中言神社 (和歌山市吉原)
(なかごとじんじゃ)


紀伊国名草郡
和歌山市吉原1100-2
(社前にP有、アクセス道はやや狭いものの注意すれば問題無し)

■祭神
名草比古之命


神武東征において皇軍(神武軍)に誅されるまで、当地を支配していたとされる女酋長 名草戸畔(ナグサトベ)を祀る社。
◎紀の記述に反して、名草戸畔軍は皇軍(神武東征軍)を撃退させたようです。その伝承は二千年近くを経た現在に至っても地元には微かに残っているようで、未だに比賣は厚く崇敬されています。
「名草山」の北側に鎮座しますが、かつては「中言神社」が周辺に15社あったとか(現在は3社と他社境内の摂末社が数社のみ、下部に一覧を記載)。その総本社が当社であり、いずれも当社からの勧請であるとされています。
◎「中言」とは、神と人との中(間)をつなぐということだと考えられています。つまりシャーマンであったと。その名草戸畔一族は紀元前4000~3000年前頃の縄文時代から九州より当地に移住、拠点にしていたとも。
◎名草比古之命については、いわゆる「ヒコ・ヒメ制」のヒコであり、ヒメである名草戸畔が神懸かりし授かった神託を実行に移す存在であったとも。名草戸畔の夫あるいは弟だったのかと。
◎ところがこれとは別に、紀氏(紀伊国造家)の系譜「古屋家家譜」には名草彦の名が見られます。日前神宮・國懸神宮を奉斎した人物(神)として、事実上、紀伊国名草郡を支配した始祖神。
◎社頭案内は「紀伊国神名帳」からの引用として、━━従四位上、名草比古之命、名草比賣之命、旧事記に曰く大己貴之命、六世之孫豊御気主之命を以て紀伊之国名草姫を妻となし、一男を生む 又曰く天の香語山之命五世の孫建斗米之命を以て紀伊之国造智名曽之妹、中名草姫を妻となし名草比古之神は天道根の命の数世の裔であり名草比賣之命はその妻である 夫れ當社は名草一郡の地主の神にして紀氏の祖なり━━と。
◎この内容をどこまで信用して良いのでしょうか。大和王権が勢力を拡大、当地に紀氏(紀伊国造家)を通じて日前神宮・國懸神宮を創建しました。これは当地に根強い名草戸畔と伊太祁曾三神への崇敬を削ぐため。ところが狙い通りには進まず、名草戸畔を紀氏の系図に取り込み、遷座させた(追いやった)伊太祁曾三神をさらに三所に分断、ようやく紀氏(紀伊国造家)を通じたヤマト王権の支配が進んだと言われます。そもそも紀氏(紀伊国造家)とは大和王権に寝返った者たち、地元民たちにはそのような思いもあるようです。

◎往古は広大な社地を有していたと、当社案内にはことさら強調されています。確かに「紀州図絵」には大神殿の図絵が。周辺には至るところに分祀先が鎮座。よほど当地での信仰が篤かったことが窺えます。

◆現存する「中言神社」と関連社
宇賀部神社 … 姫の頭を祀る
杉尾神社 … 姫の胴を祀る
千種神社 … 姫の足を祀る


*写真等は2017年2月と2020年4月、2021年12月撮影のものとが混在しています。


社前は駐車場と一体化した小さな公園に。

午後には地元ご老人たちの憩いの場となります。いつも温かく迎えて下さり、また誇らしげに地元民しか知らない当社のことを語って頂くのが私の恒例行事となりました。


汲みに来る人も多いようです。