◆ライオネル・バーバー『勝負師。孫正義の冒険』を読む


村井浩紀、翻訳。


ライオネル氏は、
フィナンシャル・タイムズ紙の元・編集長。


★要旨


・あらゆる帝国は、インフラの上に築かれてきた。
歴史に学ぶマサ(孫正義)は、
社内でそう語ることを好む。


・ローマ人は道路を整備し、
イギリス人は、鉄道と海底ケーブルを敷設し、
アメリカ人は、
電力、高速道路、通信のネットワークを構築した。


・マサは、
ボーダフォン日本法人の買収により、
投資家から事業者への転身を果たした。


・資金が逼迫していたマサは、
基地局の通信設備メーカーであるエリクソンを訪ね、
支払いを数ヶ月猶予してくれるよう、依頼した。


・エリクソンのCEOである、
カール・ヘンリック・スバンベリは、困惑した。


・マサは、
このスウェーデン人が今でも惹かれる何かを持っていた。
厚かましさ、独特の魅力、
未来に対するこの上ない楽観主義。


・スバンベリは、
マサをとりあえず信用することにして、
支払いを猶予した。


・彼の直感は、正しかった。
マサは約束を守り、
新しい期限までに支払った。


・2005年の夏、
カリフォルニアに主張した折に、
マサは、スティーブ・ジョブスに、
自分が予想するアップルの次期製品を、スケッチにして見せた。


ジョブス「マサ、それはいらなよ。自分のがあるから」

マサ
「スケッチのことは、どうでもいい。
あなたの製品が出来上がったら、
日本向けは、私にください」


・フォローアップの会話で、
ジョブスがソフトバンクに
日本でのiPhoneの独占販売権を与えることに
基本的に同意した。


「やれやれ、マサ、君は、クレイジーだ」

ジョブスは言った。

「開発のことは、まだ誰にもしゃべってないんだぞ。
だけど、最初に会いに来てくれた君にあげよう」


・何も文書化されなかった。
価格も数量も、詰めなかった。


・一つの紳士協定であり、
その前提は
マサには携帯電話事業を立ち上げる、
ないし買収するだけの資金力があることだった。


・2006年3月、
マサは総額170億ドルで
ボーダフォン日本法人を手に入れた。


・その2週間後、ジョブスが東京に来た。
マサは、
ジョブスに合意の履行を迫った。


「あなたは、書面にしてくれませんでしたが、
あなたの言葉を信じて、
170億ドルを賭けたんですよ。
私に何も書いて約束してくれなかったことに、
ちょっとは責任を感じてほしいですね」


・ジョブスは、笑いながら断言した。

「マサ、クレイジーな男だな。
話し合ったことを実行しよう」


★コメント
孫さんのエピソード、一つひとつが面白い。
見習えるところは見習い、

学びつくしたい。



 

 





 

 



 

 



◆高市早苗『ぶっとび永田町日記』を読み解く


本書は、1990年代に、
高市さんが国会議員になってからの
初めのころに書かれた貴重な本である。



★要旨


・私が、松下幸之助氏の薫陶を受け、
「将来は、国政の場で働こう」
と決心したのは1985年、
24歳になったばかりの春だった。


・現在34歳(当時)の私は、
国会においては、
昭和ヒトケタ生まれの両親に育ててもらった、
最後の世代の代議士になるだろう。


・本書は、
一年生議員として永田町に首を突っ込んだばかりの
私の日記のようなものである。


・神戸大学の廊下を歩いていた時に、
松下政経塾の塾生募集のポスターが貼ってあるのを
目にしたのが、始まりだった。


・ホテルニューオータニの一室で
松下幸之助氏と面接することになった。
ドアを開けた瞬間、
私は体が凍りつくような緊張を覚えた。


・松下さんは、
眼鏡の奥から鷹が獲物を射すくめるような鋭い目で
じっと私をにらみつけ
ニコリとも笑わない。


・26歳のとき、
アメリカ連邦議会のシュローダー議員の事務所で
インターンをした。


・「スタッフとして一人前の仕事ができないなら、
今すぐ日本に帰りなさい!」
と初日から怒鳴りつけられ、
歯を食いしばって、仕事を覚えた。


・アメリカの選挙の場合、
選挙期間というのは、とくに定められていない。


・日本の冠婚葬祭や、雑多な世話事ではなく、
納税者(有権者)からの陳情、要望にそった法案をつくることが
選挙運動になっているのだ。


・私の持論だが、国家の仕事は、
国防、外交、経済政策、教育である。


・国会議員は、この4つに真剣に取り組み、
それ以外の地元がらみの仕事は、
地元に密着した県議会議員や市町村議員に任せ、
地方自治体単独の予算で
運営していくのが理想だ。


・ちなみに、
この1年間に永田町で一番多く耳にした言葉は、次の2つ。

「挨拶がない」
「俺は聞いてないぞ」


・委員会の審議日程が流れたり、
大切な法案の採決がパーになったりする理由は、
大抵この2つだ。


・笑い話のようなことばかりだが、
事実、
永田町政治は「理屈」ではなく、「メンツ」で動いている。


・英国のマーガレット・サッチャー元首相が、
ジャーナリストの、
「あなたが女性だということは、
首相を務めるうえで、有利だったが、不利だったか」
という質問に答えて、

「私はまず政治家です。そして最後まで政治家です。
たまたま女であったに、過ぎないのです」
というコメントを出したことが、印象的だった。


・また、
戦後最長といわれたサッチャーの首相在任期間中、
彼女の内閣で女性閣僚は、たった一人だった。


・自分が女だからといって、
フェミニズムに走らなかったところが、
サッチャー政権が長続きした秘密だったかもしれない。


・そんなサッチャーでさえ、
女性であることの弱さを認めたコメントを出している。

「私は最後まで党内基盤が弱かった。
それは男性の世界の根回しに加えてもらえなかったからよ」


★コメント
今後の日本政治が、どうなるか、
厳しい目で見極めたい。


 

 



 

 




◆大下英治『高市早苗。愛国とロック』を読み解く



★要旨


・高市早苗は、
幼稚園のときに、ヤマハ音楽教室に通った。
それをきっかけに、小学生の時に
ピアノを買ってもらい、
となりに住んでいた音大生から習った。


・この音大生のお姉さんとの出会いで、
ハードロックを好きになる。


・お姉さんは、レコード会社でアルバイトをしていて
たくさんのレコードをもらってきた。
お姉さんは、クラシックファンだったので、
ロックのレコードは全部、高市がもらった。


・議員になってからも
ストレス発散の時に聴いている曲は、
ディープ・パープルの「紫の炎」だ。
原題は、「Burn」。
疾走するような、ハードロックの名曲だ。


・高市は、慶応義塾大学をあきらめ、
そのあとに合格した神戸大学への入学を決めた。
大学時代は、
アルバイトとロックに明け暮れた。


・高市は、
アメリカ連邦議会のパット・シュローダーの事務所へ
インターンにいった。


・英語力は、意外に早く身についてきて
日本の英語教育が優れていることを再認識した。
中学や高校の英語の授業では、
アメリカ人が理解できない関係代名詞を使った構文を
勉強させられる。
それが生きた。
難解な文章がさらさら読めた。


・令和5年の高市主催の勉強会「日本のチカラ研究会」では、
江崎道朗が、
「日本のインテリジェンス機関、その経緯と課題」をテーマに
講演してくれた。


・高市主催の勉強会は、
回を重ねるごとに充実してきている。


・無派閥の高市が、
ふたたび総裁選に出馬した場合、
自民党の国会議員の多数からの支援を得るのは難しい。


・そこで門田隆将は、
かつて小泉純一郎が小泉ブームを自ら起こして、
世論の風を活かして総裁選で圧勝したように、
高市を支援する国民的な動きを作る必要性を感じている。


★コメント
総裁選に勝利した、高市さんの今後に注目したい。


 

 



 

 



◆乾正人『高市早苗が日本を取り戻す』を読む


★サブタイトル
→「トランプ大統領とディールできる保守政権へ」


★要旨


・高市早苗は、
自民党に移籍してから10年は、
落選もあって鳴かず飛ばずだったが、
第一次安倍政権で、
内閣府特命担当大臣に起用されたのが転機となった。


・第二次安倍政権が発足すると、
安倍は彼女を、
自民党政務調査会長に抜擢したのを皮切りに、
総務大臣やマイナンバー担当大臣など
要職に起用し続けた。


・将来の総理候補として
育てようという意図があったのは、
明白だった。
高市は、ますます仕事にのめりこんでいくのだが、
「夜のつきあい」は、さらに減った。


・令和6年の総裁選最終盤で
高市支持に舵を切った麻生太郎は、
総裁選後、
あいさつに来た彼女に、こうアドバイスした。



「自民党の歴史の中で3年以上総理を務めたのは、
7人しかいねえ。
俺も菅も、1年で終わった。
だから高市、用意しておけ。
議員は仲間づくりが大事だから、
これから半年くらい飲み会に行け」


・高市は、麻生の教えを守って、
「飲み会」を精力的に行っている。


・自民党派閥のリーダーには、
ある種の「土俗性」が暗黙のうちに求められてきた。


・エネルギッシュで、
過剰なまでのコミュニケーション能力のある、
「土の匂いがする政治家」が、
リーダーとして君臨していた。


★コメント
政治家とは、どうあるべきか、
あらためてしっかり考えたい。


 

 



 

 







◆原武史『戦後政治と温泉』を読み解く


★サブタイトル
→「箱根、伊豆に出現した濃密な政治空間」


★要旨


・軽井沢、那須、箱根に、濃密な政治空間が成立した。


・1955年8月19日から、3日間、
重光葵・外務大臣は東京を空け、
軽井沢、那須、箱根と別々の場所に向かい、
現首相の鳩山一郎、昭和天皇、前首相の吉田茂に、
訪米の目的を報告し、
広く意見を交換した。


・それらの会談は、
訪米という大きな公務の前にしておくべき、
もう一つの公務だった。


・吉田茂が、箱根に政治空間を創り出した。


・吉田が首相辞任後も大磯にとどまらず、
箱根の小涌谷に通い続け、三井別邸を「第二の本邸」とした。


・「奥の院」が、
80代になってもなお衰えを知らぬ吉田の体調を支えた。


・池田勇人は、
経済や外交の勉強をするため、しばしば箱根に通った。


・池田は週末ごとに仙石原に通いつつ、
箱根観光ホテルに経済学者の下村治や田村敏雄ら政策ブレーンを集め、
池田政権の目玉となる所得倍増計画の原案を練らせた。


・「温泉政治」は、戦後保守政治の二大巨頭がつくりあげた。
吉田茂と鳩山一郎だ。


・伊豆や箱根には、
焦土になった町並み、GHQ本部、闇市、米兵と歩く日本女性など
そうした戦争の傷跡は、ほぼ無かった。


・新しい日本の見取り図を思い描くには、
しばし東京を離れて温泉に浸り、
雄大な自然を眺め、
英気を養うことが必要だった。


・東京と大磯や箱根の間を往復する吉田茂のスタイルは、
明治や大正の有力政治家を意識していたようにも見える。


・温泉は、
吉田の体調を維持させるのに貢献した。
1954年に首相を辞めてからも
小涌谷通いは続き、
ライバルや弟子の鳩山や池田が死去してもなお、
吉田は生き延びた。


・東京を離れ、
四季折々の自然に囲まれた温泉地で湯船に浸るひとときは、
俗世の諸々のしがらみから解放され、
もっともリラックスした時間になる。


・終戦という未曽有の危機を、
東京からしばし離れ、
箱根や伊豆の各地に沸々と湧く温泉の力を借りながら、
乗り越えた戦後保守政権の歴史に、
いまの政治から見失われたものがある。


★コメント
あらためて、温泉政治を見習いたい。
われわれ民間人も、
温泉地での思索や勉強、決断の時間を十分にとりたい。


 

 



 

 




◆川口マーン恵美『残酷な世界の本音。移民・難民で苦しむ欧州』を読む


★サブタイトル
優しい日本人が気づかない。
移民・難民で苦しむ欧州から、宇露戦争、ハマス奇襲まで。


★要旨


・ドイツが受け入れた難民は2022年だけで130万人超。


・ドイツでは、入ってきた難民は連邦政府が容赦なく州に送り込み、
州政府はそれを仕方なしに自治体に振り分けるため、
実際困窮しているのは、
難民を受け入れている市町村です。


・学校、託児所の手配、さらに医療や心理ケア、ド
イツ語習得のための講座と、さまざまな庇護が必要になるから、どの自治体でも、
お金はもちろん、住宅、職員、教師などすべてが不足し、
すでににっちもさっちもいかない状態です。


・問題はイスラム系の難民です。


・エネルギーのあり余った若い男性たちが、
パンク状態の収容施設で暮らしているのですから、
彼らのストレスたるや尋常ではありません。


・しかも、自治体のなかは自由に動き回れますから、
おのずとその市町村の治安も悪くなる。


・難民問題には、それを食い物にしている人たちもいます。


・EUに行きたい人たちを斡旋し、不法入国を助けているのは国際犯罪組織です。
彼らにとって「難民ビジネス」は、
何年も前から麻薬よりも割のいい資金源となっているといいます。


・多くの日本人にとっては意外かもしれませんが、
欧米のナショナリストからは、
欧米諸国と違い日本政府は日本人のための日本を守ろうとしているとして、
その「排他性」を評価されています。


・日本がドイツほどひどくならないのは、海のおかげです。
飛行場を厳重に監視すれば、不法入国はほとんど見つけられる。
それに比べて、陸の国境ではこうはいきません。


・その点、ポーランドやハンガリーは、
明確な信念を持って、難民の受け入れを拒否しています。


・不法移民を一掃したアメリカのある地域で現実に起こったように、
移民が来なければ、
自国労働者がやりたくなる水準まで賃金は上昇します。
また、企業は技術革新で乗り切ろうとする。


・日本は自分の国益をはっきり言えないのは
軍事力がないせいにしますが、軍事力がなくても、
ハンガリーのオルバン首相は言いたいことをはっきり言っています。


・そしてその際に必ず、
自分の義務は国民と国家経済を守ることだとはっきりと言います。


★コメント
世界は、魑魅魍魎なり。
常に、警戒せよ。


 

 



 

 


◆渡辺惣樹『アメリカはいかにして日本を追い詰めたか』を読む


著者→ジェフリー・レコード
解説・訳→渡辺惣樹



★サブタイトル
→「米国陸軍戦略研究レポート」から読み解く日米開戦


★要旨


・日米関係を考える者にとって、
フランクリン・ルーズベルト(FDR)政権の対日外交の異常さと不愉快さは
喉元に刺さった小骨のようなものである。


・その外交姿勢に疑義を呈することなく、
あの時代の日本の外交をただ内省的に語るいわゆる「自虐史観」にもとづく夥しい史書が存在する。
その記述は喉元の嫌な痛みを刺激し続けてきた。


・「自虐史観」の根本は「日本が身を正せば世界は平和になる」という思想である。
しかしそれがいかに空虚な主張であるかは言を俟たない。


・私たちはそろそろ「自虐史観」の呪縛から
抜け出さなければならないときにきている。


・ここに紹介するジェフリー・レコード氏の論文(2009年二月発表)は
私たちのその作業に有効な手掛かりを与えてくれるものである。


・アメリカ空軍大学教官である氏は、
あの戦争の原因の半分はルーズベルト外交の失敗であると言い切っている。


★レコード論文、ポイント。


・日本はなぜ1941年に対米戦争を始める決断を下したのかという問題は、
長きにわたってわれわれを悩ませてきた。


・アメリカの圧倒的な工業力と潜在的な軍事力を考慮すれば、
日本の行動はまったく非合理的で理解不能と結論づけてしまっても、
それはそれで自然なことではある。


・しかし、日本がなぜわが国との戦争を決断したかを正しく理解するためには、
1941年秋の段階で、日本には戦争の決断以外にどのような代案があり得たかを検討してみなくてはならない。


・当時の日本にとって、わが国と戦うという決断以外に残された道は二つしかなかった。


・真綿で首を絞められるような経済的な窒息死を甘受するか、
アジア大陸に築いた帝国領土を放棄するかの方策しかなかったのである。


・真珠湾攻撃にいたる道筋をつけてしまったのはアメリカ自身の責任もある。
そして同時に日本の誤算もあったのである。


・そうした事態に陥ったのは、両国が互いの文化に無知であり、
またそれぞれの民族が同じぐらい傲慢になっていたからであった。


・日本が東南アジア地域を征圧すれば、
ナチスドイツに対するイギリスの防衛力が落ちることになると恐れられた。
それを危惧したフランクリン・ルーズベルト政権は対日石油禁輸政策を決定した。


・日本は石油資源をアメリカからの輸入に依存しており、
この禁輸政策は日本の行動を牽制するどころではなく、
日本をさらに東南アジアへの侵攻に追いやることになった。


・わが国の出した条件は、日本は大国であることをやめ、アメリカの経済的隷属下に入ることを要求したに等しかった。


・この要求は自尊心ある政治リーダーであれば到底吞めるものではなかったのである。


・現代の国家安全保障問題に責任を負う者は、
1941年に日米が太平洋戦争にいたった道筋を検証することによって、
いくつかの教訓を得ることができる。
その教訓は次の七つにまとめることができる。



一、恐怖心とか誇りといった感情は意思決定上の重要なファクターになる。
そうした感情に合理性があるか否かとは関係がない。


二、潜在敵国の文化や歴史についての知識はきわめて重要である。


三、相手国への牽制が有効か否かは牽制される側の心理に依存する。


四、戦術よりも戦略が重要である。


五、経済制裁は実際の戦争行為に匹敵しうる。


六、道徳的あるいは精神的に相手より優れているとの思い込みは、
敵の物理的優位性を過小評価させる。


七、戦争が不可避であると考えると、自らその予言を実行してしまいがちになる。


★コメント
相手方に関する幅広い情報収集と、
分析がいつの時代も、不可欠である。


 

 




◆田中渓『億までの人。億からの人』を読み解く


★サブタイトル
→ゴールドマン・サックス勤続17年の投資家が明かす「兆人」のマインド。


★要旨



・どん底時代を経験するも、その後17年続いた会社員生活では
最終的に投資部門のトップである日本共同統括を務めることになります。


・在籍17年間では、
20か国以上の社内外300人を超える「億円」資産家、「兆円」資産家、
産油国の王族など超富豪などと協業、
交流をはたしてきました。


・この本は、そんな僕が会社員時代に学んだ富裕層の哲学や思考、
習慣など、彼らの生態系について学んだことを、あますところなくお伝えする一冊です。


・なぜ富裕層マインドを学ぶことが大事なことなのか。


・それは、今どのような環境に置かれている人であっても、
富裕層マインドにシフトすることで「億を超える人」になれる可能性があるからです。
人は想像ができないことはできません。


・実際の多くの富裕層は、「普通のことをやっている普通の人たち」です。
ただし、普通のこと、誰でもできることを「圧倒的」に「やる」。
ここは違います。


・挑戦さえすれば経験値は残ります。
さらに、挑戦は何度でも繰り返せます。


・大事なのは、複数の道で上級者になることです。
圧倒的に市場で希少な存在や、
マーケットバリューの高い存在になれます。


・富裕層たちが日常生活を送るなかで、
「これだけは絶対に怠らない」と決めている3つのことがあります。


それは、「人脈に関する情報を仕入れること」
「創作意欲を満たす情報を仕入れること」
「体をメンテナンスすること」です。


・富裕層は朝4時から 走っている。


・この習慣のいいところは、朝の運動が終わった時点で、
その日の1日の仕事の段取りや方向性がすべて決まっているということです。


・具体的には、起きて家を出る前に、
その日の会議の予定を把握し、前日のメールを斜め読みでざっと目を通す。
そこでは深く考えずそのまま走り出す。


・すると、
走っている間、脳が勝手にメールの返信やプレゼンテーションの構成、
会議の段取り、意思決定のためのロジックなどをどんどん考えはじめてくれます。


・学習のスタートは
「死ぬほど ハードルが低いことを1日15分」でいい。


・興奮は、動きはじめてから早くて5分ほどで起こるとのこと。


・まずはとにかく5分でも学習や運動をはじめると、
残りの10分はドーパミンにまかせてオートパイロットで続けることができるという理屈です。


・さらにドーパミンは達成感とも直結しているので、
「今日もできた」という達成感でいい気分になることが
明日のやる気にも好影響を与えるといわれています。


★コメント
当たり前のことを徹底にやる。

改めて、この原点に戻りたい。



◆まぐまぐメルマガ『国際インテリジェンス機密ファイル』ご案内。 

ご登録はこちら。


 http://www.mag2.com/m/0000258752.html






 

 



 

 



 

 





◆寺師貴憲『漢文の最重要知識、スピードチェック』に注目します。


★ポイント


・入試に必要なことだけを入試に役立つ形でインプット!
どこが重要なのかわからずに、なかなか得点に結びつかない人の悩みを解決する1冊!
入試直前期の知識の整理や総仕上げにも最適です。


・【特長1】
必要なところだけ効率的に学習できる


・本書は、大学入試の漢文で
特に重要な[漢文の基礎][頻出句形][漢詩][読解]
の4つの要素を取りあげ、
集中的に解説しています。


・入試に出やすいものに絞って効率的に学習できるので、
短時間で足りない知識を補うことができます。

・【特長2】
入試直結のポイントがハッキリわかる


・入試直結の勘どころを76の「最重要」ポイントとしてまとめました。


・まるで授業の板書のように重要なポイントを視覚的に表現しており、
効果的に要点をつかむことができます。


★コメント
漢文をやり直したい社会人も、読み込みたい。
やはり、漢籍がわかると、尊敬され
飲み会でモテる。


 

 



 

 




◆渡辺惣樹『第二次大戦・独裁者の狡猾』を読み解く


★要旨


・本書は1919年から1940年までを扱う。
そのほとんどが所謂「戦間期」と呼ばれる期間である。
ベルサイユ条約が生んだいびつな世界が崩壊していくおよそ20年間である。


・ザラ・スタイナーの
『消えた光』は1200頁を超え、『闇の勝利』も1000頁近くもある。


・要するに戦間期の歴史は最低でも2200頁もの記述を要するほどに濃密であって、
それを理解してようやく
1939年9月1日のヒトラーによるポーランド侵攻がわかるのである。


・戦間期は、民族問題は当事国で解決してくれという態度が正しかった。
しかし、そうはならなかった。
米英仏独伊やソビエトの思惑が、
本来は二国間で解決できる問題を複雑化させ、多国間紛争に悪化させた。


・大国の思惑だけではない。
紛争当事国の力の弱い側、つまり「小国」が、
本来は無関係の大国を引きずり込んで「小戦」を「大戦」にした。


・ヨーロッパは強欲で愚かな国の集合体である。
だからこそ第一次大戦も第二次大戦もヨーロッパで起きた。


・米国の建国の父たちは、「ヨーロッパのもめ事には関わるな」と後世に警告した。
彼らは、魑魅魍魎のヨーロッパ世界を知っていた。


・その教えに背き、ウッドロウ・ウィルソン大統領がヨーロッパの戦いに介入した。


・戦間期は、ウィルソンの間違いを米国民が悔いていた時期でもあった。


・国民の真摯な反省を、
フランクリン・ルーズベルト大統領とウィンストン・チャーチル首相が粉砕した。


・戦間期は、偽りの安定(ベルサイユ体制)が、
ゆっくりとそして最後には音を立てて崩壊するまでの20年であった。


・そのような時代にあって、な
んとか安定を維持しようとした政治家や外交官もいた。
時代のうねりの中で敗れたとはいえ、彼らの苦悩もまた理解したい。


★コメント
歴史を多角的に見ると、面白い。