須智荒木神社


伊賀国阿拝郡
三重県伊賀市荒木108
(道路向かいにP有)

■延喜式神名帳
須智荒木神社の比定社

■旧社格
郷社

■祭神
猿田彦命
[配祀] 武内宿禰命 葛城襲津彦命 
[合祀] 誉田別命 菅原道真 火魂日神 大日孁貴命 須佐男命 市杵嶋姫命 金山彦命 大山祇命 天兒屋根命 天萬栲幡千幡比賣命 宇迦能御魂命 大鷦鷯命 彌都波能比賣命


伊賀市の外れ、「木津川」の支流となる「服部川」沿いに鎮座する古社。伊賀国においては、敢國神社に続いての当国二の宮という扱いになっているようです(小宮神社とする説もあり)。
◎社殿は急な石段を登った先に。「荒木山」の中腹に当たるとのこと。山中には前方後円墳など古墳がいくつかあるようです。4世紀中葉から5世紀中葉にかけて築かれたとされています。
◎社名の「須智」と「荒木」からいろいろなことが連想され興味の尽きない社。
まず「須智」について。「須智」は山城国綴喜郡の朱智神社の「朱智」と通じるものがあると考えられています。そこで祀られるのは迦彌米雷王。神功皇后の祖父であり、息長氏系つまり新羅国からの渡来人系が奉斎した社。配祀神として列する武内宿禰命も神功皇后と深く関わり、葛城襲津彦命は武内宿禰命の御子。
◎また「荒木」については、朝鮮半島の「安羅から来た」ということからの「安羅来」の転訛したものという指摘も。さらに猿田彦大神を祀ることから「白髭神社」とも称されるらしく、こちらも渡来系氏族により奉斎された社かと考えられます。
◎記の安寧天皇の条には、「師木津日子命(安寧天皇皇子)の子二王坐しき 一の子孫は伊賀の須知の稲置 那婆理の稲置 三野の稲置の祖」と記されます。「稲置」とは地方長官のこと。このうちの「須知の稲置」を開拓し祖神を祀ったのが当社とされます。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。










芭蕉句碑