アルマン 13トリソミーの息子
  • 15Jun
    • 1ヶ月

      今日は胎毛筆を作るために、GWに切ったアルマンの髪の毛を業者に送りました。確認のために触った髪の毛の、柔らかくてサラサラなこと!久しぶりにアルマンを感じられ、泣きそうでした。棺に入れる前に、もう少し切っておくんだったなあと後悔です。色素が薄くて、それは綺麗な栗色の髪でした。レストランに偶然居合わせたかおぱぱさんに撮っていただいた、私の両親と私たち夫婦、長女とアルマン、義兄夫婦の写真はお宝です。(中央後ろ)これはまだ1歳になる前ですね。亡くなって1ヶ月になります。アルマンが生きている頃は、染色体の異常がなければなあと思っていました。でも亡くなって、こんなに多くの人に想ってもらっていたと知り、アルマンはアルマンで良かったんだ、と思えました。私が死後にやたらとブログを更新するのは、アルマンの存在価値を確認することで、私が癒されるからです。→息子よ。そのままで、いい。の心境です。「一番悲しいことは、思い出がもう増えないこと。」と言った方の気持ちが分かります。生まれて1ヶ月以内に半数が亡くなり、1歳を迎えるのが10%以下の13トリソミーにしたら、2歳まで生きられたんだから万々歳…なんてことは頭では分かりますが、それでもやっぱり、もっと成長する姿が見たかったです。そしてあの朝のことを一生忘れることはないでしょう。アルマンが自分で決めたと慰めもありますが、やはり自分の管理不足でという気持ちは消えないし、それ(そう考えてしまうのは)はもう、仕方ないと思います。後を追いたいと思ったことはありませんが、自分が寿命を迎え、死ぬのはすごく楽しみです。アルマンちゃんをまた抱っこできるのですから!5月9日(木)に私は2年半振りに仕事復帰し、寝不足で疲れていたのですが、12日(日)に義兄のレストランに行きました。やりたい時にやらねばと思ったのです。義兄は「今日は今までで一番、アルマンを抱っこできた」と言っていました。その3日後にアルマンは亡くなりました。夫がイランから持ち帰った、ママン(夫の母)からのプレゼントの服を着て。もっとかわいく写せば良かったなあ。ちょっとブチャイク。アルマンを想う時の最近のテーマ曲はラヴェル ピアノ協奏曲第二楽章です。中盤の盛り上がりは嫌いなんですが、前半も後半もひたすら美しい。

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  • 11Jun
    • アルちゃん??

      アルマンはいつもリビングにいました。亡くなったのもその部屋。最近は私がその部屋に布団を敷いて次女と寝ています。昨夜から次女が発熱し、咳こんで朝方からぐずっていたので、隣の部屋で長女と寝ていた夫が起きてきて、代わってくれました。6時半に私が起きていくと、「今、触ってないのにリビングの電気が付いてエアコンの吹き出し口の向きがウ~っと変わった」と言います。これは!!私はお2人の天使ママのブログで、電気が付いたりしたと読んだことがあったので、うちのアルマンは来ないのかなあと思っていたんです。アルちゃん、遊びに来たんだね!でもお顔が見えないよ。触れられないよ。嬉しく、悲しい出来事でした。アルマン君だよそれ!と言うと、それなら私(夫)が毎日リビングで寝て5時から起きて待っていよう、と言っていました。長女は、お空組のお友達に手紙を書いてくれました。maaharoさんの次女ちゃん、陽向くん、あみちゃん、みくちゃん、ぶっきーちゃん、優翔くん、モコモコさんのサラちゃん、いちかちゃん。お空の上はにぎやかだね。

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  • 09Jun
    • 葬送の仕事師

      一昨日、長女の夢にアルマンが出てきたみたいです。羨ましい。アルマンの顔を描く長女。額にハートマークがあります。ところで先日の火葬場での話ですが、炉に入れられるところを動画に撮っていたら、そこのスタッフ(ベテランの年配の人)に「やめてください」と注意されました。私の子なのに、とイラッとしました。(写真や動画を撮るなんて常識的にはおかしいのかもしれないですね。でも私は全部記録しておきたかったのです。)こんな本があることを金曜に知りました。読んではないんですが。葬送の仕事師たち火葬場の仕事師は炉にスイッチを入れたら終わりなのではなくて、中の様子を見ながら調整する職人技が必要らしいです。何体(何百?何千?)ものご遺体を送り出した仕事人であるからこそ、ビデオなんて!と思ったのかもしれないな、と思いました。炉から出てきたアルマンは、棺も大量のお花もすっかりなくなっていました。忘れられない光景です。ペンダントに遺骨を納めたものを持ってます。今、指輪を手配中ですちょうど10年前にmixiに書いた日記を転載します。会社の人権啓発研修で、「いのちと人権」という題目で青木新門氏に講演していただいた。青木さんは『おくりびと』のもととなった『納棺夫日記』と著した人。(私はおくりびとを観ていないし本も読んでいない)ユーモアあふれる語り口調で、1時間半の講演に釘付けとなった(私は後日、DVDを借りて見たのだが)。とても書ききれないほどの内容でうまくまとめることができないけれど。富山に生まれ、5歳で満州へ。収容所では弟が死に、母は病気で隔離された。妹と2人で生活するが、-20℃にもなる冬のある朝起きると妹が死んでいた。彼は妹を担いで火葬場へ置いてきた。これが彼の原体験である。終戦後母と富山に帰る。母は市内へ働きに出掛け、彼は叔父の世話になる。その後、早稲田大へ入学するも中退。富山で母の経営する飲み屋を手伝ううち母と意見が食い違い、自分で店を開く。常に満員であるもののツケばかりで、店が倒産。女房と乳飲み子を連れて6畳一間のアパートへ夜逃げする。「ドライミルクも買えない」と妻と喧嘩になり投げ付けられた新聞の求人広告が目に入る。『新生活互助会(富山初の冠婚葬祭の会社)社員募集』のフレーズにひかれ覗いてみると、社員2~3人の小さな会社。その頃納棺は100%親族がやる時代。お棺を運び、親族(素人)が酒で酔払って嫌々やるのを見ていると、つい手を貸したくなる。手伝ったが最後、「納棺してくれる人が居る」と口コミで広まり会社は発展。彼は納棺専従社員となる(青木さん1人だけ)。そんな頃、世話になった叔父がアパートに現れ「中退、倒産、そして今では死体をふいて歩くとは。お前は親族の恥だ」と罵倒、絶縁。それまで冠婚葬祭関係の仕事と言っていた妻にも知られ、「汚らわしい」と泣かれる。卑屈になり、人目を避けるような生活に。子供が入学する前に辞めてくれと妻に言われ、辞表をいつ提出するか迷っていたある日転機が。元彼女の父親の納棺に呼ばれたのだ。彼が1人で作業する中、元彼女(既婚)は涙を浮かべながらずっと彼に寄り添い汗をぬぐった。“していることも含め自分の存在を丸ごと認められた”と感じた彼は、仕事を続けていけそうな気がした。どうせやるなら、と白衣等を新調し言葉遣いにも気を使った。「白い服の人」が評判となり、ますます忙しくなる納棺夫の仕事。そんな時、叔父の危篤の知らせを受け迷ったが、意識不明ということを聞き、見舞いに行くことにする(説教されるのが嫌だから意識不明ならいいかと思った)。到着した時に丁度意識が戻った叔父。叔父は彼を見て、柔和な顔で涙を流して「ありがとう」と言った。その瞬間、彼は土下座し泣きながら許しを請った。その夜叔父他界。死ぬ間際はあらゆるものが輝いて見えるようだ。その死者の安らかで清らかなお顔を見ていると死体に対する嫌な気持ちがなくなってきた。自分の間違った価値感を見直し、納棺夫として堂々と生きていこうと決意した。以上が自分史。昨今の命を軽視する事件(酒鬼薔薇事件など)は、生のみに重きを置き、死を隠蔽してきたことが原因であると考える。死の実相を知らず、バーチャルな世界でのみ生きている子どもたちは人と人とのつながり、絆が欠落しているように思う。昔は親の死に目に合えない者は村八分にされるほど非難されたが、今では美談として語られる(スポーツマンや役者)。九州の寺の住職が、亡くなる1週間前から親族を集めて死に様を見せた。孫の1人(14歳)が書いた作文には「それまでテレビで、人が死んで泣いているのを見ると不思議だった。でも亡くなる前の3日間でおじいちゃんに本当の人の命の尊さを教えてもらったような気がする」とあった。死から目を背けていると見落とす一瞬の命のバトンタッチがあるのだ。青木さんが言いたかったことが全然伝わってないかもしれませんが、このへんで。最後までお読みいただき、ありがとうございました。追記。インタビュアーがマザー・テレサに質問した。「世界平和のために私たちに何ができるでしょうか?」彼女は瞬間的に答えた。「あなたが家に帰ったら、ご家族に『ありがとう』と優しい言葉をかけてください」

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  • 05Jun
    • 記憶

      忘却は人間の最大の能力だとかもし神が人間に忘却という力を授けなかったら、人間は生きることができなかったであろうとか言われます。でも忘れたくない記憶もあります。忘れたくなくて事細かに記していますが、当日の様子の記事は読み返せないです。亡くなった後、妙なテンションだったのか、私の辞書に「後悔」という文字はないんじゃないかとさえ思っていましたが、今は色んな思いが去来します。maaharoさんにいただいたおしりたんていのヌイグルミがうつ伏せになっていてもドキッ!とします。綺麗なツツジを見ると、あ~、なんでアルマンを病院に預けて我々(母と私と次女)だけ旅行に行ったんだろう、と思ってしまいます。→花三昧sugersoulさんが人は後悔する生き物だと書かれましたが、その通りですね。(あ、だいぶ前にいただいたコメントにようやくお返事を書きました。)まだ書いていなかったエピソードです。お通夜があった日の夜は夫が斎場に残り、私と長女と次女は家で寝ることにしました。次女は9ヶ月なのに、いまだに夜間に3回は目覚めるのですが、その日珍しくギャン泣きをはじめました。携帯を見ると朝の4時28分でした。夫から3時44分にラインが入っていました。「まだ起きてる。代わりたければ来てもいいよ。」火が付いたように酷く、それは激しく泣きわめく次女。アルマンは苦しくてもこんなに泣くことが出来なかったなあと悲しくなりました。あやすのですが一向におさまらず、その声に長女も起きてしまいました。そして思い付きました。今から皆でアルマンに会いに行こう!うちから斎場までは車で5分です。5時頃到着すると、寝たばかりの夫が「今来たのか」とちょっと不機嫌そうでしたが、家族でアルマンと最後のお別れがたっぷりできました。きっと次女を使ってアルマンが「みんな来てよ~」と呼んだんだろうな。夫は夜中にアルマンを棺から出して抱っこしていたそうです。アルマンの顔色は、亡くなった直後より血色が良く、ほんと寝ているだけのようでした。告別式が終わり火葬場に行き、いよいよ炉に入れられるという時に、夫が棺に駆け寄り蓋を開けてキスをしました。ずるい!私も!!と私も続きました。生きていたアルマンに触れたのも、アルマンの肉体がなくなる前に触れたのも、私が最後でした。火葬場から自宅に帰る時、私はタクシーに乗り込みました。運転手さんの名前に見覚えがありました。アルマンの定期受診で月に1回大学病院に行く時に、いつもタクシーを使っていたのですが、その時に乗ったことがありました。珍しい名字で、沖縄ご出身かなと思ったので覚えていたのです。お名前なんて読むんですか?私、過去に運転手さんのタクシーに乗ったことがあるんですとお話をすると、「○○病院に通ってましたよね。何回かお乗せしたのを覚えています。」と言われました。胸が熱くなりました。ネットで見付けた素敵な言葉『神は記憶を与えて下さった。それは人生の辛い冬の時期に、6月のバラを思い描けるようにする為だ。』byJ・M・バリー(作家)

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  • 03Jun
    • おでこ

      今朝、「アルマンに朝ご飯をあげるの忘れた!(よく忘れます)、バナナ置いといて」とバタバタしながら長女に言うと、長女が「お友達にもあげよう」と言いました。「お友達…?あみちゃん?」と聞くと、そうだと。優しい子に育ってます。あみちゃんママが言ってたように、幸せだったこと、楽しかったことに目を向けていきたいなと思いました。後悔してもアルマンは戻らないし、なっちさんが言うように、きっとアルマンは自分で決めてお空に行ったんですよね。そういえば、イラン人は「おでこに運命が書いてある」と言います。昔それを聞いた時は、なんや意味が分からんな?と思いました。でもアルマンは、おでこにハートに見える赤いアザがあります。きっと皆から愛される運命だったのでしょう私はいつも撮る側なので、アルマンと一緒に撮られた写真はあんまりありません。これは長女が撮ってくれました。静電気でくっついた風船がリボンみたいになっていました。橋から見た今日の夕焼け。

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  • 02Jun
    • 先日のお友達のお通夜では、ちょうど2週間前にあったアルマンのお通夜振りだったり、久し振りだったり、はじめましてだったり、SNSではなくリアルに会うのが初めてだったり、のママパパに会えて感激でした。あみちゃん、繋いでくれてありがとうね。13っ子ちゃんやがんばりっ子ちゃんのママパパは不安、希望、喜び、怒り、悲しみ、楽しみを共有する戦友という感じです。アルマンは短命という運命だったとはいえ元気だったのに、センサーの断線というある種事故のようなもので死なせてしまいました。そのことが日に日に後悔という形でのしかかってきていたのですが、天使ちゃんママに「きっと何か意味があるんだよ」と声を掛けられ、心が少し軽くなりました。寝落ちをしてしまい、フと目覚めるとモニターの電源を入れてなくて超焦った経験は、1回ではないです。その時はたまたま発作が起こらなかっただけでした。13っ子ちゃんママなら危ない経験(感染症や手術を含めて)を最低1回はしていると思います。毎日が綱渡りの生活なんですけど、その中で楽しみを見付けて前向きに生きるママたちは、他人の痛みが分かる優しさも持っていて、そんな人々と知り合えて良かったなあと思うのです。Yukiさんが、かっちゃんとお揃いのラウンドベルをプレゼントしてくださいました。→こちらの記事に書いたものです。長女が鳴らしているのを、アルマンが聞いていると思いますそして写真の前は、長女と私の合作のカップケーキもう色んなものを食べられるようになったよね。美味しかったかな?

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  • 29May
  • 28May
    • 人の夢

      15日に息子アルマンが亡くなりました。意外に淡々としている自分に、私って実はアルマンを好きではなかったのか?と不安になったり。朝に発見した時の様子を思い出して申し訳なく苦しくなったり。何故かアルマンが居たのが既に遠い昔のような気がして、薄れていく手触りや重みの感覚を寂しく思ったり。長女と、アルちゃんお空で元気かなあと楽しくしゃべったり。(長女は、「あるちゃんを抱っこしてチューしたら、笑ってないんだけど、ぽわ~んとしてとっても可愛かった~~」とそれは愛しそうに生前の出来事を話してくれました。「もっとギュッと抱っこすれば良かった。あるちゃん、死んじゃった」とも…)私は27日(月)から仕事復帰しました。すると、お友達がその日旅立ったと連絡が…。アルマンの在宅開始にあたって、そのお友達ママからアドバイスをいただいたことがありました。自宅での13トリソミーの子のお世話がどんな生活になるのか、右も左も分からず不安な時に、ブログを見付けて、おでこの赤いアザ(その時の写真ではそう見えました)がアルマンと似ていて思わずメッセージを出したのです。思えば、初めてアルマンがお会いしたお友達でもありました。お友達のいない私に、「アルマン君!?」と駆け寄って下さった優しいママさんでした。その可愛いお友達はミルクをお口から飲んでいて、すごいなあ!とビックリしました。夕方お顔を見に伺いました。本当によく頑張ったね。最後は家族に見守られて良かったね。アルマンは、一人で死なせてしまったから…人の夢と書いて儚(はかな)い。でも、辛くても、ひとつ何かあれば幸せ。生まれてきてくれてありがとう。お空で仲良くね。

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  • 25May
    • 月誕生日

      今日は長女のスイミングスクールに付き添いました。スクールに行くにはアルマンのかかりつけだった大学病院前を通るので、ちょっと悲しくなりました。アルマンが家にいないのは、入院してるだけ……なはずないですね。一歳を過ぎてから撮らなくなってしまった月誕生日の写真。二歳から再開しました。まさか3回で終わってしまうとは思いませんでした。12枚揃って公開し、「わ~、良いね♪」とコメントもらえると信じて疑いませんでした。0歳の成長はやはり目覚ましいですね。↓アルマンが8ヶ月の時の服を着る次女↓

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  • 24May
    • おしりたんてい再び

      続けての投稿です。今日、知らないお名前の方から荷物が届きました。差出人の連名を見て、もしや…袋を開けると…ドーンおしりたんてい。おしりたんていを見て涙が出た人は、そうそう居ないと思います。そしてそして、フォトフレーム。中に入れる写真まで現像して下さっていましたあたたかい直筆のお手紙とともに。もう、今回のアルマンのことで、なぜここまで他人に優しく出来るのか!!??と思うことばかりです。ブッキーちゃんや翔ちゃんママからもお花のお申し出がありましたが、お気持ちだけありがたくいただきました。maaharoさん、心のこもった贈り物をありがとうございました。是非次女ちゃんハウスに参らせていただければと思います→おしりたんてい

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    • 夫のこと

      夫は私より後悔、自責の念が強くて、毎日泣いていました。「私はアルマンを2年間生かしたのに、自分は1週間持たなかった。」(私が5月9日に仕事復帰をしたので、彼がアルマンのお世話をするはずでした。)「イランから5月8日に帰ってから、ろくに抱っこもしてやらず、布団も別にして寝て、アルマンはきっと怒っている。」確かに、彼はアルマンが短命という認識が私よりは足りなかったと思います。去年も1ヶ月、今年も5週間近くイランに行って、アルマンと過ごす時間が短くなるのになぁと私は思っていました。でもイランの両親も高齢なので、あと何回会えるか分からないし、それも彼が選んだことなので良いでしょう。驚くことに彼はまだ、イランの家族にアルマンの死を知らせていません。日本にいる沢山のお友達(顔は広いのです。)にも。そもそもアルマンが13トリソミーだったこともイランの家族は知りません。私には理解しがたいですが、離れている分、心配をかけたくないということです。(イラン人の家族愛はすごいです。親戚付き合いも半端ないです。)8年くらい前?に夫のお兄さんがイランで交通事故で亡くなった時、彼はイギリスに住んでいましたが、1週間くらい知らなかったそうです。アルマンのお世話は私が担当し、遊びは彼の担当という感じでした。私がやってもなかなか笑わないアルマンを、声をあげて笑わせたりしていました。歩く練習をさせたいと歩行器を手作りしたり、(乗りにくそうでお蔵入りになりましたが)体に良さそうなものをと、やれ青汁入れろ、やれデーツ(なつめやし)シロップを入れろ、とうるさかったですし、嚥下のリハビリで使った氷水(冷たいとゴックンが促される)を飲み干してSTさんをドン引き(え?え?飲むんですか?)させたり。あまりのチューチューに、小児科病棟の看護師や、訪問看護師さんは口々に「パパの溺愛ぶりはすごいですね」と言うほどでした。今回、私も彼も気付かないうちにアルマンは旅立ってしまったのですが、センサーが断線していたことは、アルマンの優しさだと思います。4時過ぎにアラームが鳴っていた時、彼は寝ていて起きませんでした。だから彼がお世話を続けていたら、いずれ、アラームが鳴り続けたまま息絶える事象が起きたかもしれません。そうすると100%彼の責任になるのですが、今回はセンサーが切れていた。4時過ぎに巻き直したのは私です。(その時は異常は分からなかったのですけどね)二人の責任によってアルマンは旅立ちました。また旅立ったのは、私の母が海外旅行に出発する前日でした。母には旅行をキャンセルしてお別れしてもらうことができました。それに、日本の葬儀の話は夫には分からないので、私と一緒に進めてもらいました。アルマンの優しさだなあと思います。今回のイラン帰省で作ってきたペンダント(毎年イランに行く際に写真を替えて作るつもりだったので、2019年です。)

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  • 23May
    • アルマンが教えてくれたこと。

      妊娠25週の時のスクリーニングで胎児に異常が見付かりました。その私立の産院で3年前に長女を産んだ時にはなかったシステム(スクリーニング)です。私はエコーをしてもらっている間、技師の女性に、この機械のメーカーは、、なんて話をしていました。私は仕事柄、分析機器を扱うことがあるので興味深くて。結果を聞くために待合室で待っていた時も、能天気にしていました。院長から話があり、「頭に一部、水が溜まっているようです。詳しい検査は来週、胎児エコーが専門の大学教授が来られるので、その予約をしましょう。」と言われ、晴天の霹靂でした。そして夫と共に受けた教授のエコーで、全身に異常が見付かりました。偶然いくつかの問題が重なったのか、染色体の問題か分かりませんが、とのことでした。小脳虫部低形成と診断されました。夫は障害者は本人と周りが不幸になるという強い持論があって、私も育てるのは無理だろうなと思い、中絶を希望しました。→支えてくれる人々お腹に手を当てて二人で泣いた晩のことは忘れられません。日本では如何なる理由があろうとも22週より後に中絶は出来ないと知り、彼が以前住んでいたイギリスに渡ろうか、東京で闇でやってくれるところはないかと、そこまで考えがよぎりました。でも中絶できないと決まってからは、夫の方が受け入れたのが早いくらいでした。→アルマンの名前のこと生まれてから1ヶ月で、13トリソミーと言われました。13トリソミーという染色体異常があることも知らなかったし、そもそも、生まれてくる子供に障害があるかもなんて、これまでの人生、考えたことありませんでした。アルマンが生まれて初めて、妊娠して健康な子が生まれるのが奇跡だということ、(不妊、流産、死産や出産時の事故もあります)口から物を食べるのって難しいんだということ、(ミルクを吸い、あるいは食べ物を奥に持っていき、呼吸を一瞬止めて飲み込む)呼吸器や胃管、胃ろうをつけながら頑張っている子供たちが沢山いること、 障害を持ちながらもたくましく生きている人が沢山いること、→三重苦楽→発熱、そして解熱(本の紹介も)重度の障害で意思はなさそうに見える人も、表現出来ないだけで感情はあること、→東田直樹さん→いちばん苦しかったことは?盲ろうで目も耳も聞こえない人が音楽を楽しむように(振動を感じるみたいです)、人間にはすごい可能性が秘められていること、→盲ろうで東大教授の福島智さんの公式だから障害を持つ人を「かわいそう」と上から目線で見るのは間違っていること、→きょうだい児子供は愛しいこと、あと、寄り添ってくれる仲間の有難さ。そんなことを学びました。

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    • いつか風になる日

      ラジオ聴きました!リクエスト曲をかけてくれてありがとう~ございました!NICUに通う道で泣きながら聴いていたことを思い出し、涙涙でした。番組HPからメッセージしたのに、errorで送信できず残念でした!!元ちとせの「いつか風になる日」ネットに落ちている動画はイマイチなものばかりなので、CD(ノマド・ソウル)を借りてこよう。

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  • 22May
    • 片付け

      連日、連投連投です私は忘れっぽいので、忘れたくなくて。アメブロにも感謝です。21日(火)は夕方に酸素濃縮機とボンベを引き取りに来てもらいました。1本、療育園に酸素ボンベを預けていたのを忘れていた!ということで、土砂降りの中、昼過ぎに取りに行きました。火曜は、生きていたらアルマンも通園していたはずだったね…すると花束と、療育園での写真をアルバムにして用意して待っていてくださいました。お通夜で社長に、イランの方が好きな花は?と聞かれ、薔薇ですかねぇ、と答えたので、薔薇の花束です愛情いっぱいのデコレーションに、可愛すぎる写真。胸がいっぱいです。今日は市役所に、身体障害者手帳を返却に行きました。バギー作製や諸手当ての手続きでお世話になった担当者の方を見ると、また泣きそうになってしまいました。沢山の方、市や県や国の制度、保険組合にお世話になりました。ありがとうございました。

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    • お友達のブログ

      アルマンのことを書いてくださったブログを、私も忘れたくないので記録します。把握してないものがあったらお知らせいただけると幸いですあと、リンク貼らないで~と思われる方もお知らせください。(貼る前に確認しろよという話。)♪くうとんとん♪~13トリソミーのくうちゃんと過ごすご機嫌な日々~"ありがとう"大切なお友達の旅立ちもっと笑ってよ~ライちゃんママのブログ"ありがとう""お通夜""お花畑"頑張る娘さん"ありがとう"らしかるのブログまたねかずひな日記~次男陽向は13トリソミー~命日柚胡椒ぼちぼち日記お空へ帰ったお友達へ笑門来福~21T ウエスト ヒルシュの次男と2歳上長男の成長記録~"生きる"18トリソミーの息子「のぶ」無題辛い不登校を乗り越え日常を取り戻し始めた長女と天使になった次女と元気な三女の日々③ゴールデンウィーク5/5lala-loveryのブログ"お花畑"君の名は希望生後126~127日、ミノムシまれちゃん生後128日目、出会いと別れ②K's family令和 元年 5月は…

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  • 21May
    • 私のこと

      ふつう、自分の子供を亡くした母親は、意識朦朧、食欲不振、悲しみに暮れてどん底…かと想像していましたが、今の私は、まるで100歳のおじいさんの大往生を見届けたような、やりきった感がしています。(今のところ、ですが。)2017年2月8日に誕生し、2017年4月30日にGCUを退院するまで、眠い目をこすりながら搾乳し、ほぼ毎日、片道50分くらいかけて病院に通いました。退院後は搾乳は止めましたが、睡眠時間を削って、出来る限りのことをしてきました。昼間は家事や長女(後からは次女も)の世話があるので静かなアルマンを放置することが多く、それは申し訳なかったですが、だいたい夜中に起きるので、その時は全身をマッサージしたり抱っこしたりして2人の時間を持ちました。週に2日(火金)は療育園に通わせて、私が放置している分を補ってもらいました。園の職員の方々にも、それはそれは可愛がってもらいました。無呼吸発作のある子供を預かるのは初めてということでしたが、受け入れていただき感謝です。通常はすぐに母子分離するところを、無呼吸があって怖いからと4ヶ月も付き添い登園することになり、今となっては、それも有り難かったです。訪問看護師さんにはほぼ毎日入ってもらい、絵本の読み聞かせやお風呂などをしていただきました。リハビリもしていただきました。訪問歯科は、最後は5月11日に来ていただき、ミルクにトロミをつけてスプーンで飲ませました。将来的にプリンとか好きな物だけでも食べられるようになるんじゃないかという希望を持たせてもらいました。死産や死別された方のブログを読んで覚悟も少しは出来ていたし、絵本「ずーっとずっとだいすきだよ」を読んでからは毎日アルマンに、「大好きだよ、生まれてくれてありがとう」と話し掛けたし、13っ子ちゃんのお友達が亡くなった時のブログに書きましたが、できるだけ抱っこする時間を見付けるようにしました。(絵本「わすれられないおくりもの」も良かったです。今回姉には「葉っぱのフレディ」をもらいました。)アルマンは気管、気管支軟化症で、無呼吸発作が起きます。怒って息を止めるのか、息が止まって苦しいから怒るのか分かりませんが息をこらえることがあったし、てんかんの発作でも呼吸停止してしまうことがありました。去年の春の入院中は、何の前兆もなく、気付いたらスッと息を止めていることもありました。自分で呼吸が戻ることもあれば、もう完全に全身を強ばらせてチアノーゼになって、アンビューという医療器具で酸素を送り込まないと戻らないこともありました。アンビューの過去最高記録は1日16回です。ふつうの大人は息を止めてもSpO2(酸素飽和度)が90を切ることなんて出来ないと思いますが、アルマンは一瞬で一桁までサッと落ちます。窒息しているのですから、本当に苦しいはずです。涙を流すこともよくありました。調子が良いと2~3週間に1回のアンビューでしたが、仮に平均1日1回とすると、700回以上になります。それだけ苦しい思いをしたし、その1回でも見逃したら、その時点で亡くなっていました。アンビューしたのは私が92%、医療関係者が6%、夫が2%というところでしょうか、勝手なイメージですが。私は24時間監視し、よくやったと思います。仕事復帰して間もなくのことでしたが、「育児休暇をもっと延ばしていれば」とかは思いません。私はその時その時で最善の選択をしたと思っています。アルマンも、もうこれ以上苦しい思いをする必要がなくなりました。13トリソミーは生後1ヶ月で半数が亡くなると言われるところ、アルマンは2年3ヶ月も頑張ってくれました。もうアルマンは充分過ぎるほど頑張った。そしてお空でたくさんのお友達や親戚と自由に走り回っている。そう思って、自分を納得させています。

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  • 20May
    • おねえちゃんのこと

      本日3回目の投稿です。長女(5歳)はアルマンをとても可愛がっていて、アルマンが亡くなったことを伝えると、「もっとアルマン君と遊びたかったのに!ママのせい」「ママとパパのせいでアルマン君死んじゃった!」と怒っていました。でもすぐに、お空に行ってしまったこと、お空からいつでも見てくれていることに納得し、楽しそうにしていました。亡くなった日の夜は、抱っこしながら寝てしまいました。アルマンのためにいただいたお菓子(ボーロ)を、「ねえねえ、もうアルマン君食べたと思うから、(私)食べていい?」とねだったかと思うと…「あるまんくんさようならあるまんくんでもあいしてるよあるまんくんでもこころのなかではしゃべってるよ」「あるまんくんありがとうにねんいっしょにあそんでくれてありがとうこのてがみお(を)あるまんくんえ(へ)」優しい手紙を書いてくれました。姪っ子(5歳、私の姉の子)も、数回しか会っていないのですがアルマンにお別れがしたいと言ってくれたようで、新幹線に乗って来てくれました。「あるまんくんだよあるまんくんてちょっとかみながいね(髪長いね)わたしもすき」という素敵なお手紙をくれました。

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    • お花畑

      本日2回目の投稿です。また今日も、お友達からお花が届きましたライちゃんママが募ってくださり、ララちゃんママが可愛いお花をセレクトしてくださいました。(ララちゃんの退院おめでとうございます!)ララちゃん、ハッチくん、ゆうたろうくん、えなちゃん、りょうちゃん、かほちゃん、あやくん、ライちゃんママたち。ありがとうございますアルマンも、賑やかな動物さんのお花が可愛くて嬉しいってお通夜には、遠いところから、くーちゃん、ライちゃん、かこちゃん、かっちゃん、あみちゃん、ninaちゃん、希ちゃん、じゅのちゃんのママたち&じゅのちゃん本人&あみちゃん弟君が駆け付けてくださいました。お花やお菓子やジュース、チュッパチャップスもね、いただきました。じゅのちゃん作の鯉のぼり、くーちゃんからのおもちゃのガラガラ、ライちゃんからのドクターヘリも、いつも傍に置いておきます。ブログに書いて偲んでくださった方々、心の中で祈ってくださった方々、あたたかいコメントを下さった方々、本当にありがとうございます。改めてアルマンの存在の大きさを思い知り、アルマンは幸せだったなあと思います。ホントウだったら↑ここに書きましたが、私は病気のないアルマンに会いたかった。でも、これだけ他のがんばりっ子ちゃんの支えになり、私もかけがえのないお友達が出来たのなら、アルマンが13トリソミーとして我々家族のもとに生まれてきた意味は充分にあったなと。そう思います。

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    • あの日のこと 続き

      控え室で事情聴取を受けた後、自宅の状況も確認するということで、私だけ自宅に戻りました。警察の方が、狭い部屋に6、7人入って来られたかな。最後に足指に巻いていたモニターのセンサーを見ました。すると、いつもでは考えられないところで断線しています。救急隊員が救急車に運び込む際にこのセンサーは不要と言われた時、夫が引っ張って切れたんだろうと思いました。でも、何故朝にモニターの電源が落ちていたのかを考えた時に、もしかするとその前から断線していた可能性もあるかもという結論になりました。説明書を読むと、モニターの不活動状態が10分続くと自動的に電源が落ちると書いてあります。実際にやってみました。SpO2が90を切る時に鳴るアラーム音(私が4時20分頃に聞いた音)とは別の、短く、そして鳴る間隔が長いアラームが10分間して、電源が切れました。アルマンはうつ伏せから戻ることはこれまで2、3回しかないですが、首を上げて360度回るし、よく布団からはみ出るくらい動けます。だから、うつ伏せで窒息したのではなく、息こらえなり、てんかん発作の無呼吸なりが起きて、でもモニターが作動しなくて、そのまま…だったのかもしれません。私が4時半頃に巻き直した時には、そんな異常音は聞こえなかったんですけどね…皆いるのに、独りでいかせてごめんね、という申し訳ない気持ちでいっぱいでした。NICUで1歳を迎えられる確率が10%ない13トリソミーと宣告された時、私は、自分が産んだので、自分の腕の中でこの子を看取りたいと思いました。弱い夫には無理だろうと思っていました。でも、私も夫も気付かず、一人苦しんで行ってしまった。最後に着せたい服を持って来てくださいと言われたので、私は、この夏に着倒そうと思って買ってまだ一度も着せていなかった、黒いハイビスカス柄が素敵なChampionの半袖90cm前開きロンパースを持って行きました。看護師さんに着替えさせてもらったアルマンは、まるでいつものように寝ているようでした。肌着はもういらないかと思って持って行かなかったのですが、看護師さんが、1枚では寒そうだったので、それまで着ていた肌着がきれいなのでそのまま着せましたとおっしゃってくれました。霊安室でアルマンと対面した長女は、最初おそるおそるで、丁度2年前にアルマンがGCUを退院する時に、初めて会わせた時のことを思い出しました。医師たち、看護師たち、理学療法士と言語聴覚士、アルマンがお世話になった方々がお別れを言いに来てくれました。裏口に車をつけ、アルマンを自宅に連れて帰りました。15時頃でした。

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