花ひとつ。
指先が切れるような美貌の弟を持って兄弟揃って年端のいかぬうちから名だたる映画に出演し(当初こそ『月下の若武者』のような美少年揃い踏みのようなこともしますが)まあそんなことで盤石でいられるほど甘い世界でもなければ兄はへちゃむくれの方に役者の生き残りを賭けて長門裕之です。水も滴る立ち姿で勝負をしない以上適度な深さ、程よい広がり、濃すぎない味わいを身の丈にして何にせよ勘よく小器用に動いては役者の風格を醸すわけで実際私なども長門をそう見てきたわけです。『盗まれた欲情』から『豚と軍艦』へと突っ切ってゆく今村昌平の撓うばかりの豪腕にはまさしくその撓りに体を沿わしてなけなしの青年の生き様を焼きつけ、野口博志から鈴木清順、中平康の小ぶりな映画では映画からはみ出る自在さで演出の際立つところをなぞります。東映にやって来てもややもすれば上半身すっぽんぽんで睨みを効かせる健さんの横で鼻水啜っているような役どころにも場面のツボを心得て心憎いばかりの足の掛かりよう、抜きようです。主演から脇、大きい器にも小さな器でも、踏ん張るところもすっと消えるところでも自分の立ち位置を見極めて申し分のない器用さ、しかるに最近そこのところが何とももやもやと収まりのつかない思いです。事の起こりはひばり映画の『小判鮫 お役者仁義』(沢島忠監督 1966年)を見返したことで、ふた役で座長芝居の美空ひばりに林与一が二枚目のやや襷に長い絡み、そうだけにとにかく場面のテンポが上がらず(それぞれ素性と胸の内を見透かしつつそれを美空のふた役が二度手間、三度手間にして)互いをつっついてはここを見せ場とカマトトな痴話喧嘩に流れます。長門は美空の兄にして剽軽者の乞食坊主でまさしくふたりの間に立って場面をからげる役廻りのはずですが、それが美空に輪を掛けた悠長な構えで念仏を聞かせるような芝居を続けるものですからこちらの方が先に沸点に達してしまいます。見廻しても場面にリズムを刻める立ち位置は他に花房錦一がいつもの姉の腰巾着でいて闊達ですが座長の弟の気楽さに押っ広げた感じはもう半分俳優ではなくなっています。つまり長門が捲し立てないと場面にリズムが生まれず続くふたりの濡れ場も惰性に乗っかることになって(案の定)本作はずるずると主演の重みに語りが沈んでいって、私が思い知るのは長門裕之は堺駿二ではない(し有島一郎でも藤原鎌足でも加東大介でも田崎潤でもない)ということです。主演が美男美女で芝居の合間を巻きようがないと見るや三人前の俄然さで場面を引っ張っては綺麗にふたりの濡れ場に繋いでみせる堺駿二のありがたさ。翻って私が思うのはここで場面のために浮かぶ瀬もない役廻りをさらっと躱す長門は言わばトップスターの横で小スターとして生きていくつもりなのであって、ゆめゆめ堺の位置に立つ気はなく(だからマキノ雅弘監督『日本侠客伝 白刃の盃』のあの芝居かと)そういう俳優の生き意地があって長門裕之ということが腑に落ちるこの頃。

 

 


雪ひとつ。
東宝創立20周年記念映画と銘打たれて題字、そして子守歌のように「ゴンドラの唄」が流れていくオープニングロールがやがて出演者になってまずは一枚に大きく志村喬、続いて寄せ書きにされた名前は志村を囲む役所の面々でここにさりげなく、しかし見ようによっては将棋で要にと金でも打つ具合に置かれているのが日守新一です。黒澤明監督『生きる』(1952年)はご承知の通り戦前、戦中、戦後をお役所大事で過ごしていた志村喬が穴蔵の如き積み上がった書類の暗がりのまま暗鬱と毎日を繰り返すばかりだった自分の体に思わぬ不調を覚え、それがもはや回復の見込みのない指折り数える余命と知るところから始まります。その役所の部下たちが先ほど名前が一列に述べられた藤原釜足、山田巳之助、左卜全、小田切みき、千秋実、田中春男、そして日守で彼の横には<松竹>と他社から招いたことが添えられて、『生きる』を見るとは即ちなぜ日守新一なのかを見極めることだとこのクレジットは私に迫ってきます。彼ら部下たちは役職とそれぞれ(お餅のようにぷくぅっと引っ張られるままひん曲がった)個性に則って志村に対してのみならず役所の機構、そこでの処世に冷ややかな批評を持ち合わせつつ、出世して役職に押し出されれば金太郎飴のように自分も同じ顔になることをぽつねんと受け入れているひとたちではあります。謹直一筋だった志村が余命の短さにそれまで役所に根づいてさえいれば安泰だと思っていた足許がふらつきまずは失った若さを掻き集めようともがいて、相手をする女性事務員も最初こそ連れ廻される散財に叫喚するもそのうち切りのない虚しさにご馳走も味気ないものになって志村は失った時間は取り戻せないことを知るわけです。失った時間を僅かな余命では埋め合わせられない、この不条理を転倒させるには残された時間を失うに足るものに費やすしかなくそれが役所を盥回しにされているどぶ池の処置であって彼は役人の領分をはるかに越えて一命を公園という形に残します。この燃え尽きた命の通夜の席で出し抜かれた上司や議員たちが上座に居並びつつ最初こそ故人の功績を讃えるものの、結局のところ自分の尽力あってこそとすっかりさばけたお座敷で鉢物の残りでも箸で突き刺す具合にぶんどります。そんな議員と役人の怯懦と虚栄に志村の部下も幇間に早変わりしてご尤もご尤もと手を揉むなか、憤怒に言葉を失いつつ煮えくり返る胸のうちがいまにも口から溢れそうなのが日守新一です。もうひとり、左卜全も皆に同調しませんが彼にあるのは事実に対する朴訥な直接性で不敵と云うよりも意固地であってそれに比べてはるかに不穏な意思を剥き出しにしているのが日守です。いよいよ一同の恥知らずぶりに怒りの声を上げますが、ただこれならば何も日守でなくとも東宝にいくらも見合う役者はありましょう。(当時の映画評で日守の芝居を松竹メロドラマ臭などと聞いた風なことを宣うものが散見するなか)おそらく黒澤明が他社ながら日守を招かねばならなかった理由は端的に結末です。通夜の席で何があれ日が明ければ役所の今日が始まる以上、昇っていく朝日に日足が見る見る影を後ろへ後ろへ追いやるように彼らはいつもの役人の処世に戻っていくのであってそれは日守新一とて同じこと、いや悪臭がいつまでも戦後というものの出自を暴き立てるようなどぶ池の周りに身を寄せるあのおかみさん連中にしたところで志村を生き仏の如く崇めてはいますがそんな奇特な心持ちは公園を見慣れていくに従って薄れていくものです。結末で役所が退けた黄昏に志村が作り上げた公園を見下ろす日守はふたたび役人の毎日を歩き出します。しかし日守新一だけはそんな毎日に身を沈めながらもふと志村のことを思い出しては隔たってしまった歳月にも関わらずあの日のあの通夜の炎を滾らせて志村への居たたまれぬ思いにいつまでも身を置くだろうと思わせます。つまり『生きる』とは何より日守の胸のうちに生き残る物語であり、私たちは彼の胸のうちに生きる物語を見ているのであって、そのために日守新一が必要なのだと見抜く黒澤明の眼力は他の作品のどんな破天荒な演出よりも彼の映画への確かさを感じさせて私の胸に染みます。

 

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咲き綻ぶ幾千の菖蒲の花がいまも東京の風物となっている堀切菖蒲園は江戸時代に百姓伊左衛門が菖蒲の品種を集めて公開したのが始まりです。江戸の成熟が庶民に文化を広げ朝顔や菊は品評会に熱を上げ、煙草も各地の香りを愉しみ、俳句、小唄に精を出す。娯楽の拡大が菖蒲園を江戸の名所に押し上げます。

堀切菖蒲園

堀切菖蒲園

 

 

 

巣鴨の名物に挙げられる<とげぬき地蔵>は実は明治に上野から越してきたもの。それまでは庚申塚で名を馳せます。庚申とは人間の体に住まうと言われる虫が帝に諸事の報告に行くのを夜通し見張る行事で、それを長年続けて塔を成したのが庚申塚。行事は古くからあれ塔建立が盛んになるのは江戸時代。

巣鴨庚申塚

巣鴨庚申塚 Sugamo Koushin_duka

 

猿田彦神社に保管されている明暦3年の庚申塔

猿田彦神社に保管されている明暦3年の庚申塔

 

 

 

巣鴨染井に多かったのが植木屋です。夢屋伊兵衛、花屋紋三郎、七郎右衛門、次郎兵衛らが軒を並べます。背景にあるのは田沼時代から庶民の娯楽が急成長して、花の需要とともに品種改良が盛んに試みられたこと。朝顔、菊、椿、梅、桜が商品となる。育成と販売を鑑みて彼らの多くが浅草近隣に居を移す。

「江戸名所百人美女 染井」(三代豊国)より

「江戸名所百人美女 染井」(三代豊国)より

 

江戸切絵図 染井王子巣鴨邊絵図

江戸切絵図 染井王子巣鴨邊絵図

 

 

 

飛鳥山は徳川吉宗が王子権現に土地を寄進したのが始まりです。それを王子権現の別当だった金輪寺が幕府に働きかけて開放、こぞって庶民が参っては料理屋が立ち並ぶ盛況となります。いまも残る扇屋の玉子の窯焼きは戯作でも舌鼓を打つ名物。飛鳥山は上野、向島とともに江戸の誇る桜の名所になります。

冨士三十六景 飛鳥山

冨士三十六景 飛鳥山

 

王子扇谷の窯焼玉子

王子扇谷の窯焼玉子

 

 

 

日本橋から高井戸まで十六里、途中に宿を望む声が高まります。できたのは内藤家の屋敷があったところで内藤新宿、新宿の始まりです。享保の頃私娼が溢れるあまりの放埒に廃止されますが、1772年に再興。目黒が熊野神社をはじめ信仰にひとを集めたとすると、新宿はそもそも享楽を活力に発展します。

江戸切絵図 内藤新宿千駄ヶ谷絵図

江戸切絵図 内藤新宿千駄ヶ谷絵図

 

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自分すら突き放して見る理知的で冷笑的な素顔に、綺麗では収まり切らない破壊的で愛らしい第二の顔が手に入ったことで、その顔が作る性格へと自分を解き放つ。無類の陽気さ、歯の浮くようなキザ、漫画のような生き様も、この顔ならばできる、しかも最高にカッコいい。

  https://onl.bz/zWzQhRD

  #宍戸錠 #追悼

舛田利雄 『河内ぞろ どけち虫』 宍戸錠 南田洋子

 

 

 

フーテン、ハイミナール、新宿東口。東京に行けばごきげんに面白いことが待っていると腰から踊り出す大堀早苗に絡みつくのは溶けるように形をなくした東京の夜。気怠い、体から力が抜けていく毎日のなかでそれでも生きていく意味は首筋の柔らかいところをなぞっていく。

  https://onl.bz/zJFtRBc

  #西村昭五郎 #残酷おんな情死

西村昭五郎 『残酷おんな情死』 真理アンヌ 大堀早苗

 

 

 

阪妻、千恵蔵、右太衛門、アラカン、歌舞伎をくぐり抜けたスターたちは二役を好む。一方はカツドウの昔から映画もまた二役を好む。両者の欲は重なりつつ互いを使嗾しながら錦之助、橋蔵たちに引き継がれるが、それを女だてに総ざらいに平らげる美空ひばり。

  https://onl.bz/2pVjdrT

中川信夫 『まぼろし天狗』 大川橋蔵

 

 

 

ひと口に二役と言ってもひとりがふたつの役、役はひとつで正体を隠している、様変わりする、年を取る、性別を越える、他人のそら似に、親子、兄弟、似ても似つかぬまで数えきれず。それにしても画面に同じ顔が現れるとき一瞬ざわつく感受性のあの震えは何なのか。

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1600年代の半ばに両国橋が掛かるまで隅田川を渡るのは渡しと決まっています。橋場の渡し、竹屋の渡し、竹丁の渡し、厩の渡し、中洲の渡し、佃の渡しで、うち竹丁は吾妻橋に、厩は厩橋になります。橋場には山谷堀の八百膳、今戸の金波楼と並ぶ柳屋という料理屋があって夜ごと食通を唸らせます。

江戸高名会亭尽 隅田川橋場渡之図 柳屋

江戸高名会亭尽 隅田川橋場渡之図 柳屋 Sumidagawa_Hashiba_Watashi_Z

 

 

 

永代橋は長さ百十間、江戸随一の橋で1698年に完成します。このような橋を掛けるには三、四千両の資金を必要として、隅田川に掛かる永代橋、大橋、新大橋、大川橋では二文の橋銭を取ります。〈深川の文には二文添えてやり〉のあれ。冨岡八幡の祭礼にひとが押し寄せて正徳、文化の二回、永代橋崩落。

東都名所 永代橋全図

東都名所 永代橋全図

 

文化四年八月 富岡八幡宮祭礼 永代橋崩壊の図

文化四年八月富岡八幡宮祭礼永代橋崩壊の図

 

 

 

川開きとは即ち納涼のこと、隅田川の花火がいまも名物ですが、そもそもは庶民は橋や川端をそぞろ歩き、旦那衆は舟を繰り出して川風を楽しんだもの。そこに玉屋、鍵屋が芸妓を連れた旦那の座興に花火を売り込み打ち上げていたのが、嘉永の頃から川開きの日に大花火を打ち上げるようになったのだとか。

東都両国夕凉之図

東都両国夕凉之図

 

 

 

江戸時代も後半になると遊興の先端を行く柳橋。そこから続いて幕府の御米蔵が立ち並びます。隅田川に出島状に迫り出して一番から八番まで堀を切り込み川から直接運び込みを行います。陸との出入り口は絞って厳重に管理。この前に広がるのが猿屋町、天王町、森田町、元旅籠町などでこれが俗に蔵前。

蔵前

蔵前 Kuramae

 

 

 

向島には大商人の寮が設けられるとともに料亭の数々も生まれます。大七は鯉料理で名を馳せます。「御府内流行名物案内双六」では山谷の八百善、王子の海老屋と共に駒を占めます。武蔵屋権三郎が切り盛りする武蔵屋もやはり鯉濃を売りにして大広間を開け放つ庭の見事さは錦絵を飾るほど。他にも三紅亭。

新版御府内流行名物案内双六

新版御府内流行名物案内双六

 

江戸高名会亭尽 牛嶋 武蔵屋

江戸高名会亭尽 牛嶋 武蔵屋 メトロポリタン美術館所蔵

 

 

 

亀戸天神は太宰府が東都に小さな社を建てたのが始まりです、1661年のこと。そのことに感銘した松平信綱、久世広元の尽力で三千五百坪の土地が寄進され以降江戸庶民の信仰を集めます。亀戸天神の行事にうそかえ神事があってこの一年の嘘を木の鳥に封じ込めると見知らぬ同士交換して厄を落とします。

東都名所亀戸天満宮境内全図

東都名所亀戸天満宮境内全図

 

東都名所亀戸天満宮境内全図

亀戸天神 うそ替え神事

 

 

 

江東に亀戸天神と並ぶ吾嬬権現、ここには連理の樟と呼ばれる大木が翻って名物で鳴らします。東征の折、突然の海の荒れ狂いにわが身を捧げて鎮めた弟橘媛を偲びつつこの地に休息をとったヤマトタケルが興隆を言祝いで箸を立てたのが樟となったと伝えられます。いまは枯れて浮世絵にその姿を留めます。

吾嬬権現の連理の樟

吾嬬権現の連理の樟 広重著『絵本江戸土産』第一編より

 

「神樟」 社殿右手に連理の樟の根元が残っている

「神樟」 社殿右手に連理の樟の根元が残っている

 

 

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絵沢萠子 Moeko_Ezawa
 

いまほど気楽に日活ロマンポルノを見られる年齢でもありませんから彼女の映画人生を潤す前半を欠いたまま、絵沢萠子の名前が渦巻くように私の体の内側を吹き上がっていったのは伊丹十三監督『マルサの女(1987年)です。宮本信子が税務署職員から国税局査察部に転身しながらラブホテルの経営を抜け穴に政界、暴力団とも結びついて組織的な脱税を行う山崎努と渡り合いますが、相手を理解するうちその人間的な輪郭に親密さを感じつつ再び犯罪者という確固とした抽象的存在に差し戻すその狭間にヒロインの葛藤もあります。やがて大掛かりな査察が各所に点在する金の隠し場所、経由先、洗浄者に踏み込むと如何にも色恋の仲はとっくに終わっていて言わばその腐れ縁に欲得の信頼を置いて山崎から金の保管を任されている色年増が絵沢萠子です。抜き打ちでしかも考え抜かれ調べ尽くされた局員の迅速さに為す術もなく黙って身ぐるみ剥がれる口惜しさにひとり大広間に仁王立ちになると服を掻き毟って素っ裸になるやここも調べろ、どうだと大股開きに寝転びます。伊丹十三の映画は(まあ面白いんですが)如何にも80年代ミニコミ誌のカタログ的な映画にあってこの一瞬開けてくる見世物的な高揚感こそ絵沢の真骨頂でありながら、強制捜査に付きものの一挿話に落とし込む伊丹のスタイルの限界も見えてきます。ひゅるひゅると甲高く上がるその声は単純に色気というにはやや皺んだ革袋を思わせる張りの抜け具合でいまさら若い子と張り合ってもと嘯きつつまだまだ女を捨てていない意地を滲ませて、それを疎んじられて男に踵で隅に追いやられる、そういう一切合切を立ち姿に映して絵沢萠子でしょう。足というか意識がもつれる女の生きてきた足どりすら感じさせて、体をちりぢりに振りほどき狂おしく振り立ててはよろけますが、改めてみる絵沢の身体には乱れて尚それを抑制する拍子が息づいています。思い出すのは加東大介や最近では田中泯のような踊りの名手たちの身体で、柔らかく足裏で自分の所在を踏みしめるひと足ひと足から体が立ち上がってきて臍噛み締める女を演じて絵沢もまた見えざる踊りの身体を撓わせます。

 

 

 

芳醇な香りのフィルモグラフィーをざっと紐解いても神代辰巳監督濡れた唇』を皮切りに『官能教室 愛のテクニック』、『(秘)女郎責め地獄』、『昭和おんなみち 裸性門』、『濡れた欲情 特出し21人』、『SEXハイウェイ 女の駐車場』、『主婦体験レポート おんなの四畳半』、『新宿乱れ街 いくまで待って』、『女教師』、『人妻集団暴行致死事件』... 改めてあれにもこれにも絵沢の姿が陽炎のように微笑んでいて、私は映画を突っ走っているつもりでただ絵沢萠子を追いかけていたのではないか、まるでホテルの窓から徒に向けたライフルの照準器に遙か彼方からこちらを見据える絵沢の瞳に射貫かれたかのようにたじろぎます。例えば神代辰巳監督『四畳半襖の裏張り1973年)は待合のひと夜を物語の時間軸にしつつ如何にも世の中の掃き溜めに腰まで沈んで生きている旦那が江角英明、忘れがたい床の仕草が口づてに彼を執心させている枕芸者が宮下順子で望み叶って彼女との夜を写しますが、宮下と合わせ鏡に置かれてお茶を引く毎日を嫉妬とじりじり焼け焦がれる無聊に身を震わせているのが絵沢です。米騒動からシベリア出兵に至る明確な目的もないまま中心へけだるく渦を巻くような大正時代にあって生きあぐねては待合の蚊帳の薄暗さに閉じ籠もった男女の生き様は取り立てた喜劇性もないのに微笑を誘います。とりわけ絵沢はあがけばあがくほど渋皮ばかりになっていく面の皮に旦那どころか内子にまで愛想を尽かされてあとは自分の頭の上の蠅を追うばかりの結末。ロマンポルノに出演したときですでに三十を越えていた以上、若い女優の対角に置かれて何にせよ自分自身を持て余しては駒のように廻って最後はことりと転がる役どころです。小沼勝監督『大江戸(秘)おんな医者あらし(1975年)では御法度の堕胎出術を陰で行う女医者ですが水子の出生を辛くも生き抜けた二枚目の弟子をツバメに大年増の鼻の穴を膨らませています。それが案の定患者でやって来た若い片桐夕子に抑えていた諸々の野心を疼かせると一枚上手の片桐は案外世擦れたところのない絵沢をあっさり出し抜いて二枚目を奪い取ります。裏稼業も露見して江戸所払いになる絵沢が役人と下役に追い立てられていくのを見送る二枚目には(ややげっぷの出る毎日ではあれ)それはそれで中年女の切羽詰まった、それだけ裏表のない情だったことが映ります。

 

 

 

 

今回絵沢の経歴に目を通して虚を突かれたのは彼女がくるみ座に在籍していたことで、名前こそ児童劇団のような丸まり方ですが岸田国士が佐藤春夫の詩から名づけた毛利菊枝主催の京都の劇団です。毛利は東映時代劇では家柄や婦道のような重い大義に畏まって揺るがない陰のような役どころで樫の木のような堅い古風さを思わせますが、くるみ座は不条理劇もこなす関西演劇の雄。もともと岩田豊雄が昭和4年に結成した喜劇座を初舞台に、以降は岸田国士の許で女優を続けますがやむなく京都に移住することになって、やがて戦争。戦後に旧知だった北村英三が復員してきて彼の教え子だった沼田曜一と三人して手探りに始めたのがくるみ座の原型です。(確か丹波哲郎だったか、新東宝随一の芝居に沼田の名前を挙げてしかしあの偏屈さが道を狭めたと呟いていましたが、本人にすれば芸術志向の切り立った志に役者で喰っていく現実を呑み込んだとすればおいそれとは覗いてほしくない胸のうちではありましょう... )新劇の養成所はどこもそうですがくるみ座も毛利の稽古の厳しさが響き渡って、どうあれそれを潜って絵沢萠子ということです。最後に映画をその肌に映して凋落する70年代を叱咤し続けた絵沢萠子の女の花道にピンスポットを当てる思いで私は大和屋竺監督『欲の罠(1973年)を挙げましょう。如何にも具流八郎的な、虚空に吊り上げられた殺し屋の運命を追いながら謎めく(というか一貫性や辻褄を故意に切り落として)絵沢萠子が物語にその裸身を絡ませます。殺し屋は荒戸源次郎、絵沢を愛人になかなか生活感のある所帯を持っていますが、無事に終えたはずの殺しのヤマが何か見えない切迫感で自分を追いかけてきて、絵沢が裏切ったことを悟って射殺しますが死んだはずの彼女を見たことで自分がいまあるところから確かさが奪い去られます。以降荒戸は呑み込めない現実に呑み込まれながら、それが現実である保証は見えざる殺し屋が自分を追い続けていてまるで未来(にこの今が過去となるそ)の痕跡を消すかのように荒戸と関わる女という女を殺していきます。不確定の現在を重ねつつ荒戸が向かっているのはこの物語の始まりであり、それに辿り着くことは未来もなく過去もなくなって名づけようのない一点に立つことであってそんなときに永遠に追憶される女こそ絵沢萠子ということでしょう。

 

 

大和屋竺監督『愛欲の罠』 絵沢萠子

 

 
 

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小沼勝監督『大江戸(秘)おんな医者あらし』 絵沢萠子 田中清治

 

 

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