このところ悪天候が続いて居る。春になったのだろう。  

 

 使っているPCのタスクバーが1年ぶりに復活したのが先月、それと同時に8カ月ぶりにフリッカーも止まった。タスクバー復活と共に設定も使える様になったので、確認したら、タスクバー消失&フリッカーの月日にも、PCはWindows更新が為されて居た。マイクロソフトには感謝しかない。  

 

 2月の中旬だったかに、タスクバーが復帰した時の事を覚えている。まるでサッカーのワールドカップで日本が優勝したかの様に狂喜したのを覚えている。  

 

 ただ、タスクバーが復帰したと言っても、まだまだPCには問題がある。これはもしかしたら経年劣化であり、戻らない機能かもしれない。しかし、タスクバーが復帰し、フリッカーが止まっただけでも、かなり使い易くなった。Vivaldiのツールバーに表示させていたカレンダーと時計も非表示に戻したりもしたのだ。細々した変更を一つ一つ元に戻していく度に、’これは夢では無いのか。’と思ったものだ。  

 

 気候の話に戻ると、まだ肌寒い。3月だから当然だろう。可能な手段で対応して行くしかない。

 

 

 

 

 

 

 記事内容の重複が生じる可能性を経験的に知っては居るが、書く習慣を蘇らせて、日々の更新を行う挑戦をする事にした。 

 

 ただ、今日は書く事がない。あるとすれば、タスクバーが消え、設定もまともに使えなくなったこのPCで、マイクロソフト側がとても大事にウィンドウズ更新を行ってくれて、昨日漸く成功し、結果、WordやExcelですら起動し辛かったのが、起動しやすくなったと言う事ぐらいか。その様になったので、数ヶ月間懸案(Google IMEには懸案すら登録されてなかった。一体、どうなっているんだろう。)となっていた、PCIe(Peripheral Component Interconnect Express)とDDR5(Double Data Rate 5)、LPDDR(Low-Power Double Data Rate)が何なのかについて簡単に調べてメモを録ると言う事をした。レーンとかトランスファーとかの意味を探ることまではしていないが、ともあれ、PCIe 5.0で1レーン当たり32GT/s(Giga transfers per second)、PCIe 6.0で1レーン当たり64GT/s、DDR 5 SDRAMで3600~8800MT/s(Mega transfers per second)、LPDDR5Xで8533MT/sと言うところまでは調べた。ともかく素人が大体の感じで調べただけなので、SSDの方がメモリーよりも1オーダー或いはそれ以上に速いんだな程度の理解をしていて、それで良いと思ってる。必要に応じて、理解の精度を上げる努力をする。こう言ったことに加えて、人工知能云々の事や、UFS(Universal Flash Storage)の事もあるので、コンピュータに関してはここ数年で激変期に入っているのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 しばらく英語で書かれた本を辞書を引きつつ読んでいたのだが、少し飽きてきて、‘そう言えばロシア語の勉強を全くやってなかったな。’と思って、とは言っても、Л.Н.Толстой, «Круг Чтения»(文章の輪)も飽きてきていたので、Ф.М.Достоевский, «Братья Карамазовы»(カラマーゾフの兄弟達)に挑戦してみた。  

 

 だが、やはり“カラマーゾフの兄弟達”はまだ私には早かったのか、冒頭の“筆者から”の部分でかなり苦戦し、‘やっぱ、まだ駄目か。’と思ったりしたものの、途中休憩でそのページを良く眺めてみたら、1段落で“文章の輪”の一つの文章ぐらいだと気付き、それならば日本語の文章にまで落とし込んでいないものの、この程度の速さで読んでいるなら、今の私としては実力通りだと納得出来、ならば結果を焦らずに自分の速さでこのまま読み続けていこうという気持ちになった。  

 

 ただ、“カラマーゾフの兄弟達”は長いので、今回の読書で最後まで読むかどうかは判らない。即ち、途中休憩を入れつつ、何度かに分けて読んでいくという事だ。時間が長く掛かる事業は、無理をしないのが第一であろう。  

 

 あと、かなり前、まだ”文章の輪”を読み始めて2年目ぐらいで、露和辞典の使い方がよく解ってない頃だったと思うが、やはり“カラマーゾフの兄弟達”に挑戦して、語形変化に気付けず、“これは方言か古過ぎて辞書に載ってない語彙だ。”とひとり決めの誤解をしていたり、筆者からの冒頭に引用されている聖書の言葉の意味をよく解ってなかったりと、ロシア語だけでなく日本語の理解にも疑問が残る面白い奴だった自分自身を思い出した。今回は、種が地面に落ちても種のままだったらそれだけの話しだが、発芽して成長して花が咲いて実が出来れば自分の仲間を増やせるという植物の生物としての現象を、現代よりも知見が足りなかった聖書の時代の記者が、種が種でなくなる、つまり種が死ぬと理解していると読解する様になった。故に、或る程度の年齢になっていても、意を決して努力を続けていれば、何らかの結果を得る事もあると経験的に知った。  

 

 何せ、燃焼に関しても、熱素(フロギストン)と言う元素が介在されていると言う説が唱えられていたのが、たかだか330年ぐらい前の話なのだ。信仰ではなく知識や学問に於いては人が主人公なので、当然誤りが頻発する。勿論、現代の知見も完璧とは言えないであろう。  

 

 昨日の夜明け前から随分と気温が下がった。とは言え、暖房している部屋も偶に換気しなければならない。私が子供の頃は、父がそろそろ換気の時間だとなると、窓を開けていた。私は内心、‘寒いし、無駄なんじゃないか。’と思っていたが、耐えなければと思って耐えていた。今の私は一人でその頃合いを見計らって、今の様な急に気温が下がった時期にも換気する。一人なのでいくらでも手を抜けるし、ごまかせるが、正統な儀式を一人で行う気概で行ってる。どのみち、暖房していても寒さがあるので、その程度がより明確になるだけだ。 

 

 件のフロギストン説だが、ヨーロッパの中世が暗黒時代と呼ばれていた事もあったように、寄り道、回り道だと言う説があるらしい。私はそうではないと思う。寧ろ、一度は通らなければならない道だったのではないだろうか。と言うのも、出来上がったマニュアル通りに機械を動かしているのではなく、機械を製造するのにも使われるかもしれない自然の現象を解明していってるのだから、人が為す殆ど全ての行為は誤りであり無駄であって当然で、それら無数の無駄がないと、目的地に到達する為にはどこを通ったら駄目か解らないからだ。こうやって私がウェブを利用するようになって、文章を書いている時によく思う様に、全く勉強してこなかった国語を指導させられている時に、嫌で嫌で仕方なかったのだが、その嫌だった国語の指導をしていた時の経験がかなり文章の推敲で生きているのだ。書いた後の文章を見直して、必要であると思った接続詞を補うなんて、まるで国語の問題の様ではないか。故に、寄り道、回り道だと思った国語の指導も無駄ではなかった事になる。  

 

 ともあれ、トルストイの“文章の輪”も、その内、翻訳しては公開するだろう。あれは暦の日々全てに文章が割り当てられているので、良く考えると相当に読んで訳出するのが厳しい特訓だったと思う。毎日走り込みをやるようなもので、その数年間があったから、1年以上休んでいても、辞書を引いたりしつつ数日を経ると次第に思い出す様になる。特に辞書の引き方が判らなかった2年目までがかなりきつかった。あんな苦しい事は二度とやりたくない。英語で文法事項が頭に入らないと気付いた高校生の時にNHKのラジオで放送していた英語会話を真似ては覚えてしまうと言う方法を採ったが、ロシア語の今回は、Duolingoで毎日ロシア語を学ぶと言う方法を実行し、それ以降、辞書の使い方も判明したこともあって、少しましになったと思っている。  

 

 当初の目的が、“辞書を引きながらでも良いので、本を読める様になる。”だったので、速度が遅すぎるものの、もう目的は達成出来ていると言える。故に、より完全を目指す為に、実際に本を読んで行くことでその速度を上げていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 今年はしないようにしようとしていた寝落ちをしてしまい、やはり昨年から思っていた生活態度の見直しをしようと思った。  

 

 また、年末から年始にかけてこなしていた雑用の内、残っていた、カレンダーへの月齢と二十四節気の書き込みを半年分行い、漸く肩の荷が降りた感がある。正直、二十四節気は既に印刷してあるのだが、文字が小さ過ぎるので、例年通り自分で書き込んだ。自分で購入する前に母がカレンダーを買ってきたので、無駄にしてはいけないと使うことにしたのだから、そう言う事もある。  

 

 また、月齢を知るのに例年国立天文台暦計算室のウェブページの記述を利用しているのだが、私がWeb利用を始めてから15年間、16年目になる今年までに、何度か体裁が変わり、見やすくなった代わりに反応が少し悪くなった部分もある。故に、半年分にしたというところもある。  

 

 ともあれ、去年から鈍々と辞書を引きつつ読んでいる英語の薄い本も、三分の一ほど読んだ事だし、この調子で更に最後まで読んでいきたい。新年の決意と言うほどではないが、他にもある幾つかの事も含めて、順次やり遂げていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 Vivaldiがクラウドとの同期が出来なくなったらしく、慣れ親しんだ設定が崩れ、デフォルトの状態になってしまっていた。故に、その事に気づいた日から少しづつ自らが使う内に出来上がっていった設定に少しづつ戻している所だ。いずれクラウドとの同期が復活すると、設定も元に戻ると思われるのだが、デフォルトに慣れていないので、仕方なくそういった作業をしている。  

 

 ただ、この事によって、更新によってサイドパネルが時間が来ると勝手に閉じるようになっていたのを、元々の、自分で閉じるまでは開いたまま、と言う設定にし直したり、Speed Dialなどの角がデフォルトでは丸過ぎるのを自分の好みにしたりと、要は設定の方法を改めて思い出したり発見したりして、それはそれで意味があると思えるのだった。  

 

 思えば、Web参加当初は、何度もPCのデータが全て消え、その都度アプリからファイルまで再建してきたのだった。失敗する度に、再び失敗しないようにしたり、失敗したとしても素早く復旧できるようにしてきた。コンテンツの10進分類表を作成し、その桁が6桁+アルファベット3桁になったのも、その流れからだ。  

 

 そしてこの原稿を書いている間に、確認したらクラウドの同期が復活していた。有り難いことだ。  

 

 また、昨日辺りから、もしかしたらそれ以前から、どうも文章が変だという気がしている。気力を失った文章を書いているような感じがするのだ。具体的にはてにをはが変になりがちだ。しかし、これまでも、何度も様々な問題を乗り越えてきた事を思い、己の至らぬ点を矯正し、より完璧に近づく好機だと捉えて、己に出来ることからしていくのみだ。  

 

 こう言う時に励みになるものの一つが、やはりJAM Projectの曲ではないかと思う。今聞こえているのは、“Crest of “Z’s”で、壊れたり失ったりしながらも進み続け様としている状況に合っていると思う。完璧にはなれなくとも完璧を目指し、状態が完全には整っていなくとも進んで行く。他の人々が負わされていない重荷を負わされ、ひどく道行きが困難であっても、それが己にとっての道であればそこを行くしか無いのだ。長い年月不満と怒りがあったのだが、鈍い私も漸くその様な精神になって来たとも言える。

 

 

 

 

 

 

 

 今日の深夜0時過ぎ頃に目が覚めて、それから漫然と2時間ほど過ごし、これではいけないとPCを再起動して使える様になるまで1時間以上掛かって、ブラウザを起こし、X/Twitterを見たら、韓国で戒厳令が布かれたらしいと知る。それから数時間その話題を追う内、結局戒厳令が解かれたのだった。  

 

 そして、時間が経つと共に、一度出した戒厳令が速やかに解除された理由は、国会議員が深夜であるにも関わらず議会に行き戒厳令を解く議決をしたり、国民が議事堂に集まり非暴力で軍隊に対峙したりしたと言った事だと判ってきた。  

 

 深夜に目が覚めて大きな政治的変化をTwitterで目にしたのは、これで何度目だろうか。直近では2021年の合衆国の連邦議事堂突入事件だった。呼び名としてはThe United States Capitol(アメリカ合衆国議会議事堂)と言うのが正式である様だ。  

 

 ともあれ、こういった危急の際に、改めてそれぞれの個人や団体の本質や程度が明らかになると思った。

 

 

 

 

 

 

 

 もう1年ぐらい、或る時のWindows更新からタスクバーとスタートボタンが消え、その内フリッカーが止まらなくなり、色々試したが全て失敗したので、後はOSのクリーンインストールしか手段がない。でも、ファームウェアが破壊されてしまったか、ハードディスクの劣化かもしれないので、もう今使ってるPCはこの状態から元のタスクバーが復帰する事はないと思ってる。要は新たなPCを購入するしか無い。  

 

 およそ、生き辛い環境に子供の頃から生きてきて、そこでも無視されたり、怒鳴られたり、訳の解らない因縁を付けられたりして来たが、情報の質と量が普段の生活環境とは大いに違うので、Webと繋がっている環境が私には望ましい。信仰を得てからは精神的に少しましにはなったが、逆境である事に変わりはなく、やはり私が精神に於いても自律する為には、Webと繋がって居る事が欠かせない。  

 

 確かに、情報量が多い分、現実の世界に於ける多数派やヘゲモニーを握ってる人々の意見が、Webに於いても大きく、数多く現れやすい。しかし、それでも情報の質と量が現実を大幅に凌駕するWebの利点の方が勝って居て、主体的に生きるには必要だと言える。  

 

 これが、Web参加当初、Webは早晩滅びると言って居た私が、実際に使い続けた結果得た、今のところの意見だ。やはり物事は実際に経験しないと解らない部分はある。

 

 

 

 

 

 

 

 11月も7日となり、今日は立冬だ。この間まで雨がよく降る日々が続いていたが、今日は幸いにも降っても曇っても居ない。  

 

 作成中の原稿のファイルを一度PCに保存した時に、初めて10月は1回も更新していなかった事を知る。どう言う訳か、この最近になって紙の本を継続的に読める様になったので、そこに注力しているからなのかもしれない。  

 

 と言っても、かなり前に本を読んでいた頃の様にはいかず、かなり短時間に少しづつしか読めてない。それでも、遠い道程を歩いて行く時に遥か彼方に目的地があったとしても、なかなか近づかないと思うよりは一歩一歩進んで行く事に集中している内に、気が付けば1時間なり、2時間なりで目的地に着けたりするのと同様に、一つの単語、一行の文章を読んで行く事で、1冊の本を読めると信じて読書を続けたい。  

 

 また、Vivaldi Snapshotに何時の頃からかダッシュボードと言う機能が付いたので、それを使う様になった。ダッシュボードとは、今の所、スタートページのSpeed Dialが並ぶバーに選択出来るボタンがあって、そこを開くとブックマークや時刻表示付きカレンダー、付箋、Wiktionary等のタイルが配置されているものだ。 

 

 私はそれまで、Speed Dial化していないブックマークを閲覧したい時は、サイドパネルから接続していたのだが、今ではダッシュボードからも接続可能になっている。また、任意のウェブページをダッシュボードのタイルとして配置出来るので、Vivaldiを使う時は常にダッシュボードからと言う人の場合は、厳選したウェブページのタイルを配置すると良いのだろう。加えて、タスクがあり、これはタイトルとチェックボックスのみがタイル状に表示されるのだけど、自分にあっているかどうかを確かめる為に実際に使っているところだ。  

 

 今年の夏は暑く長かったが、これから来年に掛けて、やはりそれなりに寒くなるのかもしれない。自分なりに適応していくのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めたら、日付が変わっていた。しかも時間が深夜だ。こう言う事がここ数年良く生じる様になった。それなりの手立てを立てて、次第に直していくしかあるまい。  

 

 ただ、何が幸いしたのか、上の文章を書いた後に再び眠りに落ちてしまい、結局6時ぐらいまで眠っていた。久しぶりにそう言う時間に目が覚めるような睡眠ができたのだ。  

 

 多少、1日に行う事を変えはしたが、これほど劇的に効果を出してくるとは思わなかった。やはり、何事も敢えて行うべきである様だ。  

 

 今後も、仮令小さくとも、まずは一歩を踏み出していこう。あれもこれも手を出すのは愚策であろうが、これまであまりに何もしなさ過ぎたので、私の場合は或る程度の数の企図を実行していった方が良い。  

 

 思えば、ロシア語を7年間ほど訳し続けたのは、今の様な状態にする為だったのかもしれない。そして、下手ではあっても、そろそろロシア語の日本語訳も復活させよう。翻訳し続けてきた結果、英語の読解力も向上した気がするからだ。  

 

 この様に、何かやる気になった時は、大体悪天候だったりするのだが、今朝の天気は曇りだ。気圧配置がやる気に関係しているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 秋の様で居て、その実、日中は日差しが厳しく、気温も昼夜問わず秋にしては高めで寧ろ猛暑日ではない夏がまだ続いていると言った感じだ。しかし、これも様々な諸悪に囲繞されて生きて居る私にとっては、厳しいがその諸悪の一つとして対応すべきものだし、しなければならないものだ。弱いから悪に挫ける訳では無い。敗けると思うから悪に挫ける。挫けた例を幾つも見て来たので、余計にそう思う。  

 

 私は深刻な挫折や失敗を過去に何度もして来た。今も間違いを犯す事がある。しかし、悪に挫けない様に努めるし、乗り越えられない試練はないと思って居る。