くさまです。
横浜の皆さん、横浜ヤンキーをご存知でしょうか?我こそはと思う方、昔そうだったんだと思う方、ネット検索してこのブログにたどり着いた方には、いろんな方がいらっしゃるかもしれません。ただ、今回の横浜ヤンキーはリアルな方です(反社ではありません)。
開港から横浜に住んだ外国人、明治2年に軍のお雇い外国人として来日したヘルム氏の一族の話を、今はそこから4代目に当たり、アメリカに住むレスリー・ヘルムさんが昨年日本語版で出版した著書「横浜ヤンキー」の話です。
昨日は、都筑区で活動するNPOアーモンドコミュニティネットワークさんのご尽力で、なんと著書のレスリーヘルムさんの講演会を都筑区で開催することができました。
話しているのがヘルムさん。手前がヘルムさんと同じUCバークレー出身で、都筑区に住み、ICUで教鞭をとっているアーモンドコミュニティネットワークのロブさん。
僕の隣が僕の半分くらいしかない(笑)アーモンドコミュニティ代表の水谷さん。今回は国際局後援で関山局長からもご挨拶いただきました。
「横浜ヤンキー」とは、著書のヘルムさんが横浜で産まれ、横浜のインターナショナルスクールに通いながら育ち、日本語ペラペラの「ハーフ」で、ビジネスウィークやロサンゼルスタイムズの記者・日本特派員としてアメリカ人や日本人その他多くの人々と接する中で、子供のころはもちろん、大人になって記者として、日本人の養子を受け入れるにあたっても自分のアイデンティティは一体何なのか、ヘルム家が日本に来て約150年・そしてレスリーヘルムさんの60年間の人生がこめられたタイトルです。
国際都市を標榜する横浜として、レスリーさんの話は横浜の多文化共生を考えるにあたって非常に参考になる話であり、『横浜ヤンキー』はその集約の資料として貴重なものだと思いますが、個人的には、著書に詳述されている横浜の歴史について大変興味深く読ませていただきました。そもそも、僕はヘルム家のことも、ヘルムブラザーズ商会のこともこの本に出合うまで全く知りませんでした。ヘルムブラザース商会自体、1891年から1973年まで82年間横浜に存在し、多くの日本人もそこで勤めていたのですが、会社がなくなってから半世紀も経たないうちに、横浜の歴史からは忘れ去られようとしています。実際、ヘルム・ブラザーズ商会をネットで検索してもほとんど資料は出てきません。
開港当時、ヘルム一族はいわば横浜の主役だったはずです。また、多くの親族が横浜を中心に増えていったはずですが、4代目のレスリーさんは今はアメリカに渡り、ヘルムとつく遺構もほとんど残っていないようです。
横浜市会議員として国際派でけっこう頑張ってるつもりですが、ヘルム家やその周りの、かつて横浜の主役だった外国人の皆さんのことを僕(ら)はあまりにも忘却しているような気がしてなりません。逆に、そこを大切にしている方々がまだ多くいらっしゃることも学び、出会わせていただきました。今回をきっかけに国際都市ヨコハマとしてのアイデンティティ、明治初期の開港都市しか持ちえないアイデンティティを、僕なりに再考していきたいと思います。実はそれが横浜のかけがえのない財産だと思います。
横浜の皆さん、横浜ヤンキーをご存知でしょうか?我こそはと思う方、昔そうだったんだと思う方、ネット検索してこのブログにたどり着いた方には、いろんな方がいらっしゃるかもしれません。ただ、今回の横浜ヤンキーはリアルな方です(反社ではありません)。
開港から横浜に住んだ外国人、明治2年に軍のお雇い外国人として来日したヘルム氏の一族の話を、今はそこから4代目に当たり、アメリカに住むレスリー・ヘルムさんが昨年日本語版で出版した著書「横浜ヤンキー」の話です。
昨日は、都筑区で活動するNPOアーモンドコミュニティネットワークさんのご尽力で、なんと著書のレスリーヘルムさんの講演会を都筑区で開催することができました。
話しているのがヘルムさん。手前がヘルムさんと同じUCバークレー出身で、都筑区に住み、ICUで教鞭をとっているアーモンドコミュニティネットワークのロブさん。
僕の隣が僕の半分くらいしかない(笑)アーモンドコミュニティ代表の水谷さん。今回は国際局後援で関山局長からもご挨拶いただきました。
「横浜ヤンキー」とは、著書のヘルムさんが横浜で産まれ、横浜のインターナショナルスクールに通いながら育ち、日本語ペラペラの「ハーフ」で、ビジネスウィークやロサンゼルスタイムズの記者・日本特派員としてアメリカ人や日本人その他多くの人々と接する中で、子供のころはもちろん、大人になって記者として、日本人の養子を受け入れるにあたっても自分のアイデンティティは一体何なのか、ヘルム家が日本に来て約150年・そしてレスリーヘルムさんの60年間の人生がこめられたタイトルです。
国際都市を標榜する横浜として、レスリーさんの話は横浜の多文化共生を考えるにあたって非常に参考になる話であり、『横浜ヤンキー』はその集約の資料として貴重なものだと思いますが、個人的には、著書に詳述されている横浜の歴史について大変興味深く読ませていただきました。そもそも、僕はヘルム家のことも、ヘルムブラザーズ商会のこともこの本に出合うまで全く知りませんでした。ヘルムブラザース商会自体、1891年から1973年まで82年間横浜に存在し、多くの日本人もそこで勤めていたのですが、会社がなくなってから半世紀も経たないうちに、横浜の歴史からは忘れ去られようとしています。実際、ヘルム・ブラザーズ商会をネットで検索してもほとんど資料は出てきません。
開港当時、ヘルム一族はいわば横浜の主役だったはずです。また、多くの親族が横浜を中心に増えていったはずですが、4代目のレスリーさんは今はアメリカに渡り、ヘルムとつく遺構もほとんど残っていないようです。
横浜市会議員として国際派でけっこう頑張ってるつもりですが、ヘルム家やその周りの、かつて横浜の主役だった外国人の皆さんのことを僕(ら)はあまりにも忘却しているような気がしてなりません。逆に、そこを大切にしている方々がまだ多くいらっしゃることも学び、出会わせていただきました。今回をきっかけに国際都市ヨコハマとしてのアイデンティティ、明治初期の開港都市しか持ちえないアイデンティティを、僕なりに再考していきたいと思います。実はそれが横浜のかけがえのない財産だと思います。