(真ん中手前の小島が「伝田道間守墓」)



☆田道間守神(タジマモリ)


垂仁天皇九十年春の記述(意訳)。


天皇は田道間守を常世国へ遣して「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探させた。
今に言う「橘」というのはこれである。

垂仁天皇九十九年秋 天皇は纏向宮にて崩御、そのとき百四十歳。冬に菅原伏見陵に葬られた。

翌春 田道間守は常世国に至り「非時香菓」を得る。「八竿八縵」(団子状に連なったものか)にして持ち帰る。

(既に天皇は崩御)田道間守は嘆き悲しみ、
「天朝から命を受け遠く絶域に往き万里の波を超え遥か遠くの川を渡る。この常世国は神仙秘区で、俗人が立ち入るようなところではない。常世国との往来で十年が経つ。高い波を凌ぎ帰って来られるとは思えずも、聖帝の神霊により帰ることが叶った。天皇は崩御され復命(報告)できない。臣(田道間守)は生きていても何の益もない」と。

そして陵に向かって叫び哭き自決。群臣(まへつきみ)たちもこれを聞き涙した。
田道間守は三宅連の始祖である。


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不用意な解説は不要かと思うので最小限に留めます。

「蓬莱山」の場所については古来より多く議論がなされていますが、定説はありません。

海を渡った先とするならまず朝鮮半島が考えられますが、
そもそも田道間守は天日矛神の後裔。
天日矛神は元新羅王子であり、可能性としては低いかと。

説話の内容からもっと遥か先のように思います。

「橘」については柑橘系のものということなのでしょうが
「橘」には日本固有の「ヤマトタチバナ」というものがあります。

「ときじくのかくのみ」ということから「かく(嗅ぐ)の実」という説も。
つまり香りのある実ではないかというもの。


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敢えて「忠義」という言葉を表題に入れてみました。

「ときじくのかくのみ」や「橘」、「神仙思想」による「蓬莱山」などがフューチャーされますが、
私個人的には、史実とするならこんなイメージの神。

多くの人がこういったイメージを漠然と抱きながら、「忠義」といった類いの言葉でこの神を称えているのをみかけません。

こういったものもあっていいかと考えています。