寒さと積雪で花巻城の探索を切り上げて戻る途中、
前から気になっていた花巻市民の家へ行ってみました。
市民の家は昭和3年(1928年)竣工で、
花巻町庁舎として建てられた総檜造りの建物です。
昭和45年(1970年)に現在の材木町公園の場所に移築されました。
和風の建物なのに、ドーマーがあるのが面白い。
和洋折衷ということでしょうか。
玄関上の鬼瓦のデザインはサクラ?
瓦だけ見ても古い建物なのがよく分かります。
開館中の時間に行ったのですが、閉まっていました。
横に回ると休館中の貼紙がありました。
建物の前にA型の単管バリケードが置いてありましたが、
材木町公園が絶賛工事中だったので、工事に伴う休館でしょうか。
ふと足元を見ると、雨どいの水を溜めているバケツが凍っていました。
花巻も寒そうです。
失礼して、窓から中を覗いてみました。
1階にはホールと調理室、2階に畳敷きの大広間があるそうです。
こちらは1階のホールでしょう。
そうそう、宮沢賢治が昭和8年(1932年)に亡くなった時、
この建物で追悼集会が開かれたそうです。
特に案内はありませんでしたが、ここも賢治ゆかりの場所でした。
裏手から。
こちら側から見ると洋風の要素がなく、純和風の建物でした。
市民の家の横に展示されている電車。
これもずっと気になっていました。
公園が工事中で入れないので、歩道から見学しました。
この電車は花巻電鉄のデハ3でした。
大正4年(1915年)9月16日に東北で初めて開通した電鉄で、
花巻駅と花巻町内に点在する温泉を結ぶ鉄道だったそうです。
車体の表示。
形式 デハ 自重 9瓲 空換 8瓲 積換 23瓲
トンという単位が「瓲」と漢字なのも時代ですね。
花巻電鉄のマークとデハ3の文字。
上に近代化産業遺産のプレートがありました。
平成21年(2009年)2月に経済産業省から
このデハ3と花巻電鉄の線路跡が
近代化産業遺産に認定されたそうです。
やや正面から。
物凄く細長い車両だと思いましたが、それには理由がありました。
併用軌道鉛線は県道の一部を借りていたため、
最大幅が1.6メートルという制限があったそうです。
そのため、この細い車両になったそうで、前から見ると細いため
「馬面電車」という愛称だったそうです。
私は吉田戦車先生の「ぷりぷり県」に出てくる
この電車も宮沢賢治、そして高村光太郎も利用したそうですよ
帰り際、材木町公園の北側から市民の家を堪能。
今度は工事が終了し、開館している時に来たいと思いました。
今回のおでかけ