金神社 (岐阜市金町)

(こがねじんじゃ)



美濃国厚見郡

岐阜市金町5-3

(P有)


■旧社格

県社


■祭神

金大神

[配祀] 渟熨斗姫命(ヌノシヒメノミコト) 市隼雄命 五十瓊敷入彦命 日葉酢媛命 



岐阜市街地の中心、「金町(こがねまち)」に鎮座する社。平成二十七年に塗り替えられたという金の鳥居が有名。また金運等を求めて野卑な輩が大挙して訪れる社でも。

◎岐阜市のシンボルとも言える「金華山」の西側麓に五十瓊敷入彦命を祀る伊奈波神社、妃の渟熨斗命を祀る当社、御子の市隼雄命を祀る橿森神社の三社が鎮座。関連が想定されます。

◎当社が公式に示す由緒は以下の通り。

━━伊奈波神社に伝わる縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の詔を受け奥州を平定しましたが、その成功を妬んだ陸奥守豊益は一足先、都に戻り謀反の心ありと報告したため、朝敵とされこの地に至り討滅されました。夫の死を聞いた渟熨斗姫命は深い悲しみの中、都を発ち御跡を慕ってこの地を訪れ、夫の御霊を慰めつつ生涯を終えられました。その間命は、地域住民を母の如く労り、私財を使い町を開拓され産業・農業の発展に寄与され、後に岐阜の街の基盤となりました。慈悲深い命の功績を慕い人々が集まり財をもたらす神として信仰されるようになり、この地に金大神と称され祀られました━━

◎この内容は「美濃国第三宮因幡写本縁起」(岐阜県指定重要文化財)によるものと思われます。伊奈波神社の主祭神は五十瓊敷入彦命。記紀には五十瓊敷入彦命が奥州平定に向かったとも、妃や子女がいたとも記されていません。当地のみに伝わるものですが、当地にこれほど足跡が色濃く残ることから史実であったと考えます。朝敵となってしまったことから、必要な事象以外はすべて抹消されたのでしょうか。

◎創建は第13代成務天皇の御宇、物部臣賀夫良命が国造として当地に赴任、当地に国府を定め金大神を崇拝したことに始まると伝わっています。境内北東隅に築かれた「賀夫良城塚」という古墳に眠るとされています。近くには「蕪城町」という地名も残るとのこと。

平安後期に編まれた「美濃国神名記」の厚見郡の項に、「正三位 金大神」とあることから、創建はそれ以前と見られます。

◎上記の「美濃国第三宮因幡写本縁起」には、日本武尊が陸奥へ「金石」を求めるも得られず、五十瓊敷入彦命が得ることができたと。そして陸奥の「金石」が一夜にして美濃の「金山」となり、命はそこに住みそこで最期を迎えたと記されています。

「金華山」の山名はそれを由来とし、当社名も同様であろうかと。果たしてここで言うところの「金」は、「金(きん)」であったのか、「鉄」であったのか。

◎以降は元和三年(1617年)に加納城主により厚い崇敬を受け再建、昭和二十年の岐阜市空襲で壊滅。昭和六十三年に現在のように復興したとのこと。


「賀夫良城塚」と境内社 



ご本殿前に建つ金色の鳥居「こがね大鳥居」。

東側の古くからある鳥居。


贅を尽くしたと言わんばかりの社殿ですが、ここまでともなると少々品位に欠けるかと…。



左殿(向かって右殿)の金祥稲荷神社。


ご本殿を背後より。