一年の演奏会聴き納めは「第九」公演であることが多いですが、今年の聴き納めは室内楽でしっとりと。例によって抽選で当たった(なんだか外れることって無いのかも…)ランチタイムコンサート@トッパンホールへ出かけてきたのでありますよ。

 

 

フライヤーにもありますように「楽聖がめざしたピアノ三重奏!-その出発点と頂点を聴く」ということで、取り上げられたのはベートーヴェンのピアノ三重奏曲。その第1番という「出発点」と、番号付きでのは最後にあたる第7番「大公」という「頂点」を一度に聴けるという、ランチタイムコンサートとしては実にたっぷりしたプログラムでありましたよ。年末スペシャル的なところもありましょうかね。

 

ともあれ第1番はベートーヴェンが20代前半という若い頃の作品で、プログラム・ノートにモーツァルトやハイドンの影響を感じさせるとあるのも宜なるかなと。コロコロと転がるピアノの伴奏に乗って、弦がさわやかに流れていくようすは「ああ、青春であるな」と思ったりもするところです。一方で、「大公」の方はロマン・ロランをして「傑作の森」と言わしめた作品群が生み出された頃のものでして、第1番からは30年近く後のことになりますな。何が違うって、チェロの活躍が著しいことかも。取り分け第1楽章の雄渾のメロディーはチェロが朗々と奏するところに耳を欹ててしまうもので。

 

という具合に聴き比べも楽しい演奏会でありましたけれど、今さらながらに気付かされたことにピアノ三重奏曲の第1番は、ピアノ・トリオという曲種における最初の曲というばかりでなくして、ベートーヴェンの作品番号1(正確には1番から3番までの3曲セットの最初として作品1-1)が与えられていたのですなあ。もちろん、この曲以前の作品でも後世に残るものはありますけれど、とにもかくにも当時のベートーヴェンが満を持して世に問うた作品の嚆矢と言えるのかも。

 

この曲は、ベートーヴェンが世に広く知られるにはもう少々の時が必要であった時期、パトロンとして支えてくれたリヒノフスキー侯爵に献呈されているそうですが、取り分け室内楽を好んだという侯爵に対する感謝を作品で表明したものでもありましょうか。この頃、作曲家の収入につながるひとつとして楽譜の出版がありますけれど、ピアノ三重奏というコンパクトな編成は、音楽が聴くものである以上に演奏して楽しむものだった時代に、侯爵のサロンで演奏され、人に耳に止まることで「我も演奏せん」と楽譜を買い求める動機付けとなったのではなかろうかと。作品1がピアノ三重奏曲であったのは、そんな背景の中、ベートーヴェン自身がピアノで参加してピアニストとしての腕も示す機会含みかとも思ったりしたものでありますよ。

 

ちなみに、ベートーヴェンからリヒノフスキー侯爵へはその後もいくつかの曲が献呈されますけれど、1806年を境にそれが無くなるのであるとか。どうやらこの1806年のあるとき二人が大喧嘩した…とWikipediaに紹介がありまして、あまり理由のほどは詳らかではないところながら、まさに「傑作の森」を生み出そうという頃合い、作曲家としての自信を深め、宮廷などでの役職はもはや眼中になくなり、独立した創造者の道を切り拓かんと考えていたことが関わっておりましょうか。侯爵に対する恩義を忘れたわけではないにせよ、子飼いの作曲家が宮廷などでの(音楽的な)顕職に付くことを望む(自慢できることでしょうし)侯爵の思惑が見透かせたことにがっかりしたベートーヴェン、ついつい癇癪を爆発させてしまったのかもしれませんですね。

 

ただ、「傑作の森」はこうした恩人との訣別があってなおのこと発奮した結果でもあろうかと。禍福は糾える縄の如しでありますなあ…と、演奏会のお話からすっかり飛躍してしまいましたですが、とにもかくにも2022年の演奏会聴き納めは(「第九」でなくとも)やはりベートーヴェンであったということなのでありました。