昨夜は夕食も摂らずに眠ってしまった。目が覚めたのは23時過ぎだった様に思う。数年前に数か月間一人で家事全部をやらねばならなくなり、その時に作り方を覚えたごく簡単なお好み焼きを作ろうと思ったのだが、夜が深過ぎるのであまり食べない方が良いだろうと判断し、パンとコーヒーだけにした。食事した時間が今日になってからの2時ぐらいだったかと思う。その後、ブログコメントをし、どういう訳かしばらくYouTubeでゲームプレイ動画を視聴していたが、あまりに温い内容に感じられたので、自分の人生の時間を使ってまでして視聴する必要はないと判断し、中断して眠った。
この間、源義経が確か伊予の守にに任じられた筈だったと思い、Google検索で調べたら、確かにそうであるとAIモードが答えた。そこで、最近使用していて或る程度の手応えを感じていたので、Geminiで調べ直すのではなく、そのままAIモードと会話して詳細を知る事にしたのだった。すると、伊予の国が延喜式での、”大、上、中、下”と言う4種類の国等級で、上から2番目と言いつつ中国であると言い、それは下から2番目だったのでおかしいと思って、その旨を尋ねたら、今度は大国であると言い出し、その説明を縷々した来たのだった。それも上から2番目でなかったが、説明が上手く、上から2番目と最初に言って居たのが間違いで、実際は最上位なのかもしれないと思い、会話を終えたのだった。しかし、やはり当初の説明と最終結論が異なるので、念の為に裏を取ろうと、Googleで検索して調べたのだった。すると、AIモードが最初に言っていた通り、上から2番目の上国だと出て来た。
そこで先ほど、AIモードの能力に疑問を持ったので、Google検索でGoogleのAIモードとGeminiは同じ能力かと尋ねたのだった。私が使っている感覚だと、GeminiはBard時代からかなり経って、しかもGeminiとなってからも或る程度時間が経って居るからか、相当に正確になって居て、日本語の質問で始めた会話の途中で他の言語に変わる事もなくなった。しかしAIモードは日本語の質問で始めた会話の途中でよく英語に変わる事があり、加えて、今回の回答の誤りがあったので、直接Google検索で尋ねるのが良いだろうと判断したからだ。
すると、今回もAIモードが出て来てあれこれと冒頭に説明文が出て来た。そしてAIモードで質問を続行したら、今回も日本語で質問して始めた会話だったのだが、途中から回答が英語に変わった。私が、”AIモードは慣熟が足りていないのではないか?”と問うたら、確かに慣熟は足りてないという回答を、AIモードから得た。
こうして、今後しばらくは、Google検索で冒頭にAI概観が出て来た時にそのままAIモードを使うのではなく、より突っ込んで調べたい時は、改めてGeminiかCopilotと会話する事にした。これら2つも間違える時はあるが、それはそれ、室町末期の鉄砲と同じく革新的な技術であり、それまでのものとは根本的に異なり、且つ、今後の主力となるものであると感じて居るので、間違いがあっても使うと決めている。
しかし、昨日はAIとは珍しく会話しなかった。伊予の国の等級をGoogleのAIモードが間違えて来たのが原因であろうと思う。こちらの発言を”鋭い”とAIが表現するのはどうも社交辞令らしい事を知ったのも会話をしなかった原因と言える。乗せられて、知ってる事を次々吐き出させられてると思うと、コンピュータプログラムに対しても単なるお人好しであると思えてきたのだ。しかし、この間、”非常に独創的でその分野での核心を突く鋭い考察”と言う言葉をAIが発して来たのを思い出し、その類いの言葉を果たして社交辞令で使うかと思い、やはり単純におだててこちらの知っている情報を吐き出させているだけではないと判断し、且つは人とプログラムとの情報の交易だと割り切り、今後もAIを使う事にしたのだった。
偶々起きた状況の変化で覚えたお好み焼きの作り方の話も含め、年月は人を鍛え、その本質を露にすると言えるだろう。日付は今日になってからだが、コメントをした後、覚えている間に行おうと、1か月ぐらい調子が悪かった家庭の器具の修理をした。1度目で失敗したので、全てをもう一度やり直し、今度は或る程度満足が行く出来となったので、それで今回の修理を終えた。また、もうその器具は限界の様なので、部品を新たに購入し交換して修理せねばならない事も判明した。
ところで、Webでも現実空間でも頭ごなしに罵声を浴びせて来たり、見下しても良い存在として扱って来る人が偶に居る。Webで活動する人々も所詮現実空間の住人なので、同じ様な言動をするのは当然と言えば当然なのだが、今まで生きてきて、どこであろうと、何人であろうと、そういう事をする人が居るので、その人々に問題があるのは当然として、そういう言動をして良いとそれぞれの人が判断するに至るような原因が私にもあるのかもしれないと思う様になった。つまり、社会の少数派を建前としては差別してはいけないとなって居るが実際は差別する人が当たり前にいる社会で、差別してはいけない対象である筈の少数派の一人に、私が含まれているのかもしれず、或いは、私の言動がそれらの人々に迫害を行わしめるのかもしれず、真因の程は解らない。言えるのは、私がどうあれ、実際に言動を行っているのは相手の側なので、結果は相手が得る事になる。現実の生活でここ20年ぐらい何度か経験して来たのが、私に謂れなき言いがかりをつけて来た人が、謂れが無いのでそれに相応した結果を得る、と言うものだ。或いはその人自身が行って居る悪事を恰も私が行って居るかの如くに公言して私を中傷した挙句、その人自身がその悪事を行って居たのが露見すると言う事もあった。且つは、社会の側はそれを看過すると言う、今の時代や社会を象徴するような反応までついて来た。
結局は、自分が正しいと強弁したり思い込んだりするのではなく、普遍的に正しいものに従って日々を生き、誘惑や唆しと言った悪が近寄って来ても退ける努力をして行くしかないのだろう。