前から書こうと思って居た事がある。面白いと思って、ブログの記事とはほぼ無関係なタイトルを付けて笑いを誘おうとしていたのだが、そう言った意図を汲み取ってか取らずか、記事に無関係なタイトルを付けている人々を目にする事が増えて来た気がするので、‘本来、タイトルにはその記事の主題となる言葉や概念を据えるものなのですよ。'と言う事を、実際の行動で示す為に、ブログの記事の主題となる言葉や概念をタイトルに据える様にした。

 

 これと似た事が以前もあった。年齢を明示しなくても利用出来る媒体と言う事で、何歳位に見えるのかを試す意図もあって、自分で可能な範囲で愚かで幼稚な事を言い続けていたら、やっと自分の年齢よりも10歳ぐらい下に見てもらえた程度だったので、私の表現力も大したことがないなと思っていたのだが、その行為の悪い結果を得てしまって、何人かに愚弄されるという事になってしまった。その内の一つで、我慢の限界を超えてしまい、折角面白い遊びをしていたのにも拘らず、一切の佯狂を止めてしまった。今考えれば、惜しい事をしたかも知れない。と言うのも、愚かで幼稚で居た間は、それに見合った人達とか、それに見合った対応とかが幾つも見れて、人を観察するには最高の環境だったからだ。 

 

 そして、私が愚かで幼稚であると自分で思える事を止めた後も、後遺症の如く、相も変わらず面白い対応をして下さる方々も居て、やはり第一印象とかが大事なんだなと思う日々でもある。これには、伝統主義的社会とか、封建主義的社会にありがちであろう、肩書とか地位に拘る人々が少なくないとか、或いは超越神を信仰していないので、人を量るのに人の作り上げた常識や経歴、階級等を以てすると言った事をする人々が少なくないとかの理由もあるのだろう。抑々、人が人を量ること自体、不可能だと思うのだが、現実の社会はそんなものではないと言う事だ。  

 

 ともあれ、私はこれまでの愚行を反省し、また一つ陳腐だが世の為人の為にはなるであろう、標準化を自分自身に課す事にした。良い結果が出れば良いのだが。