◆太田文雄『日本人は戦略・情報に疎いのか』を読む
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太田文雄氏は、旧・防衛庁時代の情報本部長経験者。
昭和45年・防衛大学校卒業の海上自衛隊出身。
退官時は、海将。
アメリカ海軍士官学校教官、ゆうぐも艦長、スタンフォード大学客員研究員、
アメリカ国防大学・修士号取得。
護衛隊司令、ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院卒業、
在アメリカ日本大使館・駐在武官など情報畑が長い。
★要旨
・最近とみに増している我が国周辺の安全保障環境の厳しさからか、
近頃「情報」とか「戦略」といった言葉が人々の口に上ることが多くなってきた。
その言葉が出るたびに、日本人は情報戦で敗北した先の大戦の教訓をなぜ生かせないのだろうか、
また、どうしてこう日本人は戦略的発想に乏しいのだろうか、
といった嘆きとも諦めともつかないような溜息が聞こえてくる。
・実は、私もかつては、そう考えた一人であった。
しかし日本の歴史を調べ、我々の祖先が行ってきた足跡を辿ってみると、
必ずしもそうとはいえないのではないか、という気持ちになって書いたのが本書である。
・戦略や情報の実務に携わる人たちに対しては、
同じ日本人が残した見事な戦略・情報眼の足跡を追体験することにより、
自己の能力を高めることに繋げてほしいと願っています。
・私は1993年から94年まで、
首都ワシントンにあるジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究大学院で、
クレピネヴィッチ博士の「ネット・アセスメント」という教科を採っていた。
ネット・アセスメントとは、直訳すると「正味評価」となる。
要するに各国の戦力を比較する際、一般的には戦車、戦闘機、艦艇といった戦闘ユニットを、
豆を数えるようにしてどちらが有利かを評価しがちだが、正味評価をするためには、
「単に戦闘能力だけでなく経済力、産業基盤、人口構成ピラミット、戦略文化、
作戦構想、非対称性などを総合的に比較しなければ正確な評価とならない」とするものだ。
・日本人は先天的に戦略的思考に乏しいのか、
それとも教育のような後天的な要因によって乏しくなっているのか?
日米の特に高級幹部の教育を比較してみると、ある程度の違いが浮き彫りになってくる。
・米国の高級幹部(中佐以上)と日本の自衛隊の高級幹部を比較すると決定的な違いは、
彼らの約9割が中佐くらいまでには修士以上の課程を修了しており、
しかも国家安全保障論とか国際関係論といった文系の専攻科目が多いことに気づかされる。
日本の場合、逆に9割が修士号を保持しておらず、
またわずかに修士号を持っている幹部のほとんどが理工系だ。
・私はアメリカ国防総合大学の学生でもあったが、
そこのカリキュラムを見ると戦略と名のつく科目が多く、
戦略的な思考の育成を重視しているかがわかる。
すなわち、戦略的意思決定プロセス、国際システムと大戦略、変化の大戦略、
将来の大戦略、戦略と資源演習など、一貫して戦略的思考を身につけるといった方針に徹していた。
・私が習った教務においても、例えば戦略的意思決定では、
ペロポネソス戦争や南北戦争といった場面に自らを置いて、
当時の状況から、国益は何か、相互に採った戦略はどうか、
その戦略が妥当であったか、といったことを考察していった。
この過程の中で細かい戦術的な戦闘戦史はあまりふれない。
・国防大学の過去の統計によれば、最も戦略的な発想ができるタイプは、
「空想家タイプ」であり、次いで「概念家タイプ」と続いている。
・「情報」はネットワーク化されることによって価値が出てくる。
日本人は昔から、各個の事物よりも、それらを繋げることによって、
より高い価値を生み出すことを知っていた。
それが日本語の「みち」や「むすぶ」という言葉に表れている。
・古事記に見られる「情報と戦略」について。
古代日本、すなわち、我々日本人の祖先が展開した情報と戦略について、
その古きを温めることで、現代の我々が新しきを知り、
その実相を詳らかにして現代の我々の情報センス、戦略センスに磨きをかける礎にしたいと思う。
・古代日本における国家戦略、安全保障、国際政治、地政学、外務・内務問題、
直接侵略、間接侵略、情報、諜報などのキーワードに満ちている事象・事跡を、
抽象的に言語化したものが『古事記』だ。
・『古事記』に記されている日本神話とは、本来、荒唐無稽なものではない。
その本質を観察するに、政治、戦略面の記述がシンボル化されていることが判明する。
・古事記に現れている戦略思想を総括すると、そこにはまず「いざなひ」すなわち武力を行使せずに、
相手を自発的かつ心理的に魅了させるという最高の目標理念が打ち立てられえる。
・楠公戦史を今なぜ振り返ってみる必要性があるのでしょうか。
寝返りがたくさんあった南北朝時代において、楠正成だけは徹頭徹尾、忠誠の対象を変えていない。
現代も欲と権力に目を奪われて変節する政治家が多い中で、
天下の大勢を洞察する戦略・情報眼を持ちながら、
名利栄達・私利私欲を求める道を選ばずに奉公の誠を尽くし、
一途に信念を貫く楠公のような生き方を偲んでみる価値はあると思う。
・国家に関していえば、日本は素晴らしい歴史と文化を持っているのに、
残念ながら、それを自覚していない国民が多いのではないでしょうか。
「国の歴史と文化をより深く理解する」ことによって日本の素晴らしさを認識し、
それが自分の国を正すということにつながっていると思っている。
・己を治めずして、ただ勝つだけのために邪道に走るやり方では、
一時的に勝利を収めることができても、長期的に見ると、
自分が使った邪道が自らに跳ね返って亡ばされるということは人類の長い歴史が示している。
・孫子における「彼を知る」という作業をするに当たって最も大切なことは、
当たり前のようですが、自分の国、祖国・日本のためには今どのような情報が大切か、
またどのような情報を漏らすと祖国・日本のためにならないか、という原点だ。
この祖国に対する忠誠心なくしてまともなインテリジェンス活動はありえない。
・孫子の「応変」、つまり変化に応じていく柔軟な創造力は、
私の体験から言えば「古典や短歌を通じて育まれる豊かな感性」から発達していく。
・人類数千年の歴史によって審判を下された立派な人物は、
決して高位高官についたり、巨万の富を築いたり、有名人であった人ではなく、
世のため人のため祖国のために己を捧げた人をいうのだと思う。
・日本の帝国陸海軍約70年間の中で、最大の戦略家は誰か。
人によって意見がことなるだろうが、私はあえて秋山真之提督を挙げたい。
その理由は、提督の素直な正しい思考法から発せられた優れた戦略的思考が、
古今東西一貫して変わらない兵理を含んでいるとともに、
この複雑怪奇な様相を呈する現代においても妥当性を持っていると思う。
・秋山真之は、純潔無私の愛国の士であり、恐ろしいほどの勉強家であり、
そして強烈な生命力と個性を持っていた。
彼は大尉のとき、約2年間アメリカに留学して戦略を研究したものの、
最も愛読したのは日本古来の兵法、とくに甲越軍学や海賊戦法、
そして山鹿流軍書であり、孫呉の兵法であった。
★コメント
岡村誠之・元陸軍大佐は、戦略の真髄はどこにあるかと、
諸外国を捜し求めてみたけれども見つからず、
家に帰ってみて自分の目の前にあることを再発見した、との趣旨のことを述べている。
太田氏は岡村氏から日本の古戦史を学んでいる。
いま一度、みずからの足元を学びなおしてみたい。