Graham Farmelo氏の手に依るディラックの伝記、“The Strangest Man”を読んでいるのだが、私の単語力の不足からかやたらと辞書を引いてばかりで、なかなか進まない。不明な単語にアンダーラインを引くのが習慣になっているのだが、何年か前に読んで中断した時にはアンダーラインを引いていない単語にも今回は引いていく事が多い。もし辞書を引いた単語の意味を全て覚えているなら、大幅に私の語彙が増えていることになるので、小説を読んでいるような気持ちで、‘これは語彙を増やしているのだ。’と思って、自分の力の及び限りで読み進めている。  

 

 こう言った事に取り組んでいると、やはり私には速さを追求する事自体が無理なのかと思えて来る。そう言えば、数年前に読んでいた時は、意味よりも速さを追求していたように思う。結果、意味が明確ではなくとも本筋とは関係ない語彙を調べなかったような気もする。 

 

 ともあれ、ロシア語を日本語訳すると言う行為から、単語や熟語の意味を明確にしないと文章の意味をとれないということが改めて身に沁みて解ったことは大きい。そして、英語もロシア語も私にとっては外国語だ。学んだ期間の長さは関係ない。眼の前に在る文章の意味を理解する事のみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 前から書こうと思って居た事がある。面白いと思って、ブログの記事とはほぼ無関係なタイトルを付けて笑いを誘おうとしていたのだが、そう言った意図を汲み取ってか取らずか、記事に無関係なタイトルを付けている人々を目にする事が増えて来た気がするので、‘本来、タイトルにはその記事の主題となる言葉や概念を据えるものなのですよ。'と言う事を、実際の行動で示す為に、ブログの記事の主題となる言葉や概念をタイトルに据える様にした。

 

 これと似た事が以前もあった。年齢を明示しなくても利用出来る媒体と言う事で、何歳位に見えるのかを試す意図もあって、自分で可能な範囲で愚かで幼稚な事を言い続けていたら、やっと自分の年齢よりも10歳ぐらい下に見てもらえた程度だったので、私の表現力も大したことがないなと思っていたのだが、その行為の悪い結果を得てしまって、何人かに愚弄されるという事になってしまった。その内の一つで、我慢の限界を超えてしまい、折角面白い遊びをしていたのにも拘らず、一切の佯狂を止めてしまった。今考えれば、惜しい事をしたかも知れない。と言うのも、愚かで幼稚で居た間は、それに見合った人達とか、それに見合った対応とかが幾つも見れて、人を観察するには最高の環境だったからだ。 

 

 そして、私が愚かで幼稚であると自分で思える事を止めた後も、後遺症の如く、相も変わらず面白い対応をして下さる方々も居て、やはり第一印象とかが大事なんだなと思う日々でもある。これには、伝統主義的社会とか、封建主義的社会にありがちであろう、肩書とか地位に拘る人々が少なくないとか、或いは超越神を信仰していないので、人を量るのに人の作り上げた常識や経歴、階級等を以てすると言った事をする人々が少なくないとかの理由もあるのだろう。抑々、人が人を量ること自体、不可能だと思うのだが、現実の社会はそんなものではないと言う事だ。  

 

 ともあれ、私はこれまでの愚行を反省し、また一つ陳腐だが世の為人の為にはなるであろう、標準化を自分自身に課す事にした。良い結果が出れば良いのだが。

 

 

 

 

 

 目が覚めたら、久しぶりに大量の寝汗で、自分なりに考え、室温が常時35℃以上だったのが夜には30℃を切る様になり、要は気候が夏から秋に変わったからかと理由付けた。正しいかどうかは判らないが、そんな事を考えながら早速着替え、時間も4時に近い事だし起きる事にした。  

 

 そう言えば、明日25日は下弦だ。二十四節気や国立天文台がそのウェブサイトで公開している月齢をカレンダーに書き込む様になって2年目になるが、情報を視覚化して日々にそれを見られる様にしておくのがこれほどの意味を持ってくるとは思わなかった。月齢では、少し考えたら当たり前の事なのだが、朔、上弦、望、下弦がほぼ1週間毎に現れるとか、二十四節気なら一月に2回づつ出て来るとかである。やはり、解り切って居ると思って居る事でも、実際に文字なり言葉なりで表現する事はとても大事なのだなと思った。要は、ただ思っているだけでは駄目で、何らかの形にして初めて解ると言う事でもある。  

 

 Webに参加する前は、主な情報源がSNS等のWebからだと言う言葉を耳にして、“正気か?”と思ったものだが、かなりの年月を経た今となっては、気付いたら私自身がそうなって居た。他の、独自にアグリゲーションをして居るニューズサイトを利用したり、自分でその都度適切なアラートを設定していくべきなのだが、そう言う事はまずしなくなった。なんとなく出来上がってしまった習慣に従って、そこで流れていく虚実定かならぬ情報を目にしながら、己が取り残されて居る様な感覚に落ちっているのが実情だ。実際は、その様な形態で情報を得ずとも、自分以外の世界は時々刻々変化していっているし、自分自身の変化は自覚し辛いので、自分の外だけが変化していっている様に見えるだけだ。故に、元々得体の知れない巨大な世界の中に一人で存在している事を改めて自覚し、己の相手である世界が如何に変化しようと、己は絶対に変わらないと言う覚悟が必要なのだろう。何故そう言う状態に己があるかという理由は、これは判らない。ただ、そう言うものだとしか言えない。  

 

 単に目覚めたら寝汗をかいていただけだったのが、文章を書いたのは良かったのだろう。同じ様な事を何回も書き綴っていくのが嫌で、そう言う記事を書かない様にすると言う目的もあって、ロシア語の日本語訳をブログで長くやっていたのだが、それも長く中断しているので、文章を書く事自体が無くなり、文章表現がかなり下手になって居る事に気づいた。故に、やめようと思っていた、この様なほぼ情報的には無価値な記事をブログで行うことを意図的に再び行う事にした。これには直近のWindows更新が良かったのか、フリッカーは止まらず、タスクバーは消えたままではあるものの、PCの動作が多少ましになったと言う事もある。  

 

 PCで思い出したが、スマートフォンも含めて、ウェブを使った器具の影響が出版業に影響を及ぼしていると言う事は聞いたことあるが、どうも万年筆にも影響しているようで、価格が、特に海外製がとても高くなっていることを知った。(PC、スマートフォン)+Webの影響は出版業、文具に限らず、小売業にも影響しているかも知れない。  

 

 まとまりのない文章になってしまった。主題を決め、取材し、推敲を重ねなると言った事をしないで雑貨を適当に書き綴ると、余程の文才が無い限り、この様になるのだろう。何より私は文筆業ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 以前、その存在を知った、ディエス・イレと言う曲の作曲者の名前を忘れてしまって、結局Web検索で、Dies IraeとかReguiemをクエリにして調べた所、Music for the Requiem Massと言うWikipedia英語版の記事に行き当たった。  

 

 そこには厖大な数の作曲者の名前が上がっていて、さて、どうやって見つけるかと思うほどだったが、幸いにして時代や世紀毎に分類されていたのと、加えて曲の感じや作曲者のカラー写真を見た覚えがあったので、20世紀であろうと推量し、そこを探した所、Karl Jenkinsの名を見つけた。私が忘れていたDies Iraeの作曲者とは、その人物だったのだ。 

 

 やはりインターネットに参加してから知ったことは忘れやすいのかもしれない。それより遥か前の、大学生の頃に知った事は案外覚えていたりするので、接触した時の年齢が関係しているのだろう。 

 

 否、それよりも集中の度合いが関係しているかもしれない。己の年齢やその事に関わった時間的な長さも関係なく、どれぐらい深く集中し関与したかで記憶に刻みつけられる深さが違って来るのではないか。ほんの数年間の経験が何時までも人を左右し続ける場合もあるので、やはり年齢や関与した時間の長さではなく、どれほどその事に集中したかに依って、記憶の定着率が高くなるのではないか。  

 

 ともあれ、事実はどうであるかは、今の私には判らないが、物事に取り組む前から諦めるのではなく、とにかくやってみる、そして取り組む時は集中する、と言う事を心に留めておきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 深夜に目覚め、寝落ちした事を知る。PCを使っていると、途中で動かなくなり、それからPCを再起動したり、シャットダウンして再び起動したりと、知識がないなりにいろいろとやってみたのだが、動きはしなかった。そこで、電源を入れて、ロック画面からログインした状態で、画面は黒いままだが放置する事にして、いろいろと他のことをしていたら、30分位経っただろうか、PCのデスクトップ画面が表示された。  

 

 そこで、まずVivaldiを起動してみたのだが、Gmailに到着しているメールの中身を見ようとクリックしてみたら、別タブでメールの本文が表示された。そこで、クロームを起動し同様にGmailに繋いでみたら、やはりメールの中身を見ようとすると別タブが開いて表示された。おかしいと思い、検索してGmailが新たになったのかどうかを調べようとしたら、キーボードのエイリアスが全く変わってしまって、まるでどうしたら良いか解らなくなってしまっていた。仕方なく、まだ使える、Windowsキー+Lでロック画面に戻り、再起動ではなくそこからログインを再び行ったところ、今度はエイリアスは正常になっていた。  

 

 ただ、正常に動くようになるに連れ、フリッカーが再び頻繁に起きるようになり、暗転時の動作が鈍いか無反応のままだ。PCを買い替えるべき時が来たのだろう。  

 

 思えば、東芝時代からDynaBookを信じて来たのだが、最早時代は変わってしまって、日本製だから信用出来る訳では無くなったのだろう。抑々、DynaBookも中国のメーカーの一部門になって居るのだし、日本の財界が日本人に対してどれほどの思い入れがあるかどうかも非常に怪しく思える様になったのだから、もう何でもかんでも日本に拘る必要もないのだろう。  

 

 しかし、今回ばかりはこのPCも終わりだと思った。流石にロック画面からログインして、10分経っても暗黒のままだと、完全に壊れてしまったと思ってしまう。だが、また使えるようになった。何時まで使えるか解らないが、まだ私にはWeb上でやらねばならない事があるのだろうと理解した。故に、このPCを使えるだけ使い、完全に壊れる前、或いは壊れた後であっても、新たなPCを購入して、私がWeb上で果たさねばならない義務を果たす。それが何なのかは私には解らないが、いずれ明らかになるのだろう。  

 

 故に、私にとっては表面的には危機であっても、本質的には好機が到来したと言う事だ。  

 

 また、PCが動く様になった時に、私の脳裏に浮かんだ曲は、宮川泰先生作曲の、光栄のゲーム、“提督の決断”の中の序曲とオープニングだった。何故そんな曲が浮かんだのか、それも判らない。

 

 

 

 

 

 

 このところ、夏の暑さのせいか、夜に眠りに就く時間がかなり遅くなってしまい、他方で目が覚めるのは割と早いままで、結果的に寝不足になっている。そして、どの様な季節に於いても朝の時間は早く過ぎていき、眠さを抱えたまま蟬の声を聞くようになり、気が付けば周囲はすっかり明るくなり、歳月人を待たずとはこの事かと改めて思うのであった。  

 

 ともかく、只々眠い。そして私が眠かろうが眠くなかろうが、世の中は動き続けている。故に、休める時に休むしかないのだろう。  

 

 また、性懲りもなく、新たな事に挑戦しては失敗したり、貧しさ故に物惜しみをしては却って損をしたりと、同じ様な失敗を犯している。きっと、私はそう言う人なのだろうと覚悟し、今度こそはと気持ちを引き締める。私は成功し続ける人ではなく、失敗を重ねて学んでいく人なのだろう。  

 

 ただ、新たにする事自体には成功したので、そこを今後の起点として更に先へと進むしかない。  

 

 そして、昨日は色々と発見があった。微小で些細な事から巨大な全体を正しく推し量る程の能力が私にあるかどうかは解らないが、知る事はその精度を上げていくのに大変に助けになると思う。  

 

 流転する万物のごく一部を成す私が、自らも流され転がされながら如何に正確に物事を見抜けるかが、今後の私の運命を決するのだろう。運を天に任せるしかない。

 

 

 

 

 

 

 8月になった。  

 

 目が覚めてから、夜が明けてしばらく経っている事を知り、ホワイトボードの暦を8月1日に書き変え、カレンダーをめくって8月にする。そこで初めて、8月4日が朔、つまり新月である事を知る。Web上の情報を見て、自分でマジックでカレンダーに二十四節気と月齢を書いたのが正しかったと、こう言う事がある度に思う。  

 

 緑が目に眩しく、蟬の声が非常に元気だ。今一度の奮起をせねばなるまい。

 

 

 

 

 

 

 この様な私でも、偶に居間にのみ置いてあるテレビが目に入ることがあり。普段ほぼテレビを見ないから、どう言う具合になっているだろうと少しの間眺めるのが習慣となっている感がある。すると、そこでは、世間も物事も私がテレビをあまり見なくなる前とそう変わらず、日々に恙無く過ぎているように見える。だが、SNSやWebが情報収集の主たる手段となった私からすると、日本には邪悪の気配が広がりつつある様に思える。この乖離は、単に私がWeb上の情報を鵜呑みにし、自ら狭い枠の中に入り込んで独特の見地から偏見に凝り固まった愚かな人になっているのに依るのかもしれず、或いは、テレビは日本の中で、或る意味主導権を握って居る人々の立場に立って世間や物事を見ているからなのかもしれない。いずれが正しいか、それこそ無知な私には判別できよう筈もなく、また、この二分より他の可能性があるやもしれず、何も言うことは出来ない。  

 

 偏った主観である可能性は承知の上で、日本に邪悪の気配が広がりつつある予感に付いて、述べた方が良いのだろう。それは今朝に食べたサバ缶の中身が随分と少なくなっていたことだ。平均所得が驚くほど低下していたり、収入が少ないのは働きが少ないからだと、まるで奴隷主が奴隷にぶつける不満の言葉のような発言が何度か目に入ったり、虚報や間違った情報が正しいものとして伝えられたりと、なんとも戦争をしていて負けが混んできて敗戦濃厚になった国のようで、それで邪悪の気配が云々と書いたのだ。  

 

 後にもう少し考えて書き足すかもしれない。

 

 

 

 

 

 7月になった。朝から大雨である。  

 

 日本の年齢構成が気になり、適当なクエリを立てて検索したところ、1つ目のクエリの組み合わせで、厚生労働省が令和5(2023)年に制作した将来推計人口の概要というPDF文書、他のクエリの組み合わせで、総務省が為した“我が国における総人口の長期的推移”と言うPDF文書を見つけた。ここでは前者を元に色々と書いて行きたい。 

 

 その推計に依ると、2020年から2070年までに、全人口は12615万人から8700万人に減り、65歳以上人口は3603万人から3367万人へと微減、15~64歳人口は7509万人から4553万人へと約40%減、0~14歳人口は1503万人から797万人へと約47%減となっている。PDF文書自体はウェブ上に落ちているので、“日本の人口構成 今後”等のクエリでGoogle検索すると見つけられるだろう。今統計の両端点の数値のみを抜粋して記したが、PDF文書では5年毎の統計と、文書制作時点で統計データが集まっていない年度に関しては推計をした値が記して、グラフ化してある。  

 

 上の段落の記述で判明したと思うのだが、高齢者の実数は実は今後50年ほどで微小な割合だが減って行くとなっている事だ。故に、日本の社会全体の高齢化の主因は、高齢者の数が増えていくからではない事が明らかになった。決定的な原因は、15歳未満の人口が増えないと言う事でもなく。15歳から64歳の人口が、推計に依ると、つまりこのまま50年ほど特に何の対策も講じなければ、約40%も経ると言う事だったのだ。ここで翻って考えると、15歳未満の人口が増えない理由も、15歳から64歳の人口が激減していくので、そレト連動して減っていくからであると推定出来る。  

 

 故に、これまで日本の社会で真偽明らかでないまま日本語で何となく伝わって広まって来た、高齢者が激増して社会に占めるその割合が多くなるので、等の言葉は全て事実無根の妄説であったことが明らかになり、それに対して、今後採るべき対策は、15歳から64歳の人口を増やす事でしか無い事が判った。 

 

 そこで、15歳から64歳の人口を増やす策だが、その人口帯の多数の割合を占める人々に対する富の分配を増やしていく、移民に適切な人口の分だけ日本国に入って来てもらう、そして弥縫策としては、65歳以上の人々で労働可能な人々に、その人の自発的意志がある場合に、労働に対する正当な報酬を払って労働してもらうというのがある。その実数が微減していくと言ってもそれぞれ或る程度の何等かの経験を積んでいる人々なので、力を貸してもらうという意味で、現役と同じかそれより少し高い報酬で働いてもらうということだ。  

 

 重複した内容を、時間を置いて何度も書いてはブログの記事として公開してしまう事があり得るので、記事の有意義な管理を可能にする為に、これまで何度か記事を消して来た。その消して来た幾つかの記事で言及して来た記憶があるのだが、要は私が何かを始める時、人生で決定的に重要な出来事がある時には、雨が降る、又は悪天候である、と言うのがある。単に気圧配置が私の精神に影響して行動を促しているだけなのかもしれず、偶然に悪天候が来ただけなのかもしれないが、今のところ、その様な印象を得ている。即ち、今後の日本は高齢者が激増すると言う巷説と同じ類の妄説である可能性がある。実際は、今後50年の推計に依ると65歳以上の人口は微減し、本当に劇的に減るのは、15歳~64歳の人口帯の人々の数なのである。  

 

 日本の社会が客観的真実に依ってではなく、それに或る種の加工を施した人為的意見に依って運営されていると言う、大変に憂慮すべき一例をまたもや見せられた感がある。その加工が善意と正義に基づいて居たなら或いは客観的真実よりも優れた結果を齎すのかもしれないが、特定の人々や集団にのみ利益を導き、その他の人々や社会には重い負担や犠牲を強いると言った悪意や邪悪さに基づいて居たなら、当然の帰結として件の推計に依る数値よりも悪化した人口構成となって出て来るのであろう。  

 

 また、依然としてWeb上のどのコンテンツがリンクフリーなのかが判らず、折角文書を見つけてもリンク出来ないと言ったばかりだ。Webページも拡散ボタンが無ければ、拡散しないように用心している。Webは規模が世界にまで広がった繁華街みたいなもので、基本的にそこを行く時には、他人の意見を聞く事は出来ないし、聞くべきではない意見もあるだろう。そして教えを請うなら、また別の問題を生じるだろう。己一人の感性や理性を信じて、と言いたいところだが、これらもよく間違う。そして私の場合は、知情意のどれをとってもあまり大した事はないので、間違う割合が高くなる。  

 

 しかし、信じて行うしか無いのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 3日前の父の日の翌朝、父が出てくる夢を見た。正確には姿は目にしてないので、出て来たと言えないかもしれない。内容は、父がまだ生きられるのに安楽死させられた、と言うものだ。生きたいという意志を係の人に言っているのに、まるでそれが良いことのように速やかに行われた。 

 

 夢なので、目にしていないのに、そのやり取りがわかってしまうとか、色々とおかしな点もあるが、目が覚めてから、一体これはどういうことなのか。どういった意味があるのか、或いは単なる夢の一つで無意味な想念の連鎖なのか、少々考えた。そして得た自分なりの結論は、‘無念を晴らせ’だった。あくまで自分で考えただけなので、間違っているかもしれないが、その夢を私が見た意味からすると、やはり自分自身で解かねばならない類のものだと思う。故に、父の意志が明確には解らないが、今後は自分なりの解読に従うことにする。  

 

 それが負担になるかと言うと、既に昨日もちょっとした問題を解決した程だし、この上何か増えたとしても、別に大したことはない。