大和国葛上郡 室宮山古墳



* 葛城襲津彦
(カツラギノソツヒコ)



■表記
紀は葛城襲津彦
記は葛城長江曾都毘古

*「紀氏家牒」では葛城長柄襲津彦宿禰
*紀に引用した「百済記」では沙至比跪(サチヒコ)

*この当時に姓(かばね)はまだ存在せず、「葛城」姓は後から付されたものと思われます。当時は襲津彦だったということでしょうか。


■概要
4世紀末から5世紀前半頃の人物。武内宿禰の御子で葛城氏の祖。葛城氏は皇室の外戚となることで強大な勢力を誇っていました。

伝説上の人物、或いはモデルとなる人物はいたが潤色されたものである、また複数人(三代など)の事績を一人にまとめ上げたなどというものも。事績の史実性が乏しくこのような説が出されています。

対朝鮮半島との外交・軍事上の重要人物。また以下にあるように捕虜を連れ帰ったりなどして、彼らを束ねていたとみられます。その捕虜としてなどの渡来人が奉斎したのが下照姫神。襲津彦は御所市長柄に住んでいたとされますが、そこには下照姫神を祀ると考えられる長柄神社が鎮座。


紀にみえる記述は以下の通り。

◎神功皇后五年
葛城襲津彦が新羅から捕虜を連れ帰ったとあり、これが「桑原・佐糜・高宮・忍海」の四邑の漢人らの始祖であると。
*「桑原」 … 御所市朝町・池之原
*「佐糜」 … 御所市東佐味(ひがしさび)・西佐味
*「高宮」 … 御所市森脇付近、または西佐味付近
*「忍海」 … 忍海郡(おしみのこほり)
これは新羅の王(こきし)からの人質としていた微叱許智伐旱(ミシコツホツカン)を返して欲しいと神功皇后に三人の朝貢があり、皇后は承諾。襲津彦を副えて、三人の使者と人質の微叱許智伐旱を乗せた船は鉏海の水門に到着。ここで微叱許智伐旱は仮病を使い、藁人形を寝床に身代わりに、三人の使者が予め用意していた船で逃走。襲津彦は使者の三人を焼き殺した上、新羅に向かい「蹈鞴津(たたらのつ)」に到着。「草羅城」を攻め落とし捕虜を連れ帰ったというもの。

◎神功皇后六十二年
新羅からの朝貢がなかったので、撃つために襲津彦を派遣した。わずかにその一文のみ記し、続いて「百済記」からの引用文を掲載。
「壬午年(382年)に倭国は沙至比跪(襲津彦のこと)に新羅を討たせようとした。ところが沙至比跪は新羅が差し向けた美女2人に惑わされ、加羅を討ってしまった。百済に逃げ伸びた加羅国王家は天皇(応神天皇)に直訴、天皇は激怒、木羅斤資(モクラコンシ)を遣わせ沙至比跪を攻めさせた」
別伝として沙至比跪は天皇の怒りを察知、密かに帰国して身を隠した。沙至比跪は皇宮に向かう用事のある妹(妻のことか、記紀には妹がいたという記述無し)に様子を探らせたが、まだ天皇が怒っているとの返答。沙至比跪は罪を免れないと悟り自ら石穴に入り自害した。

◎応神天皇十四年
百済から弓月君が帰ってきて天皇に奏上するには「私は自国の人夫120縣を率いて帰化しようとしているが、新羅人に妨げられ皆が加羅国に留まっている」と。そこで襲津彦を加羅に遣わせたが、三年経っても戻って来ない。

◎応神天皇十六年
平群木菟宿禰(ヘグリノツクノスクネ、兄)と的戸田宿禰(イクハノトダノスクネ、子)に精鋭兵を授けて加羅に派遣、そして「襲津彦は久しく還らないのは新羅が妨げているに間違いない、汝らは急いで新羅を撃ち妨げる道を開いてくるように」と詔した。
木菟宿禰等は精兵とともに新羅との国境へ進軍、新羅王は驚き罪に服した。弓月の人夫を率いて襲津彦は還ってきた。居住推定地は御所市「朝妻」。

◎仁徳天皇四十一年
紀角宿禰(キノツノスクネ、兄)を百済に派遣し、初めて国郡の境界を定め郷土の特産物を記録した。この時百済王族の酒君(参考 → 酒君塚古墳)が礼を失したことで、紀角宿禰は百済王を叱責した。百済王は酒君を鉄鎖で縛り襲津彦に差し出した。酒君は日本に連れて来られるもすぐに石川錦織首許呂斯の家に隠れ、「天皇は既に私の罪を赦した、だから貴方の元に身を寄せ生活したい」と騙した。しばらく時を経て天皇は罪を赦した。

以上のように神功皇后を含め三代に渡る天皇に仕えており、少なくとも150年以上は生きたということになります。生没年は不詳。皇后六十二年の別伝には自害したともあります。


■系譜
◎父は武内宿禰、母は不明
◎七男二女の六男
羽田八代宿禰(波多氏の祖)
許勢小柄宿禰(巨勢氏の祖)
蘇賀石河宿禰(蘇我氏の祖)
平群木菟宿禰(平群氏の祖)
紀角宿禰(紀氏の祖)
久米能摩伊刀比売
怒能伊呂比売
葛城襲津彦(葛城氏の祖)
若子宿禰
◎子は五男一女(名不明が一名別にあり)
玉田宿禰
磐之媛(仁徳天皇皇后)
葦田宿禰
腰裾宿禰
戸田宿禰
能道宿禰
(不明一名)
◎玉田宿禰の子に円大臣、葦田宿禰の子の影媛が履中天皇妃


■関連史跡等
[伊賀国] 須智荒木神社
[大和国廣瀬郡] 讃岐神社 … 葛城氏の奥津城とされる馬見古墳群に近接、関連が想定される
[大和国葛下郡] 調田坐一事尼古神社 … 一言主神との関連

[大和国葛下郡] 屋敷山古墳 … 襲津彦や葦田宿禰の墓所説あり
[大和国忍海郡] 寺口忍海古墳群 … 襲津彦が連れ帰った渡来人などの墓とされる
[大和国葛上郡] 葛城一言主神社 … 一言主神との関連

[大和国葛上郡] 室宮山古墳 … 襲津彦の墓所とされる
[大和国葛上郡] 極楽寺ヒビキ遺跡 … 葛城氏の政庁跡とされる

[大和国葛上郡] 南郷遺跡群 … 葛城氏関連の遺跡群
[大和国葛上郡] 高天彦神社 … 葛城氏の総氏神的な位置付けか

[大和国葛上郡] 長柄神社 … 襲津彦の出生地または居館跡が近接していたとされる
[河内国志紀郡] 志紀長吉神社