◆中川コージ『インドビジネスのオモテとウラ』に注目します。

★副題
→ 14億人市場の「世界でいちばん面倒くさい国」


★ポイント


・もう間もなく日本のGDPを抜き去る勢いの、
世界随一の成長市場、インド。


・この14億人市場の巨大な需要による引力に、
多くの日本企業が惹きつけられています。


・「インドビジネスチャンスの波に遅れてしまってはマズイ。
とりあえずざっくりとインドのことを知りたい」
本書はそうした方々に贈る、「ビジネスパーソンのためのインド」を丸裸にした入門書です。


・インドが秘める無比の可能性、
そして同時にビジネス上の「インド・リスク」を多方面から無数に紹介。


・高い失業率や未整備なインフラなどの経済リスク、
カースト制度を筆頭とする文化リスク、
モディ独裁などの権力構造リスクなど、挙げればキリがありません。


・しかしリスクを掻い潜って商機を掴めれば、

14億人市場は「マサラ地獄」は「インクレディブル・インディア」となるでしょう。



 

 



 

 



 

 




 

 



 

 




◆川戸貴史『商人の戦国時代』を読み解く


★要旨


・中世の日本において、
瀬戸内海海運が経済的に非常に重要であった。


・中世の瀬戸内海は、
海運の要衝として栄える一方、海賊による略奪行為が横行した。
彼らは金銭で手懐けておけば、水先案内人の役割を担った。


・瀬戸内海には、
各地でそれぞれ拠点とするいくつかの海賊集団が盤踞ばんきょしていたが、
それぞれには縄張りがあったようで、
金銭で手懐けておけば賊船からの襲撃を免れることができるようになっていた。

 
・また島が多く潮も速い蒲刈周辺は適切な航路を採ることが容易ではないため、
通過する船舶にとっても、
安全な航路を知る地元の海賊衆を乗船させることにメリットもあった。


・毛利家は、瀬戸内海の制海権を握っていた。


・このような海賊衆はそれぞれの地域を拠点として集団で活動していたとみられるが、
常に船舶を襲撃することだけを生業としていたわけではなく、
漁業のほかに彼ら自らも廻船に関わっていたと考えられている。


・16世紀半ばになると戦国大名の指揮下に入り、
集団として海上から軍事活動に従事する「水軍」のような存在となる海賊衆が目立つようになった。

 
・瀬戸内海におけるそのような「海の領主」といえば真っ先に思いつくのは、
「村上海賊」などと呼ばれる村上氏の一族であろう。


・因島村上氏は瀬戸内海周辺海域で影響力を拡大した大内氏の庇護下となり、
「海の領主」として大内氏の海上における軍事力を支える存在となった。


★コメント
どこの国でも、
海賊の歴史は面白い。


 

 



 

 




◆堀江宏樹『文豪。不適切にもほどがある話』を読む


★ポイント


・川端康成から
「もっともすぐれた叙情作家」と評価された宇野千代。


・大正・昭和・平成にかけ、世間が想像する奔放な「女流作家」のイメージを完全に体現して生きた文豪でした。
宇野はその長い生涯でいくつか自伝的作品を書いていますが、
とくに傑作なのが『私の文学的回想記』です。


・当時の宇野は北海道在住で、ペンネームは「藤村千代」。
失恋してヤケになり、やらかしまくった宇野をプロポーズして救ってくれた従兄で、
絵を描いていた2番目の夫・藤村忠と結婚していた。


・しかし、会社員の夫に尽くすだけでは物足りないものが彼女にはあったのでしょう。 一等当選の名誉と大金を手に入れた喜びの報告も、「札幌で自分を待っているに違いない良人」にしようとは思いつかなかったといいます。


・彼女はすでに3番目の夫となる作家・尾崎士郎と知り合っていました。
懸賞小説のコンペで二等だったのが尾崎だったのです。


・1922年、宇野は藤村を捨て、尾崎と結婚します。
そして、尾崎にひたすら尽くしまくりました。


・そして宇野は尾崎と離婚直後、
クスリに溺れながら男たちの間を渡り歩いた30歳の日々を「青春」として振り返っているのでした。


・宇野は、同業者から嫉妬されました。
そして1950年のある日、原稿用紙にペンで書かれた匿名の告発文が税務署に届いてしまったのです。
宇野と北原の豪遊生活は、税金を6割もちょろまかし、
脱税して成り立つものだった。


・税務署の立ち入り調査を受けた宇野は、はじめて知る真実に驚がくしたそうです。


・ま、「そんなワケあるかいっ」て話なのですが、科されたのは当時の額で1億円という罰金。
現在の貨幣価値に換算すると、なんと約50億から60億円程度。
それでも財産を売り払うだけで支払えてしまったのですから、すごいもんです。


・男と別れ、どん底を経験すると必ず盛り上がってくる「金運」と「生命力」、
それらに支えられた「自信」あってこその文豪・宇野千代だったのかもしれません。


★コメント
宇野千代さんのバイタリティに学びたい。


◆川口マーン恵美『なぜ日本人は、一瞬でおつりの計算ができるのか』を読む


★要旨


・なぜ日本人は、一瞬でおつりの計算ができるのか。


・この疑問に一言で答えるなら、初等教育が優れているからだと言える。
日本の初等教育は素晴らしい。
これは自信を持って言える。


・すでに最初の1年間で、あんな小さな子供たちの頭の中に、
50の平仮名と、50の片仮名と、80の漢字を、
あとで取り出して使用することが可能なように整然と、
しかも無理なく詰め込んでしまうのだから、
こんなすごいことはない。


・ドイツの小学1年生は、
たった30足らずのアルファベットに1年を費やし、それでもまだ読めない子がいる。


・日本では、素晴らしい初等教育の、そのあとがうまく続いていない場合が多い。
どうも成長戦略に不備があるのではないかと、私が懸念する所以である。


・ドイツの外国語教育は、
日本の高校生ほどたくさん受験用のイディオムなどは習わないが、基本的に、使える英語を教える。
どちらがいいか、意見は分かれるところ。


・ラテン語に限っては、ドイツでは今でも、
この言葉を習ったということがエリートである暗黙の了解のようになっている。


・そういった歴史を鑑みるまでもなく、
ラテン語は今でもエリートの隠れた勲章なのだ。
だから、彼らが自分たちの教養をさりげなく示そうとするときには、
会話にチラリとラテン語の格言を織り込んだりする。


・ドイツには大学入試がない。
いわゆる高校の卒業試験がめっぽう難しくて、
それに受かれば、大学の入学資格が取れるという仕組みになっているからだ。


・つまり、高校を卒業できた者は、原則的に、大学に進学することができる。
ドイツには、新卒の一斉就職の習慣もない。


・貴族に生まれた娘たちは、ヨーロッパ中、縦横無尽に嫁がなければならない運命だった。
その彼女たちが嫁ぎ先で無事生き延び、自分の陣営を確保するには、
言葉の習得は最重要事項だった。


・18世紀のヨーロッパ貴族のオフィシャルな言葉はフランス語だったとはいえ、
たとえば陰謀に気付くには現地語が必要だったに違いない。
言葉が死活問題につながるという状況は、 
もっと昔、戦争で捕虜になり、後宮に放り込まれてしまった女性、
そして、奴隷にされた人たちも同じだったはずだ。


・そういう、言葉ができるかできないかが命綱であるような状況がしばしばあったからだろう、ドイツでは今でも、言葉の持つ意味が大きい。
政治家の失言も少ない。


★コメント
やはり、諸外国との教育の違いを
知ることは大事だ。


 

 



 

 








◆ライオネル・バーバー『勝負師。孫正義の冒険』を読む


村井浩紀、翻訳。


ライオネル氏は、
フィナンシャル・タイムズ紙の元・編集長。


★要旨


・あらゆる帝国は、インフラの上に築かれてきた。
歴史に学ぶマサ(孫正義)は、
社内でそう語ることを好む。


・ローマ人は道路を整備し、
イギリス人は、鉄道と海底ケーブルを敷設し、
アメリカ人は、
電力、高速道路、通信のネットワークを構築した。


・マサは、
ボーダフォン日本法人の買収により、
投資家から事業者への転身を果たした。


・資金が逼迫していたマサは、
基地局の通信設備メーカーであるエリクソンを訪ね、
支払いを数ヶ月猶予してくれるよう、依頼した。


・エリクソンのCEOである、
カール・ヘンリック・スバンベリは、困惑した。


・マサは、
このスウェーデン人が今でも惹かれる何かを持っていた。
厚かましさ、独特の魅力、
未来に対するこの上ない楽観主義。


・スバンベリは、
マサをとりあえず信用することにして、
支払いを猶予した。


・彼の直感は、正しかった。
マサは約束を守り、
新しい期限までに支払った。


・2005年の夏、
カリフォルニアに主張した折に、
マサは、スティーブ・ジョブスに、
自分が予想するアップルの次期製品を、スケッチにして見せた。


ジョブス「マサ、それはいらなよ。自分のがあるから」

マサ
「スケッチのことは、どうでもいい。
あなたの製品が出来上がったら、
日本向けは、私にください」


・フォローアップの会話で、
ジョブスがソフトバンクに
日本でのiPhoneの独占販売権を与えることに
基本的に同意した。


「やれやれ、マサ、君は、クレイジーだ」

ジョブスは言った。

「開発のことは、まだ誰にもしゃべってないんだぞ。
だけど、最初に会いに来てくれた君にあげよう」


・何も文書化されなかった。
価格も数量も、詰めなかった。


・一つの紳士協定であり、
その前提は
マサには携帯電話事業を立ち上げる、
ないし買収するだけの資金力があることだった。


・2006年3月、
マサは総額170億ドルで
ボーダフォン日本法人を手に入れた。


・その2週間後、ジョブスが東京に来た。
マサは、
ジョブスに合意の履行を迫った。


「あなたは、書面にしてくれませんでしたが、
あなたの言葉を信じて、
170億ドルを賭けたんですよ。
私に何も書いて約束してくれなかったことに、
ちょっとは責任を感じてほしいですね」


・ジョブスは、笑いながら断言した。

「マサ、クレイジーな男だな。
話し合ったことを実行しよう」


★コメント
孫さんのエピソード、一つひとつが面白い。
見習えるところは見習い、

学びつくしたい。



 

 





 

 



 

 



◆高市早苗『ぶっとび永田町日記』を読み解く


本書は、1990年代に、
高市さんが国会議員になってからの
初めのころに書かれた貴重な本である。



★要旨


・私が、松下幸之助氏の薫陶を受け、
「将来は、国政の場で働こう」
と決心したのは1985年、
24歳になったばかりの春だった。


・現在34歳(当時)の私は、
国会においては、
昭和ヒトケタ生まれの両親に育ててもらった、
最後の世代の代議士になるだろう。


・本書は、
一年生議員として永田町に首を突っ込んだばかりの
私の日記のようなものである。


・神戸大学の廊下を歩いていた時に、
松下政経塾の塾生募集のポスターが貼ってあるのを
目にしたのが、始まりだった。


・ホテルニューオータニの一室で
松下幸之助氏と面接することになった。
ドアを開けた瞬間、
私は体が凍りつくような緊張を覚えた。


・松下さんは、
眼鏡の奥から鷹が獲物を射すくめるような鋭い目で
じっと私をにらみつけ
ニコリとも笑わない。


・26歳のとき、
アメリカ連邦議会のシュローダー議員の事務所で
インターンをした。


・「スタッフとして一人前の仕事ができないなら、
今すぐ日本に帰りなさい!」
と初日から怒鳴りつけられ、
歯を食いしばって、仕事を覚えた。


・アメリカの選挙の場合、
選挙期間というのは、とくに定められていない。


・日本の冠婚葬祭や、雑多な世話事ではなく、
納税者(有権者)からの陳情、要望にそった法案をつくることが
選挙運動になっているのだ。


・私の持論だが、国家の仕事は、
国防、外交、経済政策、教育である。


・国会議員は、この4つに真剣に取り組み、
それ以外の地元がらみの仕事は、
地元に密着した県議会議員や市町村議員に任せ、
地方自治体単独の予算で
運営していくのが理想だ。


・ちなみに、
この1年間に永田町で一番多く耳にした言葉は、次の2つ。

「挨拶がない」
「俺は聞いてないぞ」


・委員会の審議日程が流れたり、
大切な法案の採決がパーになったりする理由は、
大抵この2つだ。


・笑い話のようなことばかりだが、
事実、
永田町政治は「理屈」ではなく、「メンツ」で動いている。


・英国のマーガレット・サッチャー元首相が、
ジャーナリストの、
「あなたが女性だということは、
首相を務めるうえで、有利だったが、不利だったか」
という質問に答えて、

「私はまず政治家です。そして最後まで政治家です。
たまたま女であったに、過ぎないのです」
というコメントを出したことが、印象的だった。


・また、
戦後最長といわれたサッチャーの首相在任期間中、
彼女の内閣で女性閣僚は、たった一人だった。


・自分が女だからといって、
フェミニズムに走らなかったところが、
サッチャー政権が長続きした秘密だったかもしれない。


・そんなサッチャーでさえ、
女性であることの弱さを認めたコメントを出している。

「私は最後まで党内基盤が弱かった。
それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」


★コメント
今後の日本政治が、どうなるか、
厳しい目で見極めたい。


 

 



 

 




◆大下英治『高市早苗。愛国とロック』を読み解く



★要旨


・高市早苗は、
幼稚園のときに、ヤマハ音楽教室に通った。
それをきっかけに、小学生の時に
ピアノを買ってもらい、
となりに住んでいた音大生から習った。


・この音大生のお姉さんとの出会いで、
ハードロックを好きになる。


・お姉さんは、レコード会社でアルバイトをしていて
たくさんのレコードをもらってきた。
お姉さんは、クラシックファンだったので、
ロックのレコードは全部、高市がもらった。


・議員になってからも
ストレス発散の時に聴いている曲は、
ディープ・パープルの「紫の炎」だ。
原題は、「Burn」。
疾走するような、ハードロックの名曲だ。


・高市は、慶応義塾大学をあきらめ、
そのあとに合格した神戸大学への入学を決めた。
大学時代は、
アルバイトとロックに明け暮れた。


・高市は、
アメリカ連邦議会のパット・シュローダーの事務所へ
インターンにいった。


・英語力は、意外に早く身についてきて
日本の英語教育が優れていることを再認識した。
中学や高校の英語の授業では、
アメリカ人が理解できない関係代名詞を使った構文を
勉強させられる。
それが生きた。
難解な文章がさらさら読めた。


・令和5年の高市主催の勉強会「日本のチカラ研究会」では、
江崎道朗が、
「日本のインテリジェンス機関、その経緯と課題」をテーマに
講演してくれた。


・高市主催の勉強会は、
回を重ねるごとに充実してきている。


・無派閥の高市が、
ふたたび総裁選に出馬した場合、
自民党の国会議員の多数からの支援を得るのは難しい。


・そこで門田隆将は、
かつて小泉純一郎が小泉ブームを自ら起こして、
世論の風を活かして総裁選で圧勝したように、
高市を支援する国民的な動きを作る必要性を感じている。


★コメント
総裁選に勝利した、高市さんの今後に注目したい。


 

 



 

 



◆乾正人『高市早苗が日本を取り戻す』を読む


★サブタイトル
→「トランプ大統領とディールできる保守政権へ」


★要旨


・高市早苗は、
自民党に移籍してから10年は、
落選もあって鳴かず飛ばずだったが、
第一次安倍政権で、
内閣府特命担当大臣に起用されたのが転機となった。


・第二次安倍政権が発足すると、
安倍は彼女を、
自民党政務調査会長に抜擢したのを皮切りに、
総務大臣やマイナンバー担当大臣など
要職に起用し続けた。


・将来の総理候補として
育てようという意図があったのは、
明白だった。
高市は、ますます仕事にのめりこんでいくのだが、
「夜のつきあい」は、さらに減った。


・令和6年の総裁選最終盤で
高市支持に舵を切った麻生太郎は、
総裁選後、
あいさつに来た彼女に、こうアドバイスした。



「自民党の歴史の中で3年以上総理を務めたのは、
7人しかいねえ。
俺も菅も、1年で終わった。
だから高市、用意しておけ。
議員は仲間づくりが大事だから、
これから半年くらい飲み会に行け」


・高市は、麻生の教えを守って、
「飲み会」を精力的に行っている。


・自民党派閥のリーダーには、
ある種の「土俗性」が暗黙のうちに求められてきた。


・エネルギッシュで、
過剰なまでのコミュニケーション能力のある、
「土の匂いがする政治家」が、
リーダーとして君臨していた。


★コメント
政治家とは、どうあるべきか、
あらためてしっかり考えたい。


 

 



 

 







◆原武史『戦後政治と温泉』を読み解く


★サブタイトル
→「箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間」


★要旨


・軽井沢、那須、箱根に、濃密な政治空間が成立した。


・1955年8月19日から、3日間、
重光葵・外務大臣は東京を空け、
軽井沢、那須、箱根と別々の場所に向かい、
現首相の鳩山一郎、昭和天皇、前首相の吉田茂に、
訪米の目的を報告し、
広く意見を交換した。


・それらの会談は、
訪米という大きな公務の前にしておくべき、
もう一つの公務だった。


・吉田茂が、箱根に政治空間を創り出した。


・吉田が首相辞任後も大磯にとどまらず、
箱根の小涌谷に通い続け、三井別邸を「第二の本邸」とした。


・「奥の院」が、
80代になってもなお衰えを知らぬ吉田の体調を支えた。


・池田勇人は、
経済や外交の勉強をするため、しばしば箱根に通った。


・池田は週末ごとに仙石原に通いつつ、
箱根観光ホテルに経済学者の下村治や田村敏雄ら政策ブレーンを集め、
池田政権の目玉となる所得倍増計画の原案を練らせた。


・「温泉政治」は、戦後保守政治の二大巨頭がつくりあげた。
吉田茂と鳩山一郎だ。


・伊豆や箱根には、
焦土になった町並み、GHQ本部、闇市、米兵と歩く日本女性など
そうした戦争の傷跡は、ほぼ無かった。


・新しい日本の見取り図を思い描くには、
しばし東京を離れて温泉に浸り、
雄大な自然を眺め、
英気を養うことが必要だった。


・東京と大磯や箱根の間を往復する吉田茂のスタイルは、
明治や大正の有力政治家を意識していたようにも見える。


・温泉は、
吉田の体調を維持させるのに貢献した。
1954年に首相を辞めてからも
小涌谷通いは続き、
ライバルや弟子の鳩山や池田が死去してもなお、
吉田は生き延びた。


・東京を離れ、
四季折々の自然に囲まれた温泉地で湯船に浸るひとときは、
俗世の諸々のしがらみから解放され、
もっともリラックスした時間になる。


・終戦という未曽有の危機を、
東京からしばし離れ、
箱根や伊豆の各地に沸々と湧く温泉の力を借りながら、
乗り越えた戦後保守政権の歴史に、
いまの政治から見失われたものがある。


★コメント
あらためて、温泉政治を見習いたい。
われわれ民間人も、
温泉地での思索や勉強、決断の時間を十分にとりたい。


 

 



 

 




◆川口マーン恵美『残酷な世界の本音。移民・難民で苦しむ欧州』を読む


★サブタイトル
優しい日本人が気づかない。
移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで。


★要旨


・ドイツが受け入れた難民は2022年だけで130万人超。


・ドイツでは、入ってきた難民は連邦政府が容赦なく州に送り込み、
州政府はそれを仕方なしに自治体に振り分けるため、
実際困窮しているのは、
難民を受け入れている市町村です。


・学校、託児所の手配、さらに医療や心理ケア、ド
イツ語習得のための講座と、さまざまな庇護が必要になるから、どの自治体でも、
お金はもちろん、住宅、職員、教師などすべてが不足し、
すでににっちもさっちもいかない状態です。


・問題はイスラム系の難民です。


・エネルギーのあり余った若い男性たちが、
パンク状態の収容施設で暮らしているのですから、
彼らのストレスたるや尋常ではありません。


・しかも、自治体のなかは自由に動き回れますから、
おのずとその市町村の治安も悪くなる。


・難民問題には、それを食い物にしている人たちもいます。


・EUに行きたい人たちを斡旋し、不法入国を助けているのは国際犯罪組織です。
彼らにとって「難民ビジネス」は、
何年も前から麻薬よりも割のいい資金源となっているといいます。


・多くの日本人にとっては意外かもしれませんが、
欧米のナショナリストからは、
欧米諸国と違い日本政府は日本人のための日本を守ろうとしているとして、
その「排他性」を評価されています。


・日本がドイツほどひどくならないのは、海のおかげです。
飛行場を厳重に監視すれば、不法入国はほとんど見つけられる。
それに比べて、陸の国境ではこうはいきません。


・その点、ポーランドやハンガリーは、
明確な信念を持って、難民の受け入れを拒否しています。


・不法移民を一掃したアメリカのある地域で現実に起こったように、
移民が来なければ、
自国労働者がやりたくなる水準まで賃金は上昇します。
また、企業は技術革新で乗り切ろうとする。


・日本は自分の国益をはっきり言えないのは
軍事力がないせいにしますが、軍事力がなくても、
ハンガリーのオルバン首相は言いたいことをはっきり言っています。


・そしてその際に必ず、
自分の義務は国民と国家経済を守ることだとはっきりと言います。


★コメント
世界は、魑魅魍魎なり。
常に、警戒せよ。