《こころとハーモニーの講座フェルマータ》
~フェルマータは藤沢市の音楽教室です~
合唱・ピアノ・声楽・手話歌・音楽講座
♪プロフィール♪
前回からの続きです。
(前回のお話はこちら)
今回はカール・ツェルニーの生きた軌跡を
辿っています。
そしてこのお話もいよいよ
終盤に入っていく事になるのですが、
今日は彼の性格が伝わるエピソードを
少しお話ししてみたいと思います。
それは、こんなに沢山の練習曲を書いた
鉄人カール・ツェルニーでも
20代の頃にはずっと気にしていた事が
あったようで、
それは多分若かった彼の中で
コンプレックスとモチベーションの基部
にすらなっていたのだろうと思われる
意外な事についてのお話になります。
では、彼がずっと気にしていた
その大きな問題っていうのは
いったい何なのでしょうね?
(う~ん、ピアノの技術?みたいな
きっと演奏に関する事じゃないかな?・・)
いえいえ、
それが意外にも学校教育だったのです。
厳格な父の教育方針の為に
子ども時代に全く学校に通えなかった彼は、
20歳を過ぎた頃には
自分が周りと違っている事に気づきました。
しかし、それでも父は息子に対して
幼少期から優秀な家庭教師をつけて
実際には学校で学ぶ事以上の教育を
与えていましたので、
実際彼は
知識や教養に関して困る事はないどころか
寧ろ人よりずっと博学でした。
特に語学に於いては多国語が理解できたので
それを仕事に大いに役立ていたくらいです。
ではいったい何を彼は
コンプレックスと
感じていたのでしょう?
それは学校教材についてでした。
とにかく真面目な彼でしたから
皆が学ぶ教材を自分が全く知らない
という事が嫌だったのです。
自分の知識に偏りがあってはならない
と心配になってしまったのでしょうね。
(ハテ・・・普通それって
全く気にしない事だと思うんだけど・・)
真面目なツェルニーゆえに!ですね。
特に彼は音楽の分野では
自分がピアノ講師として働く以上は
「どうしてもこれを無視はできない・・」
と強く思っていました。
そこで彼は
当時のパリ音楽院で教材とされていた
ルイ・アダンの『ピアノメソッド』や
アントニン・レイハの作曲教本を
個人的に取り寄せてこれを自力で独訳し
きちんと最初から勉強する事を決意した
のです。
こうした誰もが気づかない細やかな視点と
ストイックで永続的な勤勉さによって
彼は後にウィーンで
パリ音楽院にも負けないレベルの
音楽教育体系を独自に確立し、
やがて歴史に名を残す音楽教育者となって
成功する事になります。
ところで彼のそんな性格ゆえ、
他にも、ツェルニーあるあるの
面白い出来事もありますよ
(また勉強の話かな・・)
それは10歳のリストがウィーンで
デビューコンサートを行った時の事です。
ツェルニーは少年リストに
ピアニストとしての演奏技術だけではなく
「えそんな事まで」という事も
一つ一つ丁寧に指導していたようです。
例えばそれは、
ステージでは白手袋を着用し・・
舞台の上ではエレガントに歩き・・
弾く前には3回お辞儀をして・・
手袋の脱ぎ方はさりげなく・・
貴婦人方にはアイコンタクトを送って・・
アイコンタクトの仕方は・・などなど
(す、すごいな・・・
もしリストの師匠がベートーヴェンだったら
絶対に思いつきもしない事ばかりだ~)
でもこれが結局、リストが後に
パリで優れたヴィルトゥオーソとなって
その華やかな社交術で貴婦人方を魅了し
そして熱い視線を浴びるようになる
彼の生活の基盤にもなっていく訳ですから
ツェルニーのこの細やかな指導は
リストにとっても
大いに役に立っていたという訳ですよね
リストとベートーヴェン
ところで、
かなり前に書いたリストのお話の中で
『・・骨折したツェルニーの代役となって
ステージで演奏したリストを
会場に聴きに来たベートーヴェンが
大絶賛した・・・・』
と言うお話があったと思いますが、
覚えていますか?
(そう言えばあったね、思い出したよ!
それでいい気になった父のアーダムが
パリ音楽院行きを決意したんだったよね?)
(詳しくはこちらから)
そうです。
リストの父アーダムはこの時から
世界のトップを目指すようになりました。
アーダムはついに憧れのベートーヴェンと
感動の対面を果たす事が出来、
しかもベートーヴェンに息子を称賛されて
宙にも舞い上がりたい気持ちに
なっていましたから、
これは当然の展開だったのかも
しれませんよね。
でもその傍らで、
/
息子のリストは?
\
と言えば・・・・
実はその前に父に内緒でこっそり
一度だけベートーヴェンに会っていた
のです。
それは、リストの回顧録を紐解いてみると
彼のウィーンのデビューコンサートの
少し前の出来事だった事がわかります。
本当に素晴らしい少年がいるのです。
是非一度彼の演奏を聴いて下さい!!
私が大嫌いな事は
よく知っているだろ
街へ行けば右に行っても左に行っても
ピアノの天才だ作曲の天才だと
天才という名の凡才がウヨウヨおるわ
ツェルニーは足を怪我した事を理由に
本来自分が弾く予定だった演目を
少年リストに弾いてもらって
これを彼の演奏会デビューにしようと
計画していましたが、
その前にどうしても
自分の師匠であるベートーヴェンに
この少年の演奏を聴いてもらいたくて
「一度でいいから聴いて下さい」と
彼は幾度となく頼み込んでいました。
一方ベートーヴェンは、
リストが巷で呼ばれている天才少年と言う
言葉を理由にこれを極端に嫌がりました。
勿論、彼にはそれだけの大きな理由が
あったのですが・・・
・・・それは忘れもしない
父ヨハンの悪夢のような口癖でした。
『お前は天才モーツァルトを超えろ!
これは我が一族からの命令だ。』
(詳しくはこちらから)
ベートーヴェンは小さい頃からずっと
事ある毎にこの言葉を聞かされていたので
天才と言う言葉に大きな反発を感じ
「自らの努力」でのみ成功を
成し得るものなのだ!
と強く主張していました。
でもそんなベートーヴェンも
ツェルニーのあまりにも切実な懇願に
ついに負け、ある日
一度だけその少年に会ってみよう・・
と承諾する事になるのです。
数日後、ツェルニーに連れられ
ベートーヴェンの家を訪れた少年リストの
様子は、
晩年になってリストが弟子達に語った話が
色々と綴られているリスト回顧録に、
「大作曲家」というイメージと
あまりにもかけ離れた彼の姿に
かえって緊張してしまい、
しばらくは立ち尽くす事しか
出来なかった・・・
と書かれています。
そして立ちすくむリストに
早速ベートーヴェンはこう言ったそうです。
では今ウィーンで大人気の
リースの小曲を弾きます。
リストはこう答えるとピアノの椅子に座り
ベートーヴェンの弟子でもあるリースの
作品を優雅に弾き始めました。
そして一曲弾き終わり椅子から
立ち上がろうとすると、
とベートーヴェンに言われたそうです。
そこで彼は再び椅子に座り直して
「平均律クラヴィーア」からハ短調のフーガ
を弾きました。
しかし、曲が終わるとベートーヴェンは
更にリストにこう言ったそうなのです。
もう一回弾いてくれないか?
リストの回顧録には、
さすがに私はこの時一瞬
身が凍りついてしまった・・・
そして、
既にツェルニー先生から学んでいた
即興や移調の知識やあの緻密な練習が
こんなにも直ぐに役に立つのかと
感謝した事はなかった・・
あぁ、運は私に味方してくれたよ。
幸いな事に私には
それが上手く出来たのだ!!
と、リストは感慨深く弟子たちに語った
そうです。
でも、横で聴いていたツェルニーは
きっとリスト以上にハラハラしていた
でしょうね。
こうしてリストが完璧に弾き終わると
ベートーヴェンは、
微笑みながらリストの近くに歩み寄って
腰をかがめて彼の頭を撫でながら
こう言ったそうです。
素晴らしい演奏だった・・
では最後に、
私の前で私の曲を弾いてみる
勇気を持っているだろうか?
弾き終わるとベートーヴェンは
両手で私を抱いて
おでこにキスしてくれた!
私の一生の中でこの出来事は、
最大の誇りとなっているのだよ・・
リストは涙を浮かべ嬉しそうに弟子達に
この感動的な想い出について語っていた
そうです。
(ベートーヴェンって好きだなぁ・・
周りからは偏屈って言われてるけど
心の優しい人なんだよね。
だからリストもツェルニーと同じで
すぐにベートーヴェンに魅かれたんだ)
最後にベートーヴェンは
二人に向かってこう言ったそうです。
音楽は多くの人達に幸福を与える
そしてその音楽を教えるという事は
世の中に幸せを広げていく立派な仕事
をしているという事なのだ
二人ともしっかりこれを務めるのだぞ
では次は、ステージで聴こう。
(そうか!!わかったよ。
ベートーヴェン曰く仕事の意義だね
ここに大きなポイントがありそうだ!)
これは仕事に限らずなのですが、
自分が今頑張ってやっている事が
「最終的には何の為なのか?」を知る事は
とても重要な事です。
その意義も考えずにただ言われた事を
必死になって熟すだけでは
やがて心が折れ身体も疲れ果ててしまう
からです。
例えば、
自分が今工場で行っているこの作業は
指示された通りに自分の役目を果たす為
ではなく、
これを受け取る多くの子ども達が
笑顔になれる為に・・・
この商品について今から説明するのは
自分のプランを認めてもらう為ではなく
自分のアイデアがいつか世界の人々の
幸せの一端となれる様に・・
という風に視点を目の前の具体的な事から
もっとずっと遠くの抽象的な世界に広げて
今自分のしている仕事が
何処で誰の役に立っていくのか?!
を見るのです。
(でも、何も浮かばなかったら?)
それでも、必死に考えるのです。
色々と連想しながら想像していくと、
自分の仕事で幸せになってくれる人が
必ずどこかに居るからです。
そして、
誰かに、社会に、世界に、貢献出来ていると
いう自分の仕事の意義が見えてくると、
自分の働き方が変わってきます。
その仕事に誇りを持って働けるように
なるからです。
こうしてやりがいという物が
生まれてくるわけですよね。
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コンコーネ50、25、15番
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歌いながら覚えられるのが
楽しいです♪
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