しばらく英語で書かれた本を辞書を引きつつ読んでいたのだが、少し飽きてきて、‘そう言えばロシア語の勉強を全くやってなかったな。’と思って、とは言っても、Л.Н.Толстой, «Круг Чтения»(文章の輪)も飽きてきていたので、Ф.М.Достоевский, «Братья Карамазовы»(カラマーゾフの兄弟達)に挑戦してみた。
だが、やはり“カラマーゾフの兄弟達”はまだ私には早かったのか、冒頭の“筆者から”の部分でかなり苦戦し、‘やっぱ、まだ駄目か。’と思ったりしたものの、途中休憩でそのページを良く眺めてみたら、1段落で“文章の輪”の一つの文章ぐらいだと気付き、それならば日本語の文章にまで落とし込んでいないものの、この程度の速さで読んでいるなら、今の私としては実力通りだと納得出来、ならば結果を焦らずに自分の速さでこのまま読み続けていこうという気持ちになった。
ただ、“カラマーゾフの兄弟達”は長いので、今回の読書で最後まで読むかどうかは判らない。即ち、途中休憩を入れつつ、何度かに分けて読んでいくという事だ。時間が長く掛かる事業は、無理をしないのが第一であろう。
あと、かなり前、まだ”文章の輪”を読み始めて2年目ぐらいで、露和辞典の使い方がよく解ってない頃だったと思うが、やはり“カラマーゾフの兄弟達”に挑戦して、語形変化に気付けず、“これは方言か古過ぎて辞書に載ってない語彙だ。”とひとり決めの誤解をしていたり、筆者からの冒頭に引用されている聖書の言葉の意味をよく解ってなかったりと、ロシア語だけでなく日本語の理解にも疑問が残る面白い奴だった自分自身を思い出した。今回は、種が地面に落ちても種のままだったらそれだけの話しだが、発芽して成長して花が咲いて実が出来れば自分の仲間を増やせるという植物の生物としての現象を、現代よりも知見が足りなかった聖書の時代の記者が、種が種でなくなる、つまり種が死ぬと理解していると読解する様になった。故に、或る程度の年齢になっていても、意を決して努力を続けていれば、何らかの結果を得る事もあると経験的に知った。
何せ、燃焼に関しても、熱素(フロギストン)と言う元素が介在されていると言う説が唱えられていたのが、たかだか330年ぐらい前の話なのだ。信仰ではなく知識や学問に於いては人が主人公なので、当然誤りが頻発する。勿論、現代の知見も完璧とは言えないであろう。
昨日の夜明け前から随分と気温が下がった。とは言え、暖房している部屋も偶に換気しなければならない。私が子供の頃は、父がそろそろ換気の時間だとなると、窓を開けていた。私は内心、‘寒いし、無駄なんじゃないか。’と思っていたが、耐えなければと思って耐えていた。今の私は一人でその頃合いを見計らって、今の様な急に気温が下がった時期にも換気する。一人なのでいくらでも手を抜けるし、ごまかせるが、正統な儀式を一人で行う気概で行ってる。どのみち、暖房していても寒さがあるので、その程度がより明確になるだけだ。
件のフロギストン説だが、ヨーロッパの中世が暗黒時代と呼ばれていた事もあったように、寄り道、回り道だと言う説があるらしい。私はそうではないと思う。寧ろ、一度は通らなければならない道だったのではないだろうか。と言うのも、出来上がったマニュアル通りに機械を動かしているのではなく、機械を製造するのにも使われるかもしれない自然の現象を解明していってるのだから、人が為す殆ど全ての行為は誤りであり無駄であって当然で、それら無数の無駄がないと、目的地に到達する為にはどこを通ったら駄目か解らないからだ。こうやって私がウェブを利用するようになって、文章を書いている時によく思う様に、全く勉強してこなかった国語を指導させられている時に、嫌で嫌で仕方なかったのだが、その嫌だった国語の指導をしていた時の経験がかなり文章の推敲で生きているのだ。書いた後の文章を見直して、必要であると思った接続詞を補うなんて、まるで国語の問題の様ではないか。故に、寄り道、回り道だと思った国語の指導も無駄ではなかった事になる。
ともあれ、トルストイの“文章の輪”も、その内、翻訳しては公開するだろう。あれは暦の日々全てに文章が割り当てられているので、良く考えると相当に読んで訳出するのが厳しい特訓だったと思う。毎日走り込みをやるようなもので、その数年間があったから、1年以上休んでいても、辞書を引いたりしつつ数日を経ると次第に思い出す様になる。特に辞書の引き方が判らなかった2年目までがかなりきつかった。あんな苦しい事は二度とやりたくない。英語で文法事項が頭に入らないと気付いた高校生の時にNHKのラジオで放送していた英語会話を真似ては覚えてしまうと言う方法を採ったが、ロシア語の今回は、Duolingoで毎日ロシア語を学ぶと言う方法を実行し、それ以降、辞書の使い方も判明したこともあって、少しましになったと思っている。
当初の目的が、“辞書を引きながらでも良いので、本を読める様になる。”だったので、速度が遅すぎるものの、もう目的は達成出来ていると言える。故に、より完全を目指す為に、実際に本を読んで行くことでその速度を上げていこうと思う。