「原理本体論」の真実(4) | 親と子の訓読家庭教会

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後天時代に於ける子女教育を考える

「絶対性」に関して、御父様が話された新しい原理的内容の続きです。先回にも言いましたように、「絶対性」とは単に外的に純潔と貞操を守るだけのものではありません。「絶対性」とは、神が祝福家庭夫婦に直接臨在する事により、神の愛と生命と血統を出発し、四大心情圏を完成し、神中心の家庭、社会、国家、世界を展開し、最終的に御自身の創造目的を達成する為のものだったのです。言い換えると「絶対性」とは、本来全ての人類が天国に入っていく為の、唯一絶対の道だったのです。


御父様はそれについて、
「本来アダムとエバは初愛の日に絶対性を通じて神に出会うはずだったのです」
「ついに、あなた達に直接天国にいける道を教える時が来ました」
「だから絶対性は原理の中心なのです」
「絶対性無しには人間の責任分担は完成しないのです」
「絶対性をもって原理の内容も完結するようになっているのです」
等々、、、と言われました。
では、その様な「絶対性」を中心とした夫婦愛を完成させる為には、どんな基準が必要なのでしょうか。


その基準のひとつが「心と体の一体化」でした。御父様はこの事に関しては何度も、何度も色々な形で説明されました。
例えば、、、
「まず個人において心と体の一体化がなされていなければ絶対性は出来ません」
「何度も言っているように、心と体の一体化なしには天国にいけません」
「つまり心と体の一体化が理想家庭建設の鍵なのです」
「もしあなた達の心と体が一体化しなければ、自分の相対者以外に魅かれてしまうのです」等々です。


これによって第一祝福の本来的原理的意義と、その次の第二祝福との連続的関係性がハッキリしました。すなわち、第一祝福の言うところの神を中心とした「心と体の一体化」とは単純に「肉体的欲望を主管すると個性完成出来る」といった様な、単純な意味ではなかったのです。第一祝福における「心と体の一体化」の本当の目的とは、その次の段階で夫婦が神中心の性関係を結んで、神と我々が初めてひとつになる為の、第二祝福を出発させる事だったのです。


と言う事は、祝福中心家庭の夫婦関係は一般の夫婦関係や男女関係とは根本的に違うという事が解ってきます。つまり、祝福中心家庭の夫婦が愛し合う時には、肉的欲望を中心とした愛ではなくて、霊的・精神的な動機を中心として愛し合わないといけないという事です。言い換えれば、心が「主体」であり、体が「対象」という創造原理の普遍的原則は、我々が夫婦として愛し合う時においてもやはり適用されるという事です。


この基準からいくと、例え祝福家庭と言えども肉欲的衝動だけに駆られて性関係を持つ場合は、それは神が主管しうる愛とはならないという事になります。また情的・霊的に一体化してない夫婦がただ肉欲的動機を中心として交わり、子供を作り続けるというのも原理的でないという事になります。


更に御父様の御説明を聞くと、もう一つの「絶対性」の基準は「真の愛」であることが解ります。皆さんも御存知の様に「真の愛」とは「為に生きる」愛の事です。そして、夫婦が愛し合う時もやはり「為に生きる」真の愛を実践する為に、神はわざとお互いの生殖器を交換して創られたと言われました。(次回に続く)