BSプレミアムで放送した番組『希代のヒットメーカー・作曲家・筒美京平』を見た。筒美さんが言っていた印象的な言葉が、
「売れる曲と良い曲は違う」
これは、筒美さんじゃなくても、ときどき聞く言葉というか、そういう意見をときどき見かける。
私もなんとなく「違うんだろうな~」とは思っても、その「違い」がどこにあるのかと聞かれればよくわからないし、その「違い」を明確に(私にもわかるように)説明してくれている文章にも出会ったことがない。
ただこれは、こういうことを言うと、「私が聴きたいのは、売れる曲じゃなくて、良い曲だ!」とか、「売れなくても良い。良い曲であれば」とか言い出したくなると思うのだけど、そんな単純な話でもないと思うのだ。
売れる曲と良い曲が違うからといって、売れる曲は良くないわけではないし、良い曲は売れないというわけでもないだろう。
ここで私は、エレカシの宮本さんが、「良い曲とは?」と聞かれたときに、少し考えてから、
「やっぱり、売れる曲は良い曲だって思います!」
と言っていたのを思い出した。つまり、宮本さんの中では、「売れる曲と良い曲は同じ」ということなのだろうか。
だから私は、宮本さんは「売れる曲と良い曲は違う」ということを、その「違い」を、わかっていない人なのかなぁ~ということを漠然と考えた。そして、もしかしたら、そここそが魅力であり、自分もまた、その「違い」なんてわかりたくもないんじゃないかなぁ~なんてことを考えはじめた。
しかし宮本さんは、一方で、「男は行く」が(なんにも間違ってないにもかかわらず)売上に結びつけられなかった原因が絶対あるはずだから、そこをちゃんとやっていくということも言っていたのだ。それはつまり、その「違い」に向き合うことと言っても良いだろう。
私も、「違い」なんてわかりたくもないなんて言いながら、「違うんだろうな~」とは思うのだから。
余談だけど、前に、Mステでやっていた、浜崎あゆみのシングル売上ランキングだったかで、一位が『A』(monochrome/too late/Trauma/End roll)だった。ええ!これ?って思った。浜崎あゆみの好きな曲ランキングとかやっても、上位には入ってこなそうな。そのときに、「売れる曲と好きな曲は違うものなんだな」と思ったものだった。
例えば、「男は行く」と「四月の風」。
どちらも大好きな曲だけど、いやむしろ、ライヴで聴いて興奮するのは「男は行く」の方だったりすることが多いけど、どっちが売れるかって言ったら、「四月の風」だろうなって思う。それは、「男は行く」が「四月の風」より劣っているとかそういうことじゃなくて、う~ん、なんだろう。つまり、そこなんだろうね。
筒美さんの番組で、もっと衝撃的な言葉があった。
松本隆との対談で、松本隆が筒美京平に言ったのだ。
「はっぴいえんどは、わからないんだよね?」
そしたら、筒美さん、
「うん。でも、今はわかるよ」
あの天下の筒美京平がはっぴいえんどを「わからなかった」というのだ。
衝撃だ。
今、はっぴいえんどっていったら、「日本語ロックの創始者」みたいな感じで、若い人も含めてたくさんの人に尊敬されているというか、そんなようなバンドでしょう? だけど、あの天下の筒美京平が当時わからなくて、今やっとわかってきたっていうんだよ?
なんだか、「はっぴいえんどは凄い!」とか言ってる(特に若い)人は、本当にはっぴいえんどをわかっているのだろうか?って思っちゃったよ。もちろん、自分への問いかけも含めてね。
そんで私は、そっかー、「わかる」「わからない」っていうのはあるかもなって思ったんだ。
良い悪いじゃなく、好き嫌いでもなく、わかるわからない。
それでいくと、「男は行く」より「四月の風」の方が「わかる」部類に入るんじゃないかなぁ~という気はしてくる。
ということは、「売れる曲」というのは「わかる曲」ということになるのだろうか。
はっぴいえんどを聴いてみた。
そしたら、なんとなくその「わからない」って感覚がわかったような気がしたというか、これはもう、「洋楽」じゃん!って思ったの。
でもね、困ったことに、はっぴいえんどは「日本人」なのよ。
だから私はここで、「洋楽」「邦楽」っていうわけ方が、なんかちょっと崩壊してしまったよね。
でも、考えてみれば、そうかも知れないなぁ。さっきまでの話でいくと、「洋楽=わからない」「邦楽=わかる」ということになるんだけど、例えば、オアシスとか、「わからない」よりは「わかる」に近い感じがするし。むしろ、日本人がやった邦楽であるはっぴいえんどの方が「わからない」感じ。
同じ時期に Eテレでやっていた細野晴臣さんの番組で、細野さんが言っていた言葉を思い出した。はっぴいえんどをやっていたときのこと。
「日本では、歌詞はわかるけどサウンドはわからないと言われた。アメリカでは、サウンドはわかるけど歌詞はわからないと言われた。それで、俺たち、居場所がないなと思った」
私は、どっちが好きなのだろう?
売れる曲と良い曲。
わかる曲とわからない曲。
筒美京平とはっぴいえんど。
はっぴいえんどを聴いて思ったのは、確かに技術も知識もセンスも凄いと思うんだけど、う~ん、なんて言えば良いのか、とても恐れ多いのだけど、どこか「サークル」っぽいっていうか、良く言えば、「商売っ気」がない感じがする。悪く言えば、そんなに「聴いてほしい!」って思ってなさそうというか。そこがまた、「魅力」でもある気がして。あくまでイメージだけど。
ただ、これは『風街ろまん』を聴いただけで言っているから、全部聴けば違うのかも知れないんだけど。
筒美京平は、それこそ膨大な量があるし、いろんなアーティストがいるんだけど、なんて言うか、「聴かれたら終わり」って感じがするかも知れない。はっぴいえんどとは対照的に、「聴いてくれ!」って言ってるっていうか、「聴かれなきゃ意味がない!」みたいな。でも、それ以上でもそれ以下でもないっていうか。そこに、「美しさ」があるような気もするし。
「聴かれたら終わり」って書いたけど、そのパワーは、聴いても聴いても味わい尽くせない深さがあってとんでもない。
私はね、ずるいかも知れないけど、どちらも好きだって思った。
「男は行く」も「四月の風」もどちらも好きだもん。
もっと言えば、どちらも捨てられないエレカシだから好きなんだなという、そんな気がして。
いや、だから、どちらも好きなんではなくて、どちらにも私の好きはないのかも知れない。
だから私は、筒美京平でもはっぴいえんどでもなく、その狭間にある音楽、そこを行き来する音楽が好きなんじゃないかなぁって思ったの。
私がよく名前を出す、エレファントカシマシと浜崎あゆみ。
エレカシは、あゆは、どっちなんだ?って言ったら、私はわからないもの。
エレカシに対しては、もっと売れる音楽なんじゃないか?って思ってる。それこそ、ミスチルくらいに売れたっておかしくないって本気で思ってる。でも、同時に、ミスチルくらいには売れないのかもなぁって思ってる自分もいるんだ。
あゆに対しては、そりゃやっぱ売れるよね!って思う自分もいる。でも、なんでこれが売れるんだろう?これが一位を獲る曲?って思う自分もいるんだよ。
エレカシもあゆも、私にとってはそういう存在で、そこに惹かれるんじゃないかなぁって。
筒美京平は、番組の最後に、「良い曲と言われるよりも、ヒット曲を出したときの方が嬉しい」と言っていた。ふと街中で誰かが自分の曲を口ずさんでいる。それが何よりも嬉しいと。そして、ヒット曲は、世に出た瞬間、自分の手を離れると言っていた。そこが魅力であり、そこが限界でもあると言っていた。
前に私は、浜崎あゆみは、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」に匹敵するようなヒット曲を出していないのではないかと書いた。それはもしかしたら、浜崎あゆみの曲が浜崎あゆみの手を離れていないからなのかも知れない。
エレカシなら、「悲しみの果て」は、完全ではないにしても、エレカシの手を離れていると言っても良い曲かも知れない。
だから私は、それを望んでいるのかっていう話なんだよね。
浜崎あゆみの曲が、浜崎あゆみの手を離れることを。
エレカシの曲が、エレカシの手を離れることを。
だけど、「サークル」からは飛び出していて欲しい。
わかる曲には「わかる」楽しみがあるし、わからない曲には「わからない」楽しみがある。
だから、「わからない曲」をわかったふりなんてしないで、「わかる曲」をわからないふりなんてしないで。
だけど私はきっと、「わかってほしい!」って言いながら「わかってたまるか!」って言っているような、そんな曲が好きなんだ。