《こころとハーモニーの講座フェルマータ》
~フェルマータは藤沢市の音楽教室です~
合唱・ピアノ・声楽・手話歌・音楽講座
♪プロフィール♪
前回からの続きになります。
(前回のお話はこちらから)
今回は美男子でも有名だった
作曲家フランツ・リストについて
書いていますが、
彼の父アーダム・リストの
お話も色々と絡んでいるので、
初めての「4回シリーズ!!」
になってしまいました。(^^♪
そして、今日はその3回目になります。
今回のテーマは
若き栄光の裏側に生まれてしまった
彼の隠されたコンプレックスです
ベートーヴェン大先生
さて、各地でピアノの演奏会を始めた
この父と息子の噂は、
アーダムの想定通りに
あのエステルハージ家にも届きました。
そして父アーダム・リストは自慢げに
エステルハージ公爵に会いに行くのです。
彼がここを訪れるのは
例の『5万頭の羊の群れの監督官』
に任命宣告された時以来です。
私の若き日の夢を切り裂いた
このエステルハージ家に
私のもっと大きな夢を叶えさせる!!
彼の計画は思い通りに進みました。
しかもエステルハージ公爵だけではなく、
居合わせたハンガリーの貴族達までが
息子フランツ・リストの才能に惚れ込み
彼がもっと高度な勉強が出来るように
お金を支給すると約束をしてくれたのです。
フラ~ンツ、喜ぶのだ
\
我々の未来は保証された。
さぁ、旅の支度だ!!
今からあの偉大な
ベートーヴェン大先生に
会いに行くぞ!!
お前は彼の弟子になるのだ
大声をあげて喜ぶ父の姿を見て
フランツも何だか嬉しくなりました。
誰だかよく知らないけど、
父さんが部屋に大事に飾っている
あの石版画の人の事だよね?
そうか!お父さんの憧れの人に
会いに行けるんだね?
ついに輝かしい自分の人生を見出し
大きな夢と野心を胸に抱いたアーダムは、
早速仕事も辞め、
財産も全て処分し、
一家で音楽の都ウィーンへと向かいます。
そしてリスト一家はここに移住を決め
フランツはウィーン音楽院に入学します。
しかし・・・
アーダムの計画で一番大事な事が
どうにも上手く進みませんでした。
息子に会ってくれないのだ!
何回頼みに行ってると思ってるんだ。
フランツのピアノを聞けば
衝撃で彼はきっとひっくり返るはず。
私はそれほどの天才を育てたのだ!
ウィーンでピアノをツェルニーに、
音楽理論をサリエリに習わすところまでは
順調に進んだのですが、
肝心のベートーヴェンが
全くこちらに振り向いてくれないのです。
アーダムの計画では、
息子を彼の弟子にしなければならないのです。
しかし彼は諦めません!!
ご存知の通り
思い込んだらとにかく突き進むくタイプの
アーダム・リストですから・・・
そしてある時
演奏会に出演予定のツェルニーが
運悪く骨折してしまったという話を聞きつけ
きっとベートーヴェンは来るはずだ!
と息子フランツを是非代役に!と頼み込み
その演奏会の穴埋めに出演させる事に
成功しました。
そしてこの演奏会には
彼の思った通りにベートーヴェンが聴きに
来たのです
息子フランツの演奏を聴いた
ベートーヴェンはフランツを抱擁して
絶賛して褒めちぎりました。
しかし、ベートーヴェンのこの行為と言葉が
逆にアーダムの欲望を更に大きく膨らませて
しまいます。
私は目標を見誤っていた。
我々は、こんな小さな街に居ては
いけないのだ。
世界のトップを目指すぞ!!
ウィーンで勉強する計画を撤回し
我々は今からすぐパリに行くのだ!!
(ふ~ん、ベートーヴェンも絶賛って
やっぱりすごい少年だったんだね。
でも、音楽の世界って
広いようで狭いんだなぁ・・・
リストは以前ここでテーマになった
あのサリエリにも習っていたんだね❗️
(詳しくはこちらから)
ところで、
リストに自己効力感を教えた人って
てっきりベートーヴェンかと思ってたけど
どうも違うみたいだね?
誰なんだろう
あとさ、ちょっと気になる事もあるよ。
リスト一家って、あまりお母さんの影が
見えてこないんだけど・・・)
見えない事にしたコンプレックス
さて、
11歳で華々しくウィーンデビューした
フランツ・リストでしたが、
年齢と共に成長するにつれ
何故だか心に大きな痛みを
感じるようになっていました。
最初にこれを感じたきっかけは
自分が一般高等教育を受けていない事に
気づいた時です。
同じウィーン音楽院の仲間と自分とでは
幼少期の生活が全く異なっていたのです。
思い返せばあの頃の自分は
小さな村でアーダムの厳しい特訓を受け
その後毎日貴族の館をまわっては
彼らの機嫌を取ってピアノを弾くという
多忙で異常な生活でした。
そして彼の更なる大きな疑問は、
という事でした。
父アーダムはいつも
「ハンガリー人」である事に誇りを持て!
全てを母国ハンガリーに捧ぐのだ!!
と息子に熱く語りますが、
でも実際には、
彼らは全くハンガリー語が話せず、
読み書きだって怪しかったのです。
彼らの生活の中では専らドイツ語が主流で
自分はハンガリーの言語も歴史も
そして音楽すら全く知らないのです。
実は彼のこの悩みは
後々にまで彼に大きく影響したようです。
彼のこの「ハンガリー」へのこだわりが
後に自分が作る事になる曲に
『ハンガリー風』を強調しようとする
大きな引き金になっていたからです。
一番深い所にあった悩みはこれでした。
父と共に日々演奏会に明け暮れる生活です。
例え家に居ても父アーダムの監視のもと
彼は相当の量の練習をこなさねば
ならなかったので、
元々家族への愛情が薄かった母アンナは
二人の練習の邪魔にならない様にと
いつも家で控え目に過ごしていました。
でもそれが、
彼の目には淋しく映っていたのです。
彼は毎日とにかく忙しく過ごす事で
自分が抱えているこれらのコンプレックスに
向き合わない様に蓋をして
過ごしていました・・・・
これを日本語で自己効力感と言います。
これは、
「自分は結果を出せる!」と、
自分の能力を信じて行動できる力
の事を言いますが、
この自己効力感は「コンプレックス」とも
とてもはっきりとした相関関係があります。
自己効力感が低いと劣等感が強まり、
逆に自己効力感が高いと
「きっと、自分には出来る!」
という気持ちになり自分の脳力を
信頼して行動出来るようになるからです。
ただ、この自己効力感そのものは
生まれつき誰でも持っている物では
ありません。
この力は自分で学び取る物なのです。
そしてその為には
どうしても体験しなければならない事が
一つあるのですが、
実はここにも「コンプレックス」が
大きく関わっているのです。
自己効力感について提唱した
アルバート・バンデューラー博士は
『恐怖の克服』について調べていました。
そして博士は、
自分自身を肯定的に捉える心理が
働くようになる。
という発見をしました。
つまりこういう事です。
辛い経験や挫折体験がなく、
コンプレックスも持っていない人が
何か困難な状況に遭遇してしまった時
『自分にこれは出来る!』
とはっきり宣言したとしても、
その発言自体に実際何の根拠もないので
果たしてそれが成し遂げられるかどうか?!
は怪しく結局諦めてしまう可能性だって
高いのです。
『あの時だってあの時なりに頑張った』
『駄目な自分だったけど、
こうして今もやってこれてるじゃない?!』
と自分を肯定的に捉えて
上手にコントロール出来るようになれる
という事なのです。
但し、条件が一つあります。
()
自分の持っているコンプレックスを
許されないもの
駄目なもの
見ないようにするものにしないで、
きちんと受け入れていなければなりません。
(でもそれちょっと、難しいよね)
少しでも前向きに思えた時には
自分を褒めてあげるのはいいですよね。
(それって、
前回の話の自己肯定感だね
そしてリストはまだこの段階では
自己効力感を学んでいなかったんだ)
そうなんです!
でも、これから彼の人生の中で起きる
彼のこのコンプレックスを巻き込んだ
大きな挫折体験が彼を大きく変えていきます。
彼はこの挫折体験があったから
自分の新しい人生を生み出せたのです。
(いよいよ『ピアノの魔術師』の謎が
明かされるね
そして誰が彼に自己効力感を教えたのか?
これもわかるんだね!!)
では次回はリストのお話の最終回、
挫折の後に手に入れられた自己効力感
についてです。
(続きはこちらから)
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