《手話歌サークルフェルマータ》
~フェルマータはボランティア音楽団体
「きらきら湘南」の活動の中の一つです~
合唱・ピアノ・声楽・手話歌・音楽講座
♪プロフィール♪
(前回のお話はこちら)
1747年にレオポルト・モーツァルトと結婚
したアンナ・マリア・ペルトゥルは7人の子
を生みました。
しかし当時は、劣悪な衛生環境や感染症の
蔓延、そして不適切な育児習慣等により、
乳児の約3人に1人は1歳になる前に亡くな
っていたと言われています。
まだ抗生物質やワクチンなどが普及する前
でしたから、怖ろしい流行病、例えば天然
痘、発疹チフス赤痢、猩紅熱などが猛威を
振るい始めると、真っ先に抵抗力の弱い
乳幼児が犠牲になってしまう事は避けらま
せんでしたし、これが一旦はおさまったと
しても、不衛生な水やまだ整備されていな
かった下水道が原因となって、流行病の発
生が後を絶たなかったからです。
また当時の社会習慣や育児に対する知識不足
もこれに拍車をかけていました。
例えば、母乳の代わりに与えられた人工栄養
は、麦粉をビールや砂糖水で溶いたパン粥で
これが乳児の栄養失調を招いてしまったり、
調理も大腸菌などの細菌に汚染された水や、
不衛生な器具を知らずに使用していたので、
例え流行病でなくても、子どもが病気を罹っ
てしまう確率は高かったのです。
レオポルト一家もこの例外ではありません
でした。
結婚した翌年に長男ヨハンが生まれますが、
病気で生後5ヶ月で亡くなり、その翌年に
生まれた長女マリアは生後6日までしか
生きる事が出来ませんでした。その翌年に
生まれた次女マリア・アンナも生後11週で
亡くなってしまい、子が育たない悲しみに
暮れた夫婦は、その翌年に生まれた3女には
どうか今までの兄姉の分まで生きて欲しい
と願いを込めて、姉と同じ名マリア・アン
ナと名づけました。
この3女が生まれた翌年には待望の男の子も
生まれ、夫婦は元気に育っている3女同様に
この男子にも亡き兄と同じ名ヨハンと名付け
ますが、残念ながら彼は生後12週で亡くなっ
てしまいました。
その後は、この2年後に生まれた4女マリアも
生後7週までしか生きる事が出来ず、結婚して
6年間たて続けに5人もの子を亡くした事で、
二人にとって3女のマリア・アンナだけが唯一
の生きがいとなっていました。
幸いな事に3女のマリア・アンナは健やかに
育ち、幼少期の母と同じ様に皆からはナンネ
ルと呼ばれ、夫婦はこの愛らしい娘を大変
可愛がっていました。
でも、親子3人で温かく慎ましい家庭を築い
ていたこのレオポルト一家は、再び思いも
かけず久しぶりの子宝に恵まれるのです。
ナンネルが5歳の時の事でした。
ただ、マリア・アンナはこの時既に36歳に
なっており、当時の出産としてはかなり高齢
だった為、レオポルトはマリア・アンナの
身体を案じ、仕事も手につかないほど心配し
ました。
それでも幸運にもマリア・アンナは7回目の
出産を無事に終えることが出来、一家に新し
い家族が加わる事になります。
1756年1月27日、3男ヴォルフガング・
アマデウス・モーツァルトの誕生です。
(ついに音楽界を変える偉人の誕生だ!!
でもモーツァルトが、当時としてはかなりの
高齢出産で生まれた子どもで、しかもこの頃
の衛生状態を考えると、本当に無事に生まれ
育った事は奇跡だったんだね。生まれてくれ
て本当にありがとう!って気持ちになるよ。)
そうそう、でもこれはヨーロッパだけの話
でなく、日本でも医療が未発達だった昔は、
「7歳までは神の子」と言われて節目ごとに
神様に長寿と成長を祈る儀式として七五三
が行われていた訳ですよね!
今でも伝統となって家族でお祝いする日に
なっていますが。![]()
昔は出産も育児も、今とは全く違った意味で
の大変さがあったんでしょうね・・・
さてレオポルトは、アンナ・マリアが3男の
ヴォルフガングを妊娠中に、一家の大黒柱と
して少しでも家族に良い物を食べさせたいと
作曲だけでなく音楽論文にも取り組み始めて
いました。
正直なところ、彼は正式な楽団員になった後
も、引き続き作品を書き続けてはいたのです
が、どの曲も自分が思うほど評判にはならず
楽団長が認めてくれたのは前年に書き上げた
田舎の素朴な結婚式の様子を描いた「農民
の婚礼」という曲くらいで、それ以外の曲は
どれもパッとせずに悩んでいたのです。
彼自身は自然主義的な感覚を持ち、主に風俗
を描写する事に興味があって曲を書いていた
ので、この「農民の婚礼」でもバグパイプや
銃声などの音を取り入れて、ユーモラスな
描写音楽を書き上げたつもりだったのですが
この頃の音楽の主流はまだまだ大司教の嗜好
が大きく、所詮音楽は娯楽程度の系譜に位置
づけられていた為、まだ宮廷経験の浅いレオ
ポルトにとって、ここで作曲するのは難しい
事だったのです。
そうなのです。
この頃、レオポルトのいるザルツブルグから
少し離れたウィーンでは、グルックが宮廷歌
劇場の楽長に任命され、ウィーンオペラ界の
頂点にいました。ただ、これも皮肉なもので
このグルックが輝いているオペラ界は今後、
今こうしてグルックに憧れている彼の息子の
手によってひっくり返される訳で、
言わばこの時がイタリアオペラの最後の全盛
期だったという事になります。
さて、
この様な経緯で、作曲では軌道に乗れない![]()
と悟ったレオポルトは、必死に音楽論文に
取り組み事を始めるのですが、でも意外
にもこれが彼には大ヒットしたようでした。
アンナ・マリアがヴォルフガングを妊娠中に
彼が発表したヴァイオリン演奏に関する論文
『バイオリン奏法』は、楽器の教則本を超え
た「音楽の百科事典」の様な内容で、
バイオリンの保持・指の位置や弓の持ち方等
バイオリン奏法の基礎に加え、ボーイングや
ポジション移動のテクニック、装飾音の弾き
方など細かく解説されていたので、とても
わかりやすい解説書だ!と評価され、翌年に
は出版される事になったのです![]()
(これってさ、何とかバイオリンが弾ける
様になりたい
って、従僕時代から彼が独学
で一から学んで頑張ってた事が実ったんだ![]()
作曲の方はさ、結局他人の真似をしてたから
やっぱり無理があったんだよなぁ。)
これは単なる奏法解説本でなく、当時の
音楽理論や解釈を網羅した名著と言われ、
ヨーロッパ中に知られる事となります。
現在でも18世紀の演奏実践の教科書として
当時の音楽を学ぶのに使われていますよ!
(息子が無事に生まれた年に出版まで
出来たっていうんだから、きっとこの年は
一家でお祝い
だっただろうね
)
でも、そのあたりからレオポルトの意識が
変わり始めてきます。
やりたい事はきっと叶えられるんだ
という
子ども時代から彼の持っていた純粋な信念が、
やれば何でもできるはず
という強いものに
変わり始めていくのです。
(・・・・)
きっかけは、7歳になったナンネルが自分の
ピアノを触り始めた時の事でした。
楽しそうに鍵盤で遊ぶ姿を見たレオポルトは
ナンネルには音楽の才能があるのでは!と
見抜き、早速この日からナンネルに本格的な
ピアノ指導をスタートするのですが、これが
彼の思っていた以上の成果を成してしまい、
ナンネルは彼の想像を越えてどんどん音楽を
吸収し始めたからです。
/
しかも、それから間もなく彼をもっと
驚かせる事件が起きます![]()
\
まだよちよち歩きのヴォルフガングが姉の
真似をして、一人でピアノによじ登ると、
姉のピアノに合わせて3連符を弾いて遊び
始めたのです。
それを見たレオポルトは
まさか
と
凍り付いてしました。
このレオポルトの衝撃はまだまだ続く事に
なります。
この彼の息子の音楽的才能は並外れたもので
レオポルトが息子にも手ほどきを始めると、
息子は3歳でチェンバロで和音を弾き、4歳に
なると短い曲を演奏し、5歳でまさかの作曲
まで始めてしまったのです。
子供達が二人とも普通ではない音楽の才能に
恵まれている事に気づいたレオポルトは、
大きなショックを受けると共に、もしかした
らこれは自分に与えられた任務なのか
と、
真剣に考え込むのでした。
(ここから教育パパの始まりだね?)
レオポルトは一般に厳格な教育パパとして
の側面で有名ですが、でも実際彼の家庭は
愛情で溢れていました。ですからこれから
始まる事になる演奏旅行も、そもそも家族で
考えて始めた事で、ただヴォルフガングと
ナンネルの才能を伸ばしてあげたいという
純粋な親の思いから始まったのですが・・
一般に、才能をもっている子ども側に立てば、
自分のその能力はみんなもきっと持っていて、
これは当たり前の事なのだと最初は普通に
思っています。
例えば、音感がある子どもは、まわりの子も
同じように音感を持っていると考えますし、
手先が人並外れて器用な子どもは、それが
人よりすごい事なのだと最初は全く認識して
いないのです。
ですから親や周りの教育者たちが、その子の
持つ才能に気づいてあげて、それを更に伸ば
してあげる作業をしてあげる事がとても大切
な事になる訳ですが、
ただこれが、本人のタイプ・気持ち等に準じ
て行動しないととても危ないのです。
いくら歌が人並外れて上手いとは言っても、
もし人前が嫌いな子どもであったら、皆の
の前でそれを披露するなんて事はただの苦痛
でしかない辛い事で、
そして当然苦痛の中から楽しみなど見出す事
は出来ませんから、結局その才能を大きく
伸ばす事など出来るはずもないからです。
ですから先ずはその子の行動をしっかり観察
し、決して評価するのではなく共感して、
それに興味を示してあげる事からが始まり
になります。
そして本人のやりたい気持ちを何より尊重し
もし本人がやりたいと言うのであれば環境を
整えてあげて、安心して挑戦出来る様に協力
出来れば、やがてはきっとその才能が伸びて
いくのでしょう。
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では、レオポルトの場合は?と言えば、
勤勉で実直 、職務を忠実に果たし、働く事に
人生の大部分を費やしたと言われるレオポル
トでしたから、息子や娘の才能を見抜いた時
は、本当に真剣に悩みました。
でも、レオポルトはこう考えました。
神学校で育った信心深い彼は、これを神の
奇跡と捉えてしまったのです。
そして彼は、この「奇跡」を育てる事が
神から自分に与えられた使命だと信じ、
と、決意しました。
息子の存在は神による自分への特別な計らい
だと彼は純粋に信じたのです。
レオポルトは敬虔なカトリック信徒であった
ため、彼がこの時息子の才能を個人的な利益
のためでなく、神の栄光を証明するための物
と捉えていた事は、当時の書簡などからも
伺う事が出来ます。
そこで、この才能の発見により、彼は自分の
人生を一変させる決心をします。
そして彼は、自らの作曲家としてのキャリア
はほぼ放棄して、これからは息子の教育と
世に奇跡を伝えていく事に全てを捧げよう!
と家族に宣言したのでした。
【音楽家の才能シリーズ】
☆才能を親に比較されて・・・
☆才能の裏側に見えた不幸
モーツァルトの伴奏動画人気です![]()
歌の自主練ツール![]()
♫歌曲の伴奏が450曲
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コンコーネ50、25、15番
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ドイツ歌曲も150曲以上!!
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☆手話を覚える為の手話歌サークル
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