7月のライブが書き終わったところで、最近(でもないけど)読んだ本の話をしたい。話というか、心に残ってる箇所を書いておきたい。
まずは、
小松亮太『タンゴの真実』
「蛇腹楽器奏者の祭典」の記事で、読みはじめたと書いてた本。
分厚いし、タンゴのこと全然知らないし、読めるかな?と不安だったけど、小松さんの文章が面白くてドキドキしながら読んだ。
その中から……
「タンゴとはこういうもの」「いや俺はそう思わない」という食い違い、ぶつかり合いがタンゴを揺さぶり面白くしてきたのは事実だ。ところが、そういった発展のプロセスからはある副作用が生じた。つまりタンゴの「主義」や「観念」が発達しすぎたために、人々は「家紋」とか「トレードマーク」が提示されていないタンゴの意味をキャッチできなくなってしまったのだ。
本当は、「あっちがそうなら、俺はこうだ」という「主義を打ち立てること」は音楽の本質とは違う。(第6章 タンゴ黄金時代の創造神たち - これがタンゴの “ど真ん中” アルフレド・ゴビ)
ロックにも、「ロックとはこうだ」とか「これはロックじゃない」とかある。それがロックを面白くしてきたのはあるだろうけど、そういった主義や観念なしにロックを捉えられなくなってしまう。ロックにも言えることだと思った。
楽器弾きの中には、誰をも感嘆させるテクニック(たとえば極端な速弾きなど)を持ちながら、技術の要らない簡素な音楽では砂を噛むような味気なさを露呈してしまう人がいる。逆のタイプの人は感情表現に長けてはいても、メカニカルな面白さやスピード感、技術面での難局を乗り切るカタルシスを表現しづらい。(中略)
そういった相反する要素を併せ持っている人、天から二物を与えられている人こそが本当の一流だ。しかし一流として生きるにも難しさはある。
それは技術と芸を持っていれば持っているほど、節度とナチュラルさも同時に求められることだ。
超絶的「技術」、一瞬でその人とわかる個性的な「芸」、しかしまったく自己顕示欲を感じさせない「節度とナチュラルさ」を兼備した、超A級のバンドネオン奏者。それがレオポルド・フェデリコである。
「名人は危うきに遊ぶ」とは、まさに彼のことなのだ。揺るぎない安定感の中に秘められた、今にも暴発しそうな危うさ。爆弾を抱えた常識人であり、最高の馬力とスピードを誇る木造のスポーツカーだったのだ。(第10章 独断で綴る巨匠たち - バンドネオン レオポルド・フェデリコ)
木造のスポーツカー!
技術と芸と節度とナチュラルさ……それをこんな風に表現してしまえるなんて。
録音の中の彼は実に安定してい(るように聞こえ)て、緊張と緩和、シリアスとユーモアを寄せては返す波のように交錯させているではないか。「大巧は拙なるが如し」(本当に上手な人は、かえって下手に見えることがある)という中国のことわざの通り、あの本番中のグニャグニャとした曖昧さこそが、800人の観客が鑑賞するにふさわしい、巨大な大気を生んでいたわけだ。高層ビルがユラユラ揺れることによって地震の衝撃受け流すのと同じことだったのだ。
(第10章 独断で綴る巨匠たち - コントラバス エクトル・コンソーレ)
「大巧は拙なるが如し」から、ユラユラ揺れることによって地震の衝撃を受け流す高層ビルを発想する小松さんの発想力に魅せられてしまう。
マイナーな音楽を好む人の中には、商業的でないなら純粋で、嘘がなく、素晴らしいはずと決めつける人がいるが、拙速だ。商業ベースに乗るということは、ある程度の洗練が施されるということでもある。世の中の向かい風にさらされたことがないロビーラの音楽は、良く言えば音楽家の生々しい独白。悪く言えば自己陶酔・自己満足である。
(第14章 アウトローたちのバンドネオン - エドゥアルド・ロビーラ)
「売れる曲と良い曲」を思い出した。
オルガン・パートをバンドネオンで美しくも豪快に弾き切っているこの音源からは、彼が演奏家として、いや人間として、どんなに地道で、世間的評価の恩恵から隔絶された人生を覚悟した人なのかが痛切に伝わってくる。パイプオルガンとはまた違った、バンドネオンならではの息遣いが充満した本物の求道者の演奏だ。
(第14章 アウトローたちのバンドネオン - アレハンドロ・バルレッタ)
世間的評価の恩恵から隔絶された人生を覚悟した、求道者。心に鋭く重く響いた。
続いて、
桑田佳祐『ポップス歌手の耐えられない軽さ』
桑田佳祐の本。
『週刊文春』 2020年1月16日号から 2021年5月6・13日合併号まで連載された「ポップス歌手の耐えられない軽さ」に加筆・修正したもの。
その中の「出でよ!! 色っぽい歌姫」の回は、こんな出だしではじまる。
アタクシもこれで日頃、いろんな音楽を聴く方なんだけど、最近注目している事があって。
それはね、そろそろ日本にも、セクシーな女性歌手出てこないかなぁ……。ってことなんだよね。
最近は、あいみょん、米津玄師、サカナクション……男女問わず、品があって頭も良さそうな歌い手たちが人気なのは分かるが……という。
倖田來未の「セクシー・クイーン」は良かった! が、それは別にして、“セクシー” といってもエロばかりじゃなく、“匂い立つ” というか、色っぽさみたいなものが滲み出てもイイのにね、と。
そこから、「ニッポン最強の歌姫」は誰か?という話になり、美空ひばり、ちあきなおみ、藤圭子、YUKI、大黒摩季、渡辺美里、ユーミン、中島みゆき、吉田美和、Superfly、MISIA、椎名林檎、高橋真梨子、竹内まりや、山本潤子……などなど、書き切れないくらいたくさんの名前が挙げられる。そして、アタシ(桑田さん)が思う「最強のエリート歌姫」は……小柳ルミ子である!!と。
その理由が 5つ書かれていて、
彼女を「最強」たらしめる、同じ条件を備えたエンターテイナーは、世界を見渡しても、あのマドンナか、レディー・ガガしかいないだろう(いや、もっといるよね)。
そして、こう続くのだ。
そして、この令和の世に、そのルミ子を超えて行って頂きたい歌姫がいる。「あゆ」こと、浜崎あゆみである!!
最近じゃ、ご自分をモデルにしたテレビドラマで話題だ。出産を経験され、「大人の女」の色気を纏った彼女は、今が最も美しい。ぜひ若い頃にはあり得なかった、“汚れちまった” ビリー・ホリデイのような歌声をたくさん聴きたいと、アタシは切に願うのだ。(中略)
彼女が今、自分の起伏(スキャンダル)に富んだ人生を背負い、虚飾を取り去り、切々朗々と歌い上げたら、先に名前を挙げた偉大で色気たっぷりの歌手の方々に、絶対負けない存在感を放ち、パフォーマンスが出来ると信じている。
浜崎、あーゆーれーでぃー??(ごめんちゃい)
あゆはこのこと知ってるかなぁ。桑田さん大好きなあゆ。Mフェアで桑田佳祐の「東京」を歌っていたよね。
「今が最も美しい」という桑田さんの言葉が嬉しい。
「浜崎あゆみ 色気 だだ漏れ」と書いたこの記事でも、私は「今って、ちゃんと色気やってる人なかなか少なくない?」と書いてたんだよなぁ。
→ TA LIMITED LIVE TOUR 2016 (10/19・20)
この記事では、あゆのセクシー路線はいつから?という話から、あゆと色気の関係について書いている。
最近読んだ “よっちゃん” こと野村義男のインタビューにも、あゆについての嬉しい言葉があったので書いておきたい。
「彼女のプライベートはまるでわからないけど、はじめて会ったときから声質の説得力は飛びぬけていると感じました。あと、根性というか肝のすわり方も人並外れているんです。不思議なことにライブのMCとかは天然で、同じことを何度も言ったりしてお世辞にも上手とは言えません(笑)。でもね、曲の中で歌われるあの声はすさまじい説得力があります。すばらしい才能ですよね」
さて、
あゆの「みんなのうた」デビューを知ったとき、私はあれがあれじゃないかと思ってると書いたことを覚えてくれてる方はいらっしゃいますか? その「あれ」というのは、2024年度後期朝ドラ『おむすび』のことだったんです! 阪神の「アレ」のように、あえて「あれ」って書いてたんですね。だって、これですよ?
平成、ギャル、福岡、仲里依紗、、、、、、
あゆ要素満載じゃないですか!
しかも、仲里依紗さん演じる “伝説のギャル” の役名、米田歩(よねだ・あゆみ)。“あゆみ” ですよ!?
これはあゆ初の朝ドラ主題歌か?と思われましたが(勝手に)、主題歌は B'z だそうです!(あゆって、あゆじゃなくてもかもだが、あまりにピッタリ過ぎたり予想できたりすると違うってこと、ありますよね?)
でもね、安室奈美恵さんに憧れた “コギャル世代”、米田歩(よねだ・あゆみ)。
これはもはや、あゆ出演してると言えるんじゃないでしょうか? なーんて。