◆徳本栄一郎『英国機密ファイルの昭和天皇』を読み解く



★要旨



・「過去をより遠くまで振り返ることができれば、

未来をより遠くまで見渡せるだろう」

(ウィンストン・チャーチル、英国宰相)



・英国系投資銀行S・G・ウォーバークの幹部として東京支店長も務めた、

クリストファー・パービスは、若い頃、白洲次郎に薫陶を受けた。

彼らにとっても、今なお白洲は謎の人物だ。

特筆すべきは、その異常なまでの秘密主義だ。

クリストファーは証言する。


「次郎は吉田茂首相の右腕だったと聞きましたが、

なぜ彼が戦後、あれほど力を持っていたか分からないのです。

また彼は普段、手紙もメモも作成せず、口頭でメッセージを伝えることが多かった。

電話でも多くを語らず、アポなしでぶらりとオフィスを訪ね、

用件だけ言うと、すっと消えて行きました。

だから彼のメモすら残っていないのです」



・ジグムンド・ウォーバーグ卿といい、シェル会長のジョン・ラウドンといい、

白洲次郎の海外人脈には欧米ビジネス界の大物が目立つ。

それも単なる社交儀礼的な付き合いではなく、濃密なものだ。



・かつて英国は世界の陸地の4分の1を支配し、7つの海を自由に航海する世界帝国だった。

インドやアフリカなど広大な植民地と強大な軍事力は、

日の沈まぬ大英帝国と形容された。

その覇権を支えたのが、彼らのずば抜けた情報収集・分析能力だった。



・全世界に散った外務省、国防省、SIS(通称MI6、英国秘密情報部)の要員は、

現地から様々な情報を送ってくる。

その国の政治・経済情勢はむろん、有力者の性格、健康状態、

はては王室の内部事情と多種多様の内容だ。



・また各地に滞在する医師、商人も、仕事上知りえた情報を自発的に提供してきた。

これらは本国で綿密に分析、ファイルに蓄積された後、外交交渉で活用されてきた。

その膨大な文書を保管しているのが、ロンドン郊外にある英公文書館だ。



・周囲を緑に囲まれた静寂な環境にあり、

15世紀以前にさかのぼる英国政府の膨大な文書が眠っている。

大英帝国の英知が凝縮されたような場所だ。



・この英公文書館に私が興味を持ち始めたのは、1990年代はじめ、

英国ロイター通信で特派員として働いていた頃だった。

ここには幕末から現代に至る多くの日本ファイルが含まれる。

明治、大正、昭和を通じ、駐日英国大使館などが本国に送った報告書だ。

英国の視点で日本の現代史を見ると、歴史の実像が浮かび上がる体験が何度もあった。



・ロイター通信退社後も、仕事やプライベートで渡英する機会が多かったので、

その度に公文書館に足を運んだ。

そこで発見した文書を元に、存命する関係者を探し出し、

当時の秘話を聞くのが趣味の一つになった。



・かねてから英国は、植民地や同盟国の留学生を積極的に受け入れてきた。

その対象は各国の王族から政治家、官僚と多岐に渡った。

彼らの多くは、ケンブリッジやオックスフォードなど名門大学に入学し、

英国の上流階級と親しく交流する。



・帰国後も彼らは、かつてのクラスメートとの親交を絶やさない。

やがて、ある者は王位を継ぎ、ある者は政府の要職に就く。

そうやって築いたパイプは、英国が世界中で情報収集や外交を行う上で、

貴重なアセット(資産)になる仕組みだった。



・通常、英国政府は公式の外交ルートを通じて各国の情報収集を行う。

だが国によっては外交官が警戒される場合がある。

そこで考えたのが、石油や金融業界で活躍するビジネスマンを利用することだった。

仕事で世界中を回る彼らなら、怪しまれる恐れはない。

英国政府にとっては、ジャーナリストや作家も貴重な情報源だった。



・英国宰相チャーチルは、ずんぐりした体型に蝶ネクタイ、禿げ上がった頭が特徴だった。

片手に愛用のステッキを持ち、口から葉巻を離さない。

一日8本はくゆらす愛煙家で知られた。

スマートな英国紳士と程遠い、ユーモラスともいえる雰囲気を醸し出していた。

しかし彼の頭脳はその風貌とは正反対だった。

幼少の頃から名門ハロー校で教育を受け、卓越した弁舌、文筆力を備えていた。



・1940年5月10日、ドイツが快進撃を続ける中、チャーチルは首相に就任した。

6月18日、彼は議会で演説した。

「われわれは各自奮励して義務を遂行しようではないか。

そして、大英帝国がなお千年続くものならば、その時、人々はこう言うであろう。

『これが彼らの最良の時であった』と」


まだ見ぬ大英帝国の子孫が今の自分たちの戦いを見ている。

このチャーチルの言葉に、意気消沈した国民は奮い立ったのだった。



・英国政府は、天皇を中心に皇族のファイルを積み上げていった。

その対象は、皇族各員の性格、政治的コネクション、GHQの評価など多岐に渡った。

これらの情報はバッキンガム宮殿の秘書を通じ、英国王にも回覧された。

日本の天皇家が敗戦の試練をどう生き延びるか、彼らも見守っていたのだった。



・ある意味で、白洲次郎とは、

占領期に出現した国際的ブローカーだったといえる。

彼の人脈、性格、語学力が時代のニーズと見事に一致したのだった。



・現在、日本では「GHQに抵抗した唯一の日本人」「ダンディズムを極めた男」

などといった白洲のイメージが広がっている。

彼をナショナリズムの象徴として扱う向きすらある。

だが、彼の友人や英外交文書を通じて浮かび上がる白洲像はそれとは大きく異なっていた。

それは不幸な戦争で傷つき、英国との絆を必死に取り戻そうとした人間の姿だった。



★コメント

英国情報システムの遠大さを改めて知ることができる。

長期的に、物事を見ることの大切さを確認した。