◆大塚将司『スクープ。記者と企業の攻防戦』を読み解く




★要旨


・ドラマ「刑事コロンボ」が好きだ。
私は、1975年に新聞記者になった。
それから、30年近く経った。
今、私は「新聞記者は刑事コロンボのようでなければならない」
と思っている。


・「刑事コロンボ」で起きる殺人事件は物的証拠がないことが多い。
コロンボはそれを状況証拠の積み重ねで、
目星をつけた犯人を追い詰めていく。
物的証拠があれば、犯人を自白に追い込むのは簡単である。
状況証拠だけで、自白に追い込むのは至難の業である。
それをやってしまうのがコロンボである。


・「新聞記者はこれだ。この手法だ」
ドラマを何本かみているうちに、
私ははたと思ったのである。


・新聞記者は人に会って話を聞いて記事を書く。
もちろん、秘密の文書を入手して、
それを基に記事を書くこともあるにはある。
いってみれば物的証拠である。
しかし、それはそう多くはなく、
やはり話を聞いて記事を書くのが基本である。


・取材相手が誰にでも喋る話を聞いてもスクープにはならない。
秘密の話を聞かなければ意味がない。
しかし、秘密の話を聞けることはめったにない。
あるとしても、大抵、
「OKを出すまで記事にするな」
といった条件が付けられる。


・こうした条件を付けられずにスクープをものにするには、
コロンボのように状況証拠を積み重ねて、
取材相手に秘密を白状させる他はない。


・スクープ取材を成功させるための条件とは何か。
コロンボがドラマの背後で積み重ねたはずの
自己研鑽をすることであり、
それが成功への第一歩である。


・わたしは入社して1年して、
精密機器業界を担当することになった。
わたしは企業の業績を調べるため、
第一勧銀の丸の内支店にアポなしで訪ねた。
それがきっかけで、
「無頼派」支店長の深津健一氏から「課外授業」が始まった。


・深津支店長は、
支店長室でわたしと話をしながら、こう言った。
「おまえは新米だな。よし教育してやろう。
時間はあるんだな。そうか。隣に行こう」

こういいながら、若手行員数名を引き連れ、
となりのレストランバーに行った。


・深津支店長は、
「君な、企業業績や財務を取材するなら、
まず財務諸表が読めなきゃな。
それから財務分析もできなきゃ駄目だぞ」
と言うなり、やおら講義を始めたのだ。


・「在庫が増えたら要注意だ」とか
「支払手形と受取手形がどうなっているか。時系列でみろ」
「割引手形が増えているのか、増えていないか」など、
バランスシートの読み方を延々と説明していく。
時が経つにつれ酔いが回ったのか、
支店長のベランメー調に拍車がかかった。


・「企業取材の勉強は、銀行の融資担当者の仕事と同じだ」


・翌日の土曜日、深津さんは、
黒田精工、東京精密両社の決算数字を使った資料を基に
説明してくれたので、
私のような新米記者にもよくわかる説明だった。


・30分ほどで、説明が終わると、
深津支店長は私に向かって、
「君、企業の取材するなら、こういう分析を自分でやれなきゃ駄目だぞ。
勉強しなきゃ。
銀行の融資担当者と同じなんだ」
私が頷くと、
「よし、じゃ、隣に行こう」
と言って、立ち上がった。


・昨日と同じメンバーで、水割りを飲みながら、
深津支店長の説教を2時間ほど聞かされた。
彼は別れ際に、
「これからも来い。
わからないことがあればいくらでも教えてやる。
来るんなら土曜日だ。
それも午後1時過ぎに来い。いいな」


・当時は土曜日も取材ができたが、
相手の企業も半ドンで、
午後は記者クラブでぶらぶらしていることが多かったから、
「土曜日の午後に来い」
という深津支店長の言葉はありがたかった。


・私にとって深津健一支店長は
経済記者としての基本を教えてくれた、
一生忘れられない存在である。
30年近く経った今でも、その風貌は脳裡に甦る。
ポマードできれいに固めた頭、浅黒いが端正な顔立ち、
部下を叱咤するバリトンの声。
丸の内支店の「隣」の薄暗いレストランバーの中で
水割りを飲みながら、説教する姿が今も思い浮かぶ。


・コロンボ警部のような経済記者になるには、
企業会計の知識は必要条件だ。
ただこの知識はイロハのイにすぎないのである。
他には、
財政や税制、金融政策、国際金融などの知識も当然必要だ。
そして大事なのが過去の経済事件などについての知識である。


・スクープをものにするには、
まず、基礎知識をしっかり身につけ、
できる限りの情報を集める。
次に、特定の情報にこだわらず、
大局観を常にもって取材しないといけない。
そして、自分なりのニュースの絵を描き、
その絵を念頭において、粘り強く取材する。
そうすればスクープは手の届くところに来る。




★コメント
記者たちの舞台裏が見えておもしろい。
どういった取材方法をやっているか。
別の業界にもそのノウハウは使える。



 

 



 

 




◆浜田聡『日本自由党宣言』を読み解く


★要旨


・私は、新たな政党、日本自由党を設立いたします。
この党は、個人の自由を尊重し、国家の過剰な干渉を最小限に抑え、
真の民主主義を実現するためのプラットフォームです。


・「勝った戦争」に関する談話、
つまり日露戦争の談話をしっかりと国として出して
国民と一緒に共有していくべきだと考えております。


・立党宣言を日露戦争の戦勝記念日に出したというのは
「誇れる日本を、自由とともに」という日本自由党のスローガンにもつながります。


・私は、勝利の歴史をどう語るかもまた、
国家の自信や誇りを形づくるうえで重要だと考えています。


・日本自由党のスローガンは、
「誇れる日本を、自由とともに」

サブスローガンは、
「『減税』で強い日本を取り戻す」
です。


・最重視する事務事業評価表 。
少し細かい話になりますが、地方自治体の政治でとても重要なのが、
役所のお金の使い道をどうチェックするかということです。
その判断材料として「事務事業評価表」というものがあります。


・「事務事業評価表」は、
政治家や役所だけでなく、
市民が一緒になって税金の流れを見つめ直す大切な設計図です。
その視点が広がれば、地方政治はもっと健全になります。


・透明性の確保が、
結果的に
「減税を可能にする政治」の基礎になります。
つまり、行政の合理化と税の合理化は表裏一体なのです。


・政治家が支出を監視し、
無駄を削れば、その分だけ国民の自由を取り戻すことができます。


・先の大戦を「大東亜戦争」と呼ぶべきだと考えます。
同時に、
情報戦敗北という痛烈な反省を忘れてはなりません。
尾崎秀実やリヒャルト・ゾルゲらのスパイ工作は、対内防諜、機密管理、
意思決定過程の保全に穴があったことを白日の下にさらしました。


・他方で、日本は戦前から情報・心理の領域で成果を上げた側面も確かに有していました。


・日露戦争期の明石元二郎は欧州各地で対露攪乱・宣伝・資金工作を展開し、
藤原岩市はいわゆる「光機関」を通じてインド独立運動と連携し、
帝国支配の心理的土台に揺さぶりをかけました。
陸軍中野学校は、
語学・偽装・宣撫・交渉を統合した実務教育で人材を育てました。


★コメント
浜田さんの精度の高い政策と、

情勢認識に学びたい。


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◆太田文雄『同盟国としての米国』を読み解く


★要旨


・いかなる同盟も冷厳なギブ・アンド・テイクによって成り立っている。


・日本が米国に頼っているのは、日本が保有していない核抑止力、
弾道ミサイル・戦略爆撃能力・空母打撃力といった攻撃力、
グローバルなインテリジェンス能力、F-15やイージス・システムといった軍事技術、
海上交通路の防護能力、そして食糧やそれを育てるのに必要な事実上の水資源などが挙げられる。


・これに対して日本が米国に与えているのは戦略的な位置における基地と、
それを支援するホスト・ネーション・サポートということになる。


・日米同盟は米国から見ても死活的。
米軍基地が日本にあるということで米国側の兵力展開・振りまわしが容易となる。


・日本人は米国にとって在日米軍基地の大切さを気づいていない。
米軍は、彼らが西太平洋からアフリカまでに至る地域にアクセスし、
影響力を行使できるのは日米同盟のお陰であることをよく知っている。


・在日米軍基地の軍事的重要性。
米軍にとっての沖縄は、第二次世界大戦で、多大な犠牲を払って獲得したときから、
その戦略的重要性はあまり変わっていない。


・ナイ・レポートでは、アメリカのプレゼンスは「酸素」のようなもの、
即ち「普段はその存在を忘れがちだが、なくなった途端に不可欠な存在であることに気づく」
という論理を使用していた。


・日本の後方支援能力も馬鹿にならない。
米国以外で唯一米空母を事実上の母港としているのは日本の横須賀以外にはない。
それは横須賀海軍基地艦艇修理施設に働く日本人従業員の高い修理・技術能力とインフラがあるからだ。


・同盟関係の底辺の絆を支えるのはインテリジェンス関係。
今日の英米同盟関係は第一次大戦時代からの英米インテリジェンス関係が基礎にあるといっても過言ではない。



・当然、今日の日米関係もインテリジェンスのギブ・アンド・テイクの関係が基礎となっている。
即ち米国は東アジアの地域特性に根ざす日本の分析能力をあてにしている。
日本はグローバルな米国のインテリジェンス能力に頼っている。


・国境を越えた脅威に対して最も威力を発揮するのは、
「孫子」の時代から「必ず人に取りて敵の情を知る」とされる人的情報だ。


・1999年のアメリカの国家安全保障戦略(NSS)では、
「死活的国益」を「国家の生存、安全、活力にとって極めて重要な国益」と定義している。

具体的には、

1.米国及び同盟国の領土保全、

2.米国民の安全、

3.米国の経済的繁栄、

4.重要インフラ(エネルギー、通信、輸送、銀行など)の防護、

とされる。


・また次のランクの「重要な国益」とは、
「国家の生存には影響しないが、国家および世界の幸福に影響を与える国益」
と定義している。

具体的には、

1.地域紛争の終結と平和の回復、

2.大規模な難民流出阻止、

3.大規模な環境破壊からの平和の回復、

とされる。


・同盟は「生き物」だ。
文書上の条約があるからといって安閑とし、ギブすべきことを極力減らそうとしてテイクだけを求めていたら、
時が経つにつれ互いの信頼関係を失って崩壊してしまうことは歴史が証明している。


★コメント
あらためて同盟の意義を考えてみるとなるほどと思う。
新聞では、首脳が日米同盟の確認をした、と報道されるが、
突っ込んで見てみる人は少ないのではないだろうか。
今後も、いろいろ調べたい。


 

 



 

 




 

 



 

 





◆太田文雄『日本人は戦略・情報に疎いのか』を読む



太田文雄氏は、旧・防衛庁時代の情報本部長経験者。
昭和45年・防衛大学校卒業の海上自衛隊出身。
退官時は、海将。

アメリカ海軍士官学校教官、ゆうぐも艦長、スタンフォード大学客員研究員、
アメリカ国防大学・修士号取得。
護衛隊司令、ジョンズ・ホプキンズ大学高等国際問題研究大学院卒業、
在アメリカ日本大使館・駐在武官など情報畑が長い。


★要旨


・最近とみに増している我が国周辺の安全保障環境の厳しさからか、
近頃「情報」とか「戦略」といった言葉が人々の口に上ることが多くなってきた。
その言葉が出るたびに、日本人は情報戦で敗北した先の大戦の教訓をなぜ生かせないのだろうか、
また、どうしてこう日本人は戦略的発想に乏しいのだろうか、
といった嘆きとも諦めともつかないような溜息が聞こえてくる。


・実は、私もかつては、そう考えた一人であった。
しかし日本の歴史を調べ、我々の祖先が行ってきた足跡を辿ってみると、
必ずしもそうとはいえないのではないか、という気持ちになって書いたのが本書である。


・戦略や情報の実務に携わる人たちに対しては、
同じ日本人が残した見事な戦略・情報眼の足跡を追体験することにより、
自己の能力を高めることに繋げてほしいと願っています。


・私は1993年から94年まで、
首都ワシントンにあるジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究大学院で、
クレピネヴィッチ博士の「ネット・アセスメント」という教科を採っていた。

ネット・アセスメントとは、直訳すると「正味評価」となる。
要するに各国の戦力を比較する際、一般的には戦車、戦闘機、艦艇といった戦闘ユニットを、
豆を数えるようにしてどちらが有利かを評価しがちだが、正味評価をするためには、
「単に戦闘能力だけでなく経済力、産業基盤、人口構成ピラミット、戦略文化、
作戦構想、非対称性などを総合的に比較しなければ正確な評価とならない」とするものだ。


・日本人は先天的に戦略的思考に乏しいのか、
それとも教育のような後天的な要因によって乏しくなっているのか?
日米の特に高級幹部の教育を比較してみると、ある程度の違いが浮き彫りになってくる。


・米国の高級幹部(中佐以上)と日本の自衛隊の高級幹部を比較すると決定的な違いは、
彼らの約9割が中佐くらいまでには修士以上の課程を修了しており、
しかも国家安全保障論とか国際関係論といった文系の専攻科目が多いことに気づかされる。
日本の場合、逆に9割が修士号を保持しておらず、
またわずかに修士号を持っている幹部のほとんどが理工系だ。


・私はアメリカ国防総合大学の学生でもあったが、
そこのカリキュラムを見ると戦略と名のつく科目が多く、
戦略的な思考の育成を重視しているかがわかる。
すなわち、戦略的意思決定プロセス、国際システムと大戦略、変化の大戦略、
将来の大戦略、戦略と資源演習など、一貫して戦略的思考を身につけるといった方針に徹していた。


・私が習った教務においても、例えば戦略的意思決定では、
ペロポネソス戦争や南北戦争といった場面に自らを置いて、
当時の状況から、国益は何か、相互に採った戦略はどうか、
その戦略が妥当であったか、といったことを考察していった。
この過程の中で細かい戦術的な戦闘戦史はあまりふれない。


・国防大学の過去の統計によれば、最も戦略的な発想ができるタイプは、
「空想家タイプ」であり、次いで「概念家タイプ」と続いている。


・「情報」はネットワーク化されることによって価値が出てくる。
日本人は昔から、各個の事物よりも、それらを繋げることによって、
より高い価値を生み出すことを知っていた。
それが日本語の「みち」や「むすぶ」という言葉に表れている。


・古事記に見られる「情報と戦略」について。
古代日本、すなわち、我々日本人の祖先が展開した情報と戦略について、
その古きを温めることで、現代の我々が新しきを知り、
その実相を詳らかにして現代の我々の情報センス、戦略センスに磨きをかける礎にしたいと思う。


・古代日本における国家戦略、安全保障、国際政治、地政学、外務・内務問題、
直接侵略、間接侵略、情報、諜報などのキーワードに満ちている事象・事跡を、
抽象的に言語化したものが『古事記』だ。


・『古事記』に記されている日本神話とは、本来、荒唐無稽なものではない。
その本質を観察するに、政治、戦略面の記述がシンボル化されていることが判明する。


・古事記に現れている戦略思想を総括すると、そこにはまず「いざなひ」すなわち武力を行使せずに、
相手を自発的かつ心理的に魅了させるという最高の目標理念が打ち立てられえる。


・楠公戦史を今なぜ振り返ってみる必要性があるのでしょうか。
寝返りがたくさんあった南北朝時代において、楠正成だけは徹頭徹尾、忠誠の対象を変えていない。
現代も欲と権力に目を奪われて変節する政治家が多い中で、
天下の大勢を洞察する戦略・情報眼を持ちながら、
名利栄達・私利私欲を求める道を選ばずに奉公の誠を尽くし、
一途に信念を貫く楠公のような生き方を偲んでみる価値はあると思う。


・国家に関していえば、日本は素晴らしい歴史と文化を持っているのに、
残念ながら、それを自覚していない国民が多いのではないでしょうか。
「国の歴史と文化をより深く理解する」ことによって日本の素晴らしさを認識し、
それが自分の国を正すということにつながっていると思っている。


・己を治めずして、ただ勝つだけのために邪道に走るやり方では、
一時的に勝利を収めることができても、長期的に見ると、
自分が使った邪道が自らに跳ね返って亡ばされるということは人類の長い歴史が示している。


・孫子における「彼を知る」という作業をするに当たって最も大切なことは、
当たり前のようですが、自分の国、祖国・日本のためには今どのような情報が大切か、
またどのような情報を漏らすと祖国・日本のためにならないか、という原点だ。
この祖国に対する忠誠心なくしてまともなインテリジェンス活動はありえない。


・孫子の「応変」、つまり変化に応じていく柔軟な創造力は、
私の体験から言えば「古典や短歌を通じて育まれる豊かな感性」から発達していく。


・人類数千年の歴史によって審判を下された立派な人物は、
決して高位高官についたり、巨万の富を築いたり、有名人であった人ではなく、
世のため人のため祖国のために己を捧げた人をいうのだと思う。


・日本の帝国陸海軍約70年間の中で、最大の戦略家は誰か。
人によって意見がことなるだろうが、私はあえて秋山真之提督を挙げたい。
その理由は、提督の素直な正しい思考法から発せられた優れた戦略的思考が、
古今東西一貫して変わらない兵理を含んでいるとともに、
この複雑怪奇な様相を呈する現代においても妥当性を持っていると思う。


・秋山真之は、純潔無私の愛国の士であり、恐ろしいほどの勉強家であり、
そして強烈な生命力と個性を持っていた。
彼は大尉のとき、約2年間アメリカに留学して戦略を研究したものの、
最も愛読したのは日本古来の兵法、とくに甲越軍学や海賊戦法、
そして山鹿流軍書であり、孫呉の兵法であった。


★コメント
岡村誠之・元陸軍大佐は、戦略の真髄はどこにあるかと、
諸外国を捜し求めてみたけれども見つからず、
家に帰ってみて自分の目の前にあることを再発見した、との趣旨のことを述べている。
太田氏は岡村氏から日本の古戦史を学んでいる。
いま一度、みずからの足元を学びなおしてみたい。


 

 



 

 




 

 



 

 







◆小谷賢『日本インテリジェンス史』を読み解く


副題→「旧日本軍から公安、内調、NSCまで」


★要旨


・A4用紙1枚の分析ペーパー。


・日本のインテリジェンス・コミュニティの弱さは、
分析能力にあると指摘できる。


・分析とは、多くのデータや資料を読み込み、
それを簡潔な報告書に落とし込む作業である。


・資料を読んでそれをまとめるのは、
アカデミアの技術でもあるため、少なくとも分析を行うなら、
国内外の大学院で教育を受けた者が望ましい。
分析に特化したキャリアパスを設ける、
というのが理想的である。



・分析官の求められる報告書は、アカデミアのそれとは異なり、
多忙な政策部局の担当者や政治家が、すぐに目を通せるように、
できる限り簡潔な内容でなければならない。


・筆者は、情報分析で定評のある英国合同情報委員会の
分析スタッフから実務の様子を伺ったことがあるが、
数週間で膨大な資料や情報に目を通し、
最後は、A4用紙1枚のペーパーにまとめるという。



・警察や公安調査庁も国内でターゲットを定めた情報収集には
長けているが、それが国際テロリズムや経済安全保障の分野となると
途端に難しくなるのは、やはり分析業務に精通していないためだろう。


・旧陸海軍のインテリジェンス。


・日本は敗戦を迎え、その後予想された通り、
進駐軍による日本軍のインテリジェンス能力に関する調査が始まった。


・最初に調査対象となったのは、
参謀本部情報部情報長を務めた、
有末精三・元陸軍中将であった。


・じつは有末は第二部長の任にあった1945年6月から7月にかけて、
米軍の占領を見越した上で、
重要な文書を個人で秘匿していたようである。


・GHQは、日本軍のインテリジェンス能力を
それなりに評価していた。


・1949年の9月ごろから日本国内で、
適性国、ならびに共産主義勢力に対する情報収集活動、
いわゆる「竹松工作」が計画され、
有末と河辺がその責任者となる。


・1949年後半から竹松工作は実施され、
有末と河辺は朝鮮半島からインド・パキスタンに至る、
広大な情報網を作り上げた。


・戦前には外務省情報部内に
海外のラジオ放送を受信するラヂオ室が置かれた。

1946年1月に外務省から切り離され、
外務省の外郭団体「ラヂオプレス」として独立している。



・ラヂオプレスの活動はあくまでも
放送された情報を受信し、それを翻訳するものである。

ラヂオプレスの強みは、
毎日、膨大な量のニュースを日本語に翻訳し続けられる能力にあり、
これは現在まで脈々と受け継がれている。



・本書は戦後日本のインテリジェンス・コミュニティの変遷を、
終戦直後から現在まで辿って考察していくものである。


・インテリジェンスは国家の政策や軍事作戦を左右し、
それらの在り方に影響を与える。


・内閣情報官や国家安全保障局長を務めた北村滋は、
「インテリジェンスほど、国家作用に激烈な影響を及ぼすものはない。
なぜならば一片の紙切れに記載された情報が、
重大な国策の決定を左右し、
それに基づき大規模な部隊の運用や行政の執行がなされるからである」


・各国でその規模や構成組織は様々であり、
米国のように18もの情報組織がコミュニティを形成しているようなところもあれば、
イスラエルのようにわずか四つの場合もある。



・基本的に国外で情報収集にあたる対外情報組織、
国内の情報保全を任務とする保安組織、
軍事情報に特化した軍事情報組織というのは大抵の国に存在している。


・2003年にはイラクの大量破壊兵器に関する誤った情報によって、
米英を始めとする有志連合国はイラクに宣戦布告を行い、

2013年には秘密裏に得たインテリジェンスに基づいて、
英国政府はシリアへの空爆を決定した


・インテリジェンスとは情報のことを意味するが、
どちらかというと機密や諜報の語感に近い。


・つまりただの情報(インフォメーション)ではなく、
分析・評価された、
国家の政策決定や危機管理のための情報こそがインテリジェンスということになる。


★コメント
日本の情報組織について、
全体を把握できる貴重な一冊である。


 

 



 

 



◆北野幸伯さんメソッドで「イラン攻撃理由」を分析します。



★はじめに


・2026年2月28日からアメリカとイスラエルによる、
イラン攻撃から2週間近くたちました。

さまざまな専門家が、いろいろな見解を出しています。
同時に、この件に関する膨大なニュースが発信されており、
情報処理できな状況にあります。


・そこで、この問題を独自に考える上で、
いま一度、北野幸伯さんが過去に出されている、
たくさんの国際情勢の本を読み返しています。
そのなかから、北野さんの物の見方や、情報分析の手法を参考にして、
勝手に(笑)、「北野メソッド」を名づけて、
その手法でイラン問題の応用分析をしてみました。


★イラン攻撃理由の1つの仮説。
「対中国戦略の一環」と「ペトロ人民元の策謀」か。


・ここ最近、さまざまな新聞をチェックしていると、
興味深い記事をいくつか、見つけました。
↓↓

・トランプ政権によるイラン攻撃は、
対中国戦略の一環だとの見方が広がる。
(略)
2026年に入って行動に出たベネズエラ、イラン、キューバは
いずれも反米親中国家だ。
(日経、03・13)


・イラン攻撃は、共産主義・中国に対抗する、
トランプの世界戦略を強力に推し進めるためのものだ。
(マイケル・ウォーラー)


・政権に近い軍事専門家は、
トランプ政権の一連の要衝確保は
中国と「戦わずして勝つ」ための戦略だと唱える。
(日経、03・13)


・米国・イスラエルとイランの交戦が始まる少し前、
中国の習近平政権によるペルシャ湾岸向けの策謀が
ひそかに動き出していた。
それは「ペトロ人民元」と呼ばれる石油決済通貨の人民元化であり、
「ペトロダラー」こと基軸通貨ドル体制の切り崩しである。


石油とドルは不離の関係にある。
ドル相場は1971年8月に金との交換を停止して以来、
不安定だったが、石油との結合のおかげで基軸の座を堅持できた。


そのドル体制に刃向うのが、
習氏とロシアのプーチン大統領だ。


人民元決済拡大の総仕上げに位置づけるのが、
中東産油国の籠絡によるペトロ元の確立だ。
石油の元建て取引を公式に受け入れているのは
ペルシャ湾岸諸国では、まだイランに限られている。


トランプ氏はこれまでも産油国などの脱ドルの動きを
牽制する発言を繰り返してきた。



これらのネタを総合すると、

・中国とイランが「ペトロダラー」という
基軸通貨ドル体制の切り崩しに動いている。

・トランプ政権が、一つずつ中国と仲の良い国を
潰していく戦略を持っている。

・これらがイラン攻撃に踏み切った理由の一つだと
仮説を立てることができます。
腑に落ちる感じがします。




あれ?これ、どこかで聞いたことありませんか?
デジャヴ?

・北野さんの本を多く熟読されている方は、
ピンときたのではないでしょうか。


・そう、2003年のイラク戦争においても、
アメリカの開戦理由は、
イラクが石油のドル決済をやめようとさしたからだと、
北野さんが詳細に分析されています。


★北野さんの記述メモ。
過去の書籍より。


・ドルが基軸通貨であることは、
世界支配の武器である。
中国は、アメリカに勝つために、
「ドル体制崩壊」を狙っている。
つまり、人民元の国際化である。
(北野幸伯『世界の未来を予測する技術』)


・アメリカの行動原理はたった二つ。
基軸通貨ドルの防衛とエネルギー資源の確保なり。
外交における政治判断は基本的にこの二つに集約される。


ドル基軸の崩壊の可能性あり。


イラク戦争など、
過去もそしてこれからも石油を巡って争いが起きる。
ドルが基軸通貨ではなくなったら、アメリカは没落する。
(北野さん『中国・ロシア同盟がアメリカを滅ぼす日』)


・イラク戦争の真因は、
「ドル基軸通貨体制を守ること」
「イラクの石油利権を確保すること」の二つです。


ウィリアム・クラーク氏は、
イラク戦争の原因について以下のように書いています。 〈今回の戦争の目的は、イラクの炭化水素鉱床(油田と天然ガス田)を掌握し、
そうして、死活問題に関わる国際石油市場でドルのみが使用される状態を維持することにあった。
すなわちドルが世界の準備通貨(基軸通貨)
であり続けるための戦争だったのだ。〉
クラーク氏は、「イラク戦争=ドル防衛戦争」であると断じています。
(北野さん『黒化する世界』)


★結び
以上のことにより、
トランプ政権の戦略家たちや、アメリカの超党派での戦略集団でのなかでは、
「親中国の国々を一つずつ、削ぎ落として、中国の力を弱める」
「基軸通貨ドルを守る」
ということは、共通認識があるようですね。
そしてこの二つは連動しているようです。
今後も世界情勢の動きを定点観測していきたいと思います。


 

 



 

 




◆桑原晃弥『ウォーレン・バフェット。成功の名語録』を読み解く


★要旨


・ウォーレン・バフェットは
世界ナンバーワンの投資家であり、世界有数の富豪であり、
また、大成功を収めた投資会社バークシャー・ハザウェイの経営者である。


・ネブラスカ州オマハに隠れ住むように身を置き、質素な生活の中で思索にふける。
ウォール街的な強欲とは一線を画し、
顧客や投資先企業と共に豊かになろうと行動する。


・トヨタ生産方式の普及に長年携わってきたが、
ある時バフェットを知り、言っていることのあまりの類似性に驚いた。


・「自分の頭で考えろ」
「当たり前のことを続ける」
「何かあったらラインを止める」
といった生産現場のセオリーと同じことが、投資の世界でも言われているとは思わなかった。


・歴史書が成功へのカギだと言うのなら、
フォーブス400社はすべて図書館司書で占められていることになってしまいます。
(バフェット)


・バフェットは毎年、
たくさんの決算書や年次報告書に目を通すが、
それは過去の業績がどれほどすばらしいかを知るためではない。
将来にどれだけの収益を上げるか、計画を達成する力があるかを見るためだ。


・は猛烈な読書家として知られている。
並みのレベルではない。
10歳の時には、オマハ図書館にある本で、
「金融」という言葉がタイトルに入っているものは全部を読んでいたという。
関心のある本すべてを、繰り返し読む。
それがバフェットの読書術だった。


・この習慣は大学、大学院と進んでからも続き、
株式や投資に関する本は、ものによっては著者以上に内容を熟知していた。


・競馬に魅せられ、
競馬場で予想紙を発行していた頃は、下院議員の父ハワードに頼んで、
議会図書館から勝ち馬予想に関する本を何百冊も借りてもらい、
繰り返し読んでいる。


・また、読む対象は、本だけとは限らない。
おびただしい財務諸表を熱心に読むし、古い新聞を熟読して時代感覚を養ったこともある。


・ 「読む」ことがバフェットの情報量を支えている。


★コメント
バフェットから学ぶことは、多い。
常に謙虚でありたい。


 

 



 

 


◆飯田美樹『インフォーマル・パブリック・ライフ』を読む


★サブタイトル
→「人が惹かれる街のルール」


★要旨


・「インフォーマル・パブリック・ライフ」を
ひとことで表すと、
気楽に行けて、
予期せぬ誰かや何かに出会えるかもしれない、
あたたかみのある場所である。


・そして私は、これを研究しようと心に決めた。


・私は、世界で一番美しいといわれる、
ベネチアのサンマルコ広場を訪れた。
それは子どもを産んでから
8年目にして初めて手にした、
たった二日間のバカンスだった。


・サンマルコ広場には3軒のカフェが
テラスを張り出して、
朝から晩まで楽団による生演奏が繰り広げられていた。
カプチーノを注文し、
生演奏を聴きながら、広場を眺めていた喜びは、
忘れられないものとなった。


・何がこの広場の魅力を形作っているのかを考えてみると、
この美しい広場から生演奏のある3軒のカフェを
取り除いてしまったら、
実は、ほとんど何も残らないと気付いた。


・インフォーマル・パブリック・ライフを
生み出すには、
長年私が研究してきたカフェという場が、
大きな役割を果たしているのではないか、
と気づき、ようやく「カフェ文化」と
「インフォーマル・パブリック・ライフ」
という2つの研究がつながった。


・インフォーマル・パブリック・ライフを
特徴づけるのは、
次の5つの点である。

1、朝から夜までどんな時間でも人がいる。

2、誰にでも開かれており、
そこでゆっくりすることが許される。

3、あたたかい雰囲気があり、
一人でも、誰かと一緒にいるような安心感がある。


・カフェセラピー。
たとえば、ある問題を抱えたままカフェに行き、
出会った誰かと会話していると、
店を出るころには、その問題が
問題でなくなっているという魔法のようなことが起こる。


・そう思えるのは、
自分の思考がその問題から一時的に離れることで、
それを問題視し続けなくなり、
頭の中を占めていた問題の割合が、
小さくなるだけでなく、
実際には、世界はそれだけではない、
と分かるからである。


・イタリアやフランスのカフェにおいて、
カウンターでの会話は
主人から話をふられた客同士のものとなりやすく、
客たちは自然と知人となっていく。


・往々にして、
「ゆらぎ」を起こしてくれるのは、
人との出会いと深い会話である。


★コメント
やはり、カフェは良い。

何かの変化を与えてくれる。



 

 




 

 

 

 


◆磯田道史『豊臣兄弟。天下を獲った処世術』を読み解く


★要旨


・誤字を厭わず「即レス」を貫く実務力

・永禄年間には、秀吉は細々とした事務を精力的にこなし、
あちこちに手紙を書いているのですが、秀吉の手紙には誤字、当て字が多い。


・権威ある醍醐寺の「醍(だい)」がわからぬ書記には「大」と書かせて、素早く書状を出すのです。
大納言でさえ「大なんこ」と秀吉は書いています。


・秀吉は形式にこだわりません。
スピードにはこだわりました。
漢字は書きたがらず、ひらがなが早く書けるので好きでした。


・秀長が織田家に仕えるようになった時期は、
まさに織田家の高度成長期だったと考えられます。


・秀長が厚遇されていたと考えられる理由は、その名乗りです。
実は秀長は、はじめ長秀と名乗っているのです。


・この「長秀」が非常に重要なのです。
というのも、織田家において、信長の「長」を勝手に名乗ることはできません。
信長が小一郎に「長」の一字を使うことを許したと考えるのが自然です。


・いつ長秀は秀長となったのか。
これも非常に面白い。時は下って1584年9月、小牧・長久手の戦いの最中なのです。

 
・よく知られるように、この戦いは秀吉と、
徳川家康と信長の次男である織田信雄の連合軍との戦いでしたが、ここで初めて「美濃守 秀長」と署名しています。

 
・この改名には秀吉の明確な意向が込められていると思います。
織田家由来の「長」と羽柴家の「秀」を入れ替える。


・それによって、「もう俺たち(羽柴家)は織田家の下には立たないぞ」と宣言した、とも考えられるのです。

 
・翌年、秀吉は従一位(じゅいちい)関白になって信長の官位をこえました。
信長は正二位(しょうにい)右大臣です。

 
・このように、秀吉の政治発想力はすごい。
信長より上だと、弟の名前を変えて天下に広告したのです。

 
・天下の武将たちが、秀吉と家康・信雄のどっちが勝つのか注目しているときに、これをやりました。
実際、天正12年の11月に織田信雄から和睦を求め、家康とも和議を成立させて、小牧・長久手の戦いは終わります。


★コメント
豊臣兄弟から学ぶことは多い。
仕事力をアップさせたい。


 

 



 



◆小林恭子『英国公文書の世界史。一次資料の宝石箱』を読む


★要旨


・中世から現代までの
千年にわたる膨大な歴史資料を網羅する、
英国国立公文書館。


・ここには、米国独立宣言のポスター、
シェイクスピアの遺言書、
欧州分割を決定づけたチャーチルの手書きメモから、
ビートルズの来日報告書まで、
幅広い分野の一次資料が保管されている。


・この宝石箱に潜む財宝たちは、
圧巻の存在感で私たちを惹きつけ、
歴史の世界へといざなう。


・三輪教授は、
日英の公文書館の職員数の圧倒的な差が、
「外交力や諜報能力の格差に直結している」
と指摘する。


・ドナルド・マクレーンは、
英国外務省に勤めていたが実はソ連のスパイで、
のちに「ケンブリッジ・ファイブ」
と呼ばれるスパイ5人組の一人だった。


・彼ら全員が、
1930年代、ケンブリッジ大学で学んでいたから、
そう呼ばれている。
英公文書館には、5人についての大量の資料が
保管されている。


・あるとき、英国内に内通者が多数いるとのことになり、
スパイの身元を探り出す仕事は、
キム・フィルビーに回ってきた。
駐アメリカ英大使館の一等書記官だった、
フィルビーの本当の仕事は、MI6の対ソ諜報の責任者だった。
その一方、
フィルビーは、1930年代からソ連のスパイだった。


・ケンブリッジ・ファイブは、
20年以上にわたり、英国の外交・国防に関わる、
大量の機密書類をソ連に流した。


・冷戦では、二重スパイが暗躍したが、
諜報活動を担う部署の幹部自身が、外国のスパイだった、
という事実は、英国の政治家・情報機関にとって
大きな恥となったことは、間違いない。


★コメント
諜報の分野は、他国の状況や自国の歴史などから

真摯に学ぶ必要がある。