受験コーチ池田潤が教える参考書学習法 -10ページ目

受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

‐志望校に合格する勉強法と思考法‐

今日ツイッターでツイートした内容を転載します。


「すごい人をすごいと認識するためには、自分もある程度高いステージにいなければならない。でないと、そのすごさを理解できない。そして、その人と同じステージに近づけば近づくほどにそのすごさをより認識することができる。ただ、そのときには、その人はさらにその先にいっている」


「ステージが低いと、高いステージの人を理解できないから、嫌う。高いステージにいる人は、高いステージの人を理解できるから好きになる。ということは、低いステージの人に嫌われ、高いステージの人に好かれ応援される人は上手くいく」


「てことは、ある人が本物かどうかを見極めるには、その人が「誰と」つながっているのかを見ればいいことになる」


ここで言う「ステージ」というのは、意識のレベルのことです。


意識のレベルが高まると、思考の抽象度も上がり、自分だけでなく「誰か」ということへの意識も高くなっていきます。


そして、そういう人しか長期的に成功し続けることはできません。


ということは、長期的に成功し続けているということは意識のレベルが高いということであり、


その人とつながっているということは、そのつながっている人の意識のレベルも高い、


つまりはステージが高いということになります。


ツイッターで言った通り、


意識レベルが高い、ステージが高い人は、低いステージの人には理解されません。


その人を理解するには、ある程度同じくらいのステージの高さが必要になるからです。


だから、嫌われたり、批判されたりすることもあります。


しかし、大事なことは「誰に嫌われているのか」というところ。


嫌われていること、批判されていることが問題なのではなくて、


「誰に」ということが一番大事なポイントです。


人を見極めるときには、そこを絶対に外してはいけません。


多くの人が、人を見極めることができず、曖昧な情報に流されたり、騙されたりしてしまうもの。


低いステージの人に嫌われていて、高いステージの人に好かれているなら、その人はステージが高いということ。


このことを理解しているだけで、人を見極める力は増すはずです。


参考になれば幸いです。

例えばどこかの会社に入るとします。


すると、一般的には22歳から始まって、何十年もそこにいて、同じ会社でというイメージがあったりします。


終身雇用は実際にはもうかなりキツイ状況にあるみたいですが、仮に定年までいたとして、


30歳くらいになったときに、自分の限界というか、その先が見えてしまって何となく生きる気力が萎える、みたいなことがあると言われますよね。


これ、体験したわけではないので実際の感覚としては分からないのですが、


もしも自分の人生の「上限」みたいなものが見えてしまったとしたら、それはちょっと怖いな、とは感じます。


私は今の仕事をしていて、本の出版があったりなんやかんやで、これからも「何者にでもなれる」という感覚があります。


そして、それは本来は人間みんなそう。


だけど、もしも会社にずっといるということが当然のことで、そこにいなければならないと感じてしまっているとすれば、


30歳くらいになったときに、何となく自分はこれからどうなっていくかということが見えてしまい、


現実を自分で動かしていく気力もないとしたら。


誰かが何かを起こしてくれる、ということもないし、今までと同じ日常がただ続き、その日常を生きていく。


人それぞれ幸せの形は様々ではありますが、先が見えて、変化がなくて、という日々に充実感を感じられるか、というと「厳しいな」と個人的には感じます。


今自分は充実感を感じていて、その充実感は何から来ているのかといえば、


成長していける、変わっていける、何でもできる、何者にでもなっていける


という感覚があるから、なのだと思います。


何かに打ち込み、それが自分の成長につながり、そしてそれが誰かのためになっていける。


自分が興味のあることをやって、それが結果的に誰かに喜んでもらえる。


これ、どっちかだけだと充実感の質は下がってしまうんですよね。


誰かのためになるのだけど、嫌いなこと。


好きなのだけど、誰かのためになっていると全然感じられないこと。


人間は社会的な生き物なので、そこに「他者とのつながり」がないと、何となく虚しくなってしまうものなのです。


話が逸れました。


何か閉塞感を感じていたり、希望を見失うことがあるとすれば、


多分それは自分が自分の可能性を自分で閉ざしてしまったから。


人は前に進んでいる、成長している、良くなっていけると「思える」ことで充実して生きることができます。


そしてそうやって生きることは誰にでも可能です。


しかし、時に人は、自分で自分の可能性を閉ざします。


どうせオレなんて、とか。


私は所詮この程度、とか。


要するに、「すねて」しまうわけです。


そうなると、自分の人生を良くすることではなく、わざわざ他人の人生にとやかく言う面倒くさい人になってしまいます。


自分の人生に興味がなくなってしまったから、他人の人生に興味を示すのです。


わざわざ悪いところを見つけてきて、非難し始めたり。


でも、忘れてはいけないのは、自分の可能性を閉ざしてしまったのは、自分自身だってこと。


自分を信じてやれるのは自分しかいなくて。


自分が自分を見捨てたら、誰も拾ってやることはできません。


自分の人生は、自分で創ってる。


それが揺るがない事実。


被害者になったって、他人の人生に絡んだって、何も変わらない。


大事なのは自分の人生を生きること。


自分が自分を見捨てず、自分を愛し、大事にし、生きたいように生きること。


です。


今日は、このへんで。

仕事柄、「変わりたいです」という人から毎日のようにメールが来ます。


変わりたいけど行動できない、変わりたいけど動けない。だから、変わりたいですというメールを送ってくれるのだと思います。


ただ、基本的に本当にやりたいことはすでにやっているもので、体が勝手に動いてしまっているもので、


「変わる」ということが純粋にやりたいことである場合、それはすでにやってしまっているはず。


それができないということは、変わらないことに何かしらのメリットがあるから。


「変わりたい!」と言っているだけの状況というのはある意味、非常に楽です。


変わろうとするだけ、というのは一番楽。


なぜなら、いざそのときが来たら、逃げることができるから。


変わるということは、いざそのときが来たときに逃げないということ。


そこにはいつだって、何かしらの「恐怖」があるわけです。


いつもと違うパターンで動くことになるわけだから、次どうなるかは予想が出来ない。


人は、予想のつく世界で生きようとしてしまうもので、次が予想できないと不安でしょうがない。


しかし、変わるということは、次の世界に行くということであって、


最初の一歩の結果はどうなるか分からないものです。


どういう世界が見えてくるかは全然分からない。


恋愛で言えば、ズルズルと友達関係でいるのは楽でしょう。


気持ちが伝わってしまうような言動を取れば、次の段階に行かざるを得ない。


そして、その結果は分からない。


良い結果になるかもしれないし、悪い結果になるかもしれない。


とにかく、次の段階に進むことになる。


それが、怖い。


だから、「変わりたいと言いつつ変われない」という状態が続くわけです。


そういう人はいつだって決まりきったパターンで動きます。


何も変化を起こさず、決まりきったルーティーンを積み重ねる。


そうなれば、毎日が退屈になってしまうのは当然です。


大事なことは、いざそのときが来たときに踏み出してみること。


私の人生が変わったのも、毎回そうやって一歩踏み出したとき。


一歩踏み出さなければ本の出版もなかったし、素晴らしい仲間との出会いもありませんでした。


私たちは言い訳が大の得意です。


「いざそのとき」が来たとき、心はやりたいと思っていても、変わりたいと思っていても、


頭が臆病風を吹かせてしまう。


そのときにどちらに従うか。


その一つ一つの判断が、大きく人生を変えていくのだと思います。


では、今日はこのへんで。

土曜日は、東京六本木でプログラムの映画ツアーを実施。


「青天の霹靂」を観てきましたが、非常に良かったです。


で、今自分自身でプログラムを主催してカフェで対話したり色々やっているのですが、


そこに集まる人たちって、普通だったら絶対に出会っていない人たちなんですよね。


日本全国にプログラムに参加してくれている人がいて、その人たちと一緒に映画を観に行ったりする。


しかも、価値観が似ていて、かなり深いところまで話していける。


ネットが発達したことで、本当に多くの人とつながることができるようになりました。


普通は、地元の友達、大学の友達、会社の同僚。


そこで人間関係は止まってしまうと思うんですね。


それ以上広がっていかない。


そうなると、変化のない毎日になっていきます。


変化がないと、だんだん変化が嫌になってきます。


面倒くさくなってきます。だから、変化を避けます。余計、現状維持になります。


そうなると、もはや外の世界に出て行くことができない。


私の場合、今、人間関係が結構意味不明な状態になっています。


年下ともつながっているし、上は50代60代の方ともつながっています。


日本全国みんな住んでいる場所も様々で、年齢も違う。


でも、そんなの関係ないんです。


年齢も場所も関係なくて、同じ気持ちを持っていたり、つながれるものがある。


ただそれだけで、つながることができる。


そして、人は自分が認めてもらえる場所を持つことでより自分に自信を持つことができます。


自分が受け入れてもらえる、自分でいいと思える、そういう場所があること。


そういう場が、人を変えていく。


今いる場所が自分に合わない場所だったとしても、自分を認めてくれない場所だったとしても、


それは自分に価値がないということではありません。


ただ、自分には合わない、考え方が違うというだけのこと。


より広い世界に飛び出してみることで、自分の世界も広がり、自分自身を肯定することもできるようになってきます。


ということで、私はこれからもそういう「場」をどんどん創っていきたいな、と思う次第です。


最後に、昨日のfacebookの投稿をこちらでもシェアします。


<認めてくれる人、認められる場所>


昨日は六本木ヒルズでプログラムに参加してくれている子たちと映画。「青天の霹靂」。想像以上に良くてビックリ。僕らは大いなる勘違いをしながら生きているかもしれないこと、被害者ではないこと、愛って何、とか色々感じることは多かった。普通に、涙。泣き虫。


その後は、カフェに行って参加してくれた子たちと対話。3時間くらい喋ったのかな。映画の感想のシェアから始まり、個人の相談まで。対話して、色んな話を聞く。お互いに心を開いていく。


そうすることでその人の奥にキラリと光るものを垣間みることができる。普段はなかなか見せないし、どう見せていいのか、見せてしまっていいのか、分からないもの。見せることに怯え、不安になってしまうもの。


人の人生には、ホントに色々ある。誰もが、色んなことを抱えながら生きている。傷ついて、認められなくて、愛されていないと感じてしまって、心を閉ざす。その人の表面に現れているものがその人の全てではなくて、閉ざさざるを得なくて色んなものを閉ざしているだけ。


だから、時に嫌な奴に見えたり、どうしようもない人に思えたりする。何やってんだ、と思うことがあったり。でもその人にも、色んなことがあって、それを人に話すこともできず、理解してもらえるとも思えず、自分でもどうしていいか分かんなかったり。


最近は、人を愛するっていう感覚が分からないっていう人が多い。それは、無条件で、ありのままで、愛された、受け入れてもらえたと感じられたことがないからなのかもしれない。そういう仲間がいないからかもしれない、と思う。自分は自分でいいんだと思わさせてくれる仲間、そう思える場があれば、きっとその感覚は自然に生まれてくるものなんだと思う。


自分はまだまだ未熟で、人をジャッジしたりしてしまう。ただ自分自身、自分は自分でいいと思わせてくれる人たちのおかげで変われたし、救われたと思っている。だから、誰かにとってそういう自分で在れたらと思う。


最後に、「青天の霹靂」の主題歌、ミスチルの「放たれる」の歌詞を載せとく。


閉じ込められてた気持ちが 今静かに放たれてゆく


重たく冷たい扉を開けて かすかな光を感じる


諦めかけたいくつかの 夢 希望 憧れ 幸せ


朝顔が空に伸びるみたいに その光をたぐり寄せる


右へ左へ迷いながら その度に蔓を巻き


日の当たる場所に昇りたい あなたもそこに来て・・・


もう一度その温もりにその優しさに包まれて生きたい


払い落としても消えない愛が一つあるの それで強くいられる


ある時はもっと滅茶苦茶に 自分を傷つけたい衝動に


駆られてしまう 誰のせいにも出来ない不運を目の前に


だけどたった今分かったのは 誰もが生きる奇跡


生まれてきた ただそれだけで愛されてる証


カラタチの木の棘のように あらゆるものに尖り自分を守れば


でも今は恐れることは何もないと 強がりじゃなく思える


遥か遠い記憶の中で あなたは手を広げ


抱きしめてくれた まるで大きなものに守られている


そんな安らぎを感じる 今でも・・・


もう二度とその温もりにその優しさに触れないとしても


いつまでも消えない愛が一つあるの それで強くなれる


だからもう恐れることはなにもないの 心は空に今そっと放たれる

私たちは一人一人、得意不得意があります。


何の努力もする必要がなくスイスイできるのに、人並み以上に上手くできること。


めちゃくちゃ努力しているのに、人並み以下にしかできないこと。


誰もがそういうものを持っています。


私だって、苦手なことは本当に多いです。事務系とか、苦手です。


でも、世の中には事務系が好きで得意な人もいます。


私が事務系が苦手なのでその人に任せると、いとも簡単にスイスイとやってのけてしまいます。


で、私は心から感謝の念が生まれます。ありがとう、と言います。


すると、その人は嬉しくなります。人から感謝されることは嬉しいものです。


自分に苦手なものがあっても、それが得意な人はいて、


その得意な人に任せてあげることで、その人は自分の才能を発揮できます。


才能を発揮できる「場所」を与えられたわけです。


私に苦手なことがあることは、人が活躍する「場所」を与えていることになります。


そういう意味で、できないことがあることは人の役に立てることなのです。


世の中の人全てが完璧だったら、人が才能を生かす場所がありません。


世界はそういう風にはなっていません。


だから、完璧を目指さなくていいし、ダメなところや苦手なこと、できないことはあっていいんです。


才能の発揮する「場所」があるのは本当に大事なことです。


多くの人が、その場所がなくて苦しんでいます。


ただ、それも自分で選んでいることなのですが。


才能を発揮している感覚がないから、生きている実感がなかったり、何か物足りない、何か違うという感覚が生まれるのです。


しかも、人より抜きん出た結果も得られない。


自分特有の才能を発揮している人は、エネルギッシュで、しかも得意だから成果が出ます。


「自分に従って生きる」ことが大事だと、言っています。


皆がそういう風になる世界を夢見ています。


自分に従って生きれば、自分の才能を生かせる。


才能を生かすと、成果が出る。


成果が出るから人生上手くいくし、生きている実感、楽しいという感覚、人の役に立っているという思いを持てる。


逆に、常識や他人の価値観で生きれば、心ではなく頭で生きるようになり、メリットを求め、自分の才能を発揮できない場所を選んでしまいます。


そうなると、なかなか大変です。


ただ、才能の話をすると、「私に才能なんてない」なんてことを言われることがあります。


しかし、それは自分の才能を認めていないだけです。


事務が得意なのも才能です。


自分以外の誰かになろうとしているうちは、自分の才能に気づけません。


気づこうとしません。


自分以外の誰かになろうとするということは、自分が嫌いということだから。


嫌いな自分の良いところなんて見ようとしません。


だから、「自己愛」が大事なんです。


自己愛がないと、自分の才能に気づけない。


才能に気づけないと、不得意でしんどいことをずっと続けることに。


頑張ってもなかなか成果が出なかったり。


大事なことは、自分に従って生きること。


自分以外の誰かになろうとする必要はありません。


と、この話をさらに深く知りたい方は、7月22日発売の本を手に取ってください。


という宣伝で、今日は終わり。笑


今回のブログの内容も、本の中でさらに深く書いています。


結構、面白いと思います。

昨日のfacebookの投稿をシェアします。


「僕は、夢を持つことが夢になっていました」という投稿です。


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先日、大阪で自分のプログラムに参加してくれている方たちと一緒に映画を観に行って、その後カフェでグループセッションをしているときのこと。


その中の一人が「僕は、夢を持つことが夢になっていました」と言った。


どこかで「夢を持て」と教えられて、しかもその夢は「立派なもの」でなくてはならなくて。


自分にはそこまで強い関心のないものを「求めなければならない」と思い込む。


それを求めない自分は価値がないんじゃないかと思ったり。


色んな人の情報発信を見ていると、そう思い込まされる発信は本当に多いし。


だけど大事なことは、自分が大切だと思うことを大切にすることであって。


誰かの言う通りに、思い通りに、期待通りにならなくていい。


それで怒られても、嫌われても、何の問題もない。


自分が自分を嫌ったり、裏切ったりすることに比べれば、屁でもないこと。


やりたいことを探しをしている人も、多分、自分のやりたいをやりたいと認めてないだけ。


立派なものをやりたいことにしなきゃと思っているだけ。


誰かの価値観に縛られた頭で考えているだけ。


だけど心がついてきてないから行動は続かない。


で、モチベーションを上げるためにごちゃごちゃしたり。


でも、心に従ってないから全て無駄。でまた、やりたいこと探し。無限ループ。


いい加減、自分の中にある純粋な思いを認めちゃえばいい。


このあたり、7月22日発売の本で徹底的に触れました。


自分で書いた原稿も、ほとんどそのまま出る感じに。


自分が感じていることを、今伝えたいと思うことを書きました。


楽しみにしていてくれると、嬉しいっす。


今週末は、今度は東京でプログラムに参加してくれている方たちと映画を観る。最近は、毎週のように参加者と会って、絡んでる。


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今回の本は、やりたいことを探していたり、自分の未来をどうしていったらいいか分からない、という人に最適な内容になっていると思います。


夢を持つことが夢になるというのは、結局外側から「夢を持たなければならない」と植え付けられているだけ。


植え付けられているのですから、本気になんかなれません。


夢は頭で考えて生まれるものではなく、心の中の湧き上がる衝動から生まれるもの。


「こうなりたい!」と自分の内側で感じるもの。


本来は。


夢は持たされるものではありません。


持たなくてはならないものでもありません。


持たなくてはならないという前提の中で「夢」について考える必要はなくて。


ただ、自分が自分を信じて、「自分にはやりたいことができる能力がある」と信じて、


自分の感覚で生きていれば、自然に夢は生まれて来ますし、生まれてこなかったとしても別にOKなのです。


人生をどう生きるか、ということは自由ですから。


本当は、私たちは何にも縛られていない。


常識とか他人の価値観が自分を縛ろうとしてくるけれど、縛られる必要はありません。


私自身、勝手気ままに生きています。


今25歳ですが、二冊目の本を書き終え、三冊目の本の話も来ていて、


サンマーク出版では今、歴代最年少出版記録保持者らしいです。


自慢です。


自分の価値観に従って生きたら、こうなりました。


私はこれからも自分の価値観に従って生きて、「こうやって生きてもいいんだよ」という生き方を見せていければと思っています。


それでは、今日はこのへんで。

昔は、受験勉強法だけを教えていた部分があったのですが、今はその他にも色々なことを伝える、ということをやっています。


勉強法を研究していくと、どうしてもそれ以外の分野について関心がいってしまい、


よくよく考えると受験生も色んなブロックや課題を抱えていることが分かって。


今は例えば、自分のことを嫌いな人が多いな、とか、自分に制限をかけているな、とか、やりたいこと探しをしているな、とか感じていることは色々とあります。


基本的に私はいつも考えたり勉強したりしていて、ここ数年で自分自身がすごく成長したな、と感じています。


だから、このブログをずっと見てくれている方は、徐々に私の言うこと、フォーカスしているポイントが変わっていると感じられるかもしれません。


私自身、どんどん大事なことに気づいていっている感覚があります。


無駄なものがどんどんなくなっていって、自分にとって本当に大事なものがシンプルな形で残っていく感覚。


で、その中で今感じることを。


これまで、多くの人が、色んな「成功の形」を提示してきました。


例えばそれは、「大企業」だったり「お金持ち」だったり「自由なライフスタイル」だったり。


それぞれの時代で色んな「象徴」があったわけです。


で、多くの人がそれを追い求めて躍起になる。


でも、なぜかそれが達成できない、という人も多かったのではないかと思います。


達成できなかった理由は色々とあるでしょうが、


一つには、別にそれを本気でやりたいとは思っていなかった、ということがあるでしょう。


私には、これからこうなっていって欲しい、というビジョンがあります。


それは、みんなが自分に従って生きるようになること。


象徴など求める必要がなくなり、ただ、自分がしたいと「感じる」ことを素直に純粋にできるようになること。


なぜ、象徴を求めるかというと、自分の中を見ないから。


自分の中にある感情をジャッジし、信頼していないから。


でも、私たちに最高のモチベーションを与えてくれるのは自分の中から来る思いです。


別に人から認められる必要はなく、ただ自分がそうしたいと感じることをすればいい。


それが人生なのだと思います。


で、その自分の思いに従って生きた結果として、なぜか人から認められたり、話題になったり。


でもそれは話題になることが目的だったわけではなく、ただ自然にそうなっただけ。


話題になろうがならなかろうが、どうでもいいことで。


大事なことは自分が生きたいように生きること。


働きたい人は全力で働けばいい。遊びを大事にしたい人は遊べばいい。


家族を大事にしたい人は家族を大事にし、釣りがしたい人は釣りを、仲間を大事にしたい人は仲間を大事に。


物を書きたい人は書きまくり、歌いたい人は歌う。


そうやって、自分の才能や個性を、存分に発揮しながら生きて欲しいと思っています。


この世の中に「正解」はないし、唯一普遍の「成功の形」もありません。


それは、自分で創っていけばいい。


上下もなければ優劣もない。


上下や優劣があるという世界観で生きていれば、自分の思いに従うことはなかなかできないでしょう。


何だか「負けてる」気がして。


本当は、何でもいいんです。


それをしていて自分が満足できるのであれば、それが自分にとっての成功。


その自分にとっての成功を追求していくと、なぜか世間的な成功も手に入っていたりとか。


そういう順序だと思うんですよね。


よくよく考えてみてください。


世間で話題になっている人って、そうじゃないですか?


何か独自の世界観を持っていて、好きなことをやっている。


それは別に認められるためにやっていたわけではなくて、好きでやっていたら何かしらないけど認められてて。


で、認められるほど卓越できたのは、結局それが好きで、やりたいと思ったからでしょう。


自分の気持ちに純粋で素直な人ほど上手くいきますよね。


だって、無尽蔵のモチベーションが生まれるわけですから。


ちなみに、今回の話は7月22日発売の2冊目の本に、さらに詳しく書いています。


今までの勉強ジャンルにはない世界観を打ち出した本になっている、かもしれません。笑


話を戻して、


自分の思いに従って生きること。


それが本当の意味での成功の秘訣なのかな、と思います。


「成功」というものすらどうでも良くなって、でもなぜか成功していて。


そのことがどうでもよくなったときになぜかそれが手に入る、ということはよくあることです。


ちょっと長くなったんで、今日はこのへんにしておきます。


おわり。

昨日メルマガを配信すると、かなりの数の返信が届きました。


やはりみんな色々と悩んでいるみたいです。


まずは自分も情報発信という形でできることをやっていこう、と思っています。


最近は本当に色んな人の人生に触れています。


今行っているプログラムのカフェセッションでは、その人の人生と向き合い、闇を一緒に直視していきます。


メールのやり取りでも、本当に深いところまで入っていきます。


そのときいつも思うのは、人の人生にはそれぞれ色んなことがあって、色んな感じ方があって、みんな大変なこともあるし、楽しいこともあるし、ああ生きているだなってことです。


ホント、色々あるんですよね。笑


人の人生に触れることで、私は以前よりも多くの人のことを理解できるようになってきました。


例えば、すごく攻撃的だったり、周囲の人を批判したり責めてしまう人。


そういう人は例外なく、自分のことを責めているんですね。


そして、責めるようになってしまった原因は、過去のつらい経験や悲しい出来事だったりするんです。


そういった出来事がきっかけで、自分を守らなければならない、という思いが強くなります。


その気持ちが強ければ強いほど、エゴも強くなり、そのエゴを自分と同化してしまい、


どんどん殻に閉じこもるようになります。


さらに、昨日の記事に書いたように「自分にはどうせできない」という思いまで重なってしまうと、


なかなか人生は前に進まなくなります。


ただ、今まで向き合ってきて言えることは、「大丈夫」だということ。


人は絶対に変われるってことです。


どんどん良くなっていくことができる。


成績だって上がるし、恋人だってできるし、人生をもっと楽しく生きることもできる。


今、できないことばかりが目についてしまう人は、それを信じることはできないかもしれませんが、


残念ながら「できる」というのが真実です。


それを信じている人と、信じていない人がいるだけ。


実際、カフェでセッションしていると、その子が何年も何年も抱えていたものを、数時間で手放し、変わることもあります。


そのときをきっかけに、その後変わっていくこともあります。


変わることはできるんです。今は信じられないかもしれませんが。


信じていない人は本気でやろうとしませんから、中途半端にやって、当然できなくて、「ほれ、できない」となってしまいます。


「自分にはできないのだ」ということを証明するために、できない現実を実は望んでいたり。


その状態では、当然できません。できないことを望んでしまっているわけですから。


私たちは、子供のときはできるできないなど考えず、ただ無邪気に「やりたいこと」をやっていました。


できるできないではなく、やりたいかやりたくないかで生きていました。


できないと最初から考えるようになったのはいつからなのか。


自分の心がワクワクしているのに、そこにブロックをかけ、「やらない」を選択し始めたのは、いつからなのか。


2冊目の本に、こんな項目があります。


『「やりたい」アクセルを、「できない」ブレーキで止めるな』


自分の中でいつしか強くしてしまった思い込みを取り除いていくこと。


できるできないではなく、やりたいやりたくないで生きれたあの頃に戻っていくこと。


今は色々あるかもしれません。


色んな悩みとか、できないという思いとか。


人生生きていたら、色々あります。


ただ、忘れないで欲しいことは「大丈夫だ」ということ。


大事なことは、できると信じること。良くなれると信じること。


それができると人生はもっともっと面白くなっていくと思います。


それでは今日は、このへんで。

昨日と同じ「成長」というものをテーマに扱っていきます。


成長する前には、葛藤が起こるものです。


葛藤の中には本当に色んなものがあります。


人生について迷ったり、自分自身について迷ったり、対人関係に迷ったり。


迷い葛藤する中で、人は答えを求めるようになります。


現状をどうにか変えたい、という気持ちから「学ぶ」ということを始めます。


で、この学びの段階には色々とあって、葛藤や苦しみに出会う度に、また新しい段階へと進んでいきます。


例えば、


今まで誰かの言う通りに、常識通りに生きてきた。親の言いなりだった。


そのことに今までは気づかなかった。


でも、やっと自分のその状況に気づき、親への反発心が芽生えてきて、「個」として生きるようになる。


自分というものを大事にし、「自分」の人生を生きるのだと頑張る。


このとき、まだ周囲のことは見えない人が多いです。


だから、攻撃的だったり自己中心的だったり周囲に興味はない、周囲をバカにする、今まで信じていた人を非難する、という人もたくさん生まれます。


ただ、それは「悪い」ことではありません。


ただその段階だ、ということ。そこでまた大事なことに気づいていきます。


そして、次に個として独立してやっていく中で、個が確立されてくると、


周囲との関係に目が向き始めます。


周りとの共存だったり共生、助け合い、思いやりといったこと。


そういったことを大事にしよう、と思う段階に来ます。


さらにその次もあります。


そのまた次もあって、さらにさらに…とどんどん前に進んでいくものなのですが、


そのときどきで「葛藤」がつきものなのです。


葛藤や苦しみを経験し、その経験をきっかけに考えるようになる。


考えざるを得ない状況に追い込まれる。


そこで新しいことに気づき、飛躍していく。


映画とかドラマとか漫画とか観ていてもそうですよね。


主人公が敵を倒す前には、必ず苦しみや葛藤がある。


その苦しみを乗り越えると、また一つ強くなっていく。


そういった側面が、私たちの人生にもあります。


だから、葛藤は悪いことではありません。


逆に、葛藤することが多い人は、それだけ成長も早い。早く大事なことに気づいていく人。


で、その時期っていうのはどんどん早くなっている気がします。


葛藤したら、その葛藤から逃げず、向き合ってみること。


すぐに答えが出ないイライラや、苦しさ。色んな感情が生まれるものですが、


その先に光があると信じて、葛藤して欲しいと思います。


葛藤から目を逸らしていると、いつまでも同じ次元で悩み、同じ苦しみで苦しみ、


一向に人生は前に進みません。


目を逸らすのではなく、向き合い、問い、考え、自分なりの答えを出していくことが大事です。


はい、今日はこのへんで。

昨日は京都で編集者さんと本の打ち合わせをし、その足で東京に行って仲間たちと朝まで飲みながら話していました。


本の方は、7月22日の発売が決定し、内容的にも大きく変更することなくほぼ書き上げた原稿通りの内容になりそうです。


で、本題。


最近、立て続けに、これまでなかなか心の殻に閉じこもってしまい苦しんでいた人から、変われてきています、というメールをもらっています。


変われるというのは、受け入れられるという意味合いの方が強いですね。


自分を責めることなく、自分に価値を感じられる状態になるということ。


やはり変わるタイミングというのがあって、例えば私が今行っているプログラムでも、変わる時期というのは人それぞれ違います。


それは、その人にどれだけ変わる「準備」ができているか。自分と向き合いきれる状態か。などなど、様々な要因が絡む問題だからです。


後になってから何を言っていたかが分かる、ということもあるものです。


私などもそうですが、読む本にもタイミングというものがあって、昔はさっぱり分からなかったものが今になるとすごく響いたり。


昔の理解がいかに浅かったかということに気づいたり。


逆に、昔響いたものが今は全く響かなかったりということもありますね。


変わるタイミング、響くタイミングというものがあって、そのタイミングが来たらその人は自然に大事なことを学んでいく。


もしあなたが人と向き合うようなときがあるのであれば、「待つ」ということも大事なことです。


信頼して待つ。


相手の中にも葛藤があり、認めたくない部分があり、苦しみがあります。


いきなり全てを受け入れられるわけではないし、受け入れたくない自分だっている。


それを理解することが大事で、自分についてもそれは同じことなんですね。


自分にもタイミングというものがあって。


まだ何を言っているか分からない、心底理解することができない。


そういうこともあります。


ただ、そこでそれを否定してしまうのではなくて、今はまだ分からないな、という姿勢を持ってみる。


その姿勢を持てるかどうか、つまりは謙虚であれるかどうかも大事なこと。


まあ、そこで否定したとしてもどうせ大事なことには気づいていくものなのですが。


焦る必要はないし、自分なりのペースで、自分なりのやり方で良くなっていけばいい。


私自身、「待つ」ということは大事にしています。


その人は、その人のペースで変わっていくし、それは私とは同じではない。


一人一人、ペースも方法もつまづくポイントも違う。


自分自身が、そのことを理解しておくこと。


人と比べる必要はないですし、人より遅いとかそういうのも気にしなくていい。


自分のペースでOK。


焦る必要はない。どうしても、焦ってどうにかしようとか、何とかしなければと思うものですが、


別にそういう風に頑張る必要はないのです。


はい、今日はこのへんで。