◆鈴木洋嗣『文藝春秋と政権構想』を読み解く



★要旨



・雑誌で政治に関わる取材を始めて今年で40年となる。



・1985年2月7日午前7時、

平河町の砂防会館別館前。

寒さに震えながら

木綿のトレンチコートの襟を立てて張り込んでいた。



・この日は、親分である田中角栄から袂をわかって、

竹下登を担ぎ上げる「創政会」の旗揚げの日だった。



・田中角栄に反旗を翻すというのは、文字通り命懸け。

政治生命をかけた闘いになる。



・最後に竹下登がクルマを降りてくるところは、

運良く絶好の位置にいた。

顔面蒼白とは、こういう人のことを言うのだな、

あの表情はいまも忘れられない。 



・結局、田中派121人のうち、竹下についたのは40人だった。



・当時、永田町において週刊誌記者の地位は低く、

政治家にはまったくと言っていいほど相手にされない。

国会議員に面会のアポを取るのも一苦労であった。



・はじめは、

各メディアの「出来る記者」にお教えを乞うてネタをもらってくるわけである。

恥ずかしいといえば恥ずかしい。

特にNHKの記者はせっかくの特ダネも立場上、書けないことが多い。

「ウチでは出来ないから」と取材メモを丸ごとポンともらったことも一度や二度ではない。



・わたしのキャリアにおいて

いちばんの強烈な記憶は、2012年、安倍晋三第二次政権が打ち出す

「アベノミクス」の基本的な設計に関わり、

月刊「文藝春秋」に安倍の政権構想を掲載したことだ。



・雑誌記者は、

「自ら名乗れば政治記者になれる」と書いたが、

実は「経済記者」にも「社会部記者」「スポーツ記者」

「文化部記者」「芸能記者」にもなれる。



・永田町を長く取材していて気づいたことがある。

大手メディアの政治記者は政局しか取材しないことだ。



・彼らの関心事は、

第一に人事であり派閥の動き、

第二に選挙、

三番目は国会の動向、

予算の中身、そして、外交、政党間の離合集散と続く。



・不思議なことに、政治記者たちは政策、

とくに経済・金融政策についてあまり興味を持っていない。

そもそも取材対象になっていない。



・国民生活にとってダイレクトに重要な経済対策は、

メディアのセクショナリズムの狭間に落ち込む形となっている。

このビルの谷間に気づいた時、

この狭間の空間こそが

雑誌ジャーナリズムの出番なのではないかと考えた。



★コメント

斬新な切り口の本である。

政治と記者の関係において、

新しい視点ができた。