gildongのブログ

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原理と良心の声に従い、真理と真実を追求します

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忙し年末に仕事を休むこともできず、一泊二日の弾丸日程で創立大会および祝勝会に参加し、仕事に戻って二日目になりました。公式的な内容は流れるべきところから流れるでしょうから、敢えて触れませんが、色々と感じたこともあったので、少し書いておきます。

 

当たり前のことですが、HJNの原理観にブレがないのが希望です。間接的な媒体を通じて伝えられる内容には、たとえ善意であっても不可避的に何らかの編集的な要素が入るし、その場の雰囲気や表情、実体としてそこにいらっしゃるプレゼンスは、その場にいないと感じられません。

 

通訳さんが入るタイミングを見計らい、入りかけて、まだ話し続けられた瞬間に、ぐっと言葉を飲み込み、それが3回くらい続いた後でも、まるで始めからそのタイミングであったかのように通訳する姿に感動を覚えました。ラージスクリーンに映し出される喉仏の動きに。

 

ステージの下に降りて歩き回りながら語られる時間が長かったし、そのまま同じフロアで語り終えられました。これも当たり前のことなのですが、なぜか新鮮に感じられました。なぜか? あえて書きませんが。

 

課題はたくさんあるでしょう。ほんの出発に過ぎないし、良心はあるので、違和感を感じる部分には直ちに反応してしまい、その違和感の原理的意味を検証する、という、内的プロセスの発動は不可避です。このようなことを書くと怪訝に思う人もいるかも知れませんが、私は、それが当たり前だと理解しています。

 

再臨主がいたところでさえ、あの体たらくです。その無残な姿を指摘することは誰でもできます。しかし、何故あの方がいながらあのように無残な姿に変質したのかという根本原因が看過されれば、似たようなことが起こる可能性は否定できません。もし、全てが完璧だと言う人がいれば、その人はまた同じ問題を引き寄せる当事者になるでしょう。

 

まあ、それはともかく、個人的には、懐かしい兄弟との再会できたことが何よりでした。創立大会の直後には、ほんの短い時間でしたが、かつて寝食を共にした学舎のメンバーが集まり、中にはその時以来の兄弟もいて、ちょっとした同窓会でした。

 

翌日は更なるサプライズでした。祝勝会のあとフロアを見渡したら、遠目に見覚えのある姿が目に映り、もしやと思って近くに行くと、もう言葉にならず、人目もはばからず、ハグして飛び跳ねていました。特別な因縁があり、一番会いたかった兄弟に、同じ摂理観を共有する立場で20数年ぶりに再会できたことは何よりでした。彼無くしては実現しなかった共作は、今も様々な場面で生き続けており、単なる懐古ではない、新しい始まりなのです。このような再会がHJNゆえに実現したことは本当に感謝でした。

 

 

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