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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
前回までの記事で、人生に付される意味において、過ちをしばしば起こさせる状況として、第一に不完全な諸器官を持って生まれた子ども、第二に甘やかされた子どもを挙げました。
無視された子ども
そして、過ちがなされやすい第三の状況は、無視された子どもの状況です。
そのような子どもは、愛や協力というものがどういうものであるか、ということを知らされたことがありません。
それゆえ、彼(女)は、こういう優しい力を含んでいない人生の解釈というものを作り上げます。
彼(女)が人生の諸問題に直面するとき、彼(女)は、それらの問題の困難さを過大に評価し、他者の善意と助けを受けてそれらに取り組む自分自身の能力を過小に評価します。
そして、彼(女)は、社会というものは自分に冷たいものだと思い、いつもそういうものだと予期します。
とりわけ、彼(女)は、他者にとって有益な行為をすることによって、愛情や尊敬を勝ち取ることができる、ということが全く分からないのです。
そこで、彼(女)は、他者に対して疑い深くなり、自分自身をも信頼できなくなってしまいます。
実際、無欲な愛情に取って代わることができるようないかなる経験も存在しません。
母親の第一の仕事というものは、自分の子どもに、この世界には信頼に値する他者が存在するのだ、という経験を与えることにあります。
その後、母親は、この信頼感を、それが子どもの環境の一切を含みこむまで広げ大きくしていかなければなりません。
もし、母親が、この最初の仕事に失敗するときには、つまり、子どもの関心、愛情、そして、協力を勝ち取ることに失敗するときには、その子どもにとって、共同体感覚(アドラー心理学の基本的概念の一つで、簡単に言えば、他者に対して共感し、自分はここに居てもいいのだという社会の一員であり、他者とつながり、貢献できる存在だ、という感覚のこと)と、子どもの仲間に対する仲間らしい感情を身につけることが非常に困難になってくるのです。
誰でも、他者に関心を持つ能力を持っています。
しかし、この能力は、養成され鍛えられなければなりません。
さもなければ、その発達は、妨げられることになるのです。
もし、無視された、あるいは憎まれた、あるいは欲されない子どもの純粋なタイプというものがあるとすれば、そのような子どもたちは、協同というものが存在することに出会うことがなかった、と言えるでしょう。
つまり、彼(女)らは、孤立させられていて、他者と交流することができず、他の人と一緒に協力して生きるために役立つ一切のことにまったく無知である、ということが言えるわけです。
しかし、実際のところ、こういう状態にいる個人は、生きることができないでしょう。
なぜなら、子どもが乳児期を生き抜いてきたという事実は、彼(女)が何らかの世話や注意を受けてきたということの証拠だと言えるからです。
従って、純粋なタイプの無視された子どもというのは、存在しないのかもしれません。
つまり、私たちは、通常の配慮を受けてきたとは言えない者たち、あるいは、ある点では無視されてはきたが他の点ではそうではなかった者たちを取り扱うことになるのです。
一言で言えば、無視された子どもとは、信頼に値する他者をついぞ見出したことのない者だと言うことができるでしょう。
この続きは、次回に書きます。
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