■表記
紀 … 日葉酢媛命、日葉州媛命、日葉酢根命
記 … 比婆須比売命、氷羽州比売命


■概要
第11代垂仁天皇の二番目の皇后。最初の皇后であった狭穂媛命が自害(参照記事 → 狹穗姫・狹穗彦 禁断ロマンスと「黒髪山」)したため、その遺志により丹波国(当時は丹後国がまだ分割独立していない)より後宮として迎え入れられたのが日葉酢媛。
◎この時、長女の日葉酢媛が皇后となった他にも「丹波の五(たにはのいつとり)」として次女の渟葉田瓊入媛、三女の眞砥野媛、四女の薊瓊入媛、五女の竹野媛(臺与か)の四姉妹も妃となっています。以上は紀の記述であり、記では三姉妹が妃に。
◎日葉酢媛は丹波道主命と河上麻須郎女(カワカミノマスノイラツメ)との間の長女。ちなみに狭穂媛は日子坐命(丹波道主命の父)の御子。垂仁天皇の時に丹後国から一斉に后妃を迎え入れています。四道将軍として日子坐命が派遣され平定、支配下に治めたと言えそうです。
◎薨去に関しては記紀においてまったく異なる記述がなされています。紀ではその葬儀に際してそれまでの殉死を取り止め、代わりに埴輪を埋納することを野見宿禰神が垂仁天皇に提言、この日葉酢媛の御陵以降のならわしとなりました。ところが記では垂仁天皇が崩御したときも日葉酢媛はまだ存命、田道間守神から「非時香菓(ときじくのかごのみ =大和橘)」を受け取ったとあります。
明らかに食い違っており、300年程度を隔てて創作された神話なのか、あるいは伝承に混乱があったものか。


■系譜
父 … 丹波道主命
母 … 河上麻須郎女(河上麻須の娘)

祖父 … 日子坐命(父方)、河上麻須(母方)
*ただし紀の一書に、祖父は彦湯産隅命(ヒコユムスミノミコ)とする別伝も。

兄弟姉妹 … 眞砥野比賣命(垂仁天皇妃)、弟比賣命(垂仁天皇妃)、朝廷別王(ミカドワケオウ、日下部氏の祖)

子女 … 五十瓊敷入彦命、第12代景行天皇、大中姫命、倭姫命、稚城瓊入彦命


■祀られる神社・関連史跡等(参拝済みのみ)
[美濃国] 伊奈波神社(配祀)
[美濃国] 金神社(配祀)
[丹後国熊野郡] 芦高神社(父丹波道主命と母河上麻須郎女の住居伝承地、日葉酢媛命はここで生まれたか)

[丹後国熊野郡] 衆良神社(住居跡説有り)

[大和国添下郡] 狹木之寺間陵(治定墓)
[大和国添下郡] 山上八幡神社(狹木之寺間陵の拝所の如く鎮座)


*相当数の漏れがあると思われますので、発見次第追加します。