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心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
前回までの記事で、人生に付される意味において、過ちをしばしば起こさせる三つの状況を説明してきました。
これら三つの状況、つまり、不完全な器官、甘やかし、そして無視は、人生に誤った意味を与える大きなきっかけと言えるでしょう。
そして、こういう状況の下にあった子どもたちは、ほとんど常にと言っていいほど、諸問題への彼(女)らの取り組む方を訂正するために助けを必要とします。
彼(女)らには、よりよい人生の意味を見出すように助力が与えられなければならないのです。
もし、私たちが、そういうことに対する目を持っているならば、つまり、もし、私たちが、彼(女)らに本当に関心を抱き、この方向で自らを訓練することができるならば、彼(女)らがするすべてのことの中に、彼(女)らの人生に付した意味を見出すことができるでしょう。
例えば、夢は連想は、有益なことが明らかになるかもしれません。
アドラー心理学では、夢の世界でも、目覚めている世界でも、その人の人格は同じと考えます。
ただ、夢の中では、社会的要求の圧力はそれほど厳しくはないために、つまり、コモンセンスに対する認識が緩むために、人格は、あまり多くの防衛や隠蔽なしに顕わにされることでしょう。
記憶の重要性
しかし、人が自分自身と人生に与える意味をすばやく理解するに当たって最大の助けとなるのは、その人の記憶に他なりません。
記憶というものは、すべて、人がそれをどんなに些細なものと思っても、その人にとっては、何か記憶に値するものを表しているのです。
それは、その人がそれを思い浮かべるとき、人生に対してそれが持っている関係のゆえに、記憶に値するものなのです。
それは、その人に向かって告げているのです。
「あなたが予期しなければならないことは、このことだ」
あるいは、
「このことが、あなたが避けなければならないことだ」
あるいは、
「人生とはそういうものだ」と。
従って、経験それ自体は、まさにこの経験がしつこく記憶され、人生に与えられた意味を結晶させるために用いられている、という事実ほど重要ではないのです。
全ての記憶は、一つの記念品と言えるのです。
この続きは、次回に書きます。
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