終わりと始まりが重なるとき | ラフラフ日記

ラフラフ日記

主に音楽について書いてます。

2008年発行の『音楽誌が書かないJポップ批評55』、辛酸なめ子との対談で菊地成孔が、

「浜崎あゆみなんて、音楽家から見ると自分がのし上がりたいためにフォークとかロックとか手近にある音楽をやり散らかしてるだけで、きつく言えば、お前音楽ホントに好きじゃないだろって感じがするんですよ。でも安室奈美恵は「ああ、本当にヒップホップが好きなんだね」というか、音楽をやってて、その音楽によって自分も救われてる感じが伝わってくるんですよね」
(『音楽誌が書かないJポップ批評55』 2008年9月)

と発言していたが、浜崎あゆみの最新作『Colours』を聴いてたら、今それが逆転しつつあるんじゃないかと思ってきた。
(ちなみに 4年半くらい前に上記発言について書いた記事はこちらです → 「大キライで大スキな関係」

いや、安室奈美恵は今も音楽が好きに違いないけど、今の浜崎あゆみからはかつてないほどの解放というか充足というか、そういうものを感じるから。

安室奈美恵はかっこいい。本当にかっこいいと思う。けれど、私には安室奈美恵では解放されない何かがある。
最近そのことがだんだんハッキリしてきた気がして、それで、逆転しつつあるんじゃないかと思ったのだ。

安室奈美恵では解放されず、浜崎あゆみに解放を感じてしまうのはどうしてなんだろうというのが、「オマエマタソレカヨ!」な、もうずっと私の中にあるテーマなわけだが、それを紐解くヒントが隠されているんじゃないかという記事を発見した。

「ザ・フェミニズム」
http://hananeko.hanamizake.com/books/books018.html

(以下、引用)
痛快だったのは、「フェミニズムの成果」として椎名林檎をべた褒めする上野を小倉が一蹴するところ。「自己治癒」たら「癒し」たらいった言葉を並べて椎名をべた褒めしている上野を遮って、「椎名林檎がフェミニズムと関係があるかどうかは知りません。上野さんが芸能音痴なのは、椎名林檎を知ってるというとこや。私やったら、浜崎あゆみを評価する。私は浜崎あゆみがなんで若い子の教祖なんか、よーくわかるわ。私は浜崎あゆみで本を一冊書けるくらい、ファン心理がわかる。(略)ハマアユも、ジェンダーの「ジ」の字も言わんけど、何かを伝えてるよ。ただ、そのメッセージはフェミニズムとは正反対のもんやわ。問題意識はものすごーくわかるけど、答えの出し方が絶望的なまでに正反対。椎名林檎に私は興味ありません。で、椎名林檎は、ジェンダーを語ってるって?フェミニズムの落とし子やって?」 ケッ、という感じ。
(以上、引用)

この記事は上野千鶴子・小倉千加子の『ザ・フェミニズム』を読んだ感想なので、私もそれを読みたかったのだが、図書館で借りようとしたらなく(小倉千加子・中村うさぎの『幸福論』はあったので借りた)、今はまだ読んでいない状態で書く。

恥ずかしながら、私は「フェミニズム」について真剣に考えることがあまりない。ジェンダー、イデオロギー、ファシズム、マルクス、、、、、、。
しかしながら、上記で言おうとしていることは、ものすごーくわかる気がする! いや、わかる! と言いたい!

「フェミニズム」という言葉こそ使わなかったけれど、私はこんなことを語っていたから。

まだまだロックの文化は男の文化。
私も含めて「女のロック」をわかってないんじゃないか、語られてないんじゃないか。
「女のロック」を「男のロック」の物差しで測ろうとすると見誤るんじゃないか。
だから、ロックロックと語られている場所とは違う場所に、「女のロック」は存在しているんじゃないか。
http://ameblo.jp/laugh-rough-blog/entry-10412756902.html

そして何より、このブログでも何度も書いているように、私は椎名林檎から浜崎あゆみに寝返った(笑)人間なのだから。

上記の記事を発見するキッカケをくれたのは、大森靖子だった。(『MUSIC JAPAN』感動したよ!)
彼女と峯田和伸の対談が話題になっていて、その中でこの記事を取り上げてる人がいたのだ。

(上記の記事でも結局そうだが)そこでも椎名林檎がフェミニズムかどうかばかり話題になって(私にはそう見えてしまった)、ここに来ても浜崎あゆみのことはスルーかよ!(小倉千加子は「浜崎あゆみを評価する」とまで書いているのに!)とついつい憤ってしまうが、私が安室奈美恵では解放されない理由が少しだけ見えてきた気がした。

安室奈美恵には抑圧(された何か)を感じない。

いや、安室奈美恵だって様々なものと闘ってきてるのは知ってるつもりだし、むしろ安室奈美恵の方が浜崎あゆみより過酷な道を歩んでるようにも思うが、そういうことではない。安室奈美恵に唯一欠点があるとしたら、「評価されてる」ということかも知れない。もちろんそれは長所でもあるが。
な~にを言ってるんだ!浜崎あゆみが評価されないとしたら、それは浜崎あゆみの問題だろう?それなら、浜崎あゆみは評価されたら終わりなのか?というと、そういうことでもない。実際、浜崎あゆみは評価されてるかも知れないし。

昔、椎名林檎がこんなことを言った。

「自分の手を汚してない可愛い子ちゃんとかがイメージ固めされて、お金遣ってあちこちに看板出したりして、やれ何万枚だ云々とか言ってるの見て『別枠にしてくれ!』と思ったんですよね。よく友達のアーティストの子とかみんな言ってるけど。『あんたそんな事しなくたって生きていけるじゃん、こっちはそれしかないからやってるんだけど』っていう話」
(『ロッキング・オン・ジャパン』 1999年8月)

私はこれを読んで、「そーだ!そーだ!椎名林檎よく言った!」と思った。

しかし、これこそが差別なんだよね。女性による女性への差別。
女性が女性を差別し、女性が女性を生きづらくする。
自作自演屋を名乗っていたはずが、裏目に出て、女性の自己実現を否定してしまいかねない。(本人にそのつもりがなくても)

でも、こんな発言は、若気の至りということもあるだろうし、音楽に対する想いもあるだろうし、問題ではない。そのあとの活動でどうにでもできるし。

問題は、椎名林檎がこの発言通りというかなんというか「強者になってしまった(弱者を作ってしまった)」ところにあるのだと思う。
<劣等感 カテゴライズ そういうの忘れてみましょう>と歌っていた彼女のはずが、劣等感(カテゴライズも?)を与えてしまったと。

ビートルズそしてロックは、かつて不良の音楽と言われていたという。「あんなの音楽じゃない」ぐらいに言われていたらしい。
それが今や、ビートルズは教科書に載り、ロックフェスは恒例行事となり、それに出演することが一つの評価にもなり、「あんなのロックじゃない」という言葉が出てきたりもする。

ロックは偉くなってしまった。

それはそれでいい。大事なのは、そうなったときに、矛先をどこに向けるか、抑圧をどう感じるかというのがすごく重要になってくるのだと思う。
(地元のボウズから地元のダンナへ、世界や日本の歴史や、最近じゃあ自分の歴史、世間の常識や歯がゆさ、文明やあらゆる偉人や、友情や恋のかけひきと、いかにして戦うか! by エレファントカシマシ)

私にこのことを考えるキッカケをくれた大森靖子は、自身のCDジャケットで椎名林檎のオマージュをしたことについて語り、椎名林檎以降、ちょっとエモーショナルなだけで「椎名林檎っぽい」とされ、レーベル側もそういう売り方をし、そのせいで「もう100人以上のシンガーが10年以上同じことの繰り返しで潰されてきたように私には思えます」と述べた。「これはCDの売り上げが減ってることにも関係するくらい、音楽業界のとんでもないミスリードです」とも。

ルールを目的にしない創造的な日本へ――シンガーソングライター 大森靖子
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/179/179198/

私は以前に、「大森靖子は、やっと現れた、椎名林檎(の亡霊)を葬ってくれるアーティストになりえるのかもよ」と書いた。椎名林檎の亡霊に憑りつかれているのは他でもない私自身であり、また、椎名林檎自身もその亡霊を葬らなかった、葬ることができなかったと私は考えている。大森靖子が述べてくれたようなことは本当に起こっていると思うし、私はそれこそが、椎名林檎が「強者になってしまった」証でもあると思っている。

浜崎あゆみは、後続にそういう影響を与えているだろうか。倖田來未とか西野カナとか誰を挙げればいいかよくわからないが、浜崎あゆみと一緒に語る人がいるとしても、どれもそれぞれ基本的には浜崎あゆみから自由になっているような気がする(そりゃ比べて色々言う人はいるだろうけど。私も含めて)。それどころか、浜崎あゆみが切り開いたことによってより自由になってる人がいる気がする。それは、浜崎あゆみが自らを亡霊化しなかった、「強者になっていない」からだと思うのだ。

あゆはフェミニズムとかジェンダーとか特に語らないけど、結果的にはあのエイベックス騒動を救ったんだよなぁ。

そして、なんだかんだと言ったけど、私は椎名林檎をあきらめたわけではない。答えの出し方が正反対であろうがなんだろが、椎名林檎にも浜崎あゆみと同じものがあると私は勝手に思っている。今度アルバムが出るらしいから聴いてみようって思っているんだよ。

私が、大森靖子が掘り起こしてくれると期待しているもの。
ロックが好きだったのに、ロックから捨てられ、ロックを捨てるしかなかった私の引き裂かれてしまった心を、つなげるアーティスト。
終わりと始まりが今、重なろうとしているのかも知れない。