内原神社 (和歌山市内原)


紀伊国名草郡
和歌山県和歌山市内原1437
(Pらしきものが社前に有り)

■祭神
大国主命
名草彦命
[配祀] 月讀命 八大龍王大神 菅原道真公 少彦名命 日前大神 蛭子命 須佐之男命 市杵嶋姫命


「名草山」の南麓にある神社。ご祭神から歴史が見えてきますが、当初は名草彦命と名草姫命を祀る神社だったのでしょうか。
◎名草姫命とは、神武東征時に皇軍に誅されたと紀に記される女首長 名草戸畔のこと。名草彦命は詳細不明ながら、いわゆる「ヒコ・ヒメ」制のヒメ(巫女)が神懸かり受けた神託を基に実際に行うヒコ(政治担当者)であろうと考えられています。
◎ところが紀伊国に根を下ろした大伴氏の古系譜を示す「古屋家家譜」には、大名草彦の名が記されます。また日前神宮・國懸神宮の創建に実際に関わったのが大名草彦とされます。紀伊国においての実質の祖神が、この大名草彦であろうと考えられます。
◎当地の伝承を丹念に調べ上げて史実と思われるものを復元した、なかひらまい氏によると、名草戸畔は皇軍との合戦において命を落としたとみられるものの、皇軍は敗退して目論んだ紀ノ川を遡り大和入りするというルートを余儀なく断念、遥か先のしかも険しい熊野からの山越えルートを選択したとしています。
◎当社は13世紀に八大龍王大神を勧請したとされます。日前大神も紀伊国で根を張ろうとして奉戴した神。さらに紀氏が高皇産霊神を祖神とすると主張しているために月讀神が祀られているのでしょうか(顕宗紀に月讀神が高皇産霊神を祖神だとしている記述がある)。ここでいう紀氏とは、かつて皇軍と戦い紀氏へと姓を変えた名草村の人々たちのうち、大和王権の支配が全国へ拡大するにつれ王権側に就いた人たち、つまり紀伊国造家のことと思われます。そして大伴氏の後裔。大国主神は江戸時代になってからの祭神変更です。
◎名草郡には大国主神を祀る神社が多く鎮座しますが、これは製鉄技術をもった出雲族が弥生時代に当地へ流入、名草村の原住民と融合していった名残であろうとするのは、前述のなかひらまい氏。
◎これに対しては、神武東征時に吉野で出会った磐排別命(イワオシワクノミコト)が正体ではないかと考えます。「国栖(クズ)」の祖神であり、「国主(クズ)」へと転訛し、それが大国主命と同化されてしまったものと。これは刺田比古神社など「紀ノ川」流域の諸社で多く見受けられます。
◎三社を昭和になってから一社にして内原神社としたとあるので、名草彦、名草姫、大国主の三柱を祀る神社がその三社だと思われます。
「名草山」には山頂と中腹に磐座群が座します。当社境内からの登拝ルートで拝礼することができます。
・登拝記事→こちら
・磐座記事→こちら


線路を渡り、狭い道路が真っ直ぐ当社に向かって伸びています。