自分の人生に興味がない人は、他人の人生に興味を示す | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

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例えばどこかの会社に入るとします。


すると、一般的には22歳から始まって、何十年もそこにいて、同じ会社でというイメージがあったりします。


終身雇用は実際にはもうかなりキツイ状況にあるみたいですが、仮に定年までいたとして、


30歳くらいになったときに、自分の限界というか、その先が見えてしまって何となく生きる気力が萎える、みたいなことがあると言われますよね。


これ、体験したわけではないので実際の感覚としては分からないのですが、


もしも自分の人生の「上限」みたいなものが見えてしまったとしたら、それはちょっと怖いな、とは感じます。


私は今の仕事をしていて、本の出版があったりなんやかんやで、これからも「何者にでもなれる」という感覚があります。


そして、それは本来は人間みんなそう。


だけど、もしも会社にずっといるということが当然のことで、そこにいなければならないと感じてしまっているとすれば、


30歳くらいになったときに、何となく自分はこれからどうなっていくかということが見えてしまい、


現実を自分で動かしていく気力もないとしたら。


誰かが何かを起こしてくれる、ということもないし、今までと同じ日常がただ続き、その日常を生きていく。


人それぞれ幸せの形は様々ではありますが、先が見えて、変化がなくて、という日々に充実感を感じられるか、というと「厳しいな」と個人的には感じます。


今自分は充実感を感じていて、その充実感は何から来ているのかといえば、


成長していける、変わっていける、何でもできる、何者にでもなっていける


という感覚があるから、なのだと思います。


何かに打ち込み、それが自分の成長につながり、そしてそれが誰かのためになっていける。


自分が興味のあることをやって、それが結果的に誰かに喜んでもらえる。


これ、どっちかだけだと充実感の質は下がってしまうんですよね。


誰かのためになるのだけど、嫌いなこと。


好きなのだけど、誰かのためになっていると全然感じられないこと。


人間は社会的な生き物なので、そこに「他者とのつながり」がないと、何となく虚しくなってしまうものなのです。


話が逸れました。


何か閉塞感を感じていたり、希望を見失うことがあるとすれば、


多分それは自分が自分の可能性を自分で閉ざしてしまったから。


人は前に進んでいる、成長している、良くなっていけると「思える」ことで充実して生きることができます。


そしてそうやって生きることは誰にでも可能です。


しかし、時に人は、自分で自分の可能性を閉ざします。


どうせオレなんて、とか。


私は所詮この程度、とか。


要するに、「すねて」しまうわけです。


そうなると、自分の人生を良くすることではなく、わざわざ他人の人生にとやかく言う面倒くさい人になってしまいます。


自分の人生に興味がなくなってしまったから、他人の人生に興味を示すのです。


わざわざ悪いところを見つけてきて、非難し始めたり。


でも、忘れてはいけないのは、自分の可能性を閉ざしてしまったのは、自分自身だってこと。


自分を信じてやれるのは自分しかいなくて。


自分が自分を見捨てたら、誰も拾ってやることはできません。


自分の人生は、自分で創ってる。


それが揺るがない事実。


被害者になったって、他人の人生に絡んだって、何も変わらない。


大事なのは自分の人生を生きること。


自分が自分を見捨てず、自分を愛し、大事にし、生きたいように生きること。


です。


今日は、このへんで。