花巻には色々行きたい場所があるので、
季節を跨いで何度も足を運びました。
花巻にドカ雪が降った2月初め、満を持して行ったのは花巻城。
間近からだと全景が望めないので、
お向かいのイトーヨーカドーさんの駐車場から一枚。
崖の上に復元された西御門が見えていました。
坂の下からアプローチします。
お城の北側を流れる後川。
この先で北上川と合流します。
花巻城は天然の要害の
河岸段丘の上に築かれていることがよく分かります。
ガッチガチに凍りついた坂道を上るのは怖い…。
この坂道はふるさとの坂道三十選に選ばれているそうです。
坂道の右側に早坂御門跡の標柱がありました。
二ノ丸にあった楼門で、一日市町や四日市町へ抜ける
参勤交代の時に使われた公道の門だったそうです。
早坂御門の近くには早坂稲荷社があったそうですが、面影はなし。
門の下には西御蔵や舟渡場があったそうなので、
現在と同じく後川があったのでしょう。
後でお城の図を見てみると、
当時は後川ではなく瀬川という名前だったようです。
坂道の左手にある石段を上ってみました。
足元の雪がガチガチで、しかも少し融けかかっているので危ない
慎重に上った先に西御門がありました。
かなり広い広場になっています。
この広場には長屋があったそうです。
広場の隅には花巻城跡(鳥谷ヶ崎城跡)の石碑がありました。
花巻城は昔、鳥谷ヶ崎城という名前で、
この地域を治めていた稗貫氏の居城でした。
稗貫氏は豊臣秀吉の小田原攻めに参陣しなかったため、
奥州仕置きによって天正18年(1590年)、所領を没収されてしまい、
秀吉の代官・浅野長政の家臣・浅野庄左衛門重吉が城代になり、
天正19年(1591年)には北秀愛が入城し、
名前を花巻城に改めたそうです。
長屋跡の広場の先には雲井橋という石橋がありました。
橋の右側には長屋前御門跡の標柱がありました。
雲井橋の上からは、道路を挟んだ向かいの花巻小学校が見えます。
小学校の辺りには郡代屋敷があったそうです。
ちなみに花巻小学校は明治6年(1873年)の創立だそうです。
雲井橋の横の池に見えたものは鍵御堀跡でした。
奥に向かって細長く延びていたお堀だったみたいです。
小学校の敷地まで延びていたようです。
橋を渡ったところに「誠忠」と書かれた台座がありました。
何が載っていたのでしょう?
盛岡城跡の南部中尉の騎馬像のように、
戦時中の金属供出で提供されてしまったのでしょうか?
この先は花巻小学校の校庭になっているため、
フェンスで仕切られていました。
ここで西御門まで戻ることに。
雲井橋を渡りながら東側のお堀を眺めてみました。
ここに案内はありませんでしたが、撞搗堂前御堀だと思います。
御堀の水は凍っていて、雪が積もっていました。
長屋跡の先が張り出すようになっていたので端まで行ってみました。
横を見ると西御門が見えました。
なかなかいい眺め。
いよいよこの西御門を潜って本丸を見に行きます。
今回のおでかけ