清王朝と満州国を歩く
夏休みは、中国の東北地方へ旅行しました。
最近、中国の歴史に興味を持っていて、いろいろと本を読んでいたため、私のクセで、つい自分の目で現地を確かめたくなるのでした(笑)
成田から飛んだのは、まず瀋陽(遼寧省)。
かつて奉天と呼ばれていました。
中国の近世を支配した王朝である清は、当初、ここに首都を築きました。
なぜなら彼らは中国の大多数を占める漢民族ではなく、東北地方にもともと住まう満州民族(女真人)だったからです。
それ以前に金という国を建てたことがありますが、その後は分裂していたのを、17世紀に「ヌルハチ」(姓は、愛新覚羅<アイシンギョロ>と読む)という英雄が出て、民族を統一、新王朝を始め、瀋陽に都を置きました。北京に攻め込んで、中国全体を治めるようになったのは、第三代皇帝のときです。そのため、初代と二代の皇帝のお墓は瀋陽にあります。
○張作霖・張学良の豪邸
北京に故宮(紫禁城)という有名な王宮がありますが、瀋陽にはその前に皇帝がいた「瀋陽故宮」があります。
巨大な北京のそれに比べると、規模はささやかではありますが、質実剛健を思わせる宮殿が並んでいました。半農半猟という満州人(モンゴル人は全猟)が弓矢と馬を持って、満州の大草原や朝鮮半島との国境の山地を駆け回り、広く支配地を広げていった姿がしのばれます。
ちなみに、満州というのは、女真人が「文殊菩薩」(仏教)を信仰していたため、自分たちを「マンジュ」と呼んだことに由来するそうです。
瀋陽はまた、近代になって、軍閥の張作霖・張学良一族が支配した地でもあります。日本史で習った、張作霖爆殺事件はここで起きました。日本の関東軍が邪魔になった彼を暗殺し、のちの満州事変につながっていきます。
張一族の邸宅をみたのですが、これが驚くべきことに、ヨーロッパ風の大理石を積み上げて造られた3階建ての洋館でした。よくもまあ、昭和の初期に、中国の奥まった場所に、こんなおしゃれな家を造ったものだと感心しました。今でも十分プチホテルか結婚式場として使えそうです。よほどの権力・財力を持っていたことがうかがえます。
○日露戦争の舞台でもある
瀋陽はかつて奉天とも呼ばれ、日露戦争(明治時代)の陸地での雌雄を決した、奉天会戦の場でもあります。最近、NHKドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)で話題になっています。とにかくだだっ広く、昭和初期の日本人が開拓の希望に燃えて、わざわざ移民してきた気分が少しわかるような気がします。(植民地を肯定はしませんが)
現在は工業都市として発展しており、人口は800万人もいます。
瀋陽駅の混雑は半端ではなく、タクシーの奪い合いにエネルギーを消費しましたが(笑)、
ロシア(当時ロマノフ王朝)が敷いた東清鉄道(のちの南満州鉄道)にのって、かなたまでひろがる草原を眺めていると、ツワモノどもの夢のあと、という感慨が湧き上がってきました。
特急列車は4時間かけて、大連に向かいます。
(つづく)