◆蔵前勝久『自民党の魔力。権力と執念のキメラ』を読む


★要旨


・選挙に強いことが最低条件なり。


・強くなければ自民党に仲間入りできず、
自民党を牛耳ろうと思えば、力をつけなければならない。
そのために党内で切磋琢磨する。


・自民党は戦いに勝って、勝ち続けるために戦う強者たちの集まりである。
「良い悪い」「好き嫌い」は別にして、
自民党は強いのである。


・「自民党とは何か」
この問いに対する私の答えは、
「強者をのみ込むブラックホール」である。


・田舎の地方議員、とりわけ市町村議は地域の代表であり、
「面倒見の良さ」を売りにしている。
そうした議員の大多数は、自民党員であったとしても
無所属議員として活動している。


・自民党の神奈川県議のベテラン秘書は明かす。
「かつては町内会や自治会から、夏祭りや餅つき大会など、
日程の連絡があったが、最近はほとんどなくなった」


・そのベテラン秘書は語る。
「連絡がなくなった今では、自分たちで日程を探るしかない」


・町内会や自治会の行事や冠婚葬祭の日程を調べる専属スタッフを設けている。
「宝の山は、町内会の掲示板」


・自分たちで調べて、呼ばれてもいない夏祭りなどの行事に出向くと、
「なぜ、来るんだ?」
といぶかられるが、それでも行き続けると、
「よく来たなあ」
と歓迎されるようになる。


・民主党系の斎藤は、こう語った。
「震災で思ったのは、自分たちは風だけのイケイケで当選してきたということ。
結局、後援会を作らなかったから、情報を吸い上げる耳がなかった。
これは選挙の時もそうだが、震災という有事のときにも響いた。
国民の声を吸い上げる機能が決定的になかった」


・野間は「与党でないと仕事が出来ない」とは思わない。
新幹線や高速道路のような巨大プロジェクトならば、
与党でなければ難しいが、インフラが一定程度は行き渡った現代ならば、
巨大事業はほとんどない。


・野間の実感として有権者からの陳情で最も多いのは、道路。
それも道路の建設ではなく、壊れた箇所の修繕がほとんど。
河川の修繕をめぐる陳情も多く、
「日常の陳情の8割は、道路と河川のメンテナンスだ」


・陳情を受ける際に心がけているのは、
「ワンストップサービス」。


・地域の道路や河川の陳情をこなすなんて、国会議員のやることか。
国会議員ならば、外交や安全保障、憲法改正、社会保障といった、
大きな課題に取り組むべきではないか、という声も聞く。


・しかし、地域住民の困り事を解決することの積み重ねを無視しては、
選挙で勝てず、外交や安保といった国が直面する課題に取り組むチャンスすら与えられない。
野間を通じて見えてくるのは、そうした現実である。


・立憲民主党の逢坂は「どぶ板」の必要性を何度も強調した。
「どぶ板を徹底させないと、この党は強くならない。
国民に信頼されない。だから地域の課題を、
どんな小さな課題でもいいから具体的なものをこうやって解決をしたんだと。
とにかく、どぶ板に徹することが大事だ」


・ハーバード大学の教授だったイグナティエフは、
故郷カナダの野党・自由党から担ぎ出され、党首となった。
しかし、総選挙で党の議席を半分に減らし、大敗北を喫した。


・イグナティエフは、語る。
「良き政治家は、解説書では学ぶことができないような国に関する知識を身につけるようになる」


「ほとんどの形態の政治的専門知識は、
ローカルな、地元に根差した知識ほど重要ではない」


「地元に根差した知識とは、地元に根差した政治的伝承の詳細な政治的知識、
つまり具体的には、地位のある人や権力ブローカー、市長、
高校のコーチ、警察署長、大企業の雇用主の名前のことであり、
演台ではつねに彼らの名を挙げなければならない」


「偉大な政治家は、ローカルなものに精通していなければならない」


・イグナティエフは、ビル・クリントンの「人たらし」について語る。
ダボス会議の部屋に案内したとき、
「私は、名前と、たんに名前だけでなく、家族の物語全体を覚える、
クリントンの能力に驚嘆した。
その間も彼は握手をしたり、屈んでキスをしたり、
誰かを見つめ返したり、動き回ったりしていた」


・クリントンのような「人たらし」の魅力は、
国会議員であれ、地方議員であれ、日本の自民党議員は、
一定程度は共通して持っている。


・野党の中でも選挙に強い人は、
地元の自民党議員すら困惑させる立憲民主党の安住のように、
「ひとたらし」の力を持っている。


★コメント
選挙に強い政治家というのは、
やはり世界に共通する何かをもっているようだ。
学びたい。


 

 



 

 






◆石川知裕『逆境を乗り越える技術』を読み解く
(佐藤優さんとの共著)

石川さんは、小沢一郎さんの元秘書。
衆議院議員の選挙にて、
落選と当選を繰り返した。
2025年9月、52歳で逝去された。


★要旨


・現在の私は「住所特定・無職」の「政治家」である。


・私はいままさに「逆境のさなか」にいる。


・現職議員でもなく、
会社経営をしているわけでもないため、
安定した収入はない。


・思い起こすと東京地検特捜部に逮捕されたとき、
「もう自分の政治家人生は終わった」
と思った。


・でも不思議なもので、
その後も政治家を続けることができた。
どうしてなのか自分でもよくわからない。


・ただ言えるのは後援者の熱心な応援と
節目節目で作家の佐藤優さんのアドバイスが
私を助けてくれたことだ。


・佐藤優さんは外交官として
インテリジェンスの世界で何度も修羅場を潜り抜け、
一連の鈴木宗男事件において逮捕された。
512日間も東京拘置所に拘留、
有罪判決が確定というたいへんな経験をしている。
いわば「逆境のスペシャリスト」である。


・落ち着いて考えよ。
書くことは大切。


・逆境に陥ったとき、
ノートに何が問題かということを書き出してみることだ。
問題を書き出すと、
意外にその段階で半分くらい解決がつく。


・プライドにしがみつくと破滅する。
プライドは捨てよ。


・私は保釈され、一旦、デンマークに行った。
そして議員辞職してからは
フィリピンに3カ月、英語を学びに行った。
それで随分気持ちの持ちようが変わった。


・逆境に追い込まれたら、
絶対に環境を変える必要がある。


・突然の逆境で孤独になっている人に対して
「連絡を取っちゃいけないんじゃないか」
と思う人が多いようだが、
意外と連絡は来ないし、来てほしいものだ。


・大切な友達がたいへんなことになっていると
思った時には、連絡してあげるって大事だ。


・最後は友達力。
逆境に落ちたときに大きな救いになってくれるのは
友達だ。


・危機的な状況を抜け出すのは結局、
何人友達を持っているかということ。
フェイスブックの友達ではなく、
本当に信頼できる友達だ。


・たとえば、黙ってお金を出してくれて
痛みを伴う支援をしてくれる友達だ。
でも裏返して言うと、
その人に何かあったとき、
こちら側も痛みが伴う支援ができるかどうかということ。


・ホントに最後は友達力によって
逆境を切り抜けるしかない。
そして、こちらが心を開いて真剣に接していると、
必ず友達はできる。



★コメント
人生は、山あり谷ありだ。
いろいろピンチはある。
それを乗り切る方法がここにある。


 

 



 

 





◆石川知裕『悪党。小沢一郎に仕えて』を読み解く




石川知裕氏は、1996年から2005年まで小沢一郎氏の秘書を務めた。
2005年の衆議院議員に出馬、落選。
2007年に繰り上げ初当選、2009年に再選。
北海道知事選挙にも、出馬。


★要旨



・私は小沢一郎に20年近くも仕えてきた。
その日々をある人は「薫陶」と呼び、ある人は「洗脳」と呼ぶ。
カネを増やし、子分を束ね、権力を自ら握って、世の中を動かそうとする。
たとえ少数派であっても、流れに抗うことをいとわない。
謀略の限りを尽くし、敵と見なした勢力を奈落の底に追い込む。
しかし、いつも最後は、英雄になれない。
人は、そんな小沢一郎を「悪党」と呼ぶ。



・小沢は携帯を持たない。
持とうとしない。
いわゆる「小沢の携帯」と言われるものは、随行する秘書が持っている。
政財界の著名な方々の電話はそこにかかってくる。



・小沢が海外に独自のパイプを築いているのは、日米経済摩擦の経験があるからだ。
当時、官房副長官として交渉に当たった。
ところが政府のスタッフが通訳するとなぜか意図が正確に伝わらない。
思わぬ情報が外部に漏れていることもあったようだ。
そういう疑念が積もり積もって、海外に行く際に外務省のアテンドを断り、独自の人脈に頼る。



・小沢事務所に一定期間勤めると、どんな大物に付いても期待以上の仕事をこなせるようになる。
反対にお茶くみもできない人間に、人の心も、国家も、動かすことはできない。
小沢一郎は秘書の前でよくこうこぼしていた。
「庭掃除もできない人間には日本の大掃除もできない」



・小沢家の台所にはこんな決まりがある。
洗剤はできる限り使わない。
台所でお皿を洗っていると小沢からボソッと「使うな」と小言を言われた。



・住み込み書生第一号の藤原良信参院議員からこんな伝説を聞いたことがある。
岩手では日本酒が飲めないと政治家は務まらない。
会合という会合で酒をすすめられることになる。
集まった一人一人からお猪口になみなみと酒を注がれ、一気に空けるのが礼儀だ。
そんな日は、会合をはしごする小沢の車には、必ず用意しなければならないものがあったという。
塩水を入れたやかんだ。
一つの会合を終え、見送りの人が見えなくなった辺りで、小沢はこう指示する。

「ここで止めろ」

小沢はドアを開け、やかんの塩水を口へ一気に流し込む。
すると、先程、支援者から頂いた酒が口から全部出てくるのだ。
吐くのである。

「口から弧を描くようにきれいな線になって出てくる」という。



・小沢の頭の中には「どの選挙区でも過半数の議席を取る」という鉄則がある。
「誰がなるか」よりも「党として何票取れるか」を考える。



・私は2000年9月から事務所で企業回りを任されていた。
パーティー券を売るだけでなく、支援者から子息の就職の世話も頼まれた。
やりながら気づいたことなのだが、小沢から「ここの会社に行ってこい」と指示されることはない。
新規で献金をくれる企業を見つけても褒められもしない。
減ったら無能だと思われるだけだ。



・2004年、私は小沢の許可を得ないまま、衆議院議員選挙への出馬を計画した。
そして、北海道連の面接を受けに札幌に飛んだ。
羽田に向かう途中、新橋の菓子名店「新正堂」で北海道連へ持っていく菓子折りを買った。
ここはサラリーマンの間では知る人ぞ知る名店で、銘菓「切腹最中」はこぼれるほどの粒あんが詰まっていて、取引先に謝罪に行く際のお土産として定評がある。



・小沢一郎といえば選挙。
そして、小沢一郎の秘書といえば、当選請負人と思われている。
まず基本には次の考え方がある。

「全力で一人ひとりを相手にしなさい」

有権者との関係がすべての根底にある。
一人ひとりが何を考えていて、どんな暮らしをしているかを聞いて歩く。



・自民党の総務局長時代に小沢は全国の都道府県を回り、
選挙区事情だけではなく、有力な支援者についても情報を収集したようだ。
その時のデータが頭に入っており、逐次更新されている。
随行の秘書のカバンには300選挙区のデータが常備されている。
過去の得票率や政党支持率、世論調査の結果などが書かれているその紙を暇ができたときに取り出し、一人で眺めている。



・小沢は、民主党が野党時代、大連立で与党経験を積むことを重視していた。
民主党から国土交通大臣や厚生労働大臣を出して、与党議員として地方を回る。
すると有権者の反応から与党のつらさがわかる、と。



・選挙に限って言えば、小沢ほど他人を担いだり、若手を育てたりするのが上手な政治家はいないと思う。
裏を返せば、選挙だけは自分で何でもやらないと気が済まない体質なのだ。



・いまの民主党の欠陥は、俗に言う「雑巾掛け」、基礎的な鍛錬、基礎的な勉強をしないで偉くなった人ばかり。
だから危機が起きるとどうしたらいいか分からなくなる。
基礎的な修行を積み、経験を積み、知識を積み、
そしてこういう時はこう、ああいう時はこうと、自分の価値判断基準を、政策判断の基準が自然と作られてくる。




★コメント
石川氏の回想を読むと、小沢事務所の泥臭く、地道な仕事術がかいま見られる。
その選挙活動、政治活動は、地道な営業活動に通じるものがあり、ビジネスマンも参考になる部分はある。
政治でもビジネスでも、人との律儀な関係は、重要であることを教えてくれる。


 

 




◆春日太一『鬼の筆。戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』を読む


★要旨


・1950年代から70年代にかけて、
橋本忍は脚本家として、次々と名作を書き、
そして多くの映画賞を受賞し、
大ヒットもさせてきた。


・『羅生門』『生きる』『七人の侍』
『私は貝になりたい』『ゼロの焦点』『白い巨塔』
『日本のいちばん長い日』『八甲田山』
などなど、
名作と名高い作品が数多く並ぶ。


・人間が時間をかけて積み重ねてきたものを、
自分たちでは、どうにもならない圧倒的な力が、
無慈悲に打ち崩していく。


・そうした、「鬼」たちによる、
容赦ない理不尽に踏みにじられる人々の姿を、
橋本はひたすら描いてきた。


・橋本自身への取材を企画したのは、
2011年の暮れのこと。
30代半ばの筆者が、大脚本家と対峙するのは
大きなプレッシャーもあった。


・だが、90歳をすでに超えている橋本の年齢を考えると
「早く証言をとっておかなければ間に合わなくなる」
という想いが先立った。


・取材中の橋本は、
まったく年齢を感じさせないパワフルさだった。
2014年までに計9回、
総インタビュー時間は、20時間を超えた。


・没後、ご遺族の了解を得て、
橋本の書斎や物置を見せていただいた。
そこには、
膨大な数の創作ノートが収納されていた。
まるで古文書のようだった。


・「脚本家にとって腕力が大事だということは、伊丹さんの基本なんだ」
(橋本忍)


・「橋本君、字を書く仕事だからね、
原稿用紙に20枚なり30枚なり、字を書くことは毎日やれ。
書くことがなければ、いろはにほへと、でもいい、
とにかく字を書くことが基本だから」
(伊丹万作)


・実際に腕力をつけること、
長く座り続ける耐久力をつけること。
書き手にとって何より大事なのは、
そうしたフィジカル面の強さだと、
橋本は考えていた。


・たしかに、そうでなければ
黒澤明と何日間も籠って
『七人の侍』を書き上げることなど、
出来なかっただろう。


・それだけに、弟子への指導でも
技術や映画論は伝えない。
ひたすらフィジカル。
書き手の腕力を鍛えさせている。


・この地道な特訓の果てに、
橋本独特の粘っこい筆致や、
緻密なドラマ構成や迫力あるセリフ回しが生まれる。


・本当の腕力がないと、
手や指に疲れが出て、
書くことが億劫になってしまう。
そうなると、書き方も内容も粘りがきかなくなり、
雑なものになってしまう。


・「書く」ということを
物理的に徹底して鍛えたからこそ、
橋本はどこまでも
粘っこく表現をすることができたのだ。


・取材開始からここまで、約12年。
本当に長かった。


・橋本さんから取材を通してうかがった話の数々、
取材を通して受け止めた橋本さん当人の人物像、
取材そのもののドキャメント、
周囲の人々のコメント、
そして没後に入手した創作ノート。


どれもが膨大な情報量で、濃厚な内容だった。


・聞けば聞くほど、調べれば調べるほど、
「藪の中」へ迷い込むような日々だった。


★コメント
いつの時代でも、ゼロから創作できることを教えてくれる。
情報があふれる今でも、
考え方や発想の転換で、
どれだけでも新しいコンテンツを作ることができると
確信できた。


 

 



 

 






◆春日太一『鬼才・五社英雄の生涯』を読み解く


★要旨


・五社英雄。
フジテレビのディレクターとして、
1963年の『三匹の侍』で
「刀と刀の合わさる効果音」を開発して、
草創期のテレビ時代劇に革命的な旋風を巻き起こした。


・1980年に、
銃刀法違反で逮捕され、
一度は表舞台から姿を消す。


・しかし、1982年の
映画『鬼龍院花子の生涯』で復活。
以降は、女優たちの濃厚な濡れ場や、
ヌードに彩られた極彩色の映画を連発して
低迷する日本映画界を牽引した、
稀代の演出家である。


・五社は作品を通してだけでなく、
常日頃から、
いかに周囲の人間を楽しませるか。
そのことだけを考えてきた。


・そのため彼は、
自らの人生をも脚色していたのだ。


・これは、
そんな「全身エンターテイナー」とも言える男の、
虚実ハッタリ入り混じった生涯の物語である。


・五社英雄が撮ってきたテレビドラマ・映画には、
一貫した大きな特徴がある。
それは、主人公が
一人残らずアウトローであるということだ。


・彼らは、理想論をふりかざしたり、
自らの手で体制をくつがえそうとは、
決してしない。
ひたすらアウトローの世界の日陰に蠢き、
そして体制に
悔し紛れのように、唾を吐きかけ続ける。


・「アクション映画を貫いているのは、滅びの美学なんだ」(五社英雄)


・戦後、米軍の基地売店で
アルバイトをするようになった五社は、
その金で明治大学商学部へと進学した。
基地の軍用品を
銀座の闇市に横流ししてまで、入学金を稼いだ。


・『鬼龍院花子の生涯』以降の五社作品では、
人気女優たちが
惜しげもなく大胆なヌードを披露し、
妖艶な濡れ場を繰り広げている。


・女優を脱がすために
五社に何か特別な秘訣があったわけではない。
演じやすい環境を作っていく中で、
女優たちは五社に惚れ抜き、
身も心も任せ切っていた。


・「僕が描きたいのは、裸じゃなくて、裸を通して人間の毒を描きたいんです」
(五社英雄)


・筆者は、大学院時代、
エリートでもインテリでもない、
どこまでも泥臭く感情豊かな言葉を
明け透けに語る五社に、心惹かれていった。
そして、
彼の言葉を集めるだけ集めてみよう。
そう思い立った。


★コメント
やはり、昭和の破天荒な男たちは、おもしろい。
少しでも真似できるところは真似して、
追いつきたい。


 

 



 

 





◆石川知裕『雑巾がけ。小沢一郎という試練』を読む


★要旨


・民主党の欠陥は、俗に言う『雑巾がけ』、基礎的な鍛錬、
基礎的な勉強をしないで偉くなった人ばかりだった。
だから危機が起こるとどうしたらいいかわからなくなる。
基礎的な修行を積み、経験を積み、知識を積み、そしてこういうときはこう、
ああいうときはこうと、自分の価値判断基準、政策判断の基準が自然と作られてくる。


・大学を5年生として卒業する前の1996年2月、私は小沢一郎の書生となった。
秘書でなく「書生」である。
書生とは何か。
簡単に言えば、世田谷の小沢邸に住み込みであらゆる雑用をする存在ということになる。



・わからないという勇気。
これが書生時代から叩き込まれた習性の一つだ。
関連して、答えるときに「だったと思います」というと必ず叱られた。
「思いますじゃないだろ、調べろ」
「知らないのに知ったふりをするな」

曖昧なこと、よくわからないことについては第三者にも意見を聞く。
そのスタイルは徹底的に叩き込まれたものである。



・「手帳を持たない」、これも小沢ルールの一つだ。
持つのはスケジュールを管理している秘書一人だけである。
この方法の目的は、ダブルブッキングを避けるということである。



・書生の生活は朝5時から始まった。
その後1時間は車の運転を練習する。
小沢さんや夫人の立ち寄り先などを確認するため、先輩秘書と回り、覚えていく。

運転の練習が終わると、今度は庭仕事が待っている。

朝7時頃になると、小沢さんが愛犬の散歩に出かけるがそれについていく。
30分ほど、基本的にはずっと無言である。
そして時々「お前、あれどうしたんだ」と言ってくる。
たいていの場合、「あれ」ではなんのことだがさっぱりわからない。



・運転にも気を遣った。
車の運転については、自分が政治家となって人の運転している車に乗るようになり、
ようやく何を心がけて運転すべきかが本当に分かった気がする。

実に簡単なことなのだが、急発進、急ブレーキが後ろに乗っている人をいかに疲れさせるか。
また車での移動時間は息抜きの時間であり、次の会合場所へ向けての準備の時間となる。
次に必要となる資料なども、車内に揃えておかなければならないことは言うまでもない。

小沢さんは「車の運転をみれば人となりがわかる」といっていた。



・経理の仕事を一年ほどして、私は小沢さんの地元、岩手の事務所に転勤することなった。
岩手事務所で私はナンバー6(一番下である)の秘書という立場だった。
岩手での生活は、東京と比べれば天国のようなものだった。
毎日の仕事は、弔電や祝電の作成である。
一見、単純作業のようだが、そうではない。

祝電ならば、相手の業界のことも調べて、そういう情報を少しでも文面に反映させなければならない。
定型の文章だけでは、手抜きがすぐに伝わる。

この管理をきちんとやるのはかなり煩雑なことだ。
先輩秘書の高橋さんは、よくこう言っていた。

「石川、ひと口に祝電・弔電といっても千通りはある。
まともに作れるようになるまでどれだけ大変なことか」


・小沢流選挙の要諦。
小沢一郎は選挙に強い、とよく語られる。

選挙運動でもっとも大切なのは後援会などの組織作りであり、
空中戦はその次だというのが小沢事務所で学んだことである。
「三役をしっかり作っておけばいい」というのも、この考え方の延長線上にある。

勝つためには、「大枠を捉える」「ポイントを押さえる」ことを第一に考えて戦略を練らなければならない。



・小沢さんは相当なものぐさであるが、それでも、ポイントとなる人にはきちんと自ら出向いたり、
挨拶の電話をかけたりしている。
ポイントを抑える、というと少々打算的に響くかもしれないので、「筋を通す」ことを原則としている。



・電話を怖がるな。
電話を取る、という仕事は簡単なようで大変だ。
こちらから何かお願いするときは、なるべく携帯電話を避け、固定電話から固定電話にかけることが望ましい。
携帯だと、どうしても音質が悪くなり、相手も落ち着かない。


・スピーチでは感謝の気持ちを忘れない。


・本は読めるときに読む。


・リーダーはどこかの時点で、反対勢力に批判を浴びることを承知しながら、見切り発車するしかない。


★コメント

石川氏のこの本は、小沢事務所の裏話がいっぱい書いてあり面白い。
理不尽なことがいっぱいあるようだが、石川氏はこの事務所を辞めずに踏ん張ったようだ。
結局、どんなことも雑用のような基礎的なことをしっかりできることは、大切なことだ。


 

 



 

 




◆土屋大洋『海底の覇権争奪。知られざる海底ケーブルの地政学』を読む


★要旨


・かつては、人工衛星も画期的な国際通信の手段だった。


・ところが、1980年代に光ファイバーによる海底ケーブルが敷設されるようになると、国際通信の主役は海底ケーブルへと戻った。


・現在の国際電話にはそれほど遅延が生じないし、大洋をまたいでZoomのようなリアルタイム・ビデオ通話を使ってもそれほど支障はない。
光海底ケーブルはグローバリゼーションに不可欠の技術である。


・現代の島にとっては、
海底ケーブルは発展のために不可欠の基盤になりつつある。
それは、島国日本にとっても同じである。


・日本のの海底ケーブルは、関東だと千葉県や茨城県、
関西だと三重県あたりに集中して陸揚げされ、
米国やアジア諸国、ロシアとつながっている。


・今では、北海道からカナダ沿岸の北極海を通って英国のロンドンまでつなげようという話も出ている。


・こうした光海底ケーブルがもし失われることになれば、
グローバル市場のなかでの東京市場の地位は失われ、日本経済に多大な影響が出るだろう。


・海底ケーブルは、
いわゆる重要インフラストラクチャの一部である。


・ほとんどの重要インフラストラクチャは、電気や水道、
公共交通機関のようにあって当たり前で、その意義は普段は忘れられている。
しかし、それが失われる可能性は、ゼロではない。


・その仕組みを理解し、非常時のための対策を考えておくことは、
国家安全保障においても、個人の生活防衛のためにも重要だろう。


★コメント
普段、目立たない海底ケーブルに注目しよう。
安全保障の肝である。


 

 



 

 




◆清武英利『記者は天国に行けない。反骨のジャーナリズム戦記』を読む


★要旨


・「(キミが)記者会見したら、これは破滅だぞ。破局だな」
「読売新聞社と全面戦争になるんだから」。


巨人のコーチ人事やワンマン経営をめぐって、
読売新聞の渡恒雄主筆と対立したときだった。


・だが、私は記者出身だったために告発せざるを得なかったのだ。


・組織内記者は他者には勇気ある告発を求めながら、
自らの組織の腐敗やドンの専横には口をつぐみ、
背信の階段を上って出世していく傾向にある。


・後悔したことは一度もない。
最後に元社会部記者として抗ったからこそ、自分の心が救われたような気がする。


・晴れ晴れと陽の下を歩き、ともかく私は戦って生きていると思える。


・そんな私にとって気になるのは、いつも古巣の記者世界であった。
息も絶え絶えのメディアの空気のなかで、
令和の記者たちは何のために、誰に向かって書いているのだろうか。


・そんなことを思っていたときに、
文春砲の産みの親である編集長に、
そろそろ記者の有り様について書いてみませんか、
とけしかけられたのだ。


・私はもともとがドブ板を踏んで歩く社会部記者なのである。
大仰なメディア論が嫌いだ。
というよりも報道者の顔について書くことしかできなかった。


・記者紀行の上流には、昭和のアパッチ記者がいた。
電力業界の闇を暴いた朝日新聞記者がおり、
彼らから執着のバトンを受け取った共同通信記者がいた。


・敗戦直後の記者たちは痛飲したと言われている。


・羽中田はそれから三、四年過ぎても、酔いどれていた。 戦後の社会部には夜も昼もなく、
陰惨で奇怪、不条理な事件が飛び込んでくる。


・なぜ彼は浴びるほどに飲んだのだろうか。
戦争が終わって、再出発したのではなかったか。


・私は、1975年四月に読売新聞に入社し、
東京・大手町の本社で約一か月間の退屈な記者研修を終えて、
青森支局に配属された。


・私が赴任したのは、本社の管理の目が届かない本州最果ての地である。
支局長以下先輩たちは実によく酒を飲んだ。
取り憑かれたように酒場に通う者もいた。


・ある先輩は、いつも飲み過ぎのため、会社前で夫人に捕まり、車で連れていかれていた。


「先輩、脱出しそこねたね」 「うん、引き立てられた」


私たちは無責任な会話の後で、裏の居酒屋に足を運んだ。
だが、お互いに自分の過去はめったに話さなかった。


★コメント
むかしの記者たちの裏話は、おもしろい。
現代の生き方の参考になる。


 

 



 

 




◆松原実穂子『ウクライナ企業の死闘』を読み解く


★要旨


・2022年2月のロシアによる軍事侵攻以降、ウクライナが3年以上にわたって戦い続け、国を存続できたのは何故か。
無論、ウクライナ国民と政府・軍の不撓不屈の精神、国際社会からの人道・軍事支援の継続が大きいが、
それだけでは国は支えられない。


・電力・エネルギー、通信、金融、
運輸などの重要インフラサービス無くして国民の生活は成り立たず、
経済は回らず、国の機能は維持できない。


・戦時に、いわんや本土決戦において重要インフラサービスを提供し続けるのは、
並大抵のことではない。


・ウクライナ鉄道の従業員は身の危険を冒して、
外国政府高官や国民、兵士や物資を今日も運ぶ。
銀行の職員は空爆の中、悪路を通り、ATMに現金を輸送する。


・発電所や携帯電話サービスの基地局などの重要インフラ施設が、
ミサイルやドローン攻撃で破壊され続けている。


・それでも電力やエネルギー、通信事業者は、
インフラが破壊されれば、
前線近くであっても現場に赴き、サービスの復旧やインフラの修理を行う。


・戦争・紛争になれば、業務妨害型サイバー攻撃の隠密作戦に頼る必要はない。
むしろ殺傷・破壊効果は、ミサイルやドローンの方が高い。
国として有事に備える上でサイバーセキュリティは重要であるが、それだけでは国民を守れない。


・また、台湾有事リスクの高まりと台湾有事が日本に与える影響の大きさを考えると、
ウクライナの重要インフラ企業からレジリエンス(抗堪性)の教訓を今こそ学ぶべきとの気持ちを強くした。


・人々の命と経済、安全保障を支える重要インフラをどう守り、
機能を維持させるのか、
平時の今こそウクライナの失敗と苦労から日本は学ぶべきではないのか。


・有事になってから慌てて重要インフラの防御をしようとしても、
物資や人員の配置が間に合わないだろう。


・平時からの準備は、
日本の重要インフラのレジリエンスを向上させ、
国家安全保障と経済安全保障双方の強化に繋がるはずだ。


★コメント
ウクライナから学べば学ぶほど、
備えること、危機管理の大切さを骨身に感じる。
今そこにある危機に備えたい。


 

 



 

 





◆手嶋龍一『公安調査庁・秘録』を読み解く


★サブタイトル
→「日本列島に延びる中露朝の核の影」


瀬下政行さんとの共著。


★要旨


・公開情報の海から、
真実の情報を拾い出すには、
ヒューミントの高度な専門家による助言が不可欠だ。


・公開情報というと、
誰でもアクセスできるため、軽んじられる。


しかし、冷戦時代、
旧ソ連や北朝鮮のような閉鎖的な体制の行動を読み解くには、
新聞やラジオで
彼らが発するプロパガンダを丹念に読み込み、
かすかな変化の兆候を探ることは、
情報分析の重要な手法の一つだ。


・西側の情報機関が関心を抱き、
動きを追っている地域はどこか。
北朝鮮、ロシア、中国の国境が入り組んで、
接する「三角地帯」である。
豆満江のあたり。


・ウクライナでの戦争は、
「ミサイル強国」北朝鮮を一層精強にしつつある。


・ウクライナの東部地域は、かつて、
武器、航空機、ミサイル、核関連産業を擁する、
一大兵器廠であった。


・中東の戦乱が、
北朝鮮を武器の商人に育て上げた。


・北朝鮮にとって、核とミサイルは、
自ら地域情勢や国際社会に
影響を与えうる唯一の資源と言ってもよい。


・強権国家が出す声明や報道を長期にわたって
丹念に読み解き、そこから、
彼らの内在的論理を探り出す「オシント」の重要性が
さらに高まっている。


・公安小説『鳴かずのカッコウ』の冒頭に、
北方領土周辺で密漁した魚を買い取る仲買人が出てくる。
この仲買人は、
主人公の上司となる公安調査官が、
民間の仕事を名乗る、いわゆるカバーの活動であった。


・西木正明のノンフィクション作品である、
『オホーツク諜報船』にも、
そんな公安調査官が描かれている。


・冷戦がリアルに戦われていた北方の海で、
漁師たちが、ソ連側の官憲と闇取引をしながら
貴重なサケマスをしたたかに密漁し、
売りさばいて巨利を懐にする。


・冷戦都市ベルリンの壁の周辺だけでなく、
日本列島の北の海でも、
「インテリジェンスの戦争」が戦われていたのだ。


★コメント
表のニュースだけでなく、
背景の情勢についてもウォッチしていきたい。