生比較サイトだったとは・・・。
モテたい、友達がほしい、大学のブランド信仰など、人間の欲求を上手に
ビジネス化した(本人が何よりほしかった)サービスだとよくわかります。

(余談ですが、映画は、ベンチャービジネス・アイビーリーグ・ITなど
の専門用語がマシンガントークの中で飛び交うので、そこそこ基礎知識を
備えていかないと、ストーリーについていけず、チンプンカンプンかも)



MXI・GREE・フェイスブック



私はちょうど1年前にフェイスブックに登録しました。
とはいえ、使いまわしているとはいいがたいので、サービスの是非につい
て、まだ偉そうにはいえません。ただ、海外に住む友人との連絡には便利
です。会ったことのない外国人の知人もできました。

実名登録が必要なので、いまだプロフィールなどの詳しい情報はあまり詳
しく書いていません。様子見といったところでしょうか。それでも、最近
は国内の友人が名前を見つけて、友人申請をしてくることが多くなりまし
た。日本でも市民権を得つつあるのでしょうか。

自分のSNS履歴を振り返ってみると、04年ごろ、MIXIとGREEに登録。
当時はまだ両方とも登録者が50万人程度でした(現在は、2500万人)。
軟らかいテイストで軽いコミュの多いMIXIを「遊び用」に、固いGREE
を「ビジネス用」(情報交換・勉強会など)に、と使い分けていました。
両方とも、爆発的に登録者が増えたころ、参加者の質が変わって飽きて
しまい、現在は放置したままになっています(笑)

神楽坂にオフィスを移転したので、06年からMIXIで「神楽坂食べ歩きの会」
を主催したところ、思いがけず人気を呼び、1200人も集まりました。
毎月1回、私がお店を選んでオフ会を催し、早い者勝ち20人で食事を楽し
んでいました。(今日時点で1356人)

神楽坂のあちこちの飲食店で、「(私の)コミュでの紹介文をみてきた」
という客が増え、お店から感謝されたこともあります(笑)。他人が一緒
に食事をして仲良くなる、お店に客が増えるというSNSのパワーを実感
しました。

MIXIは出会い系事件が起きたりという問題もありましたが、フェイス
ブックはこれらの現象が世界規模で起きています。スゴイことだ!


フェイスブックのパワーと影響力




フェイスブックが今注目されるのは、単なるネットサービスの1つでなく、
グーグルと同様にすべてのサービスの入り口になる=インフラになる可能
性を秘めているからです。一時は「検索」で世界の情報の覇権を握ると思
われた、グーグルの強力なライバルなのです。

SNSだけでなく、メール・検索・HP・ブログなどを飲みこんで、あたかも
1つの<社会>を形成してしまうかもしれません。「中国・インド・フェイ
スブック」といわれるのは、人口の巨大さに加え、なんでもあり、自給自
足できてしまう、巨大国家に匹敵するパワーを持ちつつあるからです。

日本のフェイスブック登録者はまだ180万人で、人口の割に他国に比べ
かなり少ない。SNSでも身内で固まりたがる、あいまいが好き、若者中
心という日本人にどこまで受け入れられか未知数ですが、無視はできなく
なってきました。

それにしても、マイクロソフト以降、ヤフー、アップル、グーグル、フェイ
スブックと次々に登場してくるIT企業・サービスは、すべてアメリカ発です。
クラウドコンピューティングもそうですね。

アメリカのダイナミズムに敬意を払うと同時に、なんでもアメリカナイズ
されてしまっていいのかなあ、個人も企業も重要な情報を依存してしまっ
ていいのか、日本はなんでも手足だけか、と漠然とした不安も強く感じつつ
あります。

皆さんはいかがですか?

清王朝と満州国を歩く

夏休みは、中国の東北地方へ旅行しました。

最近、中国の歴史に興味を持っていて、いろいろと本を読んでいたため、私のクセで、つい自分の目で現地を確かめたくなるのでした(笑)

成田から飛んだのは、まず瀋陽(遼寧省)。

かつて奉天と呼ばれていました。

中国の近世を支配した王朝である清は、当初、ここに首都を築きました。

なぜなら彼らは中国の大多数を占める漢民族ではなく、東北地方にもともと住まう満州民族(女真人)だったからです。

それ以前に金という国を建てたことがありますが、その後は分裂していたのを、17世紀に「ヌルハチ」(姓は、愛新覚羅<アイシンギョロ>と読む)という英雄が出て、民族を統一、新王朝を始め、瀋陽に都を置きました。北京に攻め込んで、中国全体を治めるようになったのは、第三代皇帝のときです。そのため、初代と二代の皇帝のお墓は瀋陽にあります。

○張作霖・張学良の豪邸

北京に故宮(紫禁城)という有名な王宮がありますが、瀋陽にはその前に皇帝がいた「瀋陽故宮」があります。

巨大な北京のそれに比べると、規模はささやかではありますが、質実剛健を思わせる宮殿が並んでいました。半農半猟という満州人(モンゴル人は全猟)が弓矢と馬を持って、満州の大草原や朝鮮半島との国境の山地を駆け回り、広く支配地を広げていった姿がしのばれます。

ちなみに、満州というのは、女真人が「文殊菩薩」(仏教)を信仰していたため、自分たちを「マンジュ」と呼んだことに由来するそうです。

瀋陽はまた、近代になって、軍閥の張作霖・張学良一族が支配した地でもあります。日本史で習った、張作霖爆殺事件はここで起きました。日本の関東軍が邪魔になった彼を暗殺し、のちの満州事変につながっていきます。

張一族の邸宅をみたのですが、これが驚くべきことに、ヨーロッパ風の大理石を積み上げて造られた3階建ての洋館でした。よくもまあ、昭和の初期に、中国の奥まった場所に、こんなおしゃれな家を造ったものだと感心しました。今でも十分プチホテルか結婚式場として使えそうです。よほどの権力・財力を持っていたことがうかがえます。

○日露戦争の舞台でもある

瀋陽はかつて奉天とも呼ばれ、日露戦争(明治時代)の陸地での雌雄を決した、奉天会戦の場でもあります。最近、NHKドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)で話題になっています。とにかくだだっ広く、昭和初期の日本人が開拓の希望に燃えて、わざわざ移民してきた気分が少しわかるような気がします。(植民地を肯定はしませんが)

現在は工業都市として発展しており、人口は800万人もいます。

瀋陽駅の混雑は半端ではなく、タクシーの奪い合いにエネルギーを消費しましたが(笑)、

ロシア(当時ロマノフ王朝)が敷いた東清鉄道(のちの南満州鉄道)にのって、かなたまでひろがる草原を眺めていると、ツワモノどもの夢のあと、という感慨が湧き上がってきました。

特急列車は4時間かけて、大連に向かいます。

(つづく)

事業仕分けルポ

▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
・・・6月1日夜、「デモクラット倶楽部」発足記念セミナー開催!・・・

講演者:枝野幸男(行政刷新担当大臣)
    長田貴仁(神戸大学大学院経済経営研究所フェロー)
開催日時:6月1日(火曜日)18時30分~21時
場所:TKP大手町カンファレンスセンター
詳細・申込みはこちら→ http://democrat.jp/member/seminar.html

<4月26日付 産経新聞で取り上げられました!!>
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲

★今日のテーマ★
「事業仕分けルポ」


こんにちは、伊藤雄一郎です。
しばらくご無沙汰していました。

○初日から2時間待ちの行列

枝野幸男・行政刷新担当大臣らによる、「事業仕分け第2弾」に行って
きました。

 そぼ降る雨の中、東京・日本橋の会場には多くの一般入場者が傘を指し
道路にはみだしてまで行列を作り、空席ができるのを待っています。最
大2時間待ち。いかに税金の無駄遣いに怒っている国民が多いか、この国
の行く末を憂慮する熱心な人々がたくさんいるか、を実感できました。


 前回の事業仕分けのときは、当初は関心も低かったため、すんなりと入
場することができ、テレビなどの報道によって話題になるにつれ、次第に
行列が長くなり、最後は2時間待ちにまでなりました。それに比べると、
今回は2度目ということもあり、むしろ初日が一番注目され、混雑もして
いました。

○相変わらずの官僚答弁

前回は広い体育館を間仕切りで仕切っていたため、天井が高く広々とし
ていましたが、今回は普通のオフィスビルの会議室とあって、天井も低く、
そこに官僚、マスコミ、仕分け人、一般傍聴者ら合計200人もぎっしり
と詰め込まれていたため、立錐の余地もありません。エアコンを効かせて
いたようですが、テレビカメラの放熱もあり、かなり暑苦しかったです。

 警備が厳重になっており、私はバッジをつけているのに、カメラ撮影し
ていると、SP、警備員、内閣府の職員などからいちいち声をかけられ、
閉口しました。じっと立ち止まってビデオ撮影するような余裕、場所はま
ったくなく、とりあえず写真撮影のみ行ないました。

仕分け人VS官僚の論争は、今回も熱く繰り広げられ、聞きごたえのある
議論が多かったと思います。それにしても、どこの団体も、いわゆる「官
僚答弁」がとにかく多く、組織の理念や目的などを延々と述べる点は、う
んざりしました。本質的な議論になかなか入れない、質問に関係のない答
えをいってはぐらかすなど、公務員という人種はこのようにして保身をつ
づけてきたのだな、と納得しつつ、そこに税金が大量に投入されてきたこ
とに怒りを覚えました。

○事業仕分けは始まったばかり

内容の詳細はマスコミ報道に詳しいので省略しますが、前回が話題にな
ったわりには、それほど予算削減をできなかったのに対し、今回は独立行
政法人などにたまっていた剰余金などを1兆円以上国に返還するよう求め

ることができ、相当な金額的な成果を収めたといえるでしょう。これから
も繰り返し「事業仕分け」の作業を続けて、どんどん無駄なぜい肉をそぎ
落としてほしいと感じました。まだまだ始まったばかりなのですから。

 なお、事業仕分けを担当した枝野大臣を講師にお招きして、6月1日に
セミナーを開催します。詳細は、こちらをご覧ください。外からはわから
なかった、事業仕分けの裏側、官僚との暗闘、これからの民主党政権の行
方などを、熱く語っていただきます。


★もっと読んでみたいと思った方は、こちらへ
⇒ http://democrat.jp/member/index.html

<事業仕分け>を見学してみた

学生時代にお世話になった、田英夫・元参院議員が亡くなりました。
思えば私が関わった、初めての政治家でした。
マスコミの大先輩(共同通信記者、TBSキャスターだった)でもありました。
菅直人副総理や江田五月参院議長の元ボスでもあります。
謹んで、ご冥福をお祈りします。。。




誰でもすぐ見れる予算の検討会


話題沸騰中の行政刷新会議による「事業仕分け」をみてきました。
オフィスのある神楽坂から近いので、ランチのあと、ぶらぶら出かけました。
予約はいりません。


東京都心ながら不便な場所(市ヶ谷駅から歩20分)にある会場は、体育館を
パーテーションで3区間に間仕切りしただけで、まるで殺風景な高校の文化祭の
研究発表会場、といった趣。


その中を、ダークスーツの中年男性ばかりが書類を抱えて行き交います。
同行した20代女性アシスタントがやけに目立ち、皆が振り返っていました(笑)


入り口でボディチェック、荷物検査があった以外は、簡単に入場でき、議論
を聞き取りやすいようヘッドホンを貸してくれました。
そういえば、あるはずの免許証などのチェックもなかったな?
配られたA4版100ページの資料集がずっしり重い・・・


報道陣がやけに多く、1社数人ずつで、ずっとウオッチしているようです。
同様に一般見学者の席もいっぱいで、毎日500人が詰め掛けているとか。今回
はあいまいな立場で出かけたので、しばらく待って、やっと座れました。




かみ合わない議論も


はじめ、厚生労働省の独立行政法人についての検討会をみました。
聞きたいテーマを選んで、勝手にそのブースにいけば、傍聴できます。


企業年金の普及促進費(23億円)、年金の広報経費(2億円)が議題に載って
いました。


厚労省担当者が目的や内容を熱心に説明するのですが、「必殺仕分け人」た
ちはあまり聞いていないようで、「補助金を出しているのに、それらの団体
に厚労省から天下りがあり、役員数が多すぎる」などと指摘。なんだか議論が
かみ合っていない気がしました。


「結論ありきではないか」との批判がありますが、このあたりチェックポ
イントを最初から決めてかかっている面もあるようです。
参謀である財務省のアドバイスか?


結論は、前者が「3分の1の予算縮減」、後者が「廃止」と厳しい内容。
すぐに出入口近くの一覧表に、黒マジックで結論が手書きされていきます。
1時間であっという間に、一巻の終わり?




役人のズレ、丁々発止の議論


次に、法務省の裁判員制度の啓発促進(1億円)について。


「ここ数年、ずっと全国各地でポスター掲示や説明会をしてきて、認知度が
高まった」と役人が実績を強調すると、
仕分け人が「じゃあ、もう十分でしょう」とあっさり指摘。


「いやいや、まだ参加に消極的な人が多いので、続ける必要があります」


「でも同じことをしていても、これ以上効果がないのでは?裁判員候補者への啓発な
どは考えているのですか?」


「次の手はとくに考えていません・・・」


このあたりの丁々発止のやりとりは見ごたえがありました。PRに詳しい人間と
しては、つい、手を挙げて意見をいいたくなってしまった(笑)


結論は「予算計上見送り」。少なくとも来年はやらなくていい、ということです。
いったん始めると何も考えずに続けようとする役人の習性が垣間見えました。


それにしても、全国5千のビデオレンタル店に裁判員制度の紹介DVDを置いて
いるとは知らなかった。私もレンタル店はちょくちょく行くのですが、はたして
エンタメを楽しむために来た客が、裁判員のDVDを見るでしょうか?
このあたり、役人の感覚が世間とずれているようです。




オープンな議論が改善を生む


今回はちょっと覗いただけですが、なかなか楽しめました。
自分の払っている税金の使い道について、権力者同士がしのぎを削るショーと
みることもできます。テレビ局が喜ぶわけだ。


同行女性は「テレビでは派手にやりあう場面ばかりでしたが、実際は落ち着いた
議論が多いのですね」と感想を話しました。


誰かがどこかで勝手に決めていた国家予算について、こうしてオープンに目の
前で議論するのを見ることができるのは、とても有意義です。これだけでも政権
交代の意味はあったかも?


インターネットの生中継もあるので、興味ある方はご覧になってはいかがでし
ょうか。常に1-2万件のアクセスがあるそうです。


(ライブ中継サイト) 次回は24-27日の4日間です
http://www.cao.go.jp/sasshin/oshirase/live.html

「ウイグル騒動の根本的な原因」

訪れたばかりのウルムチで大惨事





中国でまたも民族紛争が火を噴きました。

新疆ウイグル自治区の中心・ウルムチで、ウイグル人がデモをおこなったのに対し、警官隊が発
砲、すでに100人以上の死者が出たと報じられています。最悪の犠牲者数になってしまいました。



ちょうど5月の連休に、ウルムチやトルファンなど自治区内のシルクロード各地を訪問、砂漠のオ
アシス都市に歴史をたずね、ウイグル人の友人もできたばかりだったので、とても驚いています。



現代の日本人にはなじみのない地域ではありますが、かつては仏教伝来のルートであり、三蔵法師
やマルコポーロもとおり、ペルシャやローマからの珍しい品々がラクダの背中に乗ってここを通
過、はるばる奈良や平安の都に届いた、日本の歴史に深く関わってきた土地なのです。



今回の発端は広東省のおもちゃ工場で、出稼ぎウイグル人グループが漢人とトラブルになったこ
と、といわれていますが、どうして遠い広東省の問題がウルムチで暴動になるのか、私なりに考え
てみました。



みせかけの繁栄と裏に潜むモノ



 

 天山山脈を目の前にするウルムチは、砂漠とラクダのシルクロードのイメージと違って、大都会
でした。空港は羽田空港なみの大型で、近代化されており、街には超高層ビルが立ち並び、私が泊
まったホテルは、すべての部屋がネット接続無料、洋風レストラン、朝食バイキングブッフェがあ
り、NHK衛星放送もテレビでみれました。東京のホテルとまったく遜色ありません。



ハイウエイはきれいに舗装され、ドイツ車、日本車がわんさか走り、商業ビルではなんでも売って
いました。



こちらは旅行で出かけたので、「なんだかなあ・・・」と勝手な期待を裏切られた(?)ような気
がしましたが、今回の事件を聞いて、もしかすると、ウイグルの人たちもずっと「この見せかけの
豊かさは違うんじゃないか?」と心の奥で思っていたのではないか、と感じました。



新疆ウイグル自治区は歴史上、さまざまな国の支配を受けてきました。吐番(チベットの前身)、
西夏、そして清(中国の前身)。しかし民族はトルコ系のウイグル人であり、中央アジアを遊牧し
て暮していた人たちです。学校では北京語を習いますが、ウイグル人同士はウイグル語(アラブ語
の親戚で、ミミズののたくったような文字)で話します。



東トルキスタン共和国という国を20世紀初めに築いたことがありますが、すぐにロシアと中国につ
ぶされました。(西トルキスタンは現在のガザフスタンなど)漢民族中心の中国に入りたかったわ
けでもなく、チベット同様、仕方なく中国に組み込まれたといえます。



最近のウルムチへの漢人の流入はすさまじく、それは高速道路や飛行機によって、大量の物資と一
緒に北京や上海からやってきて、ウイグル人はどんどん民族固有の習性・独自の文化を失っている
ようでした。



中国の1人っ子政策は有名ですが、少数民族のウイグル人も「子供は2人まで」と決められていま
す。人口爆発は漢人の問題だと思うのですが。



豊富な資源が問題を複雑化





ウイグル人はまたイスラム教徒です。見た目は日本人と変わらない人も多いですが、金髪であった
り、目が青かったり、ヨーロッパとの混血を思わせる人も大勢います。



馬で羊を追って暮していただけに、ナイフは魂(日本でも刀が侍の魂で、いくさがなくあっても帯
刀していたように)であり、男はいまでも必ず立派なものを身につけています。今回死傷者が多数
出ているのも、ナイフを常に所持していることもあるかもしれません。



私もガイドから「ぜひナイフを土産に買っていけ」と強く勧められ、商店街の専門店に連れて行か
れました。(ウルムチ空港で没収された。笑)



日本人の感覚では、「そんな面倒があるなら好きに独立させればいいじゃないか」といいたくなり
ますが、ここで困ったことに、新疆ウイグル自治区は中国の石油の一大生産地なのです。



砂漠のあちこちで、油田が発見され、それを採掘するために漢人の労働者がたくさん増え、その人
たちを客にしようとまたさまざまな商品・サービスをもって、漢人がやってくる、という図式なの
です。いまや石油の輸入国になっている中国にとって、そうやすやすと手放せるわけがありませ
ん。おまけに中華思想というプライドの高い国民ですから。



本来なら自分のたちの財産のはずが、漢人が掘って、持って行ってしまう、反対に自分達は出稼ぎ
に行かねばならない。矛盾を感じるのは当然でしょう。



そういえば、ウルムチ空港で、エレベーターにうまく乗れないオジサン・オバサン、集団で1人を
見送りに来て大騒ぎしているウイグル人をみかけました。おそらく遠くの田舎からでてきた人たち
なのでしょう。この人たちにとって、豊かさとは、誰のため?誰のものか?といいたくなるでしょ
う。



沿海部ばかりが急速に経済発展するひずみ、中国政府(漢人主導)の強引な同化(少数民族を漢人
に合わせさせる)政策は、とても大きな危険をはらんでいるようです。中国政府は、相変わらず即
座に報道規制をしいて、ユーチューブの画像を片端から削除したり、新華社通信の<大本営発表>
でなんとか小さな騒ぎと印象付けたいようですが、なかなか収まらないかもしれません。



PS 興味のある方は、「流砂の塔」(船戸与一著)を読んでみてください。
  ウイグル問題を小説に仕立て上げ、読みやすく面白いです。


新型インフルにみる情報の伝わり方


東京でもマスク姿が目立つように





メキシコに端を発した、新型インフルエンザの流行が爆発的に広がってき

ましたね。東京でもマスクをして歩いている人が増えてきました。



これまでにないタイプのインフルエンザであること、高校生が多く病気に

かかっていることなど、新しい病気ということで、パニックになっています。



とはいえ、死者が続出しているわけでもなく、あまりに騒ぎすぎです。



よい機会なので、今の時代の情報の伝わり方について、少し考えてみました。






受身、Mタイプの日本人







私は日ごろから、「日本人はMタイプであり、受身の姿勢、もっといえば

いじめられるのが好きな国民」とみています。また穏やかな社会なので、

変化(衝撃)に弱いとも。



海外50カ国以上歩きましたが、これほど豊かで平和であるにもかかわらず、

自分に自信のない(誇りを持っていない)国民はいないからです。



自らの出身地を語るとき、たいていの国では、「俺のところはこんなにす

ごいんだぜ。あれもこれもウチの名物さ」と、とどまるところを知らない

<お国自慢>が始まります。



しかし日本では、なぜか故郷を語ることが恥ずかしいかのような口調にな

ってしまい、隠そうとうする人さえ珍しくありません。



「こんな田舎でみっともない、特徴がなにもない」などと卑下してしまい

ます。一歩譲ったレベルである、謙譲の美徳はすばらしいことですが、行

き過ぎて、卑屈、自信のなさまで落ちています。



アジアはもちろん、世界中で日本を賞賛する国はとても多いのに、どうし

て自分達が一番自分の悪口をいうのだろう、と不思議でなりません。




メディアの罪





高速大量輸送時代で、病原菌も人に乗って、アッというまに広がりますが、

メディアの発達・インターネット時代になって、情報もまた、あっという

間に伝播するようになっています。



メディアはその国民の鏡ですから、やはりMタイプであり、いじめられる

のが好きです(笑)日本のマスコミほど、日本の悪口を言うところはない。

(たとえば、不況なのはわかっているのだから、こういうときこそ前向き

の話をすればいいのに、横並びのマイナスのことしかいえない)



今回のインフルエンザの報道でも、テレビが大きな影響力を発揮しています。

はっきりしない、よくわからない時点では、じっと観察して取材を重ねて

おけばいいものを、無理にすぐ答えを出そうとします。



無理をするから、小さな話を騒ぎたてて、繰り返し報道したり、あちこち

の医者にデタラメにインタビューするので、どれが正しいのか、聞いてい

るとわけがわからなくなり、余計に不安になります。



厚生労働省のトンチンカンな対応の問題もありますが、マスコミのこうし

た姿勢もパニックを誘発する大きな要因だと考えます。



<週刊新潮>が冷静な特集を組んでいました。

「東京でもすでに大流行していたが、多くは気がつかずに治っているかも」

「日本が爆発的にみえるのは、検査機器や医療機関の報告が緻密なためで、

アバウトなメキシコとは同列に比べられない」(同感です)

「神戸の風俗嬢いわく、死なないなら、性病のほうがよほど怖い」

(きわどいポジションの人はしたたかで、冷静だ)

「大被害を予測できるわけでもないのに、経済活動を休止するのは愚か」

(大山鳴動して、ねずみ一匹、ということわざがありますね)



騒いで不安がっているのは、ふだん暇でのんきな、恵まれた人だけのよう

な気もします。皆さんはいかがお考えですか?


日経は電子新聞へ?

日経グループの一体化




 日経の中興の祖といわれる、円城寺次郎氏は、
「新聞はメディアのワンオブゼム」との考えから、新聞で集めた情報を、あち
こちで販売するビジネスモデルを構築しました。その結果、子会社は70あります。

私もこれを見習い、日経グループの総合力を使う、互いの資源を有効利用する
経営を心がけています。

これまで手がけたことでは、まず持ち株会社の設立です。
子会社をホールディングの下に集めて、持ち株会社で重要事項を決めることに
しました。そのため日経史上初めて、関連会社代表が経営会議に出席するよう
になり、スピード経営が可能になりました。

また以前は年に2回だった、連結グループ会社の経営数字の提出を毎月にしま
した。穴埋めが手遅れになった苦い経験によるものです。

7月には、日経BP社と日経ホーム出版社を合併させ、経営・技術+生活情報
の出版社として再出発させました。デジタルメディア局(旧データバンク局)
は分社、独立させました。 

マーケット情報を扱う「クイック」と数字をあわせると、100-150億円の
経常黒字が出る成長分野なので、どうやって統合するかを検討しています。





グローバル・メディアへの挑戦、ペーパー & ITへ




これからスタートすることは、2つあります。
A「グローバル・メディアへの挑戦」
B「電子新聞」
です。

Aについては、BRICSで拡大する日本企業向けともいえましょう。
いまは片手間の英字紙があるだけなので、本格的なメディアを研究しています。

たとえば、ネットの「日経インタラクティブ」をもっと拡大して、アジア版、
欧州版をつくるとか、海外現地の新聞との提携、TVメディアの中で日経発の
情報を流す、などです。

Bは、デジタルテレビで、毎朝紙面を読むスタイルで、予約した分野を読める
「マイ日経」などもありえます。課題は、3つほどあります。
・有料課金:4300円の新聞よりずっと安くする必要。2500円なら黒字可。
・広告収入の確保:広告代理店と相談
・双方向機能の活用

これらをクリアにして、09年中に電子新聞をスタートしたいと思っています。

新聞が基本であることに変わりはありませんが、これからは、<速報+分析・
解説>の力を高めていく必要があります。具体的には、「個人名で読者ファン
のつく記者を20人養成しろ」と現場に話しています。

これまでは、「ペーパー with IT」といってきましたが、今後は、
「ペーパー & IT」にしていきます。20年後には新聞が3分の1、デジタ
ルが3分の1、その他が3分の1の事業比率になっているでしょう。




●●「メディア対応はこうしなさい!
~山口明雄のメディアトレーニング・セミナー」●●

マスコミに上手に売り込むために!
記者会見、危機管理の練習に!

メディアに対して、自信を持ってのぞめるようになります。

<セミナー開催決定>
日時:4月22日(水)19時30分―
場所:リミテッドPR本社(JR・地下鉄飯田橋駅歩5分)
定員:15名  費用:2万円(税込)
特典:講師の本「マスコミ対応はもう怖くない!メディアトレーニン
グのすべて」を贈呈!(日本唯一のメディアトレーニング本。店頭販売なし)

詳細・申込はこちら→ http://www.limited1.jp/company/seminar/post_5.html

杉田・日経新聞会長その1:新聞は生き残れるか?

以前聞いた、日経新聞社の会長のお話を紹介します。
1回目は「新聞は生き残れるか?」。


日経の生き残りを模索


 トップになって取り組んだテーマは、
「日経をどう生き残らせるか」ということです。

具体的には3つあります。
・ネットの登場でメディアが多角化し、既存メディアは地盤沈下
・経済のグローバル化で企業の売上が海外にシフト、広告費が減る
・人口減や若者の活字離れが進む

 新聞の発行部数は、97年がピークで、現在は5300万部。毎年10-20万部へっており、これは県紙1つが毎年消滅しているのに等しい。

新聞広告日は、07年で9500億円で、毎年8-20%ずつへっています。

ネットの広告費は単価が安く、費用対効果がわかり、ターゲティングがしやすい特徴があり、すでに雑誌を広告を抜き、数年で新聞広告費も上まわりそうです。


2040年新聞消滅?



メディア王のマードック氏は、
「2040年に新聞はなくなる」
と予言しました。

トレンドはそのとおりですが、私はそこまで悲観的でありません。

海外との違いは、2つあります。
A・宅配率が高い
B・新聞の情報への信頼が高い

Aについては、日本は96%が宅配です。ただ、その分コスト負担も大きく、1つの新聞しか扱わない専売店制度が崩れ、異なる複数の新聞を1つの店で配る方向に行きそうです。

朝日、日経、読売の3社共同で、「ANY」という、ネット上で3社の記事を一度に読み比べられる事業を始めました。

これを契機に、朝日と読売の販売乗り入れに進みそうです。日経は専売が7000店と少なく、あとはもともと乗り入れです。

ただ、これらの動きはかなりのんびりしたものであり、もっと新聞に危機感が募るまで、スローペースが続きそうです。

Bについては、ある調査によると、メディアごとにみた信頼度は、
新聞84%、テレビ64%、企業のHP63%、検索サイト52%、BBS6%となっています。


すべての新聞は生き残れない


もっとも、影響を受けるメディアは?という調査によると、
新聞26%、テレビ71%、ネット60%となっています。

こうした状況から、私が導き出したのは、
「新聞というメディアは残るものの、すべての新聞社は残れない」

つまり、新聞は再編・統合が避けられず、1県につき1つの新聞は維持できないだろうということです。すでに九州では、新聞の販売・広告ともに、2県に1紙で十分な規模に縮小しています。

次回は日経の対策・将来像について。


(つづく)




★山口明雄のメディアトレーニング・セミナー開催★


こんな方はぜひ、参加してください!


「メディアと話すとき、自信を持って対応できるか不安」
「自分で説明した内容と、違う記事が新聞・雑誌に載ってしまった」
「不祥事が起きた時のために、危機管理広報の対策をとりたい」
「マスコミが本当に聞きたいこと・本音を知りたい」
「社長や役員などに、記者会見・インタビューの練習をさせたい」


日時:2009年4月22日(水)19時30分~
場所:リミテッドPR本社
  (東京都新宿神楽坂5-20-5 JR・地下鉄飯田橋駅徒歩5分)
特典:山口講師の本「マスコミ対応はもう怖くない!
   メディアトレーニングのすべて」を贈呈!
(日本唯一のメディアトレーニング本。全270頁。書店販売していません)

詳細はこちらから↓

http://www.limited1.jp/company/seminar/post_5.html