◆原武史『戦後政治と温泉』を読み解く


★サブタイトル
→「箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間」


★要旨


・軽井沢、那須、箱根に、濃密な政治空間が成立した。


・1955年8月19日から、3日間、
重光葵・外務大臣は東京を空け、
軽井沢、那須、箱根と別々の場所に向かい、
現首相の鳩山一郎、昭和天皇、前首相の吉田茂に、
訪米の目的を報告し、
広く意見を交換した。


・それらの会談は、
訪米という大きな公務の前にしておくべき、
もう一つの公務だった。


・吉田茂が、箱根に政治空間を創り出した。


・吉田が首相辞任後も大磯にとどまらず、
箱根の小涌谷に通い続け、三井別邸を「第二の本邸」とした。


・「奥の院」が、
80代になってもなお衰えを知らぬ吉田の体調を支えた。


・池田勇人は、
経済や外交の勉強をするため、しばしば箱根に通った。


・池田は週末ごとに仙石原に通いつつ、
箱根観光ホテルに経済学者の下村治や田村敏雄ら政策ブレーンを集め、
池田政権の目玉となる所得倍増計画の原案を練らせた。


・「温泉政治」は、戦後保守政治の二大巨頭がつくりあげた。
吉田茂と鳩山一郎だ。


・伊豆や箱根には、
焦土になった町並み、GHQ本部、闇市、米兵と歩く日本女性など
そうした戦争の傷跡は、ほぼ無かった。


・新しい日本の見取り図を思い描くには、
しばし東京を離れて温泉に浸り、
雄大な自然を眺め、
英気を養うことが必要だった。


・東京と大磯や箱根の間を往復する吉田茂のスタイルは、
明治や大正の有力政治家を意識していたようにも見える。


・温泉は、
吉田の体調を維持させるのに貢献した。
1954年に首相を辞めてからも
小涌谷通いは続き、
ライバルや弟子の鳩山や池田が死去してもなお、
吉田は生き延びた。


・東京を離れ、
四季折々の自然に囲まれた温泉地で湯船に浸るひとときは、
俗世の諸々のしがらみから解放され、
もっともリラックスした時間になる。


・終戦という未曽有の危機を、
東京からしばし離れ、
箱根や伊豆の各地に沸々と湧く温泉の力を借りながら、
乗り越えた戦後保守政権の歴史に、
いまの政治から見失われたものがある。


★コメント
あらためて、温泉政治を見習いたい。
われわれ民間人も、
温泉地での思索や勉強、決断の時間を十分にとりたい。


 

 



 

 




◆川口マーン恵美『残酷な世界の本音。移民・難民で苦しむ欧州』を読む


★サブタイトル
優しい日本人が気づかない。
移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで。


★要旨


・ドイツが受け入れた難民は2022年だけで130万人超。


・ドイツでは、入ってきた難民は連邦政府が容赦なく州に送り込み、
州政府はそれを仕方なしに自治体に振り分けるため、
実際困窮しているのは、
難民を受け入れている市町村です。


・学校、託児所の手配、さらに医療や心理ケア、ド
イツ語習得のための講座と、さまざまな庇護が必要になるから、どの自治体でも、
お金はもちろん、住宅、職員、教師などすべてが不足し、
すでににっちもさっちもいかない状態です。


・問題はイスラム系の難民です。


・エネルギーのあり余った若い男性たちが、
パンク状態の収容施設で暮らしているのですから、
彼らのストレスたるや尋常ではありません。


・しかも、自治体のなかは自由に動き回れますから、
おのずとその市町村の治安も悪くなる。


・難民問題には、それを食い物にしている人たちもいます。


・EUに行きたい人たちを斡旋し、不法入国を助けているのは国際犯罪組織です。
彼らにとって「難民ビジネス」は、
何年も前から麻薬よりも割のいい資金源となっているといいます。


・多くの日本人にとっては意外かもしれませんが、
欧米のナショナリストからは、
欧米諸国と違い日本政府は日本人のための日本を守ろうとしているとして、
その「排他性」を評価されています。


・日本がドイツほどひどくならないのは、海のおかげです。
飛行場を厳重に監視すれば、不法入国はほとんど見つけられる。
それに比べて、陸の国境ではこうはいきません。


・その点、ポーランドやハンガリーは、
明確な信念を持って、難民の受け入れを拒否しています。


・不法移民を一掃したアメリカのある地域で現実に起こったように、
移民が来なければ、
自国労働者がやりたくなる水準まで賃金は上昇します。
また、企業は技術革新で乗り切ろうとする。


・日本は自分の国益をはっきり言えないのは
軍事力がないせいにしますが、軍事力がなくても、
ハンガリーのオルバン首相は言いたいことをはっきり言っています。


・そしてその際に必ず、
自分の義務は国民と国家経済を守ることだとはっきりと言います。


★コメント
世界は、魑魅魍魎なり。
常に、警戒せよ。


 

 



 

 


◆渡辺惣樹『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』を読む


著者→ジェフリー・レコード
解説・訳→渡辺惣樹



★サブタイトル
→「米国陸軍戦略研究レポート」から読み解く日米開戦


★要旨


・日米関係を考える者にとって、
フランクリン・ルーズベルト(FDR)政権の対日外交の異常さと不愉快さは
喉元に刺さった小骨のようなものである。


・その外交姿勢に疑義を呈することなく、
あの時代の日本の外交をただ内省的に語るいわゆる「自虐史観」にもとづく夥しい史書が存在する。
その記述は喉元の嫌な痛みを刺激し続けてきた。


・「自虐史観」の根本は「日本が身を正せば世界は平和になる」という思想である。
しかしそれがいかに空虚な主張であるかは言を俟たない。


・私たちはそろそろ「自虐史観」の呪縛から
抜け出さなければならないときにきている。


・ここに紹介するジェフリー・レコード氏の論文(2009年二月発表)は
私たちのその作業に有効な手掛かりを与えてくれるものである。


・アメリカ空軍大学教官である氏は、
あの戦争の原因の半分はルーズベルト外交の失敗であると言い切っている。


★レコード論文、ポイント。


・日本はなぜ1941年に対米戦争を始める決断を下したのかという問題は、
長きにわたってわれわれを悩ませてきた。


・アメリカの圧倒的な工業力と潜在的な軍事力を考慮すれば、
日本の行動はまったく非合理的で理解不能と結論づけてしまっても、
それはそれで自然なことではある。


・しかし、日本がなぜわが国との戦争を決断したかを正しく理解するためには、
1941年秋の段階で、日本には戦争の決断以外にどのような代案があり得たかを検討してみなくてはならない。


・当時の日本にとって、わが国と戦うという決断以外に残された道は二つしかなかった。


・真綿で首を絞められるような経済的な窒息死を甘受するか、
アジア大陸に築いた帝国領土を放棄するかの方策しかなかったのである。


・真珠湾攻撃にいたる道筋をつけてしまったのはアメリカ自身の責任もある。
そして同時に日本の誤算もあったのである。


・そうした事態に陥ったのは、両国が互いの文化に無知であり、
またそれぞれの民族が同じぐらい傲慢になっていたからであった。


・日本が東南アジア地域を征圧すれば、
ナチスドイツに対するイギリスの防衛力が落ちることになると恐れられた。
それを危惧したフランクリン・ルーズベルト政権は対日石油禁輸政策を決定した。


・日本は石油資源をアメリカからの輸入に依存しており、
この禁輸政策は日本の行動を牽制するどころではなく、
日本をさらに東南アジアへの侵攻に追いやることになった。


・わが国の出した条件は、日本は大国であることをやめ、アメリカの経済的隷属下に入ることを要求したに等しかった。


・この要求は自尊心ある政治リーダーであれば到底吞めるものではなかったのである。


・現代の国家安全保障問題に責任を負う者は、
1941年に日米が太平洋戦争にいたった道筋を検証することによって、
いくつかの教訓を得ることができる。
その教訓は次の七つにまとめることができる。



一、恐怖心とか誇りといった感情は意思決定上の重要なファクターになる。
そうした感情に合理性があるか否かとは関係がない。


二、潜在敵国の文化や歴史についての知識はきわめて重要である。


三、相手国への牽制が有効か否かは牽制される側の心理に依存する。


四、戦術よりも戦略が重要である。


五、経済制裁は実際の戦争行為に匹敵しうる。


六、道徳的あるいは精神的に相手より優れているとの思い込みは、
敵の物理的優位性を過小評価させる。


七、戦争が不可避であると考えると、自らその予言を実行してしまいがちになる。


★コメント
相手方に関する幅広い情報収集と、
分析がいつの時代も、不可欠である。


 

 




◆田中渓『億までの人。億からの人』を読み解く


★サブタイトル
→ゴールドマン・サックス勤続17年の投資家が明かす「兆人」のマインド。


★要旨



・どん底時代を経験するも、その後17年続いた会社員生活では
最終的に投資部門のトップである日本共同統括を務めることになります。


・在籍17年間では、
20か国以上の社内外300人を超える「億円」資産家、「兆円」資産家、
産油国の王族など超富豪などと協業、
交流をはたしてきました。


・この本は、そんな僕が会社員時代に学んだ富裕層の哲学や思考、
習慣など、彼らの生態系について学んだことを、あますところなくお伝えする一冊です。


・なぜ富裕層マインドを学ぶことが大事なことなのか。


・それは、今どのような環境に置かれている人であっても、
富裕層マインドにシフトすることで「億を超える人」になれる可能性があるからです。
人は想像ができないことはできません。


・実際の多くの富裕層は、「普通のことをやっている普通の人たち」です。
ただし、普通のこと、誰でもできることを「圧倒的」に「やる」。
ここは違います。


・挑戦さえすれば経験値は残ります。
さらに、挑戦は何度でも繰り返せます。


・大事なのは、複数の道で上級者になることです。
圧倒的に市場で希少な存在や、
マーケットバリューの高い存在になれます。


・富裕層たちが日常生活を送るなかで、
「これだけは絶対に怠らない」と決めている3つのことがあります。


それは、「人脈に関する情報を仕入れること」
「創作意欲を満たす情報を仕入れること」
「体をメンテナンスすること」です。


・富裕層は朝4時から 走っている。


・この習慣のいいところは、朝の運動が終わった時点で、
その日の1日の仕事の段取りや方向性がすべて決まっているということです。


・具体的には、起きて家を出る前に、
その日の会議の予定を把握し、前日のメールを斜め読みでざっと目を通す。
そこでは深く考えずそのまま走り出す。


・すると、
走っている間、脳が勝手にメールの返信やプレゼンテーションの構成、
会議の段取り、意思決定のためのロジックなどをどんどん考えはじめてくれます。


・学習のスタートは
「死ぬほど ハードルが低いことを1日15分」でいい。


・興奮は、動きはじめてから早くて5分ほどで起こるとのこと。


・まずはとにかく5分でも学習や運動をはじめると、
残りの10分はドーパミンにまかせてオートパイロットで続けることができるという理屈です。


・さらにドーパミンは達成感とも直結しているので、
「今日もできた」という達成感でいい気分になることが
明日のやる気にも好影響を与えるといわれています。


★コメント
当たり前のことを徹底にやる。

改めて、この原点に戻りたい。



◆まぐまぐメルマガ『国際インテリジェンス機密ファイル』ご案内。 

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◆寺師貴憲『漢文の最重要知識、スピードチェック』に注目します。


★ポイント


・入試に必要なことだけを入試に役立つ形でインプット!
どこが重要なのかわからずに、なかなか得点に結びつかない人の悩みを解決する1冊!
入試直前期の知識の整理や総仕上げにも最適です。


・【特長1】
必要なところだけ効率的に学習できる


・本書は、大学入試の漢文で
特に重要な[漢文の基礎][頻出句形][漢詩][読解]
の4つの要素を取りあげ、
集中的に解説しています。


・入試に出やすいものに絞って効率的に学習できるので、
短時間で足りない知識を補うことができます。

・【特長2】
入試直結のポイントがハッキリわかる


・入試直結の勘どころを76の「最重要」ポイントとしてまとめました。


・まるで授業の板書のように重要なポイントを視覚的に表現しており、
効果的に要点をつかむことができます。


★コメント
漢文をやり直したい社会人も、読み込みたい。
やはり、漢籍がわかると、尊敬され
飲み会でモテる。


 

 



 

 




◆渡辺惣樹『第二次大戦・独裁者の狡猾』を読み解く


★要旨


・本書は1919年から1940年までを扱う。
そのほとんどが所謂「戦間期」と呼ばれる期間である。
ベルサイユ条約が生んだいびつな世界が崩壊していくおよそ20年間である。


・ザラ・スタイナーの
『消えた光』は1200頁を超え、『闇の勝利』も1000頁近くもある。


・要するに戦間期の歴史は最低でも2200頁もの記述を要するほどに濃密であって、
それを理解してようやく
1939年9月1日のヒトラーによるポーランド侵攻がわかるのである。


・戦間期は、民族問題は当事国で解決してくれという態度が正しかった。
しかし、そうはならなかった。
米英仏独伊やソビエトの思惑が、
本来は二国間で解決できる問題を複雑化させ、多国間紛争に悪化させた。


・大国の思惑だけではない。
紛争当事国の力の弱い側、つまり「小国」が、
本来は無関係の大国を引きずり込んで「小戦」を「大戦」にした。


・ヨーロッパは強欲で愚かな国の集合体である。
だからこそ第一次大戦も第二次大戦もヨーロッパで起きた。


・米国の建国の父たちは、「ヨーロッパのもめ事には関わるな」と後世に警告した。
彼らは、魑魅魍魎のヨーロッパ世界を知っていた。


・その教えに背き、ウッドロウ・ウィルソン大統領がヨーロッパの戦いに介入した。


・戦間期は、ウィルソンの間違いを米国民が悔いていた時期でもあった。


・国民の真摯な反省を、
フランクリン・ルーズベルト大統領とウィンストン・チャーチル首相が粉砕した。


・戦間期は、偽りの安定(ベルサイユ体制)が、
ゆっくりとそして最後には音を立てて崩壊するまでの20年であった。


・そのような時代にあって、な
んとか安定を維持しようとした政治家や外交官もいた。
時代のうねりの中で敗れたとはいえ、彼らの苦悩もまた理解したい。


★コメント
歴史を多角的に見ると、面白い。


 

 


 

 






◆蔵前勝久『自民党の魔力。権力と執念のキメラ』を読む


★要旨


・選挙に強いことが最低条件なり。


・強くなければ自民党に仲間入りできず、
自民党を牛耳ろうと思えば、力をつけなければならない。
そのために党内で切磋琢磨する。


・自民党は戦いに勝って、勝ち続けるために戦う強者たちの集まりである。
「良い悪い」「好き嫌い」は別にして、
自民党は強いのである。


・「自民党とは何か」
この問いに対する私の答えは、
「強者をのみ込むブラックホール」である。


・田舎の地方議員、とりわけ市町村議は地域の代表であり、
「面倒見の良さ」を売りにしている。
そうした議員の大多数は、自民党員であったとしても
無所属議員として活動している。


・自民党の神奈川県議のベテラン秘書は明かす。
「かつては町内会や自治会から、夏祭りや餅つき大会など、
日程の連絡があったが、最近はほとんどなくなった」


・そのベテラン秘書は語る。
「連絡がなくなった今では、自分たちで日程を探るしかない」


・町内会や自治会の行事や冠婚葬祭の日程を調べる専属スタッフを設けている。
「宝の山は、町内会の掲示板」


・自分たちで調べて、呼ばれてもいない夏祭りなどの行事に出向くと、
「なぜ、来るんだ?」
といぶかられるが、それでも行き続けると、
「よく来たなあ」
と歓迎されるようになる。


・民主党系の斎藤は、こう語った。
「震災で思ったのは、自分たちは風だけのイケイケで当選してきたということ。
結局、後援会を作らなかったから、情報を吸い上げる耳がなかった。
これは選挙の時もそうだが、震災という有事のときにも響いた。
国民の声を吸い上げる機能が決定的になかった」


・野間は「与党でないと仕事が出来ない」とは思わない。
新幹線や高速道路のような巨大プロジェクトならば、
与党でなければ難しいが、インフラが一定程度は行き渡った現代ならば、
巨大事業はほとんどない。


・野間の実感として有権者からの陳情で最も多いのは、道路。
それも道路の建設ではなく、壊れた箇所の修繕がほとんど。
河川の修繕をめぐる陳情も多く、
「日常の陳情の8割は、道路と河川のメンテナンスだ」


・陳情を受ける際に心がけているのは、
「ワンストップサービス」。


・地域の道路や河川の陳情をこなすなんて、国会議員のやることか。
国会議員ならば、外交や安全保障、憲法改正、社会保障といった、
大きな課題に取り組むべきではないか、という声も聞く。


・しかし、地域住民の困り事を解決することの積み重ねを無視しては、
選挙で勝てず、外交や安保といった国が直面する課題に取り組むチャンスすら与えられない。
野間を通じて見えてくるのは、そうした現実である。


・立憲民主党の逢坂は「どぶ板」の必要性を何度も強調した。
「どぶ板を徹底させないと、この党は強くならない。
国民に信頼されない。だから地域の課題を、
どんな小さな課題でもいいから具体的なものをこうやって解決をしたんだと。
とにかく、どぶ板に徹することが大事だ」


・ハーバード大学の教授だったイグナティエフは、
故郷カナダの野党・自由党から担ぎ出され、党首となった。
しかし、総選挙で党の議席を半分に減らし、大敗北を喫した。


・イグナティエフは、語る。
「良き政治家は、解説書では学ぶことができないような国に関する知識を身につけるようになる」


「ほとんどの形態の政治的専門知識は、
ローカルな、地元に根差した知識ほど重要ではない」


「地元に根差した知識とは、地元に根差した政治的伝承の詳細な政治的知識、
つまり具体的には、地位のある人や権力ブローカー、市長、
高校のコーチ、警察署長、大企業の雇用主の名前のことであり、
演台ではつねに彼らの名を挙げなければならない」


「偉大な政治家は、ローカルなものに精通していなければならない」


・イグナティエフは、ビル・クリントンの「人たらし」について語る。
ダボス会議の部屋に案内したとき、
「私は、名前と、たんに名前だけでなく、家族の物語全体を覚える、
クリントンの能力に驚嘆した。
その間も彼は握手をしたり、屈んでキスをしたり、
誰かを見つめ返したり、動き回ったりしていた」


・クリントンのような「人たらし」の魅力は、
国会議員であれ、地方議員であれ、日本の自民党議員は、
一定程度は共通して持っている。


・野党の中でも選挙に強い人は、
地元の自民党議員すら困惑させる立憲民主党の安住のように、
「ひとたらし」の力を持っている。


★コメント
選挙に強い政治家というのは、
やはり世界に共通する何かをもっているようだ。
学びたい。


 

 



 

 






◆石川知裕『逆境を乗り越える技術』を読み解く
(佐藤優さんとの共著)

石川さんは、小沢一郎さんの元秘書。
衆議院議員の選挙にて、
落選と当選を繰り返した。
2025年9月、52歳で逝去された。


★要旨


・現在の私は「住所特定・無職」の「政治家」である。


・私はいままさに「逆境のさなか」にいる。


・現職議員でもなく、
会社経営をしているわけでもないため、
安定した収入はない。


・思い起こすと東京地検特捜部に逮捕されたとき、
「もう自分の政治家人生は終わった」
と思った。


・でも不思議なもので、
その後も政治家を続けることができた。
どうしてなのか自分でもよくわからない。


・ただ言えるのは後援者の熱心な応援と
節目節目で作家の佐藤優さんのアドバイスが
私を助けてくれたことだ。


・佐藤優さんは外交官として
インテリジェンスの世界で何度も修羅場を潜り抜け、
一連の鈴木宗男事件において逮捕された。
512日間も東京拘置所に拘留、
有罪判決が確定というたいへんな経験をしている。
いわば「逆境のスペシャリスト」である。


・落ち着いて考えよ。
書くことは大切。


・逆境に陥ったとき、
ノートに何が問題かということを書き出してみることだ。
問題を書き出すと、
意外にその段階で半分くらい解決がつく。


・プライドにしがみつくと破滅する。
プライドは捨てよ。


・私は保釈され、一旦、デンマークに行った。
そして議員辞職してからは
フィリピンに3カ月、英語を学びに行った。
それで随分気持ちの持ちようが変わった。


・逆境に追い込まれたら、
絶対に環境を変える必要がある。


・突然の逆境で孤独になっている人に対して
「連絡を取っちゃいけないんじゃないか」
と思う人が多いようだが、
意外と連絡は来ないし、来てほしいものだ。


・大切な友達がたいへんなことになっていると
思った時には、連絡してあげるって大事だ。


・最後は友達力。
逆境に落ちたときに大きな救いになってくれるのは
友達だ。


・危機的な状況を抜け出すのは結局、
何人友達を持っているかということ。
フェイスブックの友達ではなく、
本当に信頼できる友達だ。


・たとえば、黙ってお金を出してくれて
痛みを伴う支援をしてくれる友達だ。
でも裏返して言うと、
その人に何かあったとき、
こちら側も痛みが伴う支援ができるかどうかということ。


・ホントに最後は友達力によって
逆境を切り抜けるしかない。
そして、こちらが心を開いて真剣に接していると、
必ず友達はできる。



★コメント
人生は、山あり谷ありだ。
いろいろピンチはある。
それを乗り切る方法がここにある。


 

 



 

 





◆石川知裕『悪党。小沢一郎に仕えて』を読み解く




石川知裕氏は、1996年から2005年まで小沢一郎氏の秘書を務めた。
2005年の衆議院議員に出馬、落選。
2007年に繰り上げ初当選、2009年に再選。
北海道知事選挙にも、出馬。


★要旨



・私は小沢一郎に20年近くも仕えてきた。
その日々をある人は「薫陶」と呼び、ある人は「洗脳」と呼ぶ。
カネを増やし、子分を束ね、権力を自ら握って、世の中を動かそうとする。
たとえ少数派であっても、流れに抗うことをいとわない。
謀略の限りを尽くし、敵と見なした勢力を奈落の底に追い込む。
しかし、いつも最後は、英雄になれない。
人は、そんな小沢一郎を「悪党」と呼ぶ。



・小沢は携帯を持たない。
持とうとしない。
いわゆる「小沢の携帯」と言われるものは、随行する秘書が持っている。
政財界の著名な方々の電話はそこにかかってくる。



・小沢が海外に独自のパイプを築いているのは、日米経済摩擦の経験があるからだ。
当時、官房副長官として交渉に当たった。
ところが政府のスタッフが通訳するとなぜか意図が正確に伝わらない。
思わぬ情報が外部に漏れていることもあったようだ。
そういう疑念が積もり積もって、海外に行く際に外務省のアテンドを断り、独自の人脈に頼る。



・小沢事務所に一定期間勤めると、どんな大物に付いても期待以上の仕事をこなせるようになる。
反対にお茶くみもできない人間に、人の心も、国家も、動かすことはできない。
小沢一郎は秘書の前でよくこうこぼしていた。
「庭掃除もできない人間には日本の大掃除もできない」



・小沢家の台所にはこんな決まりがある。
洗剤はできる限り使わない。
台所でお皿を洗っていると小沢からボソッと「使うな」と小言を言われた。



・住み込み書生第一号の藤原良信参院議員からこんな伝説を聞いたことがある。
岩手では日本酒が飲めないと政治家は務まらない。
会合という会合で酒をすすめられることになる。
集まった一人一人からお猪口になみなみと酒を注がれ、一気に空けるのが礼儀だ。
そんな日は、会合をはしごする小沢の車には、必ず用意しなければならないものがあったという。
塩水を入れたやかんだ。
一つの会合を終え、見送りの人が見えなくなった辺りで、小沢はこう指示する。

「ここで止めろ」

小沢はドアを開け、やかんの塩水を口へ一気に流し込む。
すると、先程、支援者から頂いた酒が口から全部出てくるのだ。
吐くのである。

「口から弧を描くようにきれいな線になって出てくる」という。



・小沢の頭の中には「どの選挙区でも過半数の議席を取る」という鉄則がある。
「誰がなるか」よりも「党として何票取れるか」を考える。



・私は2000年9月から事務所で企業回りを任されていた。
パーティー券を売るだけでなく、支援者から子息の就職の世話も頼まれた。
やりながら気づいたことなのだが、小沢から「ここの会社に行ってこい」と指示されることはない。
新規で献金をくれる企業を見つけても褒められもしない。
減ったら無能だと思われるだけだ。



・2004年、私は小沢の許可を得ないまま、衆議院議員選挙への出馬を計画した。
そして、北海道連の面接を受けに札幌に飛んだ。
羽田に向かう途中、新橋の菓子名店「新正堂」で北海道連へ持っていく菓子折りを買った。
ここはサラリーマンの間では知る人ぞ知る名店で、銘菓「切腹最中」はこぼれるほどの粒あんが詰まっていて、取引先に謝罪に行く際のお土産として定評がある。



・小沢一郎といえば選挙。
そして、小沢一郎の秘書といえば、当選請負人と思われている。
まず基本には次の考え方がある。

「全力で一人ひとりを相手にしなさい」

有権者との関係がすべての根底にある。
一人ひとりが何を考えていて、どんな暮らしをしているかを聞いて歩く。



・自民党の総務局長時代に小沢は全国の都道府県を回り、
選挙区事情だけではなく、有力な支援者についても情報を収集したようだ。
その時のデータが頭に入っており、逐次更新されている。
随行の秘書のカバンには300選挙区のデータが常備されている。
過去の得票率や政党支持率、世論調査の結果などが書かれているその紙を暇ができたときに取り出し、一人で眺めている。



・小沢は、民主党が野党時代、大連立で与党経験を積むことを重視していた。
民主党から国土交通大臣や厚生労働大臣を出して、与党議員として地方を回る。
すると有権者の反応から与党のつらさがわかる、と。



・選挙に限って言えば、小沢ほど他人を担いだり、若手を育てたりするのが上手な政治家はいないと思う。
裏を返せば、選挙だけは自分で何でもやらないと気が済まない体質なのだ。



・いまの民主党の欠陥は、俗に言う「雑巾掛け」、基礎的な鍛錬、基礎的な勉強をしないで偉くなった人ばかり。
だから危機が起きるとどうしたらいいか分からなくなる。
基礎的な修行を積み、経験を積み、知識を積み、
そしてこういう時はこう、ああいう時はこうと、自分の価値判断基準を、政策判断の基準が自然と作られてくる。




★コメント
石川氏の回想を読むと、小沢事務所の泥臭く、地道な仕事術がかいま見られる。
その選挙活動、政治活動は、地道な営業活動に通じるものがあり、ビジネスマンも参考になる部分はある。
政治でもビジネスでも、人との律儀な関係は、重要であることを教えてくれる。


 

 




◆春日太一『鬼の筆。戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』を読む


★要旨


・1950年代から70年代にかけて、
橋本忍は脚本家として、次々と名作を書き、
そして多くの映画賞を受賞し、
大ヒットもさせてきた。


・『羅生門』『生きる』『七人の侍』
『私は貝になりたい』『ゼロの焦点』『白い巨塔』
『日本のいちばん長い日』『八甲田山』
などなど、
名作と名高い作品が数多く並ぶ。


・人間が時間をかけて積み重ねてきたものを、
自分たちでは、どうにもならない圧倒的な力が、
無慈悲に打ち崩していく。


・そうした、「鬼」たちによる、
容赦ない理不尽に踏みにじられる人々の姿を、
橋本はひたすら描いてきた。


・橋本自身への取材を企画したのは、
2011年の暮れのこと。
30代半ばの筆者が、大脚本家と対峙するのは
大きなプレッシャーもあった。


・だが、90歳をすでに超えている橋本の年齢を考えると
「早く証言をとっておかなければ間に合わなくなる」
という想いが先立った。


・取材中の橋本は、
まったく年齢を感じさせないパワフルさだった。
2014年までに計9回、
総インタビュー時間は、20時間を超えた。


・没後、ご遺族の了解を得て、
橋本の書斎や物置を見せていただいた。
そこには、
膨大な数の創作ノートが収納されていた。
まるで古文書のようだった。


・「脚本家にとって腕力が大事だということは、伊丹さんの基本なんだ」
(橋本忍)


・「橋本君、字を書く仕事だからね、
原稿用紙に20枚なり30枚なり、字を書くことは毎日やれ。
書くことがなければ、いろはにほへと、でもいい、
とにかく字を書くことが基本だから」
(伊丹万作)


・実際に腕力をつけること、
長く座り続ける耐久力をつけること。
書き手にとって何より大事なのは、
そうしたフィジカル面の強さだと、
橋本は考えていた。


・たしかに、そうでなければ
黒澤明と何日間も籠って
『七人の侍』を書き上げることなど、
出来なかっただろう。


・それだけに、弟子への指導でも
技術や映画論は伝えない。
ひたすらフィジカル。
書き手の腕力を鍛えさせている。


・この地道な特訓の果てに、
橋本独特の粘っこい筆致や、
緻密なドラマ構成や迫力あるセリフ回しが生まれる。


・本当の腕力がないと、
手や指に疲れが出て、
書くことが億劫になってしまう。
そうなると、書き方も内容も粘りがきかなくなり、
雑なものになってしまう。


・「書く」ということを
物理的に徹底して鍛えたからこそ、
橋本はどこまでも
粘っこく表現をすることができたのだ。


・取材開始からここまで、約12年。
本当に長かった。


・橋本さんから取材を通してうかがった話の数々、
取材を通して受け止めた橋本さん当人の人物像、
取材そのもののドキャメント、
周囲の人々のコメント、
そして没後に入手した創作ノート。


どれもが膨大な情報量で、濃厚な内容だった。


・聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、
「藪の中」へ迷い込むような日々だった。


★コメント
いつの時代でも、ゼロから創作できることを教えてくれる。
情報があふれる今でも、
考え方や発想の転換で、
どれだけでも新しいコンテンツを作ることができると
確信できた。