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ご訪問いただき、ありがとうございます。
心理コンサルタントの白瀧です。
さて、前回の記事の続きです。
前回の記事では、初期の思い出について書きました。
初期の思い出の中でも最も示唆に富んでいるのは、その人が物語を始める仕方、その人が思い出すことができる最初の出来事です。
最初の記憶は、その個人の根本的な人生観を、その人の態度の最初の満足のいく結晶を示してくれます。
それは、私たちに、その人が何を自分の発達の出発点としたかを一目で見る機会を与えてくれるのです。
時として、人々は、どの出来事が最初だったか分からないと言って答えなかったり、あるいは、告白しなかったりしますが、そのこと自体が示唆に富んでいるのです。
私たちは、そのことによって、彼(女)らが自分たちの根本的な意味について論じたくないのだということ、そして、彼(女)らが協力する気がないのだということを推測できるわけです。
大抵の場合、人々は、全く進んで自分たちの最初の記憶について話してくれるものです。
なぜなら、彼(女)らは、単なる事実だと思っており、それらの中に隠されている意味に気づかないからです。
ほとんど誰も、最初の記憶を理解することはありません。
それゆえに、大抵の人は、彼(女)らの最初の記憶を通じて、彼(女)らの人生の目的、他者との関係、彼(女)らの環境の見方などを、完全に中立な、そして恥ずかしがらない仕方で告白することができるのです。
最初の記憶において興味深いもう一つの点は、それらがきわめて圧縮されていて単純だということです。
次回からは、いくつかの最初の記憶を提示し、それに対するアドラーの解釈を書いていくことにします。
アドラーは、これらの人々について、その人たちが話してくれた記憶の話以外は、彼(女)らが子どもなのか大人なのかさえ知らない中で分析をしています。
そして、そのことによって、その個人が協同に向かって訓練しているのか、それとも協同に反対の訓練をしているのか、その人が勇気を持っているのか、落胆しているのか、その人が他者に支えられ見守られたいと願っているのか、自立的なのか、人を頼りにしているのか、人に与える気持ちがあるのか、あるいはただ人から貰おうとしているだけなのか、ということを明らかにしていきます。
この続きは、次回に書きます。
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