山形にやって来て最初に立ち寄った山寺のことだけですっかり話は長くなっておりますが、ようやっと山形駅前に戻ってきました。駅前のホテルにチェックインして荷物を放り込み…というあたりは細かく記すまでもないことですけれど、高層階部分にそのホテルが入っている複合施設のビル(もしかして山形で一番高い建物かも…)の1階にやまがた観光情報センターが入っておりました。ちょいと情報収集に、と覗いてみますと、かような案内を発見したのですなあ。

 

 

折しも山形を訪ねていた7月初旬は、まさに山形特産の紅花の開花シーズンだったのですなあ。それにしても「山寺と紅花」展って、確かに山寺の登山口脇でも花盛りの紅花を見かけたものの、はて両者につながりがあるのかいね?と(ちなみに展示会期は7月28日で終了しています)。

 

 

展示会場となっている紅の蔵・街なか情報館は駅から歩いて10分ほどかかる(山寺で歩き廻って来た後なのでゆっくり行っても少しかかったような)のですけれど、ともあれ立ち寄ってみることにした次第。以前、出張で来た折に紅の蔵にある蕎麦屋で紅花尽くしの「紅ご膳」なる品をいただいたことがありますので、場所の健闘は付いておりますし。

 

 

と、こちらが山形まるごと館・紅の蔵。街なか情報館とおみやげ処、飲食店が入った複合施設でして、母屋と5棟の蔵から構成される建物群はやはり紅花商人であった長谷川家所有のものを再利用しているそうな。その蔵のひとつが街なか情報館として利用されておりまして、門を入ってすぐ右手になります。

 

 

 

早速パネル展示を見ていきますと、紅花の深遠なる起源に触れて、こんなふうに紹介されておりましたよ。

紅花の起源は、約4,500年ほど前。中近東という説が有力です。絹が中国からヨーロッパへと運ばれたシルクロード。紅花は、同じ道を西から東へと渡り、中国に伝わり、朝鮮半島経由で染色技術とともに日本に伝わったと言われています。
日本への伝来の時期については、3世紀の纏向遺跡(奈良県)で、大量の紅花の花粉が見つかり儀式に使われていたと考えられています。

ところで、畿内には伝わっていたという紅花がなぜ山形に?となりますと、そこで山寺、慈覚大師の登場になる。「紅花は慈覚大師や第二世安然大師によってこの地に伝えられたという伝説」があるというのですな。確かに偉いお坊さんとしても、なんでもかんでも慈覚大師と関わりを求めるのは「どうよ?」と思うところながら、別の点でやっぱり山寺があったからと言えそうなことも紹介されていたのですな。

…比叡山と古くから関係のある山寺の存在は、比叡山と縁故の深い「近江商人」たちをこの地(山形)に惹きつけ、山形市の中心部に店舗を構えた彼らは地元の商人とともに紅花交易を通して莫大な富をもたらし、上方文化をこの地に伝えました。

いっそのこと、比叡山との関わりから山寺とも関わることになった近江商人が、山形の紅花栽培適性を見込んで栽培を展開させたてなことの方が得心しやすいような。近江商人に往来があり、紅花交易が盛んになって上方からは遠く離れた山形の地にその文化の一端が流入した…とは傍証になりそうなこともありますし。例えば、山形名物の芋煮について、その始まりはこんなふうであったと。

当地の郷土料理「芋煮」は、秋に川原で食べる鍋料理です。紅花を上方に運んだ船頭が、地元の食材の里芋と帰り荷の棒鱈を川原で煮て食べたことが発祥と言われています。

その芋煮の具材として、棒鱈にかえて牛肉を持ち込んだのは近江商人ではなかろうかと。何しろ近江牛として知られる牛肉は江戸期以前にも食されていたと記録に残るようですから。

 

 

ちなみに、紅花交易が莫大な富をもたらしたとして、紅花の価値はどれほどであったかといえば、いろいろ比較のしようはあるとしても、「米の百倍、金の十倍」という例えが最も分かりやすいでしょうかね。今ではそこまで行かないであろうのは需要の問題かと。いろいろな製品がプレゼンされておりましたよ。

 

 

とまあ、そんなこんな紅花に関する展示を見たのち、晩飯を食してホテルに帰ろうとしたところで、行き掛かり上、芋煮を欲することになりますな。とあるお店でメニューに「山形の芋煮」を発見して、そそくさと入り込んだものでありました。

 

 

「山形と言えば、まずはこれ!」とまで言われてますし、当然に「芋煮、ください!」と、ここで思いもよらぬ肩透かしが。なんと店員さん曰く「きれてしまいました…」。口あんぐりになりましたけれど、今さら別の店にというのも億劫ですので、それならばより山形の伝統に基づく?「棒だら煮」を頼むことに。芋煮の具材の元は棒鱈であったと、先ほど見て来たところですしね。

 

 

山間の地にあって海の魚は保存食として用いるしかなかった頃にはごちそうだったのかもしれませんですね。食材が豊富な今となっては素朴な昔なつかしさが勝負のしどころのように感じた棒だら煮でありました。他にもあれこれ食して飲んで、帰りがけに店先を振り返れば「本日、芋煮完売いたしました」と、入店時には無かった貼り紙が…。

 

 

参考までに「澤正宗」は寒河江市のお酒でして、これはおいしくいただきました(京都伏見ほどではないにせよ、山形でもやはりお酒の話が多少出てきます、笑)けれど、芋煮を食せなかった点ではいささかの残念さを残しつつ、ホテルに戻ったものでありましたよ。