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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、最近、日テレ系のドラマ『明日、ママがいない』が話題になっているらしい。
否、話題と言うよりも、むしろ批判と言う方が当たっているかもしれません。
このドラマは、児童養護施設で暮らす子どもたちが、彼らを見守る大人たちの中で母親の愛を求めて生きていく姿を描いている、と紹介されています。
しかし、実際のドラマの中では、施設の職員の子どもたちへの虐待がかなり誇張されて描かれているらしく、主人公の女の子は赤ちゃんポストに預けられていたことから『ポスト』と呼ばれています。
そこで、日本国内で唯一赤ちゃんポストを設置している熊本県の慈恵病院が、
「養護施設の子どもや職員への誤解偏見を与え、人権侵害だ」として中止を申し入れる、という会見を開きました。
私自身は、『赤ちゃんポスト』という名称が、偏見そのものではないかと思うのですが。
これに対して日テレ側は、
「最後まで見て欲しい」
として、中止の要請を断りました。
そして、その後、ドラマのスポンサー5社が、CMの放送を自粛するという騒動にまで発展しています。
私は、このドラマを見ていないので何とも言えませんが、ただ、ドラマや映画特有の誇張された表現には、常に、当事者たちを深く傷つけているという批判が付き纏うことは、もちろん理解できます。
一方で、施設の子どもたちや発達障害の子どもたち、あるいは身体障害者や高齢者の人たちへの根強い偏見やいじめが存在するのも事実です。
そんな中で、ドラマがこれらの問題を提起する、ということではそれなりの意味があるのかもしれません。
そして、ある種の解決策を、最終的には何らかの形で提供するのでしょう。
しかし、ドラマは、残念ながら、一時的な打ち上げ花火に過ぎないところがあります。
ドラマが終わってしまえば、
「いいドラマだった」
で終わってしまい、それが長期的な問題解決へと発展することは、あまり期待できないように思います。
ドラマや映画である種の問題提起をしたのならば、それで終わりにするのではなく、その後も解決に向けて長期的な取り組みをしてもらいたいとも思います。
何れにしても、私自身は、多くの批判とは違う点で懸念に思っていることがあります。
それは、幼い子どもたちに、そのような演技をさせる必要があるのか、ということです。
問題を提起したいのであれば、成長した大人たちの演技によっても問題を提起する方法はあるのではないか、と思うのです。
このようなドラマの中で演技をする子どもたちが、どのようなことを感じ、自分自身やこの世界に対してどのような認識を持つようになるのか。
果たしてそのことまで考えて演技させているのだろうか、と懸念するのです。
子役を使う大人たちは、彼らによって商売をしようと思うのなら、その子どもたちがそのことによってどのような認識を持つに至るのか、そのことまで責任を持って臨んでいただきたいものです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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