◆牧野洋『ウォーレン・バフェット。華麗なる流儀』を読む


ジャネット・タバコリ、著。
牧野洋、訳。


★要旨


・オマハには約束の時間よりも2時間近く早く着いた。
ランチには絶対に遅れたくなかったからだ。


・礼儀作法は、あなどれない。


・ウォーレン・バフェットは、
想像よりも背が高く、ほっそりしていた。


・ウォーレンは少年時代、
新聞配達で小遣い稼ぎしていた。


・彼の新聞好きは広く知られており、
半世紀にわたって、ウォールストリート・ジャーナルの
熱心な愛読者でもある。


・本物の礼儀作法は、
自分自身を犠牲にすることなく、
他人を心地よくさせる効果がある。


・ウォールストリート・ジャーナル紙がきっかけになり、
わたしたち2人は報道機関を取り巻く環境変化の話題で
盛り上がった。


・ウォーレンは、新聞が大好きだ。


・ワシントンポストの社主だった、
故キャサリン・グラハムの後ろ盾と
大株主としての背景に、
ウォーレンは、
ワシントンポストの取締役に就任していた。


・わたしは、
ウォーレンのような男性に会う心の準備が
できていなかった。


・これまで仕事を通じて接してきた世界では、
大半の男性は行儀が悪かった。


・ウォーレンとのそれまでの会話は、
試運転のようなものだった。


・その後、会話のペースを速め、
わたしを質問攻めにした。
私が回答すると、即座にコメントしてくれた。
2人が取り上げた話題は、
100件以上に及んだにちがいない。


★コメント
ウォーレン・バフェットの好奇心は凄まじい。
彼から学びたい。


 

 



 

 




◆中西輝政『本質を見抜く考え方』を読む


★要旨


・神話から始まる雑多な歴史を読んでいると、教条主義に陥らない。
その国を理解できるばかりか、
その国民の心理の本質をつかむことができる。


・ソ連のスパイだったゾルゲは、日本へ派遣される前に一年近くの間、
モスクワで研修や訓練を受けていますが、そこでもっとも重視された教材は、日本の神話でした。


・日本人とはどんな国民か、
日本人の「思考の本質」はいかなるものかを理解するのに、
神話がもっとも役立つ教科書だったというわけです。



・ドイツ人は、外国を知ろうと思ったら、
まずその国の宗教や哲学の研究から入ります。


・彼らがインドを理解しようと思えば、ヒンズー教や仏教、インド哲学などを学びます。
日本について学ぶなら、神道や神話を研究します。
『古事記』『日本書紀』ならば上巻、神代紀をもっとも重視します。


・歴史から入るのがイギリス人です。


・イギリス人はとにかく歴史が大好きですから、
日本を知るなら神代以降、つまり明確に歴史になったところからしか興味を持ちません。
第何代何々天皇は何をした、といったこまごまとしたことを、
少し日本について勉強したイギリス人なら、
やわな日本人よりよほどよく知っていて驚かされます。


・実際、イギリス人は、どんなことをするにも、まず歴史からスタートします。


・欧米のエリートは、
その多くが先祖代々その国の上層部を占めてきた貴族で、庶民とは違う世界で何百年と生きています。


・「ノーブレスオブリージ」のもともとの意味は、
貴族は戦争になったらいち早く参戦し、
戦場で「突撃」になったら先頭に立たなければいけないということです。


・つまり権力者は重い社会的責任を負うということを、
ヨーロッパの貴族は子どものころから教えられて育っているのです。
ヨーロッパのエリートとは、そういう人たちです。


・私は、イギリスをもっとも国家戦略の巧みな国家と位置づけています。


・そのイギリス外交の特質をひと言でいえば、
前にも触れた「早く見つけ、遅く行動する」という考え方が基本にあるということです。


・まず、「早く見つける」ことですが、事態を早めに把握することができれば、
その推移をじっくりと見極めることができます。


・情報重視の考え方の下に、エリザベス一世の宰相フランシス・ウォルシンガムは、
気の遠くなるような努力で、超一流の情報収集システムを作り上げました。


・それは、その後のイギリス情報活動の伝統とパターンを形づくるものとなったのです。
その一つに、「情報ルートの複線化」があります。


★コメント
情報収集の基本動作をやり直したい。


 

 



 

 




◆中西輝政『大英帝国衰亡史』を読み解く


★要旨


・ 1997年七月、香港が中国へ返還された。
これによって、ユニオン・ジャック(イギリス国旗)が
中国大陸から最終的に消え去り、かの「大英帝国」につらなる、
六百万の人口を擁した最後の主要な植民地が、
歴史の彼方へと去ってゆくことになった。


・実際、香港こそは、
1942年、「パクス・ブリタニカ」の絶頂にあったイギリスが、アヘン戦争の結果、
中国より割譲させて以来、
百五十年間、地球の裏側に保持し続けた一大植民地であった。


・英領南アフリカの基礎を築いたヤン・スマッツは、
1899年、次のようにいっている。
「大英帝国が、世界中の諸民族や諸部族に及ぼしている支配と統治の真の基礎は、
軍事力などの力にあるのではなく、
その威信と精神力にあるのである」


・近代のイギリスは、数世紀にわたり、
国内社会における貴族のリーダーシップが圧倒的なものであったことも、
本国社会の反映でもある帝国の本質に、
「威信」がもつ重要性を倍加させている。


・外交における情報の重視こそ、勢力均衡政策、
そして後のパクス・ブリタニカの「外交による平和」を
支える大きな柱の一つであった。
そしてこの点でもエリザベス朝は「近代イギリスの始まり」として、
その後のイギリス外交史に顕著な役割を果たしている。


・オランダ人反徒へのスペインの鎮圧が成功しそうな形勢となった1584年七月、
女王の臨席を仰いで開かれたイギリス閣議(枢密院)では、
審議項目について逐一徹底した議論がなされた。


・延々二十三項目にわたる綿密をきわめた情勢判断のためのこの閣議文書は、
エリザベスの逐一の指示に基づき、
セシルのあとを継いで宰相となったフランシス・ウォルシンガムの作成したものであった。


・ここには状況の詳細な観察と、
事実に基づく判断に徹しようとする、
執拗なまでに冷静な分析の姿勢があり、
一種の迫力さえ感じさせられる。


・ 当然こうした的確な情勢分析の前提として、第一級の情報の収集と評価が必要となる。
そしてこの時期、ウォルシンガムの下に築かれたイギリス外交の生命線をなした情報活動こそ、
のちの「007」ないしMI6の伝説にまでつながる「イギリス情報部」の伝統の始まりともなった。


・その伝統の最大のポイントの一つは、
必ず外交官組織とは別系統の情報組織をつくり、
外交情報をダブル、トリプル・チェックできる体制をつねに確保しておくというものであった。


・それは現実に外交政策を立案すべき立場にあるパワー・エリートは
自己の政策的立場に有利なように情報をねじ曲げる傾向がある、
ということの重大さをよく知る智恵に発している。


・1587年、いよいよ「無敵艦隊」のイギリス来襲が間近になりつつあったとき、
ウォルシンガムが作成した「スペインからの情報収集の方策」と題された秘密文書は、
全ヨーロッパ中に張りめぐらされ、
各国の外交中枢に入り込んだイギリス情報網の「すごさ」を、あからさまに示している。


・スペイン国内や「低地」、フランスはいうに及ばず、
北欧デンマーク一帯、さらにポーランドのクラコフ、バチカンからベニスへ、主要な国で網羅していない国はないほどであり、
駐在国の権力機構においてしばしば信じられないほど高いレベルでの浸透を果たし、
無敵艦隊の動静をさぐる要所に通じていた。


・実際この文書を読めば、
一年前のこの時点で「無敵艦隊」来襲の結果は、もはや明らかであった。


・フランス史上最大の外交家といえる、あの海千山千のタレイランも、
「マームズベリー卿(ハリス)は当時、全欧的にもっとも卓越した外交官であった。
彼を出し抜こうとしても不可能であり、ただその後についてゆくしかなかった」
と慨嘆している。


・モーリアーの「異端」を懐深く取り込むことのできた首相ソールズベリーが見せたような、
他の国なら、おそらく許容されないほどの鷹揚さで、
異端的なモーリアーの反骨に広い「度量」を示しえた支配階級が存在していたのである。


・そしてこの度量こそイギリスの貴族文化の最大の強味であった。


・大国の長寿のためには、
たんなる「堅実」、「穏健」、「妥協」という、
ふつうには外交一般に必要とされる要諦を超えた、「異端と気骨のキャラクター」が不可欠であり、
そしてそのためにはそれを包み込む大きな度量が国全体に求められる。


・大英帝国がルイ十四世、ナポレオン、
そしてビスマルクの登場によって何度も存亡の危機を迎えたとき、
イギリスの歴史にテンプル、ハリス、モーリアーら「大いなる異端」が果たした役割が、
そのことを証しているように思われるのである。


★コメント

やはり、英国外交史から学ぶところ多い。



 

 



 

 




 

 



 

 




◆岡崎久彦『吉田茂とその時代』を読み解く


★要旨


・1945年八月十五日、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。


・あれだけの戦争を終らせるためには、
まして日清、日露戦争以来半世紀の大日本帝国の歴史に終止符を打つためには、
昭和天皇、鈴木貫太郎などの並々ならぬ洞察力と苦渋の決断を必要とした。


・地域研究というものは、
学問のなかでも最高の学問だと思う。
政治学も経済学も人間社会の一面しか見ない。
しかし地域研究は、一つの国の歴史、伝統、
文化、政治、社会、経済のすべてを総合的に把握する学問である。


・公職追放こそは
GHQが戦後の日本の政治を思うがままに操り、
翻弄した最大の武器である。


・吉田茂について書くということは、
いままで私が近代日本政治外交史の一巻から四巻までに描いてきた幕末、
明治以来の日本の政治社会の流れをもう一度反芻してみることにもなる。


・日本の上流階級の伝統的な特色は、
いかに富み、あるいは権勢を誇っても、
個人生活においては自らを律することに厳しく、
質実剛健であることである。


・養父吉田健三は、真冬でも毎朝四時ごろに起き、
家族と使用人を全員大声疾呼して広い邸内をくまなく掃除させたという。


・吉田茂の少年時代の教育で特筆すべきことは、
耕余義塾という寄宿制の私立中学に五年在籍したことである。


・吉田は明治における超一流のエリート校で教育を受けたわけである。
課目のなかには、代数、幾何、物理、米国史、万国公法などもあったが、
その特色は漢学にあり、
『十八史略』『文章軌範』『資治通鑑』『宋元通鑑』を順次、各年度ごとに読ませている。


・吉田の文章は、さして名文というほどのものではないが、
古典の教養の基礎は歴然たるものがある。


・吉田茂は強運の人である。
子沢山の貧乏士族竹内綱の五男に生れながら、
養子に行った先が巨富をなした吉田家であったことがそもそも強運である。


・親英米路線を貫き、戦争末期の和平運動で逮捕されたおかげで、
反戦自由主義者のレッテルを手に入れることになり、
その結果、同世代人のなかで多くの有為の人材が公職追放を受けたなかで、
必ずしも超一級の人物でもなく、
性格にも殆うさが伴う吉田が一人浮び上がることになるわけである。


・降伏の決定が遅きに失したのを責めるのはたやすい。
しかし、あの時点で降伏を決定させた、
天皇、鈴木貫太郎、東郷茂徳、米内光政の叡智と勇気がなければ、
いまの日本はなかったといえる。


・何が「失敗」だったかということ自体、簡単な問題ではない。


・日本の近代史を振り返ってみて、
取り返しのつかない決定的な失敗というのは何だろうかと考えると、
結局は日英同盟の廃棄と真珠湾奇襲の二つだけだったといえる。


・戦乱の時代から文化の絶頂期まではどうしても百年かかるもののようである。


・垓下の一戦から武帝の前漢の絶頂期まで、
唐の建国から玄宗の開元の治まで、関ヶ原から元禄まで、
ワーテルローから第一次世界大戦直前のヨーロッパの爛熟期まで、みなほぼ百年である。
宋、明、清の各帝国の場合も同じであり、
フローレンスの文化の最盛期までも百年かかっている。


★コメント
岡崎さんの知性と教養から、

多くを学びたい。



 

 



 

 




 

 



 

 




◆タカ大丸『大谷翔平。SHO・TIME4.0』を読み解く


ビル・プランケット著
タカ大丸、翻訳。

★サブタイトル→
二刀流復活と連覇の軌跡


★要旨


・大谷の私生活の大部分は謎で、
明らかになるごくわずかな情報は彼自身のインスタグラムから公表されることが多い。


・2023年12月にドジャースとの契約を発表したときもそうだったし、
相手が誰かは明らかにしなかったが、
結婚を2024年春に発表したときもそうだった。


・テキサス3連戦中に
大谷翔平は父親になった。


・手術を経た二刀流選手の復帰計画は
球団側にとっても手探りだった。


・2023年の肘手術から大谷を投手として実戦に復帰させるためには、
「慎重を期さなければならない」
とロバーツ監督は念を押した。


・理想通りに進まなくても
いつかまた別の道が開ける。


・ドジャースは2024年にも大谷の投手復帰計画を
「一旦停止」したことがあった。


・レギュラーシーズンの最終盤にはブルペン投球できるところまで進展していたのだが、
ドジャースがポストシーズン進出を果たしたこともあって、
一旦投手としての練習をやめて打撃のみに集中したことがあったのだ。


・二刀流選手であるゆえに、大谷にかかる肉体的負担はどうしても過重になる。
打者としてやらなければならないことと、投手としてやらなければならないことはどうしても増えてくる。


・あるとき、
「なぜ、どうしても両方をやりたいのか」
と彼に質問したことがある。


「なぜ、僕が二刀流を続けているかというと、
それが僕であり、
それこそ僕にできることだからです」
というのが大谷の答えだった。


★コメント
未知なる未来の、

大谷選手にも注目していきたい。



 

 



 

 




 

 



 

 



 

 



◆大塚将司『スクープ。記者と企業の攻防戦』を読み解く




★要旨


・ドラマ「刑事コロンボ」が好きだ。
私は、1975年に新聞記者になった。
それから、30年近く経った。
今、私は「新聞記者は刑事コロンボのようでなければならない」
と思っている。


・「刑事コロンボ」で起きる殺人事件は物的証拠がないことが多い。
コロンボはそれを状況証拠の積み重ねで、
目星をつけた犯人を追い詰めていく。
物的証拠があれば、犯人を自白に追い込むのは簡単である。
状況証拠だけで、自白に追い込むのは至難の業である。
それをやってしまうのがコロンボである。


・「新聞記者はこれだ。この手法だ」
ドラマを何本かみているうちに、
私ははたと思ったのである。


・新聞記者は人に会って話を聞いて記事を書く。
もちろん、秘密の文書を入手して、
それを基に記事を書くこともあるにはある。
いってみれば物的証拠である。
しかし、それはそう多くはなく、
やはり話を聞いて記事を書くのが基本である。


・取材相手が誰にでも喋る話を聞いてもスクープにはならない。
秘密の話を聞かなければ意味がない。
しかし、秘密の話を聞けることはめったにない。
あるとしても、大抵、
「OKを出すまで記事にするな」
といった条件が付けられる。


・こうした条件を付けられずにスクープをものにするには、
コロンボのように状況証拠を積み重ねて、
取材相手に秘密を白状させる他はない。


・スクープ取材を成功させるための条件とは何か。
コロンボがドラマの背後で積み重ねたはずの
自己研鑽をすることであり、
それが成功への第一歩である。


・わたしは入社して1年して、
精密機器業界を担当することになった。
わたしは企業の業績を調べるため、
第一勧銀の丸の内支店にアポなしで訪ねた。
それがきっかけで、
「無頼派」支店長の深津健一氏から「課外授業」が始まった。


・深津支店長は、
支店長室でわたしと話をしながら、こう言った。
「おまえは新米だな。よし教育してやろう。
時間はあるんだな。そうか。隣に行こう」

こういいながら、若手行員数名を引き連れ、
となりのレストランバーに行った。


・深津支店長は、
「君な、企業業績や財務を取材するなら、
まず財務諸表が読めなきゃな。
それから財務分析もできなきゃ駄目だぞ」
と言うなり、やおら講義を始めたのだ。


・「在庫が増えたら要注意だ」とか
「支払手形と受取手形がどうなっているか。時系列でみろ」
「割引手形が増えているのか、増えていないか」など、
バランスシートの読み方を延々と説明していく。
時が経つにつれ酔いが回ったのか、
支店長のベランメー調に拍車がかかった。


・「企業取材の勉強は、銀行の融資担当者の仕事と同じだ」


・翌日の土曜日、深津さんは、
黒田精工、東京精密両社の決算数字を使った資料を基に
説明してくれたので、
私のような新米記者にもよくわかる説明だった。


・30分ほどで、説明が終わると、
深津支店長は私に向かって、
「君、企業の取材するなら、こういう分析を自分でやれなきゃ駄目だぞ。
勉強しなきゃ。
銀行の融資担当者と同じなんだ」
私が頷くと、
「よし、じゃ、隣に行こう」
と言って、立ち上がった。


・昨日と同じメンバーで、水割りを飲みながら、
深津支店長の説教を2時間ほど聞かされた。
彼は別れ際に、
「これからも来い。
わからないことがあればいくらでも教えてやる。
来るんなら土曜日だ。
それも午後1時過ぎに来い。いいな」


・当時は土曜日も取材ができたが、
相手の企業も半ドンで、
午後は記者クラブでぶらぶらしていることが多かったから、
「土曜日の午後に来い」
という深津支店長の言葉はありがたかった。


・私にとって深津健一支店長は
経済記者としての基本を教えてくれた、
一生忘れられない存在である。
30年近く経った今でも、その風貌は脳裡に甦る。
ポマードできれいに固めた頭、浅黒いが端正な顔立ち、
部下を叱咤するバリトンの声。
丸の内支店の「隣」の薄暗いレストランバーの中で
水割りを飲みながら、説教する姿が今も思い浮かぶ。


・コロンボ警部のような経済記者になるには、
企業会計の知識は必要条件だ。
ただこの知識はイロハのイにすぎないのである。
他には、
財政や税制、金融政策、国際金融などの知識も当然必要だ。
そして大事なのが過去の経済事件などについての知識である。


・スクープをものにするには、
まず、基礎知識をしっかり身につけ、
できる限りの情報を集める。
次に、特定の情報にこだわらず、
大局観を常にもって取材しないといけない。
そして、自分なりのニュースの絵を描き、
その絵を念頭において、粘り強く取材する。
そうすればスクープは手の届くところに来る。




★コメント
記者たちの舞台裏が見えておもしろい。
どういった取材方法をやっているか。
別の業界にもそのノウハウは使える。



 

 



 

 




◆浜田聡『日本自由党宣言』を読み解く


★要旨


・私は、新たな政党、日本自由党を設立いたします。
この党は、個人の自由を尊重し、国家の過剰な干渉を最小限に抑え、
真の民主主義を実現するためのプラットフォームです。


・「勝った戦争」に関する談話、
つまり日露戦争の談話をしっかりと国として出して
国民と一緒に共有していくべきだと考えております。


・立党宣言を日露戦争の戦勝記念日に出したというのは
「誇れる日本を、自由とともに」という日本自由党のスローガンにもつながります。


・私は、勝利の歴史をどう語るかもまた、
国家の自信や誇りを形づくるうえで重要だと考えています。


・日本自由党のスローガンは、
「誇れる日本を、自由とともに」

サブスローガンは、
「『減税』で強い日本を取り戻す」
です。


・最重視する事務事業評価表 。
少し細かい話になりますが、地方自治体の政治でとても重要なのが、
役所のお金の使い道をどうチェックするかということです。
その判断材料として「事務事業評価表」というものがあります。


・「事務事業評価表」は、
政治家や役所だけでなく、
市民が一緒になって税金の流れを見つめ直す大切な設計図です。
その視点が広がれば、地方政治はもっと健全になります。


・透明性の確保が、
結果的に
「減税を可能にする政治」の基礎になります。
つまり、行政の合理化と税の合理化は表裏一体なのです。


・政治家が支出を監視し、
無駄を削れば、その分だけ国民の自由を取り戻すことができます。


・先の大戦を「大東亜戦争」と呼ぶべきだと考えます。
同時に、
情報戦敗北という痛烈な反省を忘れてはなりません。
尾崎秀実やリヒャルト・ゾルゲらのスパイ工作は、対内防諜、機密管理、
意思決定過程の保全に穴があったことを白日の下にさらしました。


・他方で、日本は戦前から情報・心理の領域で成果を上げた側面も確かに有していました。


・日露戦争期の明石元二郎は欧州各地で対露攪乱・宣伝・資金工作を展開し、
藤原岩市はいわゆる「光機関」を通じてインド独立運動と連携し、
帝国支配の心理的土台に揺さぶりをかけました。
陸軍中野学校は、
語学・偽装・宣撫・交渉を統合した実務教育で人材を育てました。


★コメント
浜田さんの精度の高い政策と、

情勢認識に学びたい。


◆まぐまぐメルマガ

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◆太田文雄『同盟国としての米国』を読み解く


★要旨


・いかなる同盟も冷厳なギブ・アンド・テイクによって成り立っている。


・日本が米国に頼っているのは、日本が保有していない核抑止力、
弾道ミサイル・戦略爆撃能力・空母打撃力といった攻撃力、
グローバルなインテリジェンス能力、F-15やイージス・システムといった軍事技術、
海上交通路の防護能力、そして食糧やそれを育てるのに必要な事実上の水資源などが挙げられる。


・これに対して日本が米国に与えているのは戦略的な位置における基地と、
それを支援するホスト・ネーション・サポートということになる。


・日米同盟は米国から見ても死活的。
米軍基地が日本にあるということで米国側の兵力展開・振りまわしが容易となる。


・日本人は米国にとって在日米軍基地の大切さを気づいていない。
米軍は、彼らが西太平洋からアフリカまでに至る地域にアクセスし、
影響力を行使できるのは日米同盟のお陰であることをよく知っている。


・在日米軍基地の軍事的重要性。
米軍にとっての沖縄は、第二次世界大戦で、多大な犠牲を払って獲得したときから、
その戦略的重要性はあまり変わっていない。


・ナイ・レポートでは、アメリカのプレゼンスは「酸素」のようなもの、
即ち「普段はその存在を忘れがちだが、なくなった途端に不可欠な存在であることに気づく」
という論理を使用していた。


・日本の後方支援能力も馬鹿にならない。
米国以外で唯一米空母を事実上の母港としているのは日本の横須賀以外にはない。
それは横須賀海軍基地艦艇修理施設に働く日本人従業員の高い修理・技術能力とインフラがあるからだ。


・同盟関係の底辺の絆を支えるのはインテリジェンス関係。
今日の英米同盟関係は第一次大戦時代からの英米インテリジェンス関係が基礎にあるといっても過言ではない。



・当然、今日の日米関係もインテリジェンスのギブ・アンド・テイクの関係が基礎となっている。
即ち米国は東アジアの地域特性に根ざす日本の分析能力をあてにしている。
日本はグローバルな米国のインテリジェンス能力に頼っている。


・国境を越えた脅威に対して最も威力を発揮するのは、
「孫子」の時代から「必ず人に取りて敵の情を知る」とされる人的情報だ。


・1999年のアメリカの国家安全保障戦略(NSS)では、
「死活的国益」を「国家の生存、安全、活力にとって極めて重要な国益」と定義している。

具体的には、

1.米国及び同盟国の領土保全、

2.米国民の安全、

3.米国の経済的繁栄、

4.重要インフラ(エネルギー、通信、輸送、銀行など)の防護、

とされる。


・また次のランクの「重要な国益」とは、
「国家の生存には影響しないが、国家および世界の幸福に影響を与える国益」
と定義している。

具体的には、

1.地域紛争の終結と平和の回復、

2.大規模な難民流出阻止、

3.大規模な環境破壊からの平和の回復、

とされる。


・同盟は「生き物」だ。
文書上の条約があるからといって安閑とし、ギブすべきことを極力減らそうとしてテイクだけを求めていたら、
時が経つにつれ互いの信頼関係を失って崩壊してしまうことは歴史が証明している。


★コメント
あらためて同盟の意義を考えてみるとなるほどと思う。
新聞では、首脳が日米同盟の確認をした、と報道されるが、
突っ込んで見てみる人は少ないのではないだろうか。
今後も、いろいろ調べたい。


 

 



 

 




 

 



 

 





◆太田文雄『日本人は戦略・情報に疎いのか』を読む



太田文雄氏は、旧・防衛庁時代の情報本部長経験者。
昭和45年・防衛大学校卒業の海上自衛隊出身。
退官時は、海将。

アメリカ海軍士官学校教官、ゆうぐも艦長、スタンフォード大学客員研究員、
アメリカ国防大学・修士号取得。
護衛隊司令、ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院卒業、
在アメリカ日本大使館・駐在武官など情報畑が長い。


★要旨


・最近とみに増している我が国周辺の安全保障環境の厳しさからか、
近頃「情報」とか「戦略」といった言葉が人々の口に上ることが多くなってきた。
その言葉が出るたびに、日本人は情報戦で敗北した先の大戦の教訓をなぜ生かせないのだろうか、
また、どうしてこう日本人は戦略的発想に乏しいのだろうか、
といった嘆きとも諦めともつかないような溜息が聞こえてくる。


・実は、私もかつては、そう考えた一人であった。
しかし日本の歴史を調べ、我々の祖先が行ってきた足跡を辿ってみると、
必ずしもそうとはいえないのではないか、という気持ちになって書いたのが本書である。


・戦略や情報の実務に携わる人たちに対しては、
同じ日本人が残した見事な戦略・情報眼の足跡を追体験することにより、
自己の能力を高めることに繋げてほしいと願っています。


・私は1993年から94年まで、
首都ワシントンにあるジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究大学院で、
クレピネヴィッチ博士の「ネット・アセスメント」という教科を採っていた。

ネット・アセスメントとは、直訳すると「正味評価」となる。
要するに各国の戦力を比較する際、一般的には戦車、戦闘機、艦艇といった戦闘ユニットを、
豆を数えるようにしてどちらが有利かを評価しがちだが、正味評価をするためには、
「単に戦闘能力だけでなく経済力、産業基盤、人口構成ピラミット、戦略文化、
作戦構想、非対称性などを総合的に比較しなければ正確な評価とならない」とするものだ。


・日本人は先天的に戦略的思考に乏しいのか、
それとも教育のような後天的な要因によって乏しくなっているのか?
日米の特に高級幹部の教育を比較してみると、ある程度の違いが浮き彫りになってくる。


・米国の高級幹部(中佐以上)と日本の自衛隊の高級幹部を比較すると決定的な違いは、
彼らの約9割が中佐くらいまでには修士以上の課程を修了しており、
しかも国家安全保障論とか国際関係論といった文系の専攻科目が多いことに気づかされる。
日本の場合、逆に9割が修士号を保持しておらず、
またわずかに修士号を持っている幹部のほとんどが理工系だ。


・私はアメリカ国防総合大学の学生でもあったが、
そこのカリキュラムを見ると戦略と名のつく科目が多く、
戦略的な思考の育成を重視しているかがわかる。
すなわち、戦略的意思決定プロセス、国際システムと大戦略、変化の大戦略、
将来の大戦略、戦略と資源演習など、一貫して戦略的思考を身につけるといった方針に徹していた。


・私が習った教務においても、例えば戦略的意思決定では、
ペロポネソス戦争や南北戦争といった場面に自らを置いて、
当時の状況から、国益は何か、相互に採った戦略はどうか、
その戦略が妥当であったか、といったことを考察していった。
この過程の中で細かい戦術的な戦闘戦史はあまりふれない。


・国防大学の過去の統計によれば、最も戦略的な発想ができるタイプは、
「空想家タイプ」であり、次いで「概念家タイプ」と続いている。


・「情報」はネットワーク化されることによって価値が出てくる。
日本人は昔から、各個の事物よりも、それらを繋げることによって、
より高い価値を生み出すことを知っていた。
それが日本語の「みち」や「むすぶ」という言葉に表れている。


・古事記に見られる「情報と戦略」について。
古代日本、すなわち、我々日本人の祖先が展開した情報と戦略について、
その古きを温めることで、現代の我々が新しきを知り、
その実相を詳らかにして現代の我々の情報センス、戦略センスに磨きをかける礎にしたいと思う。


・古代日本における国家戦略、安全保障、国際政治、地政学、外務・内務問題、
直接侵略、間接侵略、情報、諜報などのキーワードに満ちている事象・事跡を、
抽象的に言語化したものが『古事記』だ。


・『古事記』に記されている日本神話とは、本来、荒唐無稽なものではない。
その本質を観察するに、政治、戦略面の記述がシンボル化されていることが判明する。


・古事記に現れている戦略思想を総括すると、そこにはまず「いざなひ」すなわち武力を行使せずに、
相手を自発的かつ心理的に魅了させるという最高の目標理念が打ち立てられえる。


・楠公戦史を今なぜ振り返ってみる必要性があるのでしょうか。
寝返りがたくさんあった南北朝時代において、楠正成だけは徹頭徹尾、忠誠の対象を変えていない。
現代も欲と権力に目を奪われて変節する政治家が多い中で、
天下の大勢を洞察する戦略・情報眼を持ちながら、
名利栄達・私利私欲を求める道を選ばずに奉公の誠を尽くし、
一途に信念を貫く楠公のような生き方を偲んでみる価値はあると思う。


・国家に関していえば、日本は素晴らしい歴史と文化を持っているのに、
残念ながら、それを自覚していない国民が多いのではないでしょうか。
「国の歴史と文化をより深く理解する」ことによって日本の素晴らしさを認識し、
それが自分の国を正すということにつながっていると思っている。


・己を治めずして、ただ勝つだけのために邪道に走るやり方では、
一時的に勝利を収めることができても、長期的に見ると、
自分が使った邪道が自らに跳ね返って亡ばされるということは人類の長い歴史が示している。


・孫子における「彼を知る」という作業をするに当たって最も大切なことは、
当たり前のようですが、自分の国、祖国・日本のためには今どのような情報が大切か、
またどのような情報を漏らすと祖国・日本のためにならないか、という原点だ。
この祖国に対する忠誠心なくしてまともなインテリジェンス活動はありえない。


・孫子の「応変」、つまり変化に応じていく柔軟な創造力は、
私の体験から言えば「古典や短歌を通じて育まれる豊かな感性」から発達していく。


・人類数千年の歴史によって審判を下された立派な人物は、
決して高位高官についたり、巨万の富を築いたり、有名人であった人ではなく、
世のため人のため祖国のために己を捧げた人をいうのだと思う。


・日本の帝国陸海軍約70年間の中で、最大の戦略家は誰か。
人によって意見がことなるだろうが、私はあえて秋山真之提督を挙げたい。
その理由は、提督の素直な正しい思考法から発せられた優れた戦略的思考が、
古今東西一貫して変わらない兵理を含んでいるとともに、
この複雑怪奇な様相を呈する現代においても妥当性を持っていると思う。


・秋山真之は、純潔無私の愛国の士であり、恐ろしいほどの勉強家であり、
そして強烈な生命力と個性を持っていた。
彼は大尉のとき、約2年間アメリカに留学して戦略を研究したものの、
最も愛読したのは日本古来の兵法、とくに甲越軍学や海賊戦法、
そして山鹿流軍書であり、孫呉の兵法であった。


★コメント
岡村誠之・元陸軍大佐は、戦略の真髄はどこにあるかと、
諸外国を捜し求めてみたけれども見つからず、
家に帰ってみて自分の目の前にあることを再発見した、との趣旨のことを述べている。
太田氏は岡村氏から日本の古戦史を学んでいる。
いま一度、みずからの足元を学びなおしてみたい。


 

 



 

 




 

 



 

 







◆小谷賢『日本インテリジェンス史』を読み解く


副題→「旧日本軍から公安、内調、NSCまで」


★要旨


・A4用紙1枚の分析ペーパー。


・日本のインテリジェンス・コミュニティの弱さは、
分析能力にあると指摘できる。


・分析とは、多くのデータや資料を読み込み、
それを簡潔な報告書に落とし込む作業である。


・資料を読んでそれをまとめるのは、
アカデミアの技術でもあるため、少なくとも分析を行うなら、
国内外の大学院で教育を受けた者が望ましい。
分析に特化したキャリアパスを設ける、
というのが理想的である。



・分析官の求められる報告書は、アカデミアのそれとは異なり、
多忙な政策部局の担当者や政治家が、すぐに目を通せるように、
できる限り簡潔な内容でなければならない。


・筆者は、情報分析で定評のある英国合同情報委員会の
分析スタッフから実務の様子を伺ったことがあるが、
数週間で膨大な資料や情報に目を通し、
最後は、A4用紙1枚のペーパーにまとめるという。



・警察や公安調査庁も国内でターゲットを定めた情報収集には
長けているが、それが国際テロリズムや経済安全保障の分野となると
途端に難しくなるのは、やはり分析業務に精通していないためだろう。


・旧陸海軍のインテリジェンス。


・日本は敗戦を迎え、その後予想された通り、
進駐軍による日本軍のインテリジェンス能力に関する調査が始まった。


・最初に調査対象となったのは、
参謀本部情報部情報長を務めた、
有末精三・元陸軍中将であった。


・じつは有末は第二部長の任にあった1945年6月から7月にかけて、
米軍の占領を見越した上で、
重要な文書を個人で秘匿していたようである。


・GHQは、日本軍のインテリジェンス能力を
それなりに評価していた。


・1949年の9月ごろから日本国内で、
適性国、ならびに共産主義勢力に対する情報収集活動、
いわゆる「竹松工作」が計画され、
有末と河辺がその責任者となる。


・1949年後半から竹松工作は実施され、
有末と河辺は朝鮮半島からインド・パキスタンに至る、
広大な情報網を作り上げた。


・戦前には外務省情報部内に
海外のラジオ放送を受信するラヂオ室が置かれた。

1946年1月に外務省から切り離され、
外務省の外郭団体「ラヂオプレス」として独立している。



・ラヂオプレスの活動はあくまでも
放送された情報を受信し、それを翻訳するものである。

ラヂオプレスの強みは、
毎日、膨大な量のニュースを日本語に翻訳し続けられる能力にあり、
これは現在まで脈々と受け継がれている。



・本書は戦後日本のインテリジェンス・コミュニティの変遷を、
終戦直後から現在まで辿って考察していくものである。


・インテリジェンスは国家の政策や軍事作戦を左右し、
それらの在り方に影響を与える。


・内閣情報官や国家安全保障局長を務めた北村滋は、
「インテリジェンスほど、国家作用に激烈な影響を及ぼすものはない。
なぜならば一片の紙切れに記載された情報が、
重大な国策の決定を左右し、
それに基づき大規模な部隊の運用や行政の執行がなされるからである」


・各国でその規模や構成組織は様々であり、
米国のように18もの情報組織がコミュニティを形成しているようなところもあれば、
イスラエルのようにわずか四つの場合もある。



・基本的に国外で情報収集にあたる対外情報組織、
国内の情報保全を任務とする保安組織、
軍事情報に特化した軍事情報組織というのは大抵の国に存在している。


・2003年にはイラクの大量破壊兵器に関する誤った情報によって、
米英を始めとする有志連合国はイラクに宣戦布告を行い、

2013年には秘密裏に得たインテリジェンスに基づいて、
英国政府はシリアへの空爆を決定した


・インテリジェンスとは情報のことを意味するが、
どちらかというと機密や諜報の語感に近い。


・つまりただの情報(インフォメーション)ではなく、
分析・評価された、
国家の政策決定や危機管理のための情報こそがインテリジェンスということになる。


★コメント
日本の情報組織について、
全体を把握できる貴重な一冊である。